2023年3月のタスマニア3日目
1813年にホバート港での交易
が始まり、20年代には海沿い
のハンター通りに瀟洒な倉庫
が立ち並び、ハンター通りの
商人と呼ばれたマーチャント
(商人)たちは、続々と新植民
地の礎を築いていきました。
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貿易で功成り名を遂げた彼ら
は、地場銀行や企業の掌握だ
けでなく、農村部にもその影
響力を拡大していきました。
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一部は司法や行政にも進出し
ハンター通りの商人たちは20
世紀初頭までホバートの経済
と政治を牛耳ったそうです。
彼らは保守的で社会的な支持
を得ていました。商人たちが
登場する以前、支配的な地位
にあった植民地の役人は特権
を利用して汚職三昧だったた
め、経済発展で民間が力を持
つことにより、悪しき慣行が
排除されていったようです。
商人たちは金に飽かして祖国
英国のライフスタイルを実現
しました。ピアノや高価な家
具、美術品を輸入し、絹や麻
をふんだんに使い、多分に成
金趣味ではあっても現地の文
化の担い手でもありました。
しかし、権力の集中が良いこ
とではないのはいつの世にあ
っても自明の理。ホバートも
例外ではありませんでした。
ハンター通りで中心的な役割
を担ったのが、ヘンリー・ジ
ョーンズでした。その名は今
もジャム工場跡に残ります。
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彼なくしてハンター通りの商
人は語れませんが、建物はジ
ョーンズ以前の先人によって
200年前に建てられました。