岡谷市カノラホールで開催された、歌手・バンドゥーラ奏者ナターシャ・グジーさんのコンサートに行ってきました。岡谷市は長野県の真ん中で諏訪湖の畔、自宅からは電車を2回
乗り継ぎ、約2時間半の道のりです。
彼女の歌は、2009年4月にNHK WORLDで初めて聴き、強く惹かれてから8年の月日が流れ、今回やっと願いが叶いました。演奏は15曲(アンコールが2曲)2009年の放送で聴いて
以来、桜の咲くころになると想う「キエフの鳥の歌」は最初の曲でした。 水晶の様と称賛される透明で美しい歌声と、哀愁を帯びたバンドゥーラの音色は想像以上でほんとうに素晴ら
しいものでした。それと同時に彼女の日本語も絹のように滑らかでとても優しいです。
ところで、彼女の本当の名前はナタリア(CDにはナタリアと書かれている)、ナターシャは愛称だそうです。(日本だと「なっちゃん」) バンドゥーラは民族楽器なので弦の数も様々、
重さは8キロもあるとのこと。「コンサートが終わったらステージに置くので見てください。写真もokです」と紹介してくれた2台のバンドゥーラです。滅多に見ることができない楽器です。
既に多くの人が知るところですが、彼女はウクライナに生まれ、お父様がチェルノブイリ原発で働いていたため、そこから3.5キロの所で被災されました。事故のことを住民が知らされ
たのは2日後のことで、当局からは 「大したことは起きていませんが、念のため3日間避難してください。3日経てば帰れますから荷物は持たずに」と指示され、そのとおりに避難をし、
しかしその後決して故郷に戻ることはできなかった、 大切な思い出が溢れている家は壊され森の木は切られて、土で埋められ消え去ってしまったそうです。
コンサート会場で買い求めた彼女が執筆した本 「ふるさと~伝えたい想い」 には、幼少のころの楽しい思い出や家族や友達のこと、自然豊かな美しい風景などが描写され、それ
は日本の里山の情景とも似ていて、 しかしあの日にそのすべてが失われてしまったことへの悲しみや不安が綴られています。
事故処理に当たっていたお父様は、帰宅した彼に飛びつこうとするナターシャをいつも止めていたことから、原発の技術者や作業員が、命がけで崩壊した原子炉の封印を行った事実
も伺い知ることができます。
「あまりに失われてしまったものが多すぎ、決して忘れることはない。どんなに時間が経ってもどんなに生活が回復しても、取り戻せないものがある」と書かれていますが、彼女や
数多くの住民の方たち(決して私が想像することは出来るものではないが、もし許されるなら)が抱えている傷は図り知れないほどだと思います。
事故が起きた3日後の1986年4月29日、そのことを知る由もない私は新潟県の角田山の近くで最接近したハレー彗の撮影をしていました。その深夜にラジオから 「ソビエト連邦で重
大な原発事故が発生した模様」とのニュースが流れたことを、今でもはっきりと覚えています。あのときナターシャさんたち住民はたいへんな思いをされていたのだと、改めて感じて
います。
「人間は忘れることによって同じ過ちを繰り返します。 (この悲劇を)決して忘れないでください。 二度と起こらないようにしてください」
「ふるさと」にも、NHK WORLDで聴いた彼女のメッセージにもあるこの言葉、しかし例え事故に至る要因が異なるとしても、2011年に東日本で発生した大災害でチェルノブイリの教訓
が生かされたとは言い難いのはとても悔しいです。
悲しみよりも、歌を、心にある美しい故郷を想い。
彼女の歌で癒され、浄化される私の心は、2時間のコンサートが終了したときに、彼女への感謝の気持ちで満たされました。
それと同時に、悲劇を二度と起こしてはならないという強い願いと。
ナターシャさんの公式ページです。バナーをお借りしました。もしお近くでコンサートが開催されるなら是非行ってみてください。