移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州。ハイライトだ
った全長243kmのグレートオ
ーシャンロードを走破しても
まだまだ旅の楽しみが続く。
これが大陸のいいところなの
だろうか、とも思う。4日目
午後はポートフェアリーの南
端に位置するグリフィス島へ
1周約3km。ゆっくり歩いた
ら1時間のコースだそうで、
グルっと周ってみることに
目指すのは先端にある灯台
どこかの段階で徹底的な治水
をしたらしく、バス海峡の荒
波への対策が講じられている
よう。島は生物保護区指定。
ピッカーリング岬とはまた違
う水の色。透明感が美しい
灯台まで時計回りなら1km超
半時計周りなら2km弱です。
まずは整備された時計回りへ
環境の変化を最小限にしつつ
生態系保全を図っているのか
かつての桟橋跡のよう。今は
干潟になっていてほぼ陸地に
モイン川の河口。海に突き出
ているのは導流堤(海に注ぐ河
川の水流を安定させるための
堤防)のよう。
ゴールドコー
ストで見たのと似ています
👆ここはシーウェイに相当か
手前が湾の海水。奥がモイン川
導流堤の鮮やかなコケに南端
の町の春の訪れを感じます。
この先はポートフェアリー湾
そしてバス海峡
こんなに愛らしい灯台とは
ポートフェアリー灯台
コロナ禍中にペンキを塗り替
えたのか、青空に映えます。
灯台を過ぎて、さらに先へ。
防波堤の内側にミヤコドリ
かつての石切り場
整備も地産地消だったのか
この島に名を冠するポートフ
ェアリーの名士キャプテン・
グリフィス。タスマニア島か
らポートフェアリーと西のポ
ートランドに初めて白人入植
者を連れてきた人物だそう。
1836年にはこの島に捕鯨基地
を建設し、造船や交易等幅広
い事業を手掛けたそうです。
しかし、経済価値が高い地で
あればあるほど先住民との軋
轢も大きく、州南西部では18
30~60年代までユーメララの
戦いと呼ばれる抗争が続き、
おとぎの町にもアボリジナル
迫害を繰り返した暗い歴史が
植民地の光と影が凝縮された
ような島ですが、今は何もな
い静かな地。後半は自然豊か
島でも次々に風景が変わり、
最後は草原のような所を行き
コンクリートについた鳥の足
跡(偶然?)をたどっていくと
👇
2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州。全長243kmの
グレートオーシャンロードを
走破した後、旅の4日目はシ
ップレックコーストを西へ
30分ほどで到着したのは
難破
海岸、シップレックコースト
の最終地点ポートフェアリー
19世紀のまま時が止まったよ
うな小さな町。人口約3,000人
白亜の建物は
オーク&アンカー
町のアイコン的ホテルのよう
1857年頃に建てられ、ロイヤ
ルオークやコマーシャルとい
う名で営業していた歴史的建
造物指定のブティックホテル
ステキだけど1泊5万円前後
でも週末は6室全室満室にな
るというのだから、スゴい。
19世紀の方が今より人口が多
く、町が栄えていたのを彷彿
とさせる、古の建物の大きさ
十字路に建つパブ兼ホテル、
スター・オブ・ザ・ウェスト
特徴的なドアの上の明かり窓
1856年に完成したシンプル
で華麗なジョージアン様式。
こちらも歴史的建造物指定で
すが1泊1万円以下です(笑)
アールヌーボーの窓がステキ
これは後付けなんだろうか
植民地らしく本国の流行のい
いとこ取り。でも時代がズレ
ていたり資金不足だったり
それもまたコロニアル様式か
これも同じ頃の建物らしく、
レンガではなく石造りです。
やって来たカフェの『本日の
スペシャル』は見事に空欄
でもモザイクが素晴らしい
コーヒーブレイクなのでコー
ヒーがあれば十分なのです。
でも夫曰くは運転には甘い物
が欠かせないんだそうです。
ポートフェアリー・フォーク
フェスなるものがあるそう。
3月の開催を11月から宣伝し
ているところをみると町のメ
インイベントなんでしょう。
おとぎ話のようなフェアリー
(妖精)という名がどこから来
たのかと興味を持つと、1828
年にやってきたアザラシ漁船
フェアリー号の船長の命名と
いう説があり、1835年には地
名として定着していたそう。
しかし、1843年にシドニー
から来た弁護士ジェームス・
アトキンソンが測量後に一帯
の土地を買い上げ、排水や区
画整理を行い河港まで建設し
た後、故郷の北アイルランド
にちなみベルファストと命名
(※カフェ店内にあった測量当
時の古い地図には2つの地名)
地元のポートフェアリー郵便
局は1854年にベルファスト郵
便局に改名し(させられ?)18
87年に再び元に戻ったそう。
シドニーのイケイケ弁護士が
札束を携えて
大規模不動産
開発に乗り出したのも、地元
民には不服だったはずで、地
名の変遷に地元愛への意地が
垣間見えた気がしました
地元民で混み合う活気ある、
ミルというカフェ
でした。
日中でも静かなもので地方の
町らしく老人が目立ちます。
古色蒼然な菓子屋
カフェはどこも閉店が早い
かつては銀行だったのではな
いかと思われる大きな建物。
今はカクテルバーでした🍸
地方での酒の重要性を実感す
るような規模の店構えです。
2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州。全長243kmの
グレートオーシャンロードを
走破し、あとはひたすら西へ
4日目はグレートオーシャン
ロードの終点シップレックコ
ーストのワーナンブール観光
というか海岸沿いをあてもな
く歩いていただけですが(笑)
サウスワーナンブール湿地
ここは全国的に見ても重要な
湿地で、50種類以上の鳥類が
ここを棲み処としており、絶
滅危惧種で、インコでは珍し
く渡りをするアカハラワカバ
インコも生息しているそう
渡る先は約240km離れた、タ
スマニア島なんだそうです。
ピッカーリング岬という所に
メリ川の河口。橋はメリ橋。
見たこともない水の色です。
この先はメリ海洋保護区のた
め、厳重に管理された上での
自然で、不思議な、美しい色
カモメがたくさん集まってい
て色が違う場所は餌場なのか
子どもが集めていたのはネプ
チューンズネックレスかな
NZやオーストラリアに生息
するネックレスのように粒々
が連なる海藻が見られる岩場
どこも歩きやすい遊歩道で、
フラりと立ち寄るのもいい
沖合には小さな島が2つあり
緑多い沖のミドル島はオース
トラリアにしかいない世界最
小のリトルペンギンの生息地
背の高さ30cm、体重1kgとい
う小ささはまさに鳥サイズ
2005年には数羽にまで激減
してしまったそうですが、そ
の後のキツネ狩りで個体数が
回復し、両島とも渡れないよ
うにすることで保護を強化中
(※
キツネ駆除はこのためか
)
手前のメリ島の端にそれらし
き小さな鳥が林立している
な~んてラッキー
と思ったら、あの白黒の鳥は
ウのマミジロウで大笑いの巻
リトルペンギンか
とつい期
待してしまいましたが、そん
なに簡単には会えないのかな
最後の氷河期のピークだった
2万年前頃、目の前の海面は
今より100ⅿも下にあったそ
うで、ぬかるみの中、タスマ
ニア島まで歩けたそうです。
周辺の岩場は風に運ばれた砂
が堆積して固まった風成岩と
いうもので、風雨に脆く年間
4cmの勢いで浸食されている
そう。これに比べれば
十二使
徒の石灰岩は遥かに硬いとか
普段は地球の営みなど考える
ことすらないのに、オースト
ラリアに来るとつい考える
そんな光景に溢れています。
2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州南端の海岸線全
長243kmを行くグレートオー
シャンロードの旅が終了して
も、まだまだ旅が続きます。
4日目は
シップレックコース
トの要所ワーナンブール観光
とはいえ、有名な観光地とい
う訳ではなく、海岸線を散策
おばあちゃんのサーフ海岸🏄
ということは初心者ビーチか
ワーナンブールにはおばあち
ゃんの墓海岸という場所もあ
り(行きませんでしたが)、そ
こには1848年にこの地で初め
て葬られた白人女性アグネス
・ラトルトンの墓があるそう。
アグネスはイセエビ漁師ジェ
ームスの妻で、2人は近くで
テント生活をしていたそう⛺
ここはレディーベイという、
きれいな弧を描く穏やかな湾
夏場12~5月は毎朝5時間も
海岸の清掃をしているよう。
11月は清掃期間ではなく漂流
物が打ち上げられています。
浚渫中らしく砂の放出中。
フォアショア(前浜)プロムナ
ードという名の6kmの遊歩道
ランニングしたらよさそう
いい道でしたが何もないので
反対側の防波堤に来ました。
ここはワーナンブール埠頭
防波堤の片側は引き込み線跡
が残る埠頭で今も漁船が停泊
ここで浚渫船が作業中。長い
長いパイプを伸ばして湾の反
対側の砂浜付近で砂を放出中
(※写真上が放出していた場所)
湾内で砂がぐるぐる回るのか
浚渫しないと海底に砂が溜ま
り、船の安全な航行が脅かさ
れるのでメンテナンスは必須
イセエビ漁の船なのかな
太公望も数人。お供のカモメ
釣った後に魚がさばける場所
屋根付きでかなり本格的施設
オーストラリアはどこもこの
設備が充実しているような。
ハービーベイは桟橋の上にも
メリ川の向こうに見えるのは
レディーベイ・リゾート
土手にはピンクの花が満開で
春爛漫。まるで絨毯のよう。
望遠で撮っても何の花か不明
多肉の1種なのかな?
キツネ駆除剤が散布してある
場所。NZにはキツネがいな
いので『外国』を感じます。
2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州南端の海岸線全
長243kmを行く、グレートオ
ーシャンロードの旅が終了。
初日は
メルボルン入り&宿泊
旅は2日目に始まり正味2日間
メルボルンから起点のトーキ
ーまで100km。実際は
クイー
ンズクリフなど寄り道してい
たので、起点まで150km以上
は走ったと思われ3日間で計
400kmを走破したよう。運
転し続けてくれた夫に感謝
「今ならこれぐらいの運転は
全然平気だけど、いつまでも
できるとは限らないからね」
夫はどこまでも現実的です。
これもまた
私の思うところの
今できることは今のうちに
今行ける場所は今のうちに
を後押ししているようです。
再訪できたら儲けもの
終点とされるワーナンブール
の
アランスフォードの後も旅
は続き、4日目はシップレッ
クコーストを行きました
シップレックコースト(難破海
岸)とは最南端オトウェイ岬か
らビクトリア州最西端近くポ
ートフェアリーまでの130km
V字型のグレートオーシャン
ロードの左側とほぼ重なり、
重ならないワーナンブールか
らポートフェアリーまでは、
30km弱で目と鼻の先です。
シップレックコーストとはオ
ーストラリア史上最悪の海難
事故多発海域で、判っている
だけでも過去に638隻が難破
し、発見されたのは240隻と
わずか3隻に1隻だったそう。
(※1878年に沈没した
ロック
アード号もそのうちの1隻)
ワーナンブールの
フラッグス
タッフヒルにある海洋博物館
観光客や地元民への複合施設
かつての灯台守の家は宿泊施
設になっていて泊まれます。
過去の港町が再現してあり、
史跡博物館も兼ねています。
学校の遠足には最適の場所
『船の墓場』だった史実を学
んでこその安全のありがたさ
可愛い灯台と名前の由来であ
るフラッグスタッフ(旗竿)。
竿の旗は船の安全な航行のた
めに信号を送っていたそう。
この超レトロなポストは現役
回収は毎日1時なんだそうな。
本当に届くのが誰かに手紙で
も書いてみたくなりました
2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州南端の海岸線全
長243kmを行く、グレートオ
ーシャンロードの旅3日目夜
グレートオーシャンロードの
終点かつ宿泊先だったワーナ
ンブール到着。予約していた
ホテルはシステムの問題で二
重予約になっていて部屋がな
く、系列モーテルに回された
ため、ここはどこだったのか
写真もこの1枚だけ(笑)
この街は地名を冠したワーナ
ンブール・チーズ&バターで
有名だそうで、街に入るとき
に大きな工場群を見ました。
(※創業1888年)
ともあれ夕食へ。サクッと検
索しておいた上、「食事なら
リービッグ通り」と夫がフロ
ントから言われてきたので、
@
ヘアリーゴート
店名通りの毛深いヤギに迎え
られました。カクテルバーで
もあり、かなり飲み中心の店
しかし、平日だったせいかか
なりガラガラで客は数組のみ
ところが待てど暮らせど飲み
物以外が来なくて、そろそろ
声を掛けようかと思ったら、
「あなたたちを忘れてた訳で
はないのよ。今日は2階に大
きなファンクションが入って
いてキッチンが忙しかっただ
けなの。これから作るから」
という見え見えの言い訳で、
ドドドと届いたタパス類
イワシが美味しかったです。
レタスサラダ
夫の好物の真打
パエリア
グレートオーシャンロードの
安全・快適走破ご苦労さま
一番の繁華街でもこの暗さで
多くは望まずとっとと宿へ🛏
4日目はコーヒーロースター
@
ピッコロコーヒーロースターズ
元大工と元学校の先生が経営
するユニークな店で、地元の
人が引きも切らずに入って来
る活気のある人気店でした。
朝の1杯にはもってこいの店
ピースサイン
(笑)
お隣は同日ブラインドという
1日でブラインドが付く店
その後、夫が連れて行ってく
れたワーナンブールの外れ、
アランスフォードのホテル🏩
ジャンクション・ホテルとい
うのは古の名前で今は
アラン
スフォードホテルとして営業
十字路とはいえ周囲は草ぼうぼ
うの寂れた場所ですが、ここが
グレートオーシャンロードの正
式な終点らしいです。(夫調べ)
243kmの走破終了です
運転ありがとう
2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州南端の海岸線全
長243kmを行く、グレートオ
ーシャンロードの旅の、なか
なか終わらない3日目の話
リビング・オン・ジ・エッジ
を出て、
ポートキャンベルも
通過してやって来た場所が、
ロンドンブリッジ
英語圏にいたら、その名を聞
いただけで口ずさんでしまう
『ロンドン橋落ちた』の童謡
London Bridge is falling down
ロンドン橋落ちた
Falling down, falling down
落ちた、落ちた
London Bridge is falling down
ロンドン橋落ちた
My fair lady
マイフェアレディ
歌の通りロンドンブリッジは
落ちていた
ここは元々陸地とつながった
アーチが2つある岬でした。
それが1990年1月に何の前触
れもなく突然手前のアーチが
崩れ、先端に取り残された観
光客2人はヘリコプターで救
助され、負傷者はありません
でした。夏休み中だったこと
もあり、大勢がこの歴史的瞬
間を目撃していたそうです。
スパッと切ったような断面は
こうしてできるのかと納得
周囲にも岩壁が続いていて、
どこも見事に垂直なのです。
【ロンドンブリッジの沿革】
1.陸地の端が削られ崖となり
2.波に浸食され硬い岬が残り
3.岬の両側が貫通しアーチに
4.大きなアーチが崩れ、2つ
目が崩れるのも時間の問題
2つめが崩れたら、使徒爆誕
となるのですが、それらもい
ずれは海の中に崩れていく
硬い部分とそうでない部分と
の差は歴然で岩でもはかない
この旅行の2ヵ月前、エリザ
ベス女王が崩御しました。英
政府は崩御への対応について
『オペレーション・ロンドン
ブリッジ(ロンドン橋作戦)』
というコードネームを付けて
長年準備を進めていました。
見事な落ち方と大海原へと広
がる雄大な眺め。英連邦だけ
でなく世界中に親しまれた女
王を偲ばずにはいられません
マイフェアレディ
最高のコードネームでした
この日最後の観光はグロット
洞窟と名付けられた場所へ。
一帯はかつてモクマオウとい
うオーストラリア原産の高さ
20mにもなる樹で覆われてい
たものの入植者が放牧のため
に焼き払ってしまいました。
この天然の防風防砂林が残っ
ていたら、どうなっていたか
グロット。波でできた海蝕洞
オーストラリアの青の洞窟(笑)
階段で降りていくことができ
岩壁に多肉植物がぎっしり
外洋の大波が噓のような洞窟
内の静けさ。満潮になったら
こうはいかないのでしょうが
垂直から凸凹になった海食崖
息をのむほど美しいのに、そ
のすさまじい力を思い知る。
これを最後に、宿泊先の町へ
2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州南端の海岸線全
長243kmを行く、グレートオ
ーシャンロードの旅3日目。
サンダーコーブを見学した後
ウロウロしていたのはブロー
クンヘッドという入り組んだ
岬でしたが、端まで来ると隣
の岬まで遠い、開けた場所に
間には大きな平らな岩があり
「あんな所に人がいる」
「行ってみよう」
そこは十二使徒が広がる
ロッ
クアードゴージでは最西端、
リビング・オン・ジ・エッジ
直訳すればギリギリで生きる
という意味ながら要は瀬戸際
瀬戸際とは『 狭い海峡と外海
の境』(デジタル大辞泉より)
まさにここは川が海に注ぎ、
猫の額のような入り江の先は
高波が押し寄せるまさに外洋
瀬戸際を目撃しているのか
(※対岸がブロークンヘッド)
こんな小川に見えても雨量や
潮の干満で深さ、水量、川幅
が大きく変わるので徒渉禁止
遊泳も禁止
波に押されて来た岩なのか
これだけのものが転がるの
今までの場所よりずっと荒涼
としておりオン・ジ・エッジ
(果て)を実感するような場所
離れているせいか人影も疎ら
岩もギザギザで水たまりも。
黄色い石灰岩の下の地層が剝
き出しになった場所なのか
この高低差ですからねぇ。
離れていても行ってよかった。