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この動画の14分のあたりで、経済学者が分かりやすく説明するために、このような話をつくった、と金融の実務をやっていたという,加谷珪一は言っているが、これは<やつら>が実際の金融の仕組みを一般の人たちが理解したり、分かったりできなくなるように、考えて考えて作った文言だと思うな。
なぜそんなことをするのか。それは今の経済の基礎の基礎の金融のシステムが、<やつら>に握られているという事が分かってしまったら、<やつら>にとっては、死活問題だからなんだと思う。そして現在の(債務貨幣制度)(部分準備銀行制度)(中央銀行制度)は、お金の面ではゼロサムゲームだという事が分かってしまうからだ。誰かの銀行預金は誰かの借金だという事だ。合算すればいつでもゼロになってしまう。そういう社会では、どうしても「イス取りゲーム」の社会になってしまう。常に他人と競争して少しでも周りの人間より有利なイスを取ろうと競争しなければならない。そのイスは常に参加人数よりはるかに少ない。その限られたイスを取ろうと必死になって試験勉強をし、会社に入って仕事をし、ときには国同士で戦争をするわけだ。イス=富=成功は限られていると考えるからだ。
そういう常に競争、対立の社会にするためには、まるで社会全体が巨大なギャンブルの世界にする必要があるという事だ。競馬で誰かが今日は大儲けをしたというとき、それはその他の参加者の負けた分、損をしたという事だ。どこからもお金は出資されてはいない。ゼロサムゲームだ。
この<債務貨幣制度>=資本主義を採用するという事は、人間は生まれた時から死ぬ時まで、ゼロサムゲームのなかで生活するという事だと思う。しかもそのような世界では、多くの富を蓄えたものは、常に雪だるま式に富が増えていく。大金持ちはますます大金持ちになっていく。
この仕組みこそ、<やつら>がどうしても維持したい、金融制度=奴隷制度なんだと思う。
だから<やつら>にとっては、どうしてもこの、今の金融制度を理解されると困るわけだ。そのために考えて考えて文章を作り、教科書に書き込んだと思う。ゴイムにわからせないために。
(信用創造)を理解するという事は、だから根本的な問題なわけだ。