(01)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(02)
① 私は、タゴール記念会の理事長であるが、
② タゴール記念会の理事長は、「一人」だけである。然るに、
③ 倉田氏は私ではない。従って、
④ タゴール記念会ならば、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(03)
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx]}
② ∀x{T会の会員x→∃y[理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
③ ∃z(倉田z&~私z)
④ ∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}
といふ「述語論理」は、すなはち、
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、私はxの理事長である。
② すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
③ あるzは倉田といふが、zは私ではない。
④ すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるzは倉田であって、zはxの理事長ではない。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(04)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx]} A
2 (2)∀x{T会の会員x→∃y[理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (3) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya] 1UE
2 (4) T会の会員a→∃y[理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 2UE
5 (5) T会の会員a A
1 5 (6) ∃y[私y&理事長ya] 35MPP
7 (7) 私b&理事長ba A
7 (8) 私b 7&E
25 (9) ∃y[理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 45MPP
ア (ア) 理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
ア (イ) ∀z(理事長za→b=z) ア&E
ア (ウ) 理事長ca→b=c ウUE
エ (エ) ∃z(倉田z&~私z) A
オ (オ) 倉田c&~私c A
オ (カ) 倉田c カ&E
オ (キ) ~私c カ&E
ク(ク) b=c A
オク(ケ) ~私b キク=E
7 オク(コ) ~私b&私b 8ケ&I
7 オ (サ) b≠c クコRAA
7ア オ (シ) ~理事長ca ウサMTT
7ア オ (ス) 倉田c&~理事長ca カシ&I
7ア オ (セ) ∃z(倉田c&~理事長ca) スEI
7アエ (ソ) ∃z(倉田c&~理事長ca) エオセEE
257 エ (タ) ∃z(倉田c&~理事長ca) 9アソEE
125 エ (チ) ∃z(倉田c&~理事長ca) 67タEE
12 エ (ツ) T会の会員a→∃z(倉田c&~理事長ca) 5チCP
12 エ (テ)∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)} ツUI
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① 私は、タゴール記念会の理事長であるが、
② タゴール記念会の理事長は、「一人」だけである。然るに、
③ 倉田氏は私ではない。従って、
④ タゴール記念会ならば、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「日本語」として、「妥当」であり、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx]}
② ∀x{T会の会員x→∃y[理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
③ ∃z(倉田z&~私z)∴
④ ∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}
といふ「推論」は、「述語論理」として、「妥当」である。
然るに、
(06)
② ∀x{T会の会員x→∃y[理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ「1行」を除いた、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx]}
③ ∃z(倉田z&~私z)∴
④ ∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}
といふ「論証(Argument)」は、「述語論理」としては、固より、「証明不能」である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 私は、タゴール記念会の理事長であるが、
③ 倉田氏は私ではない。従って、
④ タゴール記念会ならば、倉田氏は理事長ではない。
といふ「論証(Argument)」が、「日本語」として、「妥当」であるならば、その場合は、
② タゴール記念会の理事長は、「一人」だけである。
といふことが、「暗黙の前提」になってゐる。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① タゴール記念会は、私が理事です。然るに、
③ 倉田氏は私ではない。従って、
④ タゴール記念会ならば、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」が、「日本語」として、「妥当」であるならば、その場合は、
② タゴール記念会の理事長は、「一人」だけである。⇔
② ∀x{T会の会員x→∃y[理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
② すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふことが、「暗黙の前提」になってゐる。
従って、
(08)により、
(09)
① タゴール記念会は、私が理事です。
といふ「日本語」は、
① タゴール記念会は、一人、私だけが理事です。
といふ、「意味」になる。
従って、
(01)(09)により、
(10)
① タゴール記念会は、私が理事です。
① タゴール記念会の理事長は私です。
といふ「日本語」は、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ、「意味」になる。
従って、
(10)により、
(11)
① 私が理事です。
① 理事長は私です。
といふ「日本語」は、
① 私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
といふ、「意味」になる。
従って、
(12)
三上章先生は、まず最初に、
① 私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
といふ「意味」である所の、
① 私が理事です。
① 理事長は私です。
といふ「日本語の文法」を論じるべきである。
然るに、
(13)
「三上章、象は鼻が長い、1960年」、「三上章、日本語の論理、1963年」等を読む限り、三上章先生は、
AはBである=AはBである。
AがBである=AはBであり、A以外はBではない。
といふことには、気付いてゐないし、仮に、気付いてゐたとしても、重視は、してゐない。
(14)
助詞「は」の代行の性質とは、たとえば、「大根は葉を捨てます」(料理番組)の場合、この「は」は「大根の葉」の「の」の代わり(代行)であるという考え方です。これによって、「象は鼻が長い」も「象の鼻が長いこと」の意味であり、「この本は父が買ってくれた」も「この本を父が買ってくれた」の意味であるという、簡単な説明ができるようになるのです。そして、なぜ代行するのかといいうと、それは、文の《題目》を示すためであるというふうに話が進行し、日本語には主語がなく、《題目》を中核とした言語であるという著者の主張が展開されていきます。日本語の「は」の性格を初めて明確化した著書として、この本は現在の学界でも広く知られています(象は鼻が長い - 青山学院大学 文学部)。
(15)
1 (1)∀x{大根x→∃y(葉yx)&∃z(あなたz&捨zy)} A
2 (2)∃z(あなたz&~捨zy) A
1 (3) 大根a→∃y(葉ya)&∃z(あなたz&捨zy) 1UE
4 (4) 大根a A
1 4 (5) ∃y(葉ya)&∃z(あなたz&捨zy) 34MPP
1 4 (6) ∃z(あなたz&捨zy) 5&E
7 (7) あなたc&捨cy A
7 (8) 捨cy 7&E
9(9) あなたc&~捨cy A
9(ア) ~捨cy 9&E
79(イ) ~捨cy&捨cy 8ア&I
2 7 (ウ) ~捨cy&捨cy 29イEE
124 (エ) ~捨cy&捨cy 67ウEE
12 (オ) ~大根a 4エRAA
12 (カ)∃x~大根x オEI
12 (〃)あるxは大根でない。 オEI
従って、
(15)により、
(16)
(1)あなたは、大根の葉を捨てます。 然るに、
(2)あなたは、その葉を、捨てない。 従って、
(カ)あるxは、大根ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
① 大根は葉を捨てます。⇔
① ∀x{大根x→∃y(葉yx)&∃z(あなたz&捨zy)}⇔
① すべてのxについて、xが大根であるならば、あるyはxの葉であって、あるzはあなたであって、zはyを捨てます。
といふ「意味」である。
といふことこそが、「大事」なのであって、『この「は」は「大根の葉」の「の」の代わり(代行)であるという考え方です。』といふことは、どうでも良いと、考へます。
(01)
① 象は鼻は長い。
② 兎は耳は長い。
といふのであれば、
①「象の鼻以外」については、何も言ってはゐない。
②「兎の耳以外」については、何も言ってはゐない。
従って、
(01)により、
(02)
① 象は鼻は長い。
② 兎は耳は長い。
といふのであれば、
① 象は、鼻だけでなく、耳も長い。のかも知れないし、
② 兎は、耳だけでなく、鼻も長い。のかも知れない。
然るに、
(03)
① 象は、鼻だけでなく、耳も長い。のかも知れないし、
② 兎は、耳だけでなく、鼻も長い。のかも知れない。
といふのであれば、
① 象は、鼻と耳が長い。のかも知れないし、
② 象も、鼻と耳が長い。のかも知れない。
然るに、
(04)
① 象は、鼻と耳が長い。のかも知れないし、
② 象も、鼻と耳が長い。のかも知れない。
といふのであれば、
① 象は鼻は長い(が、耳も長い?)。然るに、
② 兎は耳は長い(が、鼻も長い?)。故に、
③ 兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。
といふ「推論」は、「妥当」ではない。
然るに、
(05)
① 象は鼻は長い。然るに、
② 兎は耳は長い。故に、
③ 兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。
といふ「推論」ではなく、
① 象は鼻が長い。然るに、
② 兎は耳が長い。故に、
③ 兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 象は鼻が長い。
② 兎は耳が長い。
といふのであれば、
①「象の鼻以外は、長くない。」と言ってゐて、
②「兎の耳以外は、長くない。」と言ってゐる。
従って、
(06)により、
(07)
① 象は鼻が長い。
② 兎は耳が長い。
ではなく、
① 象が鼻は長い。
② 兎が耳は長い。
といふのであれば、
①「象以外は、鼻は長くない。」と言ってゐて、
②「兎以外は、耳は長くない。」と言ってゐる。
従って、
(07)により、
(08)
① 象が鼻は長い。
② 兎が耳は長い。
といふのであれば、
①「象は、鼻は長く、象以外は、鼻は長くない」と言ってゐて、
②「兎は、耳は長く、兎以外は、耳は長くない」と言ってゐる。
然るに、
(09)
① 象以外は、鼻は長くない。⇔
① ∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
① すべてのxについて、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、yが長い、といふことはない。
然るに、
(10)
「対偶(Contraposition)」は「等しい」が故に、
① 象以外は、鼻は長くない。⇔
① ∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
① すべてのxについて、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、yが長い、といふことはない。
といふ「命題」は、
② 鼻が長いならば、象である。⇔
② ∀x{∃y(鼻yx&長y)→象x}⇔
② すべてのxについて、あるyがxの鼻であって、yが長いならば、xは象である。
といふ「命題」に「等しい」。
然るに、
(11)
③ 象は鼻は長い。⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象でないならば、あるyはxの鼻であって、yは長い。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 象は鼻は長く、象以外は、鼻は長くない。
② 象は鼻は長く、鼻が長いならば象である。
に於いて、すなはち、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃y(鼻yx&長y)→象x}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃y(鼻yx&長y)→象x}
といふ「論理式」は、「省略記号(Abbreviation)」を用ひて、
③ ∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象でないならば、そのときに限って、あるyはxの鼻であって、yは長い。
といふ風に、書くことが、出来る。
従って、
(12)(13)により、
(14)
「番号」を付け直すと、
① ∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃y(鼻yx&長y)→象x}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて、xが象であるならば、そのときに限って、あるyはxの鼻であって、yは長い。
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、あるyがxの鼻であって、yが長いならば、xは象である。
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、xは象でないならば、あるyがxの鼻であって、yが長い、といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(15)
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、xは象でないならば、あるyがxの鼻であって、yが長い、といふことはない。
といふことは、
① 象は、鼻は長く、象以外は、鼻は長くない。
といふ、ことである。
従って、
(08)(14)(15)により、
(16)
① 象が鼻は長い。⇔
① 象は、鼻は長く、象以外は、鼻は長くない。⇔
① ∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)} ⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
① すべてのxについて、xが象でないならば、そのときに限って、あるyはxの鼻であって、yは長い。⇔
① すべてのxについて、xが象でないならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、あるyがxの鼻であって、yが長いならば、xは象である。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(17)
① すべてのxがFである。といふことはない。
といふことは、
② あるxはFでない(Fでないxが存在する)。
といふ、ことである。
cf.
(ⅱ)
1 (1) ~∀xFx A
2 (2) ~∃x~Fx A
3(3) ~Fa A
3(4) ∃x~Fx 3EI
23(5) ~∃x~Fx&∃x~Fx 24&I
2 (6) ~~Fa 35RAA
2 (7) Fa 6DN
2 (8) ∀xFx 6UI
12 (9) ~∀xFx&∀xFx 17&I
1 (ア)~~∃x~Fx 29RAA
1 (イ) ∃x~Fx アDN
すべてのxがFであるわけではない。├ あるxはFでない。
(ⅱ)
1 (1) ∃x~Fx A
2 (2) ~Fa A
3(3) ∀xFx A
3(4) Fa 3UE
23(5)~Fa&Fa 24&I
2 (6) ~∀xFx 35RAA
1 (7) ~∀xFx 126EE
あるxはFでない。├ すべてのxがFであるわけではない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
「量化子の関係」により、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
② ∃x~{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
① の「否定」は、② であり、
② の「否定」は、① である。
然るに、
(19)
(ⅱ)
1 (1)∃x~{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~象x→~∃y(鼻yx&長y)} A
2 (2) ~{象a→∃y(鼻ya&長y)& ~象a→~∃y(鼻ya&長y)} A
2 (3)~[象a→∃y(鼻ya&長y)]∨~[~象a→~∃y(鼻ya&長y)] 2ド・モルガンの法則
2 (4) [象a→∃y(鼻ya&長y)]→~[~象a→~∃y(鼻ya&長y)] 3含意の定義
5 (5) {象a→∃y(鼻ya&長y)} A
25 (6) ~[~象a→~∃y(鼻ya&長y)] 45MPP
7 (7) 象a∨~∃y(鼻ya&長y) A
7 (8) ~象a→~∃y(鼻ya&長y) 7含意の定義
257 (9) ~[~象a→~∃y(鼻ya&長y)]&
[~象a→~∃y(鼻ya&長y)] 68&I
25 (ア) ~[象a∨~∃y(鼻ya&長y)] 79RAA
25 (イ) ~象a& ∃y(鼻ya&長y) アド・モルガンの法則
2 (ウ) {象a→∃y(鼻ya&長y)}→ ~象a& ∃y(鼻ya&長y) 5イCP
エ(エ) 象a&∃y(鼻ya&長y) A
エ(オ) 象a エ&E
2 エ(カ) ∃y(鼻ya&長y) → ~象a& ∃y(鼻ya&長y) ウオMPP
エ(キ) ∃y(鼻ya&長y) エ&E
2 エ(ク) ~象a& ∃y(鼻ya&長y) カキMPP
2 (ケ) 象a&∃y(鼻ya&長y)→ ~象a& ∃y(鼻ya&長y) エクCP
2 (コ) ∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→ ~象x& ∃y(鼻yx&長y)} ケEI
1 (サ) ∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→ ~象x& ∃y(鼻yx&長y)} 12コEE
(ⅲ)
1 (1) ∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→ ~象x& ∃y(鼻yx&長y)} A
2 (2) 象a&∃y(鼻ya&長y)→ ~象a& ∃y(鼻ya&長y) A
3 (3) 象a A
4 (4) ∃y(鼻ya&長y) A
34 (5) 象a&∃y(鼻ya&長y) 34&I
234 (6) ~象a& ∃y(鼻ya&長y) 25MPP
23 (7) ∃y(鼻ya&長y)→ ~象a& ∃y(鼻ya&長y) 46CP
2 (8) 象a→∃y(鼻ya&長y)→ ~象a& ∃y(鼻ya&長y) 37CP
9 (9) 象a→∃y(鼻ya&長y) A
2 9 (ア) ~象a& ∃y(鼻ya&長y) 8アMPP
2 9 (イ) ~[象a∨~∃y(鼻ya&長y)] イ、ド・モルガンの法則
ウ(ウ) ~象a→~∃y(鼻ya&長y) A
ウ(エ) 象a∨~∃y(鼻ya&長y) ウオ含意の定義
2 9ウ(オ) ~[象a∨~∃y(鼻ya&長y)]&
[象a∨~∃y(鼻ya&長y)] イエ&I
2 9 (カ) ~[~象a→~∃y(鼻ya&長y)] ウオRAA
2 (キ) 象a→∃y(鼻ya&長y)→ ~[~象a→~∃y(鼻ya&長y)] 9カCP
2 (ク) ~[象a→∃y(鼻ya&長y)]∨~[~象a→~∃y(鼻ya&長y)] キ含意の定義
2 (ケ) ~{象a→∃y(鼻ya&長y) & ~象a→~∃y(鼻ya&長y)} ク、ド・モルガンの法則
2 (コ)∃x~{象x→∃y(鼻yx&長y) & ~象x→~∃y(鼻yx&長y)} ケEI
1 (サ)∃x~{象x→∃y(鼻yx&長y) & ~象x→~∃y(鼻yx&長y)} 12コEE
従って、
(19)により、
(20)
② ∃x~{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
③ ∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→~象x& ∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(18)(19)(20)により、
(21)
「量化子の関係」により、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
② ∃x~{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
③ ∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→~象x& ∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
① の「否定」は、② であり、
② の「否定」は、① であり、
②=③ である。
従って、
(21)により、
(22)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
③ ∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→~象x& ∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
① の「否定」は、③ であり、
③ の「否定」は、① である。
従って、
(23)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
③ ∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→~象x& ∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
① の「否定」は、③ に「等しく」、
③ の「否定」は、① に「等しい」。
従って、
(23)により、
(24)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
③ ~∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→~象x& ∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であるが、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、yが長い、といふことはない。
③ xが象であって、あるyがxの鼻であって、長いならば、xが象でなくて、あるyがxの鼻であって、長い。といふ、そのやうなxは存在しない。
に於いて、
①=③ である。
然るに、
(25)
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であるが、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、yが長い、といふことはない。
③ xが象であって、あるyがxの鼻であって、長いならば、xが象でなくて、あるyがxの鼻であって、長い。といふ、そのやうなxは存在しない。
といふことは、
① 象は鼻は長く、象以外は、鼻は長くない。
③ 象は鼻は長く、兎の鼻は、長くない。
といふ、ことである。
従って、
(16)(25)により、
(26)
① 象が鼻は長い。⇔
① 象は、鼻は長く、象以外は、鼻は長くない。
といふ「日本語」は、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
③ ~∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→~象x& ∃y(鼻yx&長y)}。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(27)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)} A
2 (2)∀x(兎x→~象x) A
1 (3) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya&長y) 1UE
2 (4) 兎a→~象a 2UE
1 (5) ~象a→~∃y(鼻ya&長y) 4&E
6(6) 兎a A
26(7) ~象a 46MPP
126(8) ~∃y(鼻ya&長y) 57MPP
126(9) ∀y~(鼻ya&長y) 8量化子の関係
126(ア) ~(鼻ba&長b) 9UE
126(イ) ~鼻ba∨~長b ア、ド・モルガンの法則
126(ウ) 鼻ba→~長b イ含意の定義
126(エ) ∀y(鼻ya→~長y) ウUI
12 (オ) 兎a→∀y(鼻ya→~長y) 6エCP
12 (カ)∀x{兎x→∀y(鼻yx→~長y)} オUI
従って、
(27)により、
(28)
(1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
(2)∀x(兎x→~象x)。
(カ)∀x{兎x→∀y(鼻yx→~長y)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)象は、鼻は長く、象以外は、鼻は長くない。 然るに、
(2)兎は象ではない。 従って、
(カ)兎は、鼻は長くない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
(29)
伝統的論理学を速水滉『論理学』(16)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九刷一万部中の一冊で、なお引続き刊行だろうから、前後かなり多く読者を持つ論理学書と考えられる。新興の記号論理学の方は、沢田充茂の『現代論理学入門』(62)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(30)
三上章先は、「象は鼻が長い」や、「象が鼻は長い」や、「鼻は象が長い」や、「象も鼻は長い。」といった「日本語」を、自分自身で、「現代論理学の言葉(述語論理)」に訳されてゐるわけではない。
(31)
三上章先生は、「三上章、日本語の論理、1963年」の中で、「英語」と「日本語」を比較されることはあっても、「現代論理学の言葉(述語論理)」と比較して、「日本語」を、論じてゐるわけではない。