一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓘ-9.映画;「日日是好日」から学ぶ(2/2)~心のもち方

2022-12-03 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
武田先生の家に飾ってあった横書きの額;「日日是好日」が、
映画の中で何度かクローズアップされました。
額装「日々是好日」安藤徳祥作 モダン 掛軸 販売 床の間
   「日日是好日」とは、毎日(日日)が、いいこと(好日)があり、穏やかに過ごせたらイイな、といった解釈もできます。いいことがなくても悪いこと(=悪日)のない普通の日でも いいのですが、このことは誰もが想い・願うことです。しかし、このことばは禅宗の教えからきているので、もっと深い意味があるようです。映画の中でどのように表されるのか、興味を持って見守っていました。

  このことは~、
 「今の世の中(自分をも含め-)何が起きるかわからない、
  毎年同じことができることが幸せなんだな~と声を詰まらせ少し
興奮気味に言ったセリフに垣間見ることができるかと。先生が、しみじみわかった=悟ったことを口にした場面が主題なのかなと。昨日と同じ今日、今日と同じ明日がくることのありがたさ、そして季節が廻り、また昨年と同じ今年、今年と同じ来年がくることの感謝の気持ちを、とりわけトシを重ねていくことにより体感・実感としてわかること、ここに「日日是好日」の答えがありそうです。世の中にはすぐわかることと、すぐわからないことの2種類がある。すぐわからないものは、長い時間かけて少しずつわかってくる。お茶をはじめて24年。・・・そういうことだったのか!
 これは、典子役の黒木華の朗読です。典子が、茶道を続けながらいろいろ人生経験を積んで「そうだったのか!」 とわかったこと=悟りが書かれています。ここにも、この答えのひとつがー。


 10歳の頃に典子は両親に連れられフェリーニの 「道」を見るのですが、その後20歳、30歳の時に見返すと、見え方が変わっていったというエピソードがあります。この男女の愛を描いた名作は、子供にとっては理解が難しいもの。しかし、トシをとり、いろいろな経験を積み重ねていくと、今まで見えなかった=気づかなかったことがわかるというものだとー。

 森下典子さんの「日日是好日」本の中にズバリ主題に迫るページがありました。

雨は、降りしきっていた。私は息づまるような感動の中に座っていた。雨の日は、雨を聴き、雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。…どんな日も、その日を思う存分味わう。お茶とは、そういう「生き方」なのだ。そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないのだ。私たちは、雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」などと言う。けれど、本当は「悪い天気」なんて存在しない。雨の日をこんなふうに味わえるなら、どんな日も「いい日」になるのだ。毎日がいい日に……。(「毎日がいい日」?) 自分で思ったその言葉が、コトリと何かにぶつかった。覚えがあった。どこかで出会っていた。何度も、何度も。

 その時、自然に薄暗い長押の上に目が行った。そこに、いつもの額がある。”「日日是好日」”
                   (中略)
 「日日是好日」の額は、初めて先生の家に来た日から、いつもそこに掲げられていた。初めてお茶会に連れて行ってもらった日には、掛け軸に書かれていた。その後、何度もこの言葉を見てきた。ずっと目の前にあったのに、今の今まで見えていなかった。「目を覚ましなさい。人間はどんな日だって楽しむことができる。そして、人間は、そのことに気づく絶好のチャンスの連続の中で生きている。あなたが今、そのことに気づいたようにね」そのメッセージが、ぐんぐん伝わって胸に響く。       

   文中の、”自分で思ったその言葉が、コトリと何かにぶつかった。
 覚えがあった。どこかで出会っていた。
何度も、何度も…。”
自然に長押の上に目が行った。そこに、いつもの額がある。

の箇所は、典子が探し求めていた何かに気づき、
 わかり、悟ったその瞬間を捉えた場面のようです。
 

この「日日是好日」のことを、吉川英治氏の著書に~ 

晴れた日には晴れを愛し、
雨の日は 雨を愛す。
楽しみあるところに楽しみ、
楽しみなきところに楽しむ。

と。このことは、禅の教えに近いという。

 ことば通り読むと、一般に人は天気は晴がいいし、楽しいことが毎日続けばいいと願います。しかし、干ばつや雨不足以外は、普通雨や嵐の日は望みません。この「雨の日は雨を愛す」は、程度の差はあれ、なんとかクリアできたとします。しかし、身近な人との死別、大きな事故、不治の病など不幸のどん底に落ち込み大変な状況に出合うことがあります。そう考えると、「楽しみなきところに楽しむ」は、なかなか妥協できないハードルの高いことばです。さて、このことをどう解釈したらいいのでしょうか。どうも、ことばで説明しきれない何かがありそうです。ひとついえることは、好日と悪日、天気と晴、楽しいと楽しくないといったあい対する考えでなく、それにとらわれない心のもち方が大切であるといいます。

本映画は心に残ることがたくさんあり多くを考えさせられました。私にとっても、アレコレ想いをめぐらせ頭を回転させる場を与えてくれ幸いでした。

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