2023年3月のタスマニア5日目
朝食を済ませて向かったのは
オールドホバートタウン
という模型のミニチュア村。
「この手は子ども向けかな?」
と思っていたらとんでもない
資料を集めに集め、できる限
り史実や地理に忠実に1820年
代のホバートを16分の1の大
きさで再現したものでした。
(※赤い塔は教会の鐘楼。今は
もうない建物を再現したもの)
まるで当時を俯瞰しているか
のような生き生きした臨場感
手の込んだ見ごたえのある村
大工だったジョンとアンドリ
ュー・クイックが3年をかけ
て作り上げ1991年に開園
60棟以上のコンクリート製の
建物(うち10棟は現存)と500
体以上の粘土製フィギュアで
構成された村は、本物の樹木
で覆われるという凝りよう
30年以上を経てもこの大きさ
盆栽技術を生かしているとか
木はタスマニアンマートルと
いう樹高40mにもなる樹種
これも16分の1で揃えてる
人が写り込まないと実際の小
ささが写真では判らないほど
(※ホバート病院)
1820年頃のサリバンスコーブ
重犯者たちがノーフォーク島
から移送されてきた、ホバー
ト発祥の地ともいうべき場所
行商のパン屋
実在したアモット兄弟の肉屋
エプロンの血やおこぼれを待
つ犬など芸コマが素晴らしい
当時は日常だった酔っ払い
アボリジナルの人々
特に目を引いたのが派手な囚
人服に身を包んだ流刑囚たち
こういういで立ちの人を日常
に目にすることを改めて実感
石や木材を切り出し、道路や
建物を造って、村を建設し、
彼らなくして植民地建設はあ
りえなかった、重要な労働者
時には集団で脱獄を試みたり
時には重刑に処されたり
史実を包み隠さずに再現
(※流刑刑務所)
今のホバートを知っていたら
建物や位置関係が分かって
もっと楽しめたのでしょう
(※コミサリアットストア
幾度かの改装を経て博物館に)
1808年築のイングルホール
屋根窓が追加された現在の姿
古いものが今に生きている
当時の建物の原型のような家
今も多くが使われているはず
(※バッテリーポイントの家)
1820年代のハンター島と呼
ばれていた頃のハンター通り
当時のダーウェント川の河口
は鯨の宝庫で船の航行に支障
が出るほどの数だったとか。
1803年に最初の捕鯨が行われ
ハンターたちが押し寄せると
あっという間に捕鯨基地誕生
数々の建物ができては建て替
えられて、発展が続きますが
ここのは1820年初の街並み
行ってきたばかりの現在の姿
園全体を貫くのはオーストラ
リアで2番目に英領化された
歴史の重みと、本土との間の
バス海峡をフランスから守る
という矜持。そしてなにより
深い郷土愛と温かいユーモア
が、心に響く気がしました。
先住民には侵略者であっても
入植した人たちにも生活があ
り、それがリアルに再現され
矛盾の中で、植民地化が進む
誰にも巻き戻せない時の流れ
郷土愛は多数の克明にして簡
潔な説明にもにじみ出ており
じっくり読めば理解が深まる
だけでなく、狭いミニチュア
村が広大な広さを持ちます。
ヘビを仕留める女性
カンガルーの皮を剝ぐ男性
木から落ちる少年
タスマニアタイガー
を探せというお題
見つけました
当時はまだいて今は絶滅した
タスマニアタイガー😭
夫は全部見つけたらしいです
タスマニアデビルも発見
実はここ、1月に売りに出て
訪ねた3月にはもう売却済に
「売れたんだよ~」
と嬉しそうに言っていた受付
の男性は多分一からここを造
り運営していたアンドリュー
(※開園時。中央左が彼。右の
ジョンは父親だったのかな?)
30年以上ご苦労さまでした💐
素晴らしいものを残してくれ
てありがとう。いつまでもこ
のクオリティーが保たれ、ホ
バートに詳しくなって、いつ
かまた再訪できますように🙏