【被災地を歩く】避難指示解除の川内村と田村市都路地区の再生いかに
産経新聞 10月6日(月)7時55分配信
東京電力福島第1原発事故の被害で避難指示が出されていた福島県川内村の一部について、避難指示が1日解除された。田村市都路(みやこじ)地区は4月に初めて解除されてから半年を迎える。ふるさとの復興に向けた期待と課題のはざまで、住民らはそれぞれの思いを抱えながら生活を送っている。
川内村は原発事故後1年足らずで「帰村宣言」をし、現在は約半数が村に戻って生活をしている。今回、避難指示解除準備区域が解除された第8行政区などは4月から特例として準備宿泊が認められており、一部の住民は自宅で生活を始めていた。
◆行政との連携必要
6月から自宅に戻っている区長で林業の草野貴光さん(62)は今回の解除を「なんとも言えない」と打ち明けた。近所の住民はほとんど戻っておらず、自宅付近の道路の修繕も行われていない。職場や買い物、医療などの生活基盤を、立ち入りが制限されている富岡町や大熊町に頼っていたため、生活面は不便が続いている。
解除前に国に帰還への猶予を求めたが、受け入れられなかった。高齢化も進んで地域の維持も難しく、生活環境が大きく変わった状況で、今後の生活に大きな不安が残る。草野さんは「若い人が戻らず、元の環境に戻ることはないと思う。高齢者が多く、人も少ない中で地域を維持するためには行政との連携や支援がより必要になってくる」と訴える。
村は来年、商業施設のオープンや災害公営住宅の入居を始める予定だ。診療所の開設や道路の整備など住民の帰還に向けたインフラ整備を進めている。
一方、田村市都路地区の帰還者は半年で約3割。解除とともに地区の中心部2カ所に仮設商業施設「Domo(ど~も)」がオープンした。徐々に人が戻ってくるとともに、食堂やデイサービス施設など生活に欠かせない施設が再開したり、新たにオープンしたりしている。
今年8月には、都路地区で恒例の「魚つかみ大会」が約4年ぶりに開催された。大人や子供約250人が集まり、久々に地区ににぎわいが戻った。主催した田村市都路地区の行政区長連合会長、坪井都一さん(70)は「子供たちの声があるって言うのは本当にいいねえ」と目を細めた。
坪井さんは原発から約21キロの地域に住む。都路地区は20キロ圏内以外は平成23年8月に避難指示が解除されていたため、坪井さんは昨年4月まで自主避難を続けていた。「自分の家は避難が解除されていたけど、20キロ圏内が避難のままだったから人も戻っていなかったし、何より商店や子供がいなかった」と打ち明ける。
◆過疎化進行も懸念
20キロ圏内に自宅がある男性(65)は、昨年8月から「長期帰宅」として1人で自宅の修理をしながら生活している。今年5月まで東電関連の仕事をしていたが、自宅の修理などとの両立が困難なため仕事を辞めた。「都路では東電で働いている人が多かった。働き口がなければ若者も子供も帰ってこない。農業もできない状況で、大きな企業でも誘致してこないと生活が立ちゆかなくなる」
交通手段が限られた地域で生活に欠かせない職場や、医療、商業施設などの生活圏が変わるのは大きな問題だ。原発事故で、若者が戻らず、高齢化による過疎の進行も懸念される。
現在、県内では10市町村に避難指示が出されている。避難指示の解除後は同様の問題が浮上するとみられ、戻った住民がいかに地域を再生していくか、国や行政には実情を把握した対応が求められる。(大渡美咲)
産経新聞 10月6日(月)7時55分配信
東京電力福島第1原発事故の被害で避難指示が出されていた福島県川内村の一部について、避難指示が1日解除された。田村市都路(みやこじ)地区は4月に初めて解除されてから半年を迎える。ふるさとの復興に向けた期待と課題のはざまで、住民らはそれぞれの思いを抱えながら生活を送っている。
川内村は原発事故後1年足らずで「帰村宣言」をし、現在は約半数が村に戻って生活をしている。今回、避難指示解除準備区域が解除された第8行政区などは4月から特例として準備宿泊が認められており、一部の住民は自宅で生活を始めていた。
◆行政との連携必要
6月から自宅に戻っている区長で林業の草野貴光さん(62)は今回の解除を「なんとも言えない」と打ち明けた。近所の住民はほとんど戻っておらず、自宅付近の道路の修繕も行われていない。職場や買い物、医療などの生活基盤を、立ち入りが制限されている富岡町や大熊町に頼っていたため、生活面は不便が続いている。
解除前に国に帰還への猶予を求めたが、受け入れられなかった。高齢化も進んで地域の維持も難しく、生活環境が大きく変わった状況で、今後の生活に大きな不安が残る。草野さんは「若い人が戻らず、元の環境に戻ることはないと思う。高齢者が多く、人も少ない中で地域を維持するためには行政との連携や支援がより必要になってくる」と訴える。
村は来年、商業施設のオープンや災害公営住宅の入居を始める予定だ。診療所の開設や道路の整備など住民の帰還に向けたインフラ整備を進めている。
一方、田村市都路地区の帰還者は半年で約3割。解除とともに地区の中心部2カ所に仮設商業施設「Domo(ど~も)」がオープンした。徐々に人が戻ってくるとともに、食堂やデイサービス施設など生活に欠かせない施設が再開したり、新たにオープンしたりしている。
今年8月には、都路地区で恒例の「魚つかみ大会」が約4年ぶりに開催された。大人や子供約250人が集まり、久々に地区ににぎわいが戻った。主催した田村市都路地区の行政区長連合会長、坪井都一さん(70)は「子供たちの声があるって言うのは本当にいいねえ」と目を細めた。
坪井さんは原発から約21キロの地域に住む。都路地区は20キロ圏内以外は平成23年8月に避難指示が解除されていたため、坪井さんは昨年4月まで自主避難を続けていた。「自分の家は避難が解除されていたけど、20キロ圏内が避難のままだったから人も戻っていなかったし、何より商店や子供がいなかった」と打ち明ける。
◆過疎化進行も懸念
20キロ圏内に自宅がある男性(65)は、昨年8月から「長期帰宅」として1人で自宅の修理をしながら生活している。今年5月まで東電関連の仕事をしていたが、自宅の修理などとの両立が困難なため仕事を辞めた。「都路では東電で働いている人が多かった。働き口がなければ若者も子供も帰ってこない。農業もできない状況で、大きな企業でも誘致してこないと生活が立ちゆかなくなる」
交通手段が限られた地域で生活に欠かせない職場や、医療、商業施設などの生活圏が変わるのは大きな問題だ。原発事故で、若者が戻らず、高齢化による過疎の進行も懸念される。
現在、県内では10市町村に避難指示が出されている。避難指示の解除後は同様の問題が浮上するとみられ、戻った住民がいかに地域を再生していくか、国や行政には実情を把握した対応が求められる。(大渡美咲)