移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2017年8月のラグラン小旅
1泊2日でも思い入れがあり、
旅行記はついつい7本に
今回で「完」
とします。
ラグランに行くのは曜日が重要
週3日1日3時間しか開かない
ジェニーのパン屋の営業日を
狙っていきます
タイニーブレッド・ショップ
(ちっちゃなパン屋)と呼ばれる
ルアプケ・アルチザンブレッド
ほとんどの時はこうやって
閉っています(笑)
開いているときは
人が並んじゃう
なので朝一番にやるのが、
ここでパンをゲットすること
(※
朝ごはんの前に買ってました)
幸い
ボウストリート・スタジオから
目と鼻の先
食後はちょこっと街歩きで
定点観測(笑)
このグラフィティは新しいはず
宿のドミニクが
「ラッキーだったらアシカに会える
」
と教えてくれた海辺を歩いてみましたが、
この日は残念賞(笑)
その後はクルマでラグランワーフへ。
目当ては陶器のトニースライ
店の前に立つだけでもワクワク
この時に
ニューマーケットに出店
することを聞きました。
ラグランを出て途中で立ち寄ったのは
ブライダルベール滝
冬の雨でものすごい水量
2016年の前回は見られなかった
虹が見えました
水力で発電
ができるのを
実感するような水量と轟音
(↑単純ちゃん
)
途中で雨が降り出し
滝壺まで降りるのは断念しました。
滝から本線に戻り、テウクで休憩
ここがラグランローストの最後の直営店
ラグラン映画祭なんてあるんですね~
また冬になったらやって来ます
トニースライでは白いボウルを。
スムージーボウルにすると
グリーンが映えます。
冬のラグランはまさに鈍色
サーフィンで有名なラグラン
なぜかひっそりとした
オフシーズンが好き
毎年訪れたい場所です。
ビックリな光景から
目と鼻の先の
フードデパートメント
誰かの家の居間のようで
シャック以上に
ただいま感が強いかも
ロースタリーの
ラグランロースト系
なので間違いのないコーヒー
(※
敷地内にモーテルもあり
)
ここのピザは絶品
ラグラン行きの目的のひとつがコレ
と言っても過言ではないほど。
そしてシルバービートのニョッキ
というオリジナル
一夜明けて、
すぐに舞い戻るのもココ
朝サラダ
ラグランローストでクロワッサン
ビックリだった新製品
かーなーりウレしいかも
食事中は大雨
でも虹
が
すぐに雨雲が行ってしまい、
カリオイ山が見えてきました。
店を出る頃にはこんな天気(笑)
高台なので眺めのいい場所です。
また次回
2018年に再訪した時には
夜の営業がなくなっていて
もしかしたらこれが
最後のディナーだったのか
(※オンシーズンは営業かな?)
ナルヌイビーチから上がって
クルマに戻ろうとすると、
新しそうなベンチを発見
海外でよく見かける
亡くなった人の遺族の寄贈
ネイサン・ノーランさん
子ども2人がいて
享年わずか30歳
Ride Highとあるから
サーファーだったよう。
もうひとつは写真入り
デイビッド・ノースさん
私と同じ1962年生まれ
享年49歳
こちらは
Gone Fishing
2人ともナルヌイの海で
常しえに楽しんでいるのかな。
隣に座ったら話ができそう。
海を見ながら語りたくなる。
同い年だし(笑)
See ya mate.
(※「またね」)
夕食の前にふらりと立ち寄った場所は
驚く展開になっていました
2017年1月、つまり
7ヵ月前は
満々と水をたたえた川でした。
川は堰き止められ
辺り一面が干潟のようです。
ここで暮らしていた生き物は
どうなってしまったのか
杭打ちがしてあり
ここに橋がかかるのか?
相当曲がっているんですが
対岸も整備されていて
川の代わりの土管?
こんな水量ではないはず。
この橋は個人所有なのか
歴史的建造物指定なのか
このまま残るよう
新しい橋ができたら
再び水が戻り
あの幻想的な光景が
戻ってきますように
2017年8月の1泊2日ラグラン小旅
ナルヌイビーチで波を見ながら、
「8月だし引き潮だし、
サーファーはいないねぇ」
と言っていたら、
男の子が2人、小さな板を持って登場
10歳ぐらいでしょうか?
色のない視界に青が鮮やか
パパも一緒です。
すぐにママもやってきて
4人で真冬の海へ。
親1人子1人で
サーフィンのレッスン
腹這いになる子どもたち。
引き潮で浅いから安全なのか?
(↑全くサーフィンを知らない人)
親子で冬の海に一緒に入って
水の冷たさや海の厳しさを
分かち合いながら
波乗りの楽しさ
自然の偉大さ
家族の温かさ
貴重な子ども時代の
かけがえのないひと時を
一家で共有している。
そのすべてが尊く美しく
今回一番心に残った光景でした。
これが親子なんだな。
これが家族なんだな。
とカメラの望遠でギリギリ見えた
光景に胸が熱くなりました。
子どもにサーフィンを覚えてほしいなら、
サーフスクールに入れることもできます。
でも、親が自分たちの身をもって
教え導くことができたら、
それ以上のことはないでしょう。
この話は別ブログ
日記「さいらん日和」で
親から学ぶこと
と題して、旅行直後に
記事にしていました。
今回はそのリライト
です。
あれから、かれこれ2年が経ち、
今月に入り
次男が自立しました。
年末年始に2ヵ月近く1人旅に出かけ、
スコットランドのエジンバラに
心惹かれてワーキングホリデーへ
サーフィンもできなきゃ
これといった趣味もない私たち。
そんな親から学んだ最大のことは、
「何をしても生きていける」
という手応えだったそうです。
NZ移住を決行し、新天地で
一から生活を築いていったことが、
親が身をもって教え導くこと
になったようです。
2017年8月の1泊2日
ラグラン弾丸旅行記です
ラグランの愉しみのひとつといえば、
ナルヌイビーチ
泳ぐわけでもなく
(※夏であっても)
ただ波を見る。
波が作る水煙を見て
波が引いた後の
鏡のような濡れた砂を見る。
ほんのりと空の青さが
映っています。
空を映し出す
どこまでも続く浜
引き潮にあがらって
迫りくる波、波、波
冬の夕方
こんなに影が伸びて
天気が良くても
モノトーンの光景
しかし、振り返れば
夕陽を受けた鮮やかな光景
まるで着色されたよう
これが同時に存在しています。
遠くに馬に乗った人
望遠で引いてやっと見える距離
ずい分大きな馬だなと思ったら、
2頭でした。
ここは馬に乗った人に良く会います。
まったく波を恐れないよう。
犬も一緒。
こんな散歩が日課だなんて
なんという贅沢
金銭に換算できない豊かさ。
2017年8月の1泊2日の
ラグラン小旅
4回目のラグランはココに泊りました。
ボウストリート・スタジオ
メイン通りボウストリートの1番地
泊った友人に勧められましたが、
「周囲のバーがうるさい
」
という評価をどこかで読み、
気になりながらも見送っていました。
そんな時にクーポンサイトで
お得な割引宿泊券を見つけ、
「真冬の平日だから大丈夫でしょう
」
と試しにポチっ
大丈夫どころか、
素晴らしい場所でした
ここはコテージと呼ばれる
戸建ての歴史的建造物と
宿泊した2階建てのスタジオからなり、
住めるレベルの広さでした(笑)
下がリビングとキッチン
上がベッドルームとバスルーム
コテージは1874年に船で曳航されてきた
ラグランで最も古い家のひとつだそう。
いつか泊まってみたいです
1階には各部屋にテラスがあり
その前は多肉園
2階からはこんな眺め
目の前はワイヌイ川
川に掛かる橋まで見えました
オーナーはびっくりするほど若い女性の
ドミニクで、彼女のセンスが随所に
さらに若い時に売りに出ていたのを買い
1人でコツコツとここまで育てたそうです。
彼女が手塩にかけてきたのが実感できる
部屋や庭
探していたラグランの定宿になりそう
「
2回目のハワイの次はどこだっけ?」
2年前、しかもNZ移住後では
一番あちこち行っていた
2017年とあって記憶も曖昧。
写真をめくっていったら、
8月の冬のラグランでした。
1泊2日のまさに小旅
オークランドの近隣では
最愛の場所で4回目の訪問。
3回目は同じ年の1月で7ヵ月後に
旅行記終了
この4回目が迫っていて
慌てて終えたような記憶が(笑)
今や堂々の22ヵ月遅れですわ
ラグランはどのコースで行くかによって
ランチの場所が決まります
この時は直行して現地の
シャックへ。
昼には遅い時間で人が引けた店内。
何度も来ているので、ただいま気分。
テーブルの上にはラグランの陶芸家
トニー・スライのマグ
赤ちゃん連れで入ってきた若い男性は
オーガニック野菜を売りに来た生産者
ロハスを地で行くラグランらしい光景。
そんな生産者がいるからこその鮮度
夫はパニーニ
バーガー
とか、とにかく
挟んであるものが好きな男
運転して来た自分へのごほうびに
こんなものまで頼んでました(笑)
美味しいコーヒー
長距離ドライブの後だと2倍に美味しい
ここではスイーツまで
家にもほしいこんな一角
外席もステキですが、
さすがにちょっと寒いかな。
壁掛け多肉がステキです。
遅れに遅れた人生2回目の
2017年6~7月のハワイ旅行記
いよいよ最終回です
最後の夜もオノ・ハワイアン・フーズへ
この時点でまだ、
翌月の閉店を知らず
「どうしてこんなに混んでいて、
ラウラウも他の物も売切れなの
」
前日の教訓でさらに早く行ったのに
事情を知っているロコたちは
とっくに笑顔で並んでいました。
後から思えば、長年通った彼らこそ
貴重な一皿を堪能すべき
57年の栄光の歴史ですからね。
前回訪問することができ、
オーナーとお話しができ、
素晴らしい思い出になりました。
ありがとうございました
対面にあるテイクアウェイの姉妹店
オノ・シーフード
こちらも滞在中は改装中で
ご縁がありませんでした。
また次回にでも
そうとなれば、プランB
前から気になっていた中華へ。
王府酒家
酒家は広東語でレストラン
老舗の構えで
中は驚くほどの広さと席数
オノのために早く来たので
余裕の一番乗り(笑)
2人だしサクッと軽めに。
単価の安いものばかりで
申し訳ないけれど
(※売上にチップが連動しますからね)
終始ニコやかな余裕のウエイター
具沢山のサンラータンが美味
盛りが小さめで2人で食べるには
ちょうどいい量で助かりました。
さすがに最後の夜なので、
ワイキキにも立ち寄りました。
すっかり名物になっている
丸亀の行列
ココでちょこっと買い物をし、
ココの1階のカフェ
コナコーヒー・パーベイヤーで
最後の1杯
「どうして独立記念日までいないの?」
「花火を見ていかないなんて」
といろいろな人に言われながら、
(※夕方のダイヤモンドヘッド)
翌日の独立記念日当日に機上の人に。
空港スタッフにまで
「今日帰るなんて、なんて気の毒
」
と言われました(笑)
事前に独立記念日の何たるかを
知っていたらもう1泊していたかも。
花火はいつかのお楽しみに
無事に投資物件の購入手続きが済み、
銀行や会計士との打ち合わせも済み、
ノースショア
にも足を伸ばせて、
充実した2回目のハワイになりました。
旅行記は計11本
お付き合いありがとうございました
翌日も
アラモアナ散策
今度はアラモアナビーチパークへ。
ビーチの長さは800メートル
年間延べ400万人が訪れる
人気スポットだそうです。
ショッピングの殿堂アラモアナセンターの
正面というハワイならではの立地
たくさんカヌーが置いてありました。
マオリのカヌーを彷彿とさせます。
対岸にはハワイヨットクラブ
アラワイボートハーバー
こんなクルーザーも通れば
手描きっぽいこんなボートも通過
海はみんなのもの(笑)
右手は沖合に続く人工半島
マジックアイランド
左手は高層が建ち並ぶワイキキ
花火大会と書いたトラックと星条旗
この先は立ち入り禁止でした。
翌日のアメリカ独立記念日に向けて
花火大会の準備中でした。
ビーチ側に回ってみると
いきなり雰囲気が変わり、
みんな思い思いに過ごしています(笑)
それが同時に起きているから面白い
新婚さんとロコや
新婚さんと子どもの
コラボショット
新婚さんを撮るカメラマンの後ろでは
「家でも建ててる」
と思うほど男たちが熱心に作業中
手前にはBBQセットが2つも
花火大会に向けたテントの数々
かなり立派なのが続々と建てられ
ちょっとしたテント村になっていました。
花火まで1日半以上あるというのに
この日だけは夜明かしができるのかな
すでに寝てるし~
普段はホームレス対策で夜間立入禁止
なんだそうです。
天気はいいしFM局のブースもあって
雰囲気を盛り上げる音楽にトーク
すぐ後ろはホノルル
テント村に場所を追われたのか
少し離れた場所にホームレスの人たちが。
そのすぐ後ろでは億ションの建設が
急ピッチで進んでいました。
リアルなハワイの現実
2017年6~7月の2回目のハワイ旅行記も
終盤に入ってきました
なんとか2年遅れは避けたいところ。
いまさらなんですが(笑)
ストーブを囲むような真冬のNZ
しかもオークランドより寒い
ウェリントンからたった3日で
真夏のハワイへ飛んできたせいか
暑さが苦手な私には
温度差がきつかった
「夏のハワイはやめておこう」
と学習効果
絶大でした。
とまれ、
ハレイワからバスで街中に戻り
終点のアラモアナセンター
アラモアナとは一帯の地名で
英語なら(Path) To The Sea、
日本語なら「海への道」「海へ」
という意味で、なーーんと
NZのマオリ語も同じ(笑)
NZ南島のダニーデンにもあるんです
アラモアナという場所が
RとLの違いはあるものの。
(※この混同は日本人も一緒
)
ハワイのアラモアナ地区はワイキキと
開発著しいカカアコに挟まれた場所で
アラモアナセンター
アラモアナホテル
アラモアナビーチ
・・・・・
・・・・・
・・・・・
なんでもかんでも
アラモアナな場所(笑)
でも、なかなか面白い
例えば、パンアメリカンって
まさかのパンナム
会社は存在しないのに、
ココにはあります(笑)
ビルだけですが。
今は日本のドンキホーテが所有
ドンキは超便利ながら超地味な
向かいのビルに入居中ですが、
2016年にこの土地を売却して、
パンナムビルを7,850万米ドルで買収
投資を拡大しているらしいです。
ゆくゆくはドンキも入居
という話らしく、先が楽しみです。
その斜め前にあるレストランの名前は
食堂
開店前から人が並ぶ人気店
これが本当に店の名前
日系の発想が斬新で新鮮(笑)
私たちはそこから目と鼻の先の
フォーサイゴンというベトナム料理へ
生春巻き
手羽先
フォーという
基本のキで
玉ねぎはスゴかったけれど
もうちょっと野菜がほしいかな
アラモアナ地区は地元民と
観光客のミックス度が好きで
いろいろ開拓したいと思います
ジョバンニのガーリックシュリンプの後は
ハレイワ散策へ
初ノースショア
木造のビジターセンターに
コミュニティーセンター
中ではダンスの練習中でした。
野良鶏があちこちに
風力発電ができるぐらい
だだっ広い何もない場所
ハワイ州旗がはためく
ショッピングセンター
風で回るオブジェ
広々とした開放的な場所に
よく似合います。
ちょっとしたものがいちいち手作り
住所の標識
銀行の看板も
このインパクト大な看板は
石けん工房
有名なグリルドチキンの店
チキンの丸焼きがかなりのスピードで
回転しています
前日に行った
アンクルボーズの支店発見
初めての場所なので、ゆっくり
見てみたいのは山々ながら
45分以上炎天下で行列したせいか
真冬のNZとの気温差からか
「これって熱中症」
と思うほどボーっとしてきてしまい、
元気な夫には申し訳なかったものの
再びバスに飛び乗り、帰りました。
本当に早歩きでしたが、また改めて
バスは冷蔵庫のようにキンキンの冷房
気持ちよさげに寝込んでいた父娘
2017年の人生2回目のハワイ
は
不動産購入の手続きが目的だったので、
機中泊も含めた5泊6日の駆け足でした。
その代わり
4月の1回目の旅行から
3ヵ月も経っていなかったので、
旅の続きのようでもありました。
「今回絶対行こう」と決めていたのが、
オアフ島北部のノースショア
その中でもココ
ジョバンニーズ・シュリンプトラック
ガーリックシュリンプのフードトラック
エビ好きとしてはぜひ行ってみたい店
バスに飛び乗りやってきたのは、
ノースショアの中心ハレイワ
古い木造の建物が目立つ
昔ながらの観光地という風情。
マクドナルドも古色蒼然
周囲に調和しています。
フードトラックが集まる場所があり
バスを降りて直行してみると~
この行列はもしや
ジョバンニーズでした
うっそ~
という人数。
他のトラックは人影がまばらで
すぐに頼んで食べられそう
この中華系はジョバンニーズを諦
めた人や待つ間の腹ごしらえに
友人と手分けして買いに行く人も
このかき氷やスイーツを売るトラックも
暑さと空腹に耐えかねた人の駆け込み寺(笑)
ガーリックシュリンプのために来たので
他に行く気にもなれず、
ぢっと待つこと45分
やっと先が見えてきた
この店の有名な落書き
書き込むところがないほどビッシリ
それでもみんなドンドン書いていました。
そしてもちろん、写真+インスタ、と(笑)
やっとこの1皿
遠慮のない量のガーリック
エビも大きく美味しかった
でも実は猛烈なハエで
手で払い払いの1枚(笑)
人工水路の
アラワイ運河を超えてくると、
行列のできている店
夕方の5時台だというのに。
お目当てはカパフル通りの
オノ・ハワイアンフーズ
前回ここで食べたハワイ料理のラウラウ
これを目指してきたともいえるのに、
「ラウラウは売切れました」
の張り紙
この時点で
オノが閉店することを知らず、
並んでいる多くが閉店を惜しむ地元民
だということも気がつきませんでした。
私たちのハワイ入り直前に
報道され、
5時台でも店内満席&外は行列の
売り切れ御免のフル回転でした
仕方なく、プランBで通りの反対側の
アンクルボーズ・ププバー&グリルへ
アンクルボーズ=ボーおじさん
ププ=つまみ、タパス
というネーミングからして
ロコに愛されるハワイ料理の店
バーでも子連れが大勢いて
家族連れでごった返していました。
スポーツバーのように
あちこちにモニターがあり
野球やボクシングをやっているのが
ザッツ・アメリカン
NZだったらラグビーかクリケット。
予約なしでラッキーにも席が取れ
まずは乾杯
このラベルだけで頼んじゃいそうなビール(笑)
それでも私はワインの人
メニューをのぞき込んでいたら、
隣のテーブルのアメリカ人旅行客が
「ボリュームがあるから気を付けて」
とアドバイスしてくれました。
そこで、
ビートルートとゴートチーズのサラダ
(※お隣さんのが美味しそうだったので)
看板料理のひとつシーフードタコス
(※魚かエビかが選べたのでエビで)
ハワイ料理は新鮮なグリーンがふんだんで
生野菜が欠かせない身にはウレシい限り
日系人と全く関係ない店なのに
おてもと(笑)
頼まなくてもお箸がデフォです。
お隣もお箸で召し上がっていました。
デザートはウエイトレスのイチ押し
店の看板スイーツ、ホーボーズ
タロイモのベニエにバニラアイスと
ハニー添えという甘さもカロリーも
ヘビー級
ザッツ・ハワイな〆でした。
遅い時間になると家族連れが帰って
ちょっとアダルトな雰囲気に。
着飾った若い男女が増えてきました。
大テーブルには団体が入るらしく
準備が進んでいました。
夜はまさにこれから
ロコでも若くもない私たちはここで退散(笑)
なかなか貴重なハワイアン・ナイトでした。