(01)
の場合は、「縦書き」であるものの、「横書き」であっても構はないので、「返り点」が付いてゐない「漢文」を、「自分で、用意する」。
(02)
① 楚人有鬻盾與矛者。
といふ「漢文」の「訓読」を行ふ。
(03)
① 楚人有鬻盾與矛者。
といふ「漢文」を、「訓読」出来ない。
のであれば「左側」にある、
① 楚人に盾與矛とを鬻ぐ者有り。
を見て、「訓読」を確認する。
(04)
次に、
① 楚人に盾與矛とを鬻ぐ者有り。
といふ「訓読」を、「頭の中」で、
① 楚人有鬻盾與矛者。
といふ「語順」に「並び変へ」て、
① ソジンイウシュクヨジュンヨムシャ。
といふ「日本漢字音(漢音や呉音)」等で、「声に出して読む(音読する)」。
(05)
① 楚人有鬻盾與矛者。⇒ 楚人に盾與矛とを鬻ぐ者有り。
といふ「訓読」と、
① 楚人に盾與矛とを鬻ぐ者有り。⇒ ソジンイウシュクヨジュンヨムシャ。
といふ「音読(復文)」を、「何回か、繰り返す」。
(06)
① 楚人有鬻盾與矛者。⇒ 楚人に盾與矛とを鬻ぐ者有り。
① 楚人に盾與矛とを鬻ぐ者有り。⇒ ソジンイウシュクヨジュンヨムシャ。
といふことを、「何回か、繰り返す」と、その内に、
① 楚人有鬻盾與矛者。
といふ「漢文(原文)」を、
① ソジンイウシュクヨジュンヨムシャ。
といふ「日本漢字音」で、「暗唱」出来るようになる。
(07)
① 楚人有鬻盾與矛者。
といふ「漢文(原文)」を、
① ソジンイウシュクヨジュンヨムシャ。
といふ「日本漢字音」で、「暗唱」出来るようになったら、
① と「同じ方法」で、「一行づつ」、
② 譽之曰、吾盾之堅、莫能陷也。
③ 又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。
④ 或曰、以子之矛、陷子之盾、何如。
⑤ 其人弗能應也。
に関しても、
② ヨシヱツ、ゴジュンシケンバクノウカンヤ。
③ イウヨキムヱツ、ゴムシリ、オブツムフツカンヤ。
④ ワクヱツ、イシシム、カンシシジュン、カジョ。
⑤ キジンフツノウオウヤ。
といふ「日本漢字音(漢音や呉音)」等で、「暗唱」出来るように、努力する。
(08)
ある程度、「暗唱」が出来るようになった時点で、例へば、「旺文社、漢文の基礎、1973年(31~35頁)」等の、「解説」を読んで「納得」する。
(09)
理想としては、古音の研究をどしどし進めて古音を復活することだ、併しそれは云う可くして容易に行われまい。兎に角、支那でも目下読音の統一と云う事が識者間で問題となっていて、頻りに研究されつつあるから、将来何等かの適当な標準を見出すことができよう。過渡時代に於ける第二案としては従来の漢音呉音何れかに拠るしかあるまい。・・・・・・ただ支那音に比して遜色あるは、四声の別が明らかに発音できない点だ。・・・・・・(『支那学』第一巻5号、1921年、12~14頁)
漢音や呉音で直読するというのは、現代中国語の学習とはまったく離れてしまうので問題外にする(牛島徳治、中国古典の学び方、1977年、14頁)。
といふ「意見」が有ったことに関しては、「気にしない」。
(10)
日本語や英語、中国語(現代でなく、過去の中国語も含む)は、自然言語である。しかし漢文は、自然言語を土台にした人工言語だ。― 中略 ―、また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は、原理的に存在できない(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、8頁)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
「現代中国語の発音」が出来なければ、「書記言語(人工言語)を理解できない。」といふことは、有り得ないが故に、「(漢文を学習する際に、)漢音や呉音で直読するというのは、現代中国語の学習とはまったく離れてしまうので問題外にする。」といふのは、「正しく」ない。