田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

超短編27 声

2024-02-01 09:08:58 | 超短編小説
2月1日 木曜日
超短編27 声

声をかけられたことがあった。
それがどこから来たのか、誰の声かわからない声もあった。

「翔平。声をかけられても行っちゃダメ。もどっておいで」
「行きたいよ。向こうへいきたいよ。お花畑で呼ばれている」
「ダメ‼」
母の声はいまでも耳元にのこっている。
あのとき、誰になんと声をかけられたのかわからない。
呼びもどしてくれた母の声の記憶があるだけだ。
四歳のときだった。
母が信仰していた岩船さんの孫太郎尊の助けをかりて必死で呼びもどしてくれなかったら――。いまのわたしはない、と翔平は思っている。

木暮サーカスの女の子に声をかけられた。
「お兄ちゃんとこ、あの塀の掛かっている門のある家でしょう。食べ物がタントあるでしょう。お腹がすいているの。食べ物くれたらアタイのブランコの芸みせてあげる」
戦争中だった。テントのスソをめくって、ただで入れてくれた。きらびやかな舞台衣装に着替えた少女は美しかった。
まぶしいほどきれいだった。
空中を飛び交う少女は天使のようだった。
女の子をはじめて美しいと感じた瞬間だった。

図書館の受付で声をかけられた。
「大関さんが、探していましたよ」
翔平が病気で倒れた母の看病のため東京からUターンしてきたのは昨日のことだ。
街の劇団「蟹の会」の稽古場は剣道の道場にあった。
そこで生涯を伴にする彼女に会った。

翔平は五十八歳になっていた。
信仰している岩船の孫太郎さんが祭ってある山の見える高速を走っていた。
「肝臓が悪い。診察をうけろ」
声がどこからともなく降ってきた。
発見が早かった。

若死にするだろうといわれていたのに九十歳まで生きている。
杖をつくようになった。
歩道には水はけ用の小さな穴がいくつもあけてある。
鉄格子の穴も危険だ。
杖の先がはいると転んでしまう。
転ぶとひとりでは起き上がれない。
注意して足元を見ながら、うつむいて歩いている翔平の頭上に男の子の声がかぶさった。
「こんにちわ」
急ブレーキの音。
悲鳴。
衝突音。
少年は即死。

じぶんの足元ばかり気にしていた。
信号を無視して車道に飛びだす少年に声をかけられなかった。


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