昨日の記事、坂本龍馬の虚像と実像の 続きです。
司馬遼太郎氏の歴史小説について、松浦玲氏は、『検証・龍馬伝説』において、以下のように述べておられます。
司馬さんの主な著作は、一九六〇年代、日本の高度成長期に書かれている。池田勇人内閣が所得倍増論を唱えて、本当に実現し、日本人が、戦中・戦後の苦しみから漸く脱却して、戦前を遙かに上回る高い生産力と、それにやや見合う生活水準の時代に突入していった時期である。飢える心配は消え、暮しは確かに豊かになった。そういう時期の日本人が司馬さんの作品に日本の歴史を見た。司馬さんが作りだすものと、国民が求めていたものが合致したのである。
どういうところが受け入れられたのか。司馬さんの作品の特徴は、司馬さんが主人公はじめ登場人物たちを面白がっているところにある。おかしがっていると言ってもよい。
(中略)
時代が違い置かれた環境が違えば、人間とはこんなに面白いのだ、そういうものを司馬さんが取り出してみせる鮮やかさに人々は感服し、それが「歴史」だと納得するのである。
以上、松浦氏のおっしゃることは、大筋において、その通りだと思えます。
司馬遼太郎氏が逝去なさったとき、私は、石浜典夫氏にお話をうかがう機会を得ました。
石浜氏は、産経新聞時代に文化部で司馬氏の部下だった方で、当時は、テレビ愛媛(フジ系列)の社長をなさっておられました。
石浜氏のお父上は、戦前の関西外語で司馬氏の恩師であり、また典夫氏の兄上の石浜恒夫氏は、司馬氏といっしょに『近代説話』という同人誌を出されていて、家族ぐるみのおつき合いでおられた、とのことだったのです。
石浜典夫氏によれば、『近代説話』は、現代の『今昔物語』をめざした同人誌であり、司馬氏の歴史小説は、まさに「近代の説話」なのだ、ということなのですね。
新聞記者時代の司馬氏の教えで、とてもおもしろく聞かせていただいたエピソードがあります。
文化部デスクだった司馬氏は、「忍者」だとか「新選組」だとか、当時としては風変わりな企画を立てて、「現場に取材に行け」と、記者だった石浜氏に言うんだそうです。
しかし、現場に取材ったって、昔の話です。石浜氏がとまどっていると、「ともかく行け」と。
で、仕方なく、京の壬生へ新選組の取材に行きます。そうすると、「そこのうどん屋で土方さんがうどんを食べていた、と、じいさんがいいいよりました」というような、嘘か本当かわからないようなことを、地元の人が語るんだそうです。
そのうどん屋でうどんを食べて、しばらく、そんな話を聞いていると、不思議なことに、浅黄の衣装をつけた隊員が、今にも角をまがって姿を現しそうな、そんな臨場感がわいてきて、その臨場感のままに記事を書くと、「これだ!」と、司馬氏は誉めてくれたというお話なのです。
『今昔物語』は正史ではありません。しかし、現在、厳めしい正史を読むよりも、『今昔物語』を読む方が、王朝後期の時代相をリアルに感じることができます。
そして、まさに司馬氏の小説は、基本的には説話なのです。
その説話が、正史ではない、普通の人々のリアリティの上に成り立った、歴史物語をつむぐのです。
松浦氏は、『坂の上の雲』のおもしろさを認めつつ、いえ、認めていればこそ、現代につながる明治の大日本帝国を、相対化し、説話化することに疑問を投げておられます。
どうも、言っておられることがよくわからないのですが、要するに、司馬氏の中で、時効になったもの、歴史になったものは説話となり、時効にならないもの、現代の自分に迷惑がかかるものは非難の対象となっている、それは筋が通らないではないか、ということのようなのです。
その例として、三島由紀夫の事件のとき、「本来はフィクションにすぎない思想を現実だと思って短絡反応を起こして死んだ人間に、かつて吉田松陰があり、いま三島由紀夫が現れた」と、司馬氏が書かれたことを上げておられるのですが。
いったい、司馬氏が、どういう文脈でそう言われたのかわかりませんが、要は、その置かれた時代状況の中で、その行動(短絡反応)にリアリティがあったかどうか、ということでしょう。
三島由紀夫の恋文 で書きましたが、現在の私には、三島由紀夫氏の行動も、その置かれた時代状況の中では、それなりのリアリティを持って見えます。
しかし、司馬氏にはそうは見えなかったのでしょうし、なにより、目の前で起こった事件、つまり時事ニュースが、そのまま説話にはなりえないでしょう。
松浦氏は「時効」と言われますが、そもそも説話とは、実体験を語ることではなく、また現在の価値判断で過去を見つめることでもなく、過去に生きた人々のリアリティを今に引き寄せてこそ、成り立つものです。
いったいなぜ松浦氏は、時事ニュースへの司馬氏のコメントをもって、その作品を批判なさろうとするのか、それこそ筋違いでおられるのではないでしょうか。
それに重ねて松浦氏は、司馬氏の言う「庶民」が、信じられないのだとおっしゃいます。
大衆というものの怖さをおっしゃっておられるのだと思うのですが、それは、司馬氏の『坂の上の雲』においても、日露講和への大衆の無理解を描くことで、示されているのではないでしょうか。
そういった暴走をも含めて、それが「庶民」なのであり、時代相です。
ご自身がいわれておられるように、松浦氏は価値判断が、つまりはイデオロギーがお好きです。
それは本当に、「脱イデオロギーのイデオロギー」なのでしょうか。
松浦氏のおっしゃっておられることが、下の記事のようなイデオロギーとどうちがうのか、私には、いまひとつ、よくわかりません。
asahi.com マイタウン愛媛 企画特集
【明治に学ぶまちづくり-その光と影】<3> 「楽観的な時代」
『坂の上の雲』は小説です。
妙なイデオロギーに染まった人々にとっては、その明るさが、許せないことであるかのようです。
説話をイデオロギーで批判して、なにがしたいのか、と、ため息が出ます。
たしかに司馬氏は、ナショナリズムそのものを、否定してはおられません。それが、明治のリアリティであるからです。
で、ナショナリズムそのものが、悪なのでしょうか?
ナショナリズムそのものが悪なのであれば、当時のアジアの独立運動も悪です。
イデオロギーというものも、つくづく筋が通らないもののようですね。
なお、石浜典夫氏は現在、『坂の上の雲』のまちづくりに取り組む松山市のコンシェルジェ をなさっておられます。
松山が舞台になっているためか、私は、『坂の上の雲』については、素直に司馬さんの説話を楽しむだけで、秋山兄弟や子規の実像を掘り返そうという気にはなりません。といいますか、子供のころに祖父から話を聞いたなつかしさが蘇り、それを大切にしたいな、という思いが強いのでしょう。
軍記的な部分については、批判も多いのは知っておりますし、説話的な手法で、登場人物の多い壮大な軍記を描いた場合、わけてもそれが近代戦であれば、人物像のデフォルメへの批判は当然あるでしょう。
それはそれで、実像を掘り起こすのも、一つの楽しみ方です。
司馬氏が、秋山兄弟や子規にサービスされているのは、子孫の方々と会われて、彼らの生きた時代に、気持ちのいいリアリティを感じられた、ということが大きいように思われます。
司馬遼太郎氏の書かれた小説の中で、やはり、これが一番好きです。
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司馬遼太郎氏の歴史小説について、松浦玲氏は、『検証・龍馬伝説』において、以下のように述べておられます。
司馬さんの主な著作は、一九六〇年代、日本の高度成長期に書かれている。池田勇人内閣が所得倍増論を唱えて、本当に実現し、日本人が、戦中・戦後の苦しみから漸く脱却して、戦前を遙かに上回る高い生産力と、それにやや見合う生活水準の時代に突入していった時期である。飢える心配は消え、暮しは確かに豊かになった。そういう時期の日本人が司馬さんの作品に日本の歴史を見た。司馬さんが作りだすものと、国民が求めていたものが合致したのである。
どういうところが受け入れられたのか。司馬さんの作品の特徴は、司馬さんが主人公はじめ登場人物たちを面白がっているところにある。おかしがっていると言ってもよい。
(中略)
時代が違い置かれた環境が違えば、人間とはこんなに面白いのだ、そういうものを司馬さんが取り出してみせる鮮やかさに人々は感服し、それが「歴史」だと納得するのである。
以上、松浦氏のおっしゃることは、大筋において、その通りだと思えます。
司馬遼太郎氏が逝去なさったとき、私は、石浜典夫氏にお話をうかがう機会を得ました。
石浜氏は、産経新聞時代に文化部で司馬氏の部下だった方で、当時は、テレビ愛媛(フジ系列)の社長をなさっておられました。
石浜氏のお父上は、戦前の関西外語で司馬氏の恩師であり、また典夫氏の兄上の石浜恒夫氏は、司馬氏といっしょに『近代説話』という同人誌を出されていて、家族ぐるみのおつき合いでおられた、とのことだったのです。
石浜典夫氏によれば、『近代説話』は、現代の『今昔物語』をめざした同人誌であり、司馬氏の歴史小説は、まさに「近代の説話」なのだ、ということなのですね。
新聞記者時代の司馬氏の教えで、とてもおもしろく聞かせていただいたエピソードがあります。
文化部デスクだった司馬氏は、「忍者」だとか「新選組」だとか、当時としては風変わりな企画を立てて、「現場に取材に行け」と、記者だった石浜氏に言うんだそうです。
しかし、現場に取材ったって、昔の話です。石浜氏がとまどっていると、「ともかく行け」と。
で、仕方なく、京の壬生へ新選組の取材に行きます。そうすると、「そこのうどん屋で土方さんがうどんを食べていた、と、じいさんがいいいよりました」というような、嘘か本当かわからないようなことを、地元の人が語るんだそうです。
そのうどん屋でうどんを食べて、しばらく、そんな話を聞いていると、不思議なことに、浅黄の衣装をつけた隊員が、今にも角をまがって姿を現しそうな、そんな臨場感がわいてきて、その臨場感のままに記事を書くと、「これだ!」と、司馬氏は誉めてくれたというお話なのです。
『今昔物語』は正史ではありません。しかし、現在、厳めしい正史を読むよりも、『今昔物語』を読む方が、王朝後期の時代相をリアルに感じることができます。
そして、まさに司馬氏の小説は、基本的には説話なのです。
その説話が、正史ではない、普通の人々のリアリティの上に成り立った、歴史物語をつむぐのです。
松浦氏は、『坂の上の雲』のおもしろさを認めつつ、いえ、認めていればこそ、現代につながる明治の大日本帝国を、相対化し、説話化することに疑問を投げておられます。
どうも、言っておられることがよくわからないのですが、要するに、司馬氏の中で、時効になったもの、歴史になったものは説話となり、時効にならないもの、現代の自分に迷惑がかかるものは非難の対象となっている、それは筋が通らないではないか、ということのようなのです。
その例として、三島由紀夫の事件のとき、「本来はフィクションにすぎない思想を現実だと思って短絡反応を起こして死んだ人間に、かつて吉田松陰があり、いま三島由紀夫が現れた」と、司馬氏が書かれたことを上げておられるのですが。
いったい、司馬氏が、どういう文脈でそう言われたのかわかりませんが、要は、その置かれた時代状況の中で、その行動(短絡反応)にリアリティがあったかどうか、ということでしょう。
三島由紀夫の恋文 で書きましたが、現在の私には、三島由紀夫氏の行動も、その置かれた時代状況の中では、それなりのリアリティを持って見えます。
しかし、司馬氏にはそうは見えなかったのでしょうし、なにより、目の前で起こった事件、つまり時事ニュースが、そのまま説話にはなりえないでしょう。
松浦氏は「時効」と言われますが、そもそも説話とは、実体験を語ることではなく、また現在の価値判断で過去を見つめることでもなく、過去に生きた人々のリアリティを今に引き寄せてこそ、成り立つものです。
いったいなぜ松浦氏は、時事ニュースへの司馬氏のコメントをもって、その作品を批判なさろうとするのか、それこそ筋違いでおられるのではないでしょうか。
それに重ねて松浦氏は、司馬氏の言う「庶民」が、信じられないのだとおっしゃいます。
大衆というものの怖さをおっしゃっておられるのだと思うのですが、それは、司馬氏の『坂の上の雲』においても、日露講和への大衆の無理解を描くことで、示されているのではないでしょうか。
そういった暴走をも含めて、それが「庶民」なのであり、時代相です。
ご自身がいわれておられるように、松浦氏は価値判断が、つまりはイデオロギーがお好きです。
それは本当に、「脱イデオロギーのイデオロギー」なのでしょうか。
松浦氏のおっしゃっておられることが、下の記事のようなイデオロギーとどうちがうのか、私には、いまひとつ、よくわかりません。
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『坂の上の雲』は小説です。
妙なイデオロギーに染まった人々にとっては、その明るさが、許せないことであるかのようです。
説話をイデオロギーで批判して、なにがしたいのか、と、ため息が出ます。
たしかに司馬氏は、ナショナリズムそのものを、否定してはおられません。それが、明治のリアリティであるからです。
で、ナショナリズムそのものが、悪なのでしょうか?
ナショナリズムそのものが悪なのであれば、当時のアジアの独立運動も悪です。
イデオロギーというものも、つくづく筋が通らないもののようですね。
なお、石浜典夫氏は現在、『坂の上の雲』のまちづくりに取り組む松山市のコンシェルジェ をなさっておられます。
松山が舞台になっているためか、私は、『坂の上の雲』については、素直に司馬さんの説話を楽しむだけで、秋山兄弟や子規の実像を掘り返そうという気にはなりません。といいますか、子供のころに祖父から話を聞いたなつかしさが蘇り、それを大切にしたいな、という思いが強いのでしょう。
軍記的な部分については、批判も多いのは知っておりますし、説話的な手法で、登場人物の多い壮大な軍記を描いた場合、わけてもそれが近代戦であれば、人物像のデフォルメへの批判は当然あるでしょう。
それはそれで、実像を掘り起こすのも、一つの楽しみ方です。
司馬氏が、秋山兄弟や子規にサービスされているのは、子孫の方々と会われて、彼らの生きた時代に、気持ちのいいリアリティを感じられた、ということが大きいように思われます。
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