【5月14日(土)】
今日は朝から天気が良く気持ちがいいです。
農作業の方は田植えの準備で忙しいとは思いますが、天気が良いので仕事がはかどるのではないでしょうか。
さて、昨日のテレビのニュースで訃報が入りました。
プロ野球日本ハムの元投手、工藤幹夫(くどう・みきお)さんが13日午前1時40分、肝不全のため秋田市の病院で死去された、との報道です。
工藤さんは私の2歳年上の55歳。
由利本荘市出身で本荘高校の出身です。
夏の甲子園予選で、能代高校の高松投手と投げ合った記憶が今でも思い出させます。
プロに入って、パ・リーグ最多勝のタイトルを獲得したり(1982年、20勝4敗)と、輝かしい成績を残しており、同年代の野球に関わった人にとっては誇れる方でした。
骨折などのけがにも泣かされ、プロ生活は長くはありませんでしたが、引退後は秋田県の野球界に恩返しをしたいとのことで、秋田市でスポーツ店を経営され、また社会人野球の監督をされるなど、秋田の野球界に深くつながりを持った人でした。
これまでのご功績に感謝申し上げるとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。
今日は朝から天気が良く気持ちがいいです。
農作業の方は田植えの準備で忙しいとは思いますが、天気が良いので仕事がはかどるのではないでしょうか。
さて、昨日のテレビのニュースで訃報が入りました。
プロ野球日本ハムの元投手、工藤幹夫(くどう・みきお)さんが13日午前1時40分、肝不全のため秋田市の病院で死去された、との報道です。
工藤さんは私の2歳年上の55歳。
由利本荘市出身で本荘高校の出身です。
夏の甲子園予選で、能代高校の高松投手と投げ合った記憶が今でも思い出させます。
プロに入って、パ・リーグ最多勝のタイトルを獲得したり(1982年、20勝4敗)と、輝かしい成績を残しており、同年代の野球に関わった人にとっては誇れる方でした。
骨折などのけがにも泣かされ、プロ生活は長くはありませんでしたが、引退後は秋田県の野球界に恩返しをしたいとのことで、秋田市でスポーツ店を経営され、また社会人野球の監督をされるなど、秋田の野球界に深くつながりを持った人でした。
これまでのご功績に感謝申し上げるとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。