ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

夢見:3人乗り

2017年12月07日 | 浅き夢見し

長い長いロードムービーのような夢。
いろいろ旅した大半は忘れ、覚えているのは最後の部分。


「私」はスクーターらしい二輪に乗っていて
リアルでは免許もないのに、運転しています。
不思議なことにバイクには2人も同乗者がいます。


1人は細マッチョな「私」より小柄な男性で台湾人。
もう1人はぽっちゃり系の中年の白人女性のNZ人。
私たちは知り合いだった訳ではなく、
たまたま乗り合わせただけのよう


「私」は2人を乗せて行くことに責任感を感じています。
しかし、いかんせん運転に慣れていないので、
大通りを直進すべきところ、なぜか歩道に進入してしまい、
横断歩道で歩行者用の信号を待っている始末


でも2人は文句も言わず、「私」にしっかりつかまって
黙って付いてきてくれます。


ガソリンが空になり、「私」たちはスタンドに入りました。
「給油ってどうやってやるのかしら?」
と、自分が運転してきたものをしげしげと見ると、
脇からペットボトルが突き出ていて、それが空です。


「えーーこれにガソリンを入れるの?危ないじゃない
と驚きながらも、ペットボトルを引っこ抜き
レジに持っていき、これに給油してほしいと告げます。


店番の男性は細く褐色で、「私」はスリランカ人だと感じました。
小さくて低い声ながら、教養がある人らしい丁寧な英語で
「危険なのでペットボトルには給油はできません」
という答えが返ってきました。


頼んでおきながら、「私」も男性に同感で、
「やっぱり危ないよね。こんなプラスチックでは・・・」
と納得しつつもスクーターを動かせないので困っていると、
同乗していたキウイ女性が店番の男性と交渉し始めました。


「さすが英語ネイティブ交渉力が全然違う。」
女性の落ち着いた態度に感心しつつ、成り行きを見守りました。
じきに男性が折れ、給油に成功しました


スタンドを出ると、まっすぐな田舎道の向こうに山が見えます。
標識には『ウェリントン』と書いてあり、キウイの女性が
「あと4キロね。」
と言います。


「私」は「けっこう近いな」と内心ホッとしつつ、
2人を乗せて車が1台もない道を山に向かって走り始めました。



======================



よくあることですが、目覚める瞬間まで見ていた夢
目覚めた瞬間に、
「乗っていた2人は私の人生だ
とわかりました。


初めて海外暮らしを始めたのは33年前の台湾
今も暮らし、このまま生涯を終えるであろうNZ
そのふたつを背負いながら誰もいない一本道を走っていく。


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日本行備忘録:2017年3月

2017年12月06日 | 海外:日本備忘録

2017年3月の日本旅行は8泊9日。


早めに切り上げたいと思いつつ
せっかくだしな~とも思い、
松戸⇒横浜⇒名古屋+その周辺
といっぺんに回ってきました。


日本の税金関係の処理が完全に
終わった時点でNZ国籍を取得
することを決めていたので、
今回は日本のパスポートで来る
最後の日本でした


気持ちがすでにキウイにシフト
していたせいか、視線も思考も
かなり客観的なガイジンさん
「残りの人生はこうやって
生きていくんだなぁ

としみじみ思った次第です。


では、恒例の自分用備忘録
計12本

ディスカバージャパン

日本人としての最後のお勤め
確定申告
今回の一番の目的はコレでした。


久しぶりの浅草

珍しく花の都トーキョーへ。
気分はもう外国人観光客


上野まで

下町散策をしながらかっぱ橋。
ちょこっと買い物も


愛着の鎌倉

生まれも育ちも横浜市ながら
家から近かった鎌倉に愛着。
生憎の雨でしたが濡れた緑
も石段も美しかった


思い出の中の横浜

横浜泊で親や友人に再会し
懐かしの店をのぞいたり。


イセラーのお伊勢参り

一家で大のイセラーです。
日本に行ったからには必ず
訪れたいし訪れる場所。


驚愕の鶴舞公園

「オモシロイものが見れるよ」
と息子に言われたとおり


犬山城

初めて行った犬山城
これって横浜から小田原城に
行くような感覚なのかな?


名古屋のソロピッツァ

素敵な店内と美味しいけれど
使い捨て食器の食事
プラマイゼロ体験でした。


名古屋の食

何を食べても甘いな~と。
さらに味も濃い目、肉も多め
野菜少な目、揚げ物も多めで
体重管理が難しそうな食文化


息子の食

息子の日頃の食を垣間見られ
親としては一安心


昭和を生きる街

海外に30年以上暮らし、日本
国籍でもなくなった目には
名古屋は昭和でした
自動車産業が抜本的に変わるか
もしれない中、この街は今後ど
んな変遷を遂げるのでしょう。


9ヵ月ぶりにやっと『完』
1年越えは絶対回避しないと


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日本行:昭和を生きる街

2017年12月05日 | 日本

息子を訪ねて名古屋に行くたびに思うのが



この街は昭和を生きている

ということ。


時代遅れとかネガティブな意味ではなく



昭和を生き抜き、高度成長のビフォア&アフターを

リアルに思い出せる世代には


場所と時代を超えて懐かしいものがあるのです。

私には高層ビルを感嘆をもって見上げること自体が昭和だった。


こんなコスプレも

80年代の竹の子族に見え


大勢で踊ったりせずに静かに写真を撮っているところは

今風なのかな?


70年代に大ブレイクした浜トラの元祖のひとつ

キタムラが名古屋にある


しかも駅のそばのかなりの一等地
フクゾーの服
ミハマの靴
キタムラのバッグ

は元町発祥の浜トラの御三家


こんなにコンサバな(という形容詞も涙ぐむほど懐かしい)モノが
これだけ海外ブランドが溢れる時代に元町以外にあるなんて
驚くと同時に名古屋の保守ぶり昭和ぶりを見たような。


自動車とその周辺産業にがっつり支えられた経済圏は
男が正社員として生涯働いて経済的に一家を支え
女が家を守りながら親を世話し次世代を育んでいく

そんな昭和な生き方が今でも可能な場所なのでは?


日中の平日に出かけると若い専業主婦風な人が多い気がし、
デパートがどの階も賑わっているような場所。

ブランド文化がまだまだ日常の中に残っていて
店から出てくる昼間からハイブランドで着飾った若い女性に
30年ぐらい前に引き戻される想いでした。


極めつけがコメダ

数年前に息子と一緒に一度だけ行きました。
このコーヒーにお冷


名物の無料のモーニングセット

トーストも玉子も餡も食べない私には
コーヒー1杯ではずい分割高な朝食
さらにエスプレッソではないので後から飲み直し(笑)


ボックス席の椅子の上であぐらをかいて新聞を読む人
自宅の居間のように寛いでダベっているカップル
すべてが昭和の喫茶店のようで
懐かしいけれどいたたまれず
落ち着きませんでした(笑)


名古屋は社会の安定ゆえに昭和のまま変わらなくても

よかったのか


でも、世界では電気自動車(EV)へのシフトが急激に進み
ヨーロッパの国では早ければ10年以内にガソリン車が
鉄クズになろうとしているこのご時勢


オーストラリアで仮免の子がテスラで教習しているのを見て
「そうかこの子は生涯EVしか乗らないのかも。」
というのを実感して、後戻りのない時代の流れを感じました。


掃除機のダイソンなど家電メーカーが続々EV参入を表明し
自動車メーカーというものが根本的に変わり、


2019年5月からは平成さえも終わってしまう中で

名古屋という街がこれからどう変わっていくのか


興味深く思います



名古屋にあってもコーヒーは毎日毎日

スタバでしたん(笑)


2017年3月の日本旅行記、9ヵ月ぶりに終了
長い間(長すぎる~)お付き合いありがとうございました。

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日本行:息子の食

2017年12月04日 | 日本
今年3月の日本行きは大学を卒業した息子に
名古屋で再会するのも大きな楽しみでした。


本人は今のところ郷愁はないようで、NZを飛び出して丸5年
ま~ったく帰ってくる気がないどころか遊びにも来ません(笑)
自分もそうだったので、文句を言えた義理ではなく
会いたかったら、こちらから出向かないと


本人バリバリの料理男子なので作って良し外食して良し。

ここは美味しくて、オーナーとも知り合いだそう。


ここはよく利用している中東食材専門店



これは楽しそう



持って返れるものならほしい、こんなランプ



台湾料理屋があると聞いて、いそいそ来ちゃいました

味仙
母子ともども台湾留学組で、大の台湾びいき。


えっ

台湾ラーメン
なにコレ?


母「担仔麺って書いてあるけど、そうは見えないな~
子「全然違うよ。」
母「でしょ?こんなの台湾にないじゃない
子「それが今の台湾にはあるんだよ。名古屋麺っていうんだよ。」
「えぇぇぇえ


辛さひかえめ=アメリカン
というのも爆笑で、息子の友だちだったアメリカ人が
名前のとおり、いつもコレだったというので大爆笑


この麺はこの店のオリジナル。ウェブサイトにもきちんと
台湾ラーメンはメイド・イン・名古屋
と書いてありました
(※だよねぇ


確かにナイ

でも雰囲気出てます


これは広東料理では?



和台折衷がなかなかいい塩梅。

地元で愛されるのもわかります


日本滞在中、最も野菜が頼めたレストランでした。

それでも、少なっ


こんなの発見
なーつーかーしー

あれこれ買い物


この行列は
パン屋さん

地元の人だけが知っている場所なんだそうな。
看板もないし、知らなければ絶対にわからない


ソロピッツァの本店だそうです。



息子がよくお世話になっているブラジル料理

今回は行けなかったので、ぜひ次回


ちょっと気になったけれど行けなかった店



仰天だったレストラン

このオドロオドロしいライトアップで
ストロベリーコレクションんんん


好みの問題なんでしょうが、

絶対入れないな~


東京から比べると限られた広さにいろいろなものが

ギュっと詰まった面白い街、名古屋
息子もこのサイズ感をこよなく愛しているようです。

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日本行:名古屋の食

2017年12月03日 | 日本

大学卒業と同時に日本を出てしまい、
横浜と東京以外の日本を知らないせいとはいえ、
名古屋は近くて遠い存在。


ひつまぶしというものを知ったのも、実は香港にて

大学の同輩(東京出身)が、
「名古屋に出張に行ったら、蒲焼をお茶付けにしてた~
と驚いて帰り、見よう見真似で作ってくれました。


インターネットなど影も形もなかった30年前。
ご当地情報は雑誌かテレビかガイドブックか
海外暮らしとなったらさらに浦島タロ子
「けっこう、美味しいじゃん
と言いつつ食べた遠い記憶が


手羽先が有名なのを知ったのも、息子の名古屋熱の影響。

大学の下見に行く時に名古屋出身の人に
「やまちゃんが有名
と聞くまで、夫婦とも世界のやまちゃんも知らず


私の中での名古屋の食のイメージは

とにかく鶏
ブラジル料理まで鶏の丸焼き(笑)
チキン好きにはウレしい限り。


そして

玉子率が高い。
鶏がいっぱいなら玉子もいっぱいってことなのか?
玉子はつなぎぐらいしか食べないので、これはお味見程度。


さらに

甘い


タレも餡も味噌もケチャップも

とにかく全てが甘めな仕上がり。


これも菜飯で休み休みいただきました。



「やっぱり食事は甘くない方がいいな~」

とラーメン屋に駆け込んだら


店にみりんの大瓶が林立していて

「チャーシュー用?それにしてはスゴい量。」
と思っていたら・・・・・


しょう油ラーメンが

甘いっ
関東のモノとは別物でした。
これならみりんが大量にいりますね


食全般の甘さにパンがとっても

塩辛そうなものに見えました(笑)


あと、どこに行っても肉料理と



揚げ物が多いな~と。

味噌カツの街ですもんね。
今の日本は全国的にそうなのかな?


最後に名古屋空港できしめん。

私にはこれぐらいさっぱりがちょうどいい


夫は一口カツ付き。

最後の最後にカツでした。
(※夫はカツが食べたかったかも。ゴメンね

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日本行:名古屋のソロピッツァ

2017年12月02日 | 日本

息子と再会した名古屋最初の夜はピザ
いろいろ受賞暦のある店だそうです。

ソロピッツァ名古屋駅店
(※名古屋の人はホントにソロピザと呼ばないの?)


一等地で内装にもお金をかけているのに

持ち帰りが多いのか、ピザ箱のディスプレーは残念な感じ


マルゲリータ

初めてのお店は必ずこれで。


息子のお勧め

名前忘れました


生ハム



驚きの














使い捨て食器


サラダもプラスチック容器に入ったものがポンと出てきました。
ドレッシングも使い捨て容器入り



輸入タイルをふんだんに使った凝った店内なのに

これではお里が知れるというもの


食べ物としてはおいしかったけれど、
じゃんじゃん出てくる使い捨てにげんなり。


私にとって食事は生きていくための大切なエネルギーを得る
1日の中でも大事な時間
1人でも誰かとでも、短くても長くても
最初から最後までを楽しみたい充実の時。


味もさることながら、エネルギーを取り込むための
落ち着いたなかでのちょっとした高揚感も大事。
外食ならば店の雰囲気やスタッフの印象も影響します。


実はそこまで深く意識して外食をしていた訳ではないものの
ここでの食事を通じて、
「外食はトータルカスタマーエクスペリエンス(TCE)
というのをつくづく実感


料理という商品そのものはもちろん、それを取り巻く
すべてのエクスペリエンスを楽しみ、対価を払っている


安くてお腹がいっぱいになれば満足な店から
それなりの値段でもお腹も心もいっぱいになる店
安くてもどっちもいっぱいになればなお可(笑)


罪悪感のない使い捨てっぷりには心が寒くなりました。
分別ゴミとしてリサイクルしているとしても
なぜ、食事の基本中の基本である
食器を使わないのか


どう考えてもコスパという店側の事情でしょう。
持ち帰る訳でもない客側が使い捨てを望む理由はないし
凝ったインテリアと粗末な使い捨ての落差から
店側の本音がしっかりと見えてしまいました。



この対極にあるのが、私たちがこよなく愛する
ラグランのイタリアン、フード・デパートメント



小さくて、店内で食べるより持ち帰る人の方が多い店です。



サラダ類はプラスチック容器入りで冷蔵庫に入っていますが、
店内で食べるときはお皿に盛り直してくれ

オリーブオイルもかけ直し、チーズもおろしたて。
これはシルバービートのニョッキ。絶品です。


ピザというものは手で作る作業が多いせいか

作り手の想いが正直に出る食べ物だと思います。


さりげないようで、折り目正しく、心がこもっていて

生きていくための大切なエネルギーを得るのに相応しい
美味しさと場所


馴染み客も一見さんもつい店の人と立ち話をしてしまうような

居心地のいい場所


息子と食事をしながらも、NZへの郷愁が募ってきました。

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日本行:犬山城

2017年12月01日 | 日本

鶴舞公園でビックリした翌日は郊外へ。

犬山駅


犬山祭
高山祭みたい!

ユネスコの無形文化遺産なんですね~


山車が格納してあるよう。

やっぱり高山と比べてしまう(笑)


映画村か伊勢のおかげ横丁のように古い町並み

(※例が貧弱でスミマセン


伊勢もそうですが、古い建物が現役なところが素敵。



この郵便箱



何回も来て何人も案内しているのか

息子の説明も慣れたもの。


ガイジンさんに喜ばれそうな場所

親も喜んでますが(笑)


抑えた色の木目に映える鮮やかな色



やってきたのは

犬山城


築城は1469年だそうです。

この4ヵ月後、落雷でしゃちほこが壊れたんですよね~


木曽川沿いの小高い丘の上にあり、素晴らしい眺めながら



身を守るために選んだ視界の良い場所だったと言うべきか。

外が見えても、外からは入れない。


それどころか、ここから石を落として

進入を阻んでいたわけです。


急で狭い階段も、敵が一気に攻め入れないように。

自分たちもさぞや不便だったことでしょう。
ここから石落しの間まで石を運び上げて、


来る日も来る日も見張りを続けたんでしょうね。



今はどこまでも屋根が並ぶ長閑な眺め。



手すりがないと上り下りが心許ないほどの急勾配

電気もない暗闇の中、刀を差して上り下りしてたのか~


ここまでストイックなお城は初めて見たかも?
絢爛さが微塵もない闘う城

戦国時代の緊張の片鱗をチラリと垣間見たようでした。


早春の色味のない風景の中で

茶屋の椅子がなんともキレイでした。


このキリンビールの文字にプチ感動



古い商店街だか工場街のシャッターにこんな絵

「さすが犬山可愛い犬
と言ったら、


夫と息子が同時に

「えぇぇぇえこれって猫でしょ


えぇぇぇえ

これが猫に見えます


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