イスマイル・カダレ 村上光彦訳(東京創元社)
《あらすじ》
その迷宮のような構造を持つ建物の中には、選別室、解釈室、筆生室、監禁室、文書保存書等々がドアを閉ざして並んでいた。
〈夢宮殿〉、国中の臣民の見た夢を集め、分類し、解釈し、国家の存亡に関わる深い意味を持つ夢を選び出す機関。名門出の青年マルク=アレムは、おびただしい数の様々な夢の集まるこの機関に、職を得、驚きと畏れに戸惑いながらも、しだいにその歯車に組み込まれ、地位を上りつめていく。国家が個人の無意識の世界にまで管理の手をのばす恐るべき世界!
《この一文》
“わずか数か月間足を運ばなかっただけで、こちら側の世界からこんなにも早く気持ちが離れようとはまったく思いもよらぬことであった。彼は〈夢宮殿〉に以前勤めていた職員のことでいろいろ話を聞いていた。その人たちは、自分の生者としての暮らしからいわば身を引いて、たまたま昔の知り合いのあいだに居合わせたときなどは、月から降り立ったような印象を与えたものだという。この自分も、あと数年も経つと、しまいにはそうした先輩たちと似た存在になりきるのではなかろうか。《で、そのあとは?》と、彼は思った。《おまえはこのきれいな世界を捨てる気らしいが、まあ、こいつをとくと眺めて見るんだな! 通行人どもは、〈夢宮殿〉の狂おしげな職員たちに皮肉な微笑を投げかけている。だが〈タビル〉の幻視家たちの目には彼ら自身の生活がどれほど味気なくみじめに映るのか、連中には思いもおよばないのだ》 ”
〈夢宮殿〉、臣民の夢を集めて、分類、解釈し、管理する役所。栄光と不幸に彩られた名門キョプリュリュ家出身の青年マルク=アレムが、巨大な宮殿のなかを、夢からまた次の夢へと彷徨い歩く。
というこの物語を、夢見に興味がある私が素通りできるはずもなく、第一章は恐ろしいほどに面白くて、その勢いでどんどん読み進められるはずが、どういうわけか第二章から第五章までは私の心が紙の上で分散して、まったく集中力を欠いていました。美しかったり、奇妙だったりする夢の描写がところどころに出てくるというのに。
しかし、最後の第六章、第七章に至って、ふたたび物語は燦然と輝き出したのです。いったん最後まで目を通してその面白さに間違いはなかったと知った私は反省して、もう一度最初から最後まで、今度は一息に読むことになりました。それでやっと分かった。こういうことは久しぶりです。要するに、やっぱり面白かったということです。
イスマイル・カダレの作品を読むのは、たぶんこれが2作目です。以前、東欧文学のアンソロジーで「災厄を運ぶ男」という短篇を読みました。女性の顔を覆うためのスカーフを荷車いっぱいに詰め込んで運ぶ男の物語だったかと。あれはどういう風に終わったのだっけ。ちょっとよく思い出せませんが、あまり明るい結末ではなかったという感触が残っています。無力感にうなだれて、押しつぶされるような読後感。これはこの人の作品の傾向なのですかね。巨大な帝国という組織に押しつぶされてしまう個人。奇妙な論理で動いている巨大組織に翻弄されるしかない人間の運命。そういうことがテーマのようです。暗い。重い。好きです。
この『夢宮殿』では、〈夢宮殿〉と呼ばれる夢を管理する役所に勤める青年が、あれよあれよという間に出世していき、〈夢〉という人間の意識の、掴みどころのないような部分にまで管理の手をのばす国家組織の枠組みのなかにいつの間にか取り込まれていくさまを、その恐怖と狂気、幻想と幻滅の渦巻きを、とても印象的に描いています。かなり面白かったのに、私はどうして集中できなかったのだろう。
私は最初の読書では、まるで前置きのような描写がいつまでも続くような内容に不安になり、まったく物語に集中することが出来なかったのですが、その一因としては、この物語自体が迷宮のように暗く沈鬱で、明るい出口など永久に見つけられないのではないかという雰囲気に満ち満ちていたこともあるのではないかと、言い訳してみます。いやまあ、ネタバレするのもあれですが、結局明るい出口などはないのですがね。けれども、最後になって「そうだったのか!」という到達感のようなものはあります。苦しく辛い到達感ではありますが。
ああしかし、せっかく面白かったのに、あまり集中できなかったことが本当に悔やまれます。もっと突っ込んだ感想を書けそうだったのに! うーむ。また次の機会に持ち越そう。
夢というものをどう考えるか。夢のお告げを信じるか、信じないか。夢をどう解釈するか。そういうことは個人の好き勝手にまかせるべき領域であると私も思いますが、それすら管理しようとする国家規模の巨大組織が存在したら、きっと困りますね。夢を、正しいとか、危険だとか、無価値だとかいうことを他人に判断されるなんて、まっぴらです。ましてや夢を見たことで罪を負わされるだなんて、狂気の世界です。ああ、しかし、世の中というものはいつだってそんな風に狂ってしまわないとも限らない。今だって。どういうわけか、人間はひとりでも狂ってしまうこともありますが、たくさん集まってもかえって狂ってしまうようなところがあるではないですか。狂気ってなんだろう。
ところで、カダレはアルバニア出身の作家ですが、アルバニアとアルメニアの区別が付かないなどと言う愚かな私は、ちょうど良い機会なので少しばかりアルバニアについて調べてみました。あー、アルバニア共和国はそんなところにあるのか。バルカン半島の、ギリシャの上ですね。イタリアと海を挟んで向かい合っています。そして結構最近まで鎖国していたらしい。あの辺ではよくあることのようですが、ここもまた複雑な歴史を持つ国のようです。この人の『死の軍隊の将軍』もそのうち読みたいです。