(1940年・アメリカ)(原題:THE GREAT DICTATOR)
製作・監督・脚本/チャールズ・チャップリン
撮影/カール・ストラス、ローランド・トザロー
音楽/メレディス・ウィルソン
出演/チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード、ジャック・オーキー ほか
《あらすじ》
チャップリンが同じようなちょび髭(ひげ)をもつヒトラーを痛烈に批判した傑作。戦傷で記憶を失ったユダヤ人の理髪師は、とある国の独裁者とうり二つ。ひょんなことからその独裁者と入れ替わってしまい、ユダヤ人の彼が独裁者になることに・・・。トーキーを嫌っていたチャップリンが初めて本格的にトーキーに挑み、クライマックスの6分間におよぶ大演説シーンは、見るものに強烈な感動を与える。
《この一言》
”強欲と憎悪と暴力から 人類は立ち直れる
勇気をお持ち
人間の魂には翼がある
今こそ飛び立とう かなたの虹に向かって ”
昨日の晩にNHKでチャップリンの特集をやっていて、以前からの興味がさらに募ったので、さっそく『独裁者』を観てみました。このあいだ『黄金狂時代』を途中から観たとき、台詞は一切なしのパントマイムのみで笑わせるチャップリンという人は天才だなと感心したものです。その天才が、何年間もかけて身の危険も顧みずに脚本を練り上げるとこんな凄いものが出来るのかと、今回はさらに打ちのめされました。凄い。
とにかく、今さら私が言うまでもありませんが、クライマックスの演説には震えました。あまりに強く美しいメッセージであるので。涙がこぼれおちるではないですか。
昨夜の特集では、当時アメリカでこの映画が上映された時には、評判はいまひとつだったそうです。このメッセージは、世界中がフィクションではない現実の戦争に向かっていた頃の人々には、それほど受け入れられなかったそうです。とても信じ難いことではありますが。しかし、戦争をしようなんていうのは正気の沙汰ではないので、正論が通じないのもやむを得ないのかもしれません。悲しいことです。
「楽天的過ぎる」などとも言われたそうですが、「楽天的」のなにが悪いんだ。夢のような理想のなにか悪いんだ。欲望の泥のなかで互いに殺し合う世界に浸かり切っているのが正しいとでも言うのか、それで人類はほんとうの発展を得られると、満たされた理想の社会が訪れるとでも言うのか。
私は彼の言う通りだと思う。「人間の魂には翼がある」と思う。たとえば時々持ち出される「戦争によって科学や技術は進歩した」という説は、部分的にしか正しくない。日本の我々はしばらく大きな戦争のない日々を過ごすことができたが、その間、科学や技術が発展しなかっただろうか。今、科学や技術は進歩していないだろうか。我々は憎悪や強欲とは違うものをエネルギーとして進むことだってできる。
そして、独裁者は、必ずしも目に見えて分かりやすく存在しているとは限らない。我々は知らぬうちに彼の奴隷になっていないだろうか。自分の利益のために、信念を押し通すために、他者を虐げてしかも平気な顔で暮らすようになってはいないだろうか。そもそも自分の利益とはなんだ。それは本当に自分の利益だろうか。虐げられているのが自分であり、あるいは誰か他の人であることに気が付きさえしなければ、それで幸福な理想的な社会と言えるのか。疑いさえ持たぬ無垢は平和だが、一歩間違えば簡単に利用される。
暴力の前に、思いやりや助け合いはなんの力にもならないのか。ただ、足りていないというだけではないのか。勇気が。
そんなぬるいことを言っていると滅ぼされるだろうか。もしかしたら、個人としては滅びるかもしれないな。でも、思想は、理想は、それが必要なあいだは生き続ける。私個人の意見としては、人間はよくもわるくもしぶといので、道筋がどれほど困難であろうとも簡単には滅びないと思う。もっと遠くまで行ってみたいなどという夢を見つづけて、いつかはそれを実現することだって出来ると思う。素晴らしく楽天的だ。いつか手に入るかもしれぬものの大きさを思えば、殺戮と強奪によって得ようとするものの詰まらなさと言ったらない。
映画を観ての感想としては的外れかもしれませんが、こんなことを思いました。激しやすい私は、ずいぶん激してしまいました。血がのぼっているので頭が熱いです。ところが寒さのために、足は氷のように冷たいです。こんなことでは風邪で滅んでしまいます。ともかく落ち着かなくては。はあ、はあ、深呼吸だ。
製作・監督・脚本/チャールズ・チャップリン
撮影/カール・ストラス、ローランド・トザロー
音楽/メレディス・ウィルソン
出演/チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード、ジャック・オーキー ほか
《あらすじ》
チャップリンが同じようなちょび髭(ひげ)をもつヒトラーを痛烈に批判した傑作。戦傷で記憶を失ったユダヤ人の理髪師は、とある国の独裁者とうり二つ。ひょんなことからその独裁者と入れ替わってしまい、ユダヤ人の彼が独裁者になることに・・・。トーキーを嫌っていたチャップリンが初めて本格的にトーキーに挑み、クライマックスの6分間におよぶ大演説シーンは、見るものに強烈な感動を与える。
《この一言》
”強欲と憎悪と暴力から 人類は立ち直れる
勇気をお持ち
人間の魂には翼がある
今こそ飛び立とう かなたの虹に向かって ”
昨日の晩にNHKでチャップリンの特集をやっていて、以前からの興味がさらに募ったので、さっそく『独裁者』を観てみました。このあいだ『黄金狂時代』を途中から観たとき、台詞は一切なしのパントマイムのみで笑わせるチャップリンという人は天才だなと感心したものです。その天才が、何年間もかけて身の危険も顧みずに脚本を練り上げるとこんな凄いものが出来るのかと、今回はさらに打ちのめされました。凄い。
とにかく、今さら私が言うまでもありませんが、クライマックスの演説には震えました。あまりに強く美しいメッセージであるので。涙がこぼれおちるではないですか。
昨夜の特集では、当時アメリカでこの映画が上映された時には、評判はいまひとつだったそうです。このメッセージは、世界中がフィクションではない現実の戦争に向かっていた頃の人々には、それほど受け入れられなかったそうです。とても信じ難いことではありますが。しかし、戦争をしようなんていうのは正気の沙汰ではないので、正論が通じないのもやむを得ないのかもしれません。悲しいことです。
「楽天的過ぎる」などとも言われたそうですが、「楽天的」のなにが悪いんだ。夢のような理想のなにか悪いんだ。欲望の泥のなかで互いに殺し合う世界に浸かり切っているのが正しいとでも言うのか、それで人類はほんとうの発展を得られると、満たされた理想の社会が訪れるとでも言うのか。
私は彼の言う通りだと思う。「人間の魂には翼がある」と思う。たとえば時々持ち出される「戦争によって科学や技術は進歩した」という説は、部分的にしか正しくない。日本の我々はしばらく大きな戦争のない日々を過ごすことができたが、その間、科学や技術が発展しなかっただろうか。今、科学や技術は進歩していないだろうか。我々は憎悪や強欲とは違うものをエネルギーとして進むことだってできる。
そして、独裁者は、必ずしも目に見えて分かりやすく存在しているとは限らない。我々は知らぬうちに彼の奴隷になっていないだろうか。自分の利益のために、信念を押し通すために、他者を虐げてしかも平気な顔で暮らすようになってはいないだろうか。そもそも自分の利益とはなんだ。それは本当に自分の利益だろうか。虐げられているのが自分であり、あるいは誰か他の人であることに気が付きさえしなければ、それで幸福な理想的な社会と言えるのか。疑いさえ持たぬ無垢は平和だが、一歩間違えば簡単に利用される。
暴力の前に、思いやりや助け合いはなんの力にもならないのか。ただ、足りていないというだけではないのか。勇気が。
そんなぬるいことを言っていると滅ぼされるだろうか。もしかしたら、個人としては滅びるかもしれないな。でも、思想は、理想は、それが必要なあいだは生き続ける。私個人の意見としては、人間はよくもわるくもしぶといので、道筋がどれほど困難であろうとも簡単には滅びないと思う。もっと遠くまで行ってみたいなどという夢を見つづけて、いつかはそれを実現することだって出来ると思う。素晴らしく楽天的だ。いつか手に入るかもしれぬものの大きさを思えば、殺戮と強奪によって得ようとするものの詰まらなさと言ったらない。
映画を観ての感想としては的外れかもしれませんが、こんなことを思いました。激しやすい私は、ずいぶん激してしまいました。血がのぼっているので頭が熱いです。ところが寒さのために、足は氷のように冷たいです。こんなことでは風邪で滅んでしまいます。ともかく落ち着かなくては。はあ、はあ、深呼吸だ。