日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(226)「不好犯上而好作乱者」の「述語論理」。

2019-05-18 10:34:24 | 漢文・述語論理

―「昨日の記事(226)」を書き直します。―
(01)
① 不好犯上而好作乱者、未之有也=
① 不[好〔犯(上)〕]而好〔作(乱)〕者、未(之有)也⇒
① [〔(上)犯〕好]不而〔(乱)作〕好者、未(之)有也=
① [〔(上)を犯すことを〕好ま]ずして〔(乱を)作すこと〕好む者は、未だ(之れ有ら)ざるなり=
① 目上の人に逆らいたがらないのに、乱を起こしたがる者は、絶対にいない(三省堂、明解古典学習シリーズ16、論語 孟子、1973年、3頁)。
然るに、
(01)により、
(02)
① 不好犯上而好作乱者、未之有也。
に於いて、
① 之=不好犯上而好作乱者
然るに、
(03)
否定文で、目的語が代名詞である時は、「否定詞+O+V」となり、肯定文の(V+O)とは異なる(三省堂、明解古典学習シリーズ16、論語 孟子、1973年、4頁)。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 未有不好犯上而好作乱者。
に於ける、
① 不好犯上而好作乱者
といふ「文」が、
① 未有 の上に、「倒置(強調)」された「形」が、
① 不好犯上而好作乱者、未之有也。
である。といふことになる。
然るに、
(05)
(α)
1 (1)~∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} A 
1 (2)∃x~∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} 1量化子の関係
1 (3)∃x∀y~{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} 1量化子の関係
 4(4)  ∀y~{上ay→(~好犯ya&好乱ya)} A
 4(5)    ~{上ab→(~好犯ba&好乱ba)} 4UE
 4(6)   ~{~上ab∨(~好犯ba&好乱ba)} 5含意の定義
 4(7)   ~~上ab&~(~好犯ba&好乱ba)  6ド・モルガンの法則
 4(8)   ~~上ab                7&E
 4(9)     上ab                8DN
 4(ア)         ~(~好犯ba&好乱ba)  7&E
 4(イ)         ~~好犯ba∨~好乱ba   ア、ド・モルガンの法則
 4(ウ)          ~好犯ba→~好乱ba   イ含意の定義
 4(エ)     上ab&(~好犯ba→~好乱ba)  9ウ&I
 4(オ)  ∀y{上ay&(~好犯ya→~好乱ya)} エUI
 4(カ)∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)} オEI
1 (キ)∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)} 14EE
(β)
1   (1)∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)} A
 2  (2)  ∀y{上ay&(~好犯ya→~好乱ya)} A
 2  (3)     上ab&(~好犯ba→~好乱ba)} 2UE
 2  (4)     上ab                3&E
 2  (5)          ~好犯ba→~好乱ba   3&E
  6 (6) ∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} A
  6 (7)   ∃y{上ay→(~好犯ya&好乱ya)} 6UE
   8(8)      上ab→(~好犯ba&好乱ba)  A
 2 8(9)           ~好犯ba&好乱ba   48MPP
 2 8(ア)           ~好犯ba        9&E
 2 8(イ)                 好乱ba   9&E
 2 8(ウ)                ~好乱ba   5イMPP
 2 8(エ)           好乱ba&~好乱ba   イウ&I
 26 (オ)           好乱ba&~好乱ba   78EE
 2  (カ)~∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} 6オRAA
1   (キ)~∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} 12カEE
 ―「別解」―
(α)
1 (1)~∀x{上x→ ∃y(~好犯yx&好乱yx)}  A 
1 (2)∃x~{上x→ ∃y(~好犯yx&好乱yx)}  1量化子の関係
 3(3)  ~{上a→ ∃y(~好犯ya&好乱ya)}  A
 3(4)  ~{~上a∨∃y(~好犯ya&好乱ya)}  3含意の定義
 3(5)  ~~上a&~∃y(~好犯ya&好乱ya)   4ド・モルガンの法則
 3(6)       ~∃y(~好犯ya&好乱ya)   5&E
 3(7)       ∀y~(~好犯ya&好乱ya)   6量化子の関係
 3(8)         ~~好犯ba∨~好乱ba    7UE
 3(9)          ~好犯ba→~好乱ba    8含意の定義
 3(ア)       ∀y(~好犯ya→~好乱ya)   9UI
 3(イ)  ~~上a                   5&E
 3(ウ)    上a                   イDN
 3(エ)    上a&∀y(~好犯ya→~好乱ya)   アウ&I
 3(オ) ∃x{上x&∀y(~好犯yx→~好乱yx)}  エEI
1 (カ) ∃x{上x&∀y(~好犯yx→~好乱yx)}  23オEE
(β)
1   (1) ∃x{上x&∀y(~好犯yx→~好乱yx)} A
 2  (2)    上a&∀y(~好犯ya→~好乱ya)  A
 2  (3)       ∀y(~好犯ya→~好乱ya)  2&E
 2  (4)          ~好犯ba→~好乱ba   3UE
  5 (5) ∀x{上x→∃y(~好犯yx& 好乱yx)} A
  5 (6)    上a→∃y(~好犯ya& 好乱ya)  5UE
 2  (7)    上a                  2&E
 25 (8)       ∃y(~好犯ya& 好乱ya)  67CP
   9(9)          ~好犯ba& 好乱ba   A
   9(ア)          ~好犯ba         9&E
 2 9(イ)                ~好乱ba   4アMPP
   9(ウ)                 好乱ba   9&E
 2 9(エ)           ~好乱ba&好乱ba   イウ&I
 25 (オ)           ~好乱ba&好乱ba   89エEE
 2  (カ)~∀x{上x→∃y(~好犯yx& 好乱yx)} 5オRAA
1   (キ)~∀x{上x→∃y(~好犯yx& 好乱yx)} 12カEE
従って、
(05)により、
(06)
(α)~∀x∃y{上xy→(~好犯yx& 好乱yx)}
(β) ∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)}
に於いて、
(α)=(β)である。
従って、
(06)
(α)~∀x∃y{上xy→(~好犯yx& 好乱yx)}
(β) ∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)}
に於いて、すなはち、
(α)すべてのxと、あるyについて、xがyの目上であるならば、yがxに逆らふことを好まずして、yがxに乱を起こすことを好む。といふことはない。
(β)あるxと、すべてのyについて、xがyの目上であって、yがxに逆らふことを好まない、のであれば、yはxに乱を起こすことを好まない。
に於いて、
(α)=(β)である。
従って、
(01)(06)により、
(07)
① 不好犯上而好作乱者、未之有也=
① 不[好〔犯(上)〕]而好〔作(乱)〕者、未(之有)也⇒
① [〔(上)犯〕好]不而〔(乱)作〕好者、未(之)有也=
① [〔(上)を犯すことを〕好ま]ずして〔(乱を)作すこと〕好む者は、未だ(之れ有ら)ざるなり=
① 目上の人に逆らいたがらないのに、乱を起こしたがる者は、絶対にいない(三省堂、明解古典学習シリーズ16、論語 孟子、1973年、3頁)。
といふ「漢文(論語、学而、二)」は、
② ~∀x∃y{上xy→(~好犯yx& 好乱yx)}
③   ∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)}
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(07)により、
(08)
① 不好犯上而好作乱者、未之有也。
② ~∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)}。
③ 目上の人に逆らいたがらないのに、乱を起こしたがる者は、絶対にいない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(09)
述語論理は人工知能が対象とする問題を記述する上で強力な表現手段を提供しています。記号論理は人工知能の分野における「言語」としての役割も果しています(村上・泉田研究室 AI (人工知能) - 画像処理・理解研究室)。
との、ことである。
然るに、
(10)
現在、世界の言語の百科事典といわれているEthnologueによると、世界中では現在7,099の言語が話されています。膨大な数の言語数ですが、驚くことに世界には70億人もの人口がいるのに、半分以上の人々はたった23の言語しか話していません。「7,000もの言語があるのに」です(世界を言語の数から読み解くおもしろさ | tree)。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
例へば、「目上の人に逆らいたがらないのに、乱を起こしたがる者は、絶対にいない(論語、学而、二)。」といふ「命題」を表現できる、「世界中の言語」の中で、「最もユニーク」なのは、「述語論理(コンピューターの言葉)」である。
といふ、ことなる。
然るに、
(12)
自然言語の外国人むけの教科書は、まず「こんにちは!」「ありがとう」のような簡単な言葉(ネイティブスピーカーの子供でもわかる言葉)から入る。いっぽう、漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、8頁)。
とのことであり、もちろん、「述語論理」の場合も、「会話」をすることは、出来ない。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① 不好犯上而好作乱者、未之有也。
② ~∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)}。
③ 目上の人に逆らいたがらないのに、乱を起こしたがる者は、絶対にいない(等の、世界中の、7,099の言葉)。
の中で、「最も、ユニークなの」は、一番が「述語論理」であって、二番が「漢文」である。といふ、ことになる。

(225)「白話文訓読」に於ける「返り点モドキ」について。

2019-05-17 09:59:14 | 返り点、括弧。
(01)
① 〈 { [ 〔 (
〈 { [ 〔 (あa) 〕 ] } 〉
に於いて、
① を「括弧」とし、
② を「括弧」とする。
従って、
(02)
「括弧」は、「括弧と、括弧の、ペア」である。
然るに、
(03)
① ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) ) )
② ( ( ( ) )( ( ( ( ) ) ) )
に於いて、「よく見れば分かる()」やうに、
① の場合は、「右括弧」が、「一つ余分」で、
② の場合は、「左括弧」が、「一つ余分」である。
すなはち、
(04)
① 〈 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ]
② 〈 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] 〉
に於いて、
① の場合は、「 }」が、「一つ余分」で、
② の場合は、「{ 」が、「一つ余分」である。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) ) )
② ( ( ( ) )( ( ( ( ) ) ) )
は、両方とも、「括弧」ではなく、「括弧モドキ」である。
然るに、
(06)
④ 読漢文=
④ 読(漢文)⇒
④ (漢文)読=
④ (漢文を)読む。
である。
然るに、
(07)
③ 漢読文=
③ 漢(読{文)}。
に於いて、
③ 漢( )⇒( )漢
③ 読{ }⇒{ }読
といふ「移動」を行ふと、
③ 文読漢=
③ 文(読{漢)}⇒
③ ({漢)文}読=
③ ({漢)文}読=
③ ({漢)文を}読む。
である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
④ 読(漢文)  = (漢 文を)読む。
③ 文(読{漢)}=({漢)文を}読む。
である。
然るに、
(09)
④ 読漢文=漢文を読む。
といふ「漢文訓読」に対して、
=漢文を読む。
といふ「漢文と、訓読」は、有り得ないし、
(10)
④ ( )
といふ「括弧」に対して、
③ (  )
といふ「括弧」も、有り得ない
従って、
(05)(10)により、
(11)
① ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) ) )
② ( ( ( ) )( ( ( ( ) ) ) )
③ ( { ) }
は、三つとも、「括弧」ではなく、「括弧モドキ」である。
然るに、
(12)
それでも尚、
③ 文読漢。
といふ「それ」に対して、
③「返りて」を付けようとするならば、
③ 文
といふ具合に、
③ 二  一
といふ「それ」を、付けざるを得ない。
然るに、
(13)
「返り点」は、
「縦書き」ならば、「からへ、返るための点」であって、
「横書き」ならば、「からへ、返るための点」であるため、
③ 二 二
  ↑ ↓
  ↑ 
あa
のやうな「それ」は、「返り点」ではなく、「返り点モドキ」である。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
③ (  )
③ 二  一
の場合は、
③「 括弧 モドキ」であって、
③「返り点モドキ」である。
従って、
(14)により、
(15)
③ 2<3>1
のやうな「順番」に対しては、「括弧モドキ・返り点モドキ」しか、付けることが、出来ない。
従って、
(15)により、
(16)
③   2<3>1
④ 4 2<3>1
⑤ 2<5<3>1 4
のやうな「順番」に対しては、「括弧・返り点」ではなく、「括弧モドキ・返り点モドキ」しか、付けることが、出来ない。
然るに、
(17)
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
(ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
に於いて、
(ⅳ)は、
(ⅳ)以外に、「置き換へ」ることが、出来るし、
(ⅳ)の中には、(ⅲ)が入り、
(ⅲ)の中には、(ⅱ)が入り、
(ⅱ)の中には、(ⅰ)が入る。
然るに、
(18)
例へば、
⑥ 地 乙 二 一 下 二 一 中 上 甲 天。
であれば、
⑥ B 9 2 1 7 4 3 6 5 8 A。
である。
cf.
A(16進法)=10(10進法)
B(16進法)=11(10進法)
然るに、
(19)
⑥ B{9[2(1)7〔4(3)6(5)〕8]A}。
に於いて、
⑥ B{ }⇒{ }B
⑥ 9[ ]⇒[ ]9
⑥ 2( )⇒( )2
⑥ 7〔 〕⇒〔 〕7
⑥ 4( )⇒( )④
といふ「移動」を行ふと、
⑥{[(1)2〔(3)4(5)6〕78]9A}B=
⑥ 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B。
である。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
(ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ「返り点」で表すことが出来る「漢文訓読の語順」は、「括弧」で表すことが、出来る。
然るに、
(21)
例へば、「新釈漢文大系 全120巻(別巻1) - 明治書院」には、
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
(ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
からなる、「返り点」が付いてゐる。
従って、
(16)(20)(21)により、
(22)
「新釈漢文大系 全120巻(別巻1) - 明治書院」対しては、「返り点・括弧」を付けることが、出来るものの、
④ 4 2<3>1
⑤ 2<5<3>1 4
である所の、
④ 下 二<上>一
⑤ ニ<五<三>一 四
といふ「順番」に対しては、「返り点・括弧」を付けることが、出来ない。
従って、
(22)により、
(23)
例へば、
④ 只管要纏擾我。
⑤ 端看不出這婆子的本事来。
⑤ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ「白話文(中国語)」が、
④ 4 2<3>1
⑤ 2<5<3>1 4
といふ「順番」で、「訓読」されるのであれば、これらに対しては、「返り点・括弧」を付けることが、出来ない。
従って、
(22)(23)により、
(24)
④ 只管要纏擾我。
⑤ 端看不出這婆子的本事来。
⑤ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
の場合は、「新釈漢文大系 全120巻(別巻1) - 明治書院」にあるやうな「漢文」とは、「全くの別もの」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(25)


従って、
(22)(25)により、
(26)
「漢文」に対して、「括弧・返り点」を付けて、「訓読」することと、
「白話」に対して、「括弧モドキ・返り点モドキ」を付けて、「無理やりに、訓読」することは、「同じこと」ではないし、因みに、
訓読法の限界は、白話文、つまり口語の文章には適用できないことだといわれます。つまり、文語(文言)の文章だけしか訓読法で読むことができないのです。中国語の文語文(つまり漢文)は、漢字の表意文字たる性質を十二分に生かして、簡潔な表現になっておりますから、訓読に非常に適しています。これに対し、白話(口語)の文章は、熟語や助字が多く、冗長です。そのため訓読には不向きなのです。
との、ことである。
然るに、
(27)
もともと「訓読」に適さない「言語」にまで、「返り点モドキ」を用ひて、「無理やり、訓読」しようとする方が、マチガイなのであって、それ故、「白話」を「訓読」できないからと言って、そのことを以て、「訓読法には限界がある」と、すべきではない。

(224)「括弧」の方が「返り点」よりも「簡単」で「優れてゐる」。

2019-05-16 22:17:14 | 返り点、括弧。

(01)
① ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
といふ「述語論理」を、
① すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己(自分)であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないならば、yは患ふ。
といふ「語順」で「読む」といふことを、
① ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
といふ「述語論理」を、「からへ」は、読んではゐない
といふことに、他ならない、
然るに、
(02)
白話文(中国語)」のあるものには、「返り点」を付けることは、出来ないものの、
① ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
といふ「述語論理」を、
① すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないならば、yは患ふ。
といふ「語順」で「読む」のであれば、
① レ、レ、レ 二 一、レ レ、レ 二 一、レ
といふ、「返り点」が、付くことになる。
然るに、
(03)
① ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
から、「括弧」を除き、
① ∀x人x→∃y己y&~知xy&~患y&~知yx→患y
とした上で、
① ∀x人(x)→∃y己(y)&~〔知(xy)〕&~〔患(y)〕&~〔知(yx)〕→患(y)
とするならば、
① すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないならば、yは患ふ。
といふ、「語順」で読むことが、出来る。
然るに、
(04)
そこで述語論理では「人間」と「動物」のAのような関係を表わすのに、
 動物(人間)
と表示する。そしてこれを記号化して、
 F(a) または( )を省略して、Fa
というように書く(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、116頁)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
 人x=人(x)=人間(x)
といふ「3つ」は、「述語論理学」として、「三つ」とも、「正しい」。
然るに、
(06)
「~」=「¬」 であるため、
「~」=「不」 でも、構はない。
従って、
(06)により、
(07)
① ~〔知(yx)〕 は、
② 不〔知(yx)〕  であっても、構はない。
然るに、
(08)
② 不〔知(yx)〕 を、
② 不〔知(我彼)〕 に換へた上で、更に、
③ 我不〔知(彼)〕 とすならば、そのまま、「漢文」になる。
然るに、
(09)
③ 我不〔知(彼)〕。
に於いて、
③ 不〔 〕⇒〔 〕不
③ 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
③ 我不〔知(彼)〕⇒
③ 我〔(彼)知〕不=
③ 我〔(彼を)知ら〕ず=
③ 私は、彼を知らない。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(10)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
③ 我不知彼=
③ 我不〔知(彼)〕⇒
③ 我〔(彼)知〕不=
③ 我〔(彼を)知ら〕ず。
といふ「漢文訓読」に於ける。
③ 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、ただ単に、「訓読語順」を表してゐるのではなく、
③ 我不知彼。
といふ「漢文の、補足構造」を、表してゐる。
従って、
(11)により、
(12)
④ 我不知彼等=
④ 我不〔知(彼等)〕⇒
④ 我〔(彼等)知〕不=
④ 我〔(彼等を)知ら〕ず。
といふ「漢文訓読」に於ける。
④ 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、ただ単に、「訓読の語順」を表してゐるのではなく、
④ 我不知彼等。
といふ「漢文の、補足構造」を、表してゐる。
然るに、
(13)
③ 我不〔知(彼)〕。
④ 我不〔知(彼等)〕。
に於いて、「返り点」は、
③ レ レ
③ レ 二 一
である。
然るに、
(14)
【彼】ヒ ① か。かれ。(イ)三人称の代名詞。あの人。あの人々
(大修館、デジタル漢和辞典、2019年)
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
③ 我不〔知(彼)〕。
④ 我不〔知(彼等)〕。
に於いて、「補足構造」だけでなく、「意味」も「同じ」である場合であっても、
③ レ レ
③ レ 二 一
といふ「返り点」は、「同じ」ではない
従って、
(11)~(15)により、
(16)
③ 我不〔知(彼)〕。
④ 我不〔知(彼等)〕。
に於ける、
③ 〔 ( ) 〕
④ 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、「補足構造」を表してゐる一方で、
③ 我不彼。
④ 我不彼等
 に於ける、
③ レ レ
③ レ 二 一
といふ「返り点」は、「補足構造」を、「不十分」にしか、表してゐない
然るに、
(17)
しかし、これは簡単に解決できる。すべて一二点に変換すればいいのである。一二点は無限にあるから、どんなに複雑な構文が出現しても対応できる。実際、一二点しか施していないものも過去にはあった。
といふ風に、述べる人(漢文の、女性の先生?)がゐる。
然るに、
(18)
一二点しか施していないものも過去にはあった。
といふことは、本当かだうか、分からないものの、「一二点」だけでは、「読みにくい」。
(19)
例へば、
⑤ 十 八 二 一 七 五 四 三 六 九
⑥ 十 八 二 一 九 五 四 三 七 六
に於いて、
⑤ の「順番」は、「漢文訓読」の「語順」であっても、
⑥ の「順番」は、「漢文訓読」の「語順」では、有り得ない
(20)
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
に於いて、
(ⅳ)の中に、(ⅲ)が入り、
(ⅲ)の中に、(ⅱ)が入り、
(ⅱ)の中に、(ⅰ)が入る。
然るに、
(21)
⑤ 十 八 二 一 七 五 四 三 六 九
⑥ 十 八 二 一 九 五 四 三 七 六
は、それぞれ、
⑤ 乙 下 二 一 中 三 二 一 上 甲
⑥ 乙 下 二 一 甲 三 二 一 中 上
であるものの、
⑤ 乙 下     中       上 甲
に対して、
⑥ 乙 下     甲       中 上
の場合は、
(ⅲ)の中に、()が入ると、同時に
)の中に、(ⅲ)が入ってゐる。
従って、
(21)により、
(22)
⑤ 乙  二 一  三 二 一  甲
  二 一  三 二 一  上
を見れば、
⑥ が、ヲカシイことは、「一目瞭然」であるものの、
⑤ 十 八 二 一 七 五 四 三 六 九
⑥ 十 八 二 一 九 五 四 三 七 六
を見ても、
⑥ が、ヲカシイことは、「一目瞭然」ではない
然るに、
(23)
ヲカシナの順番」と「さうでない順番」を、「直ぐに見分ける」ことが出来る
といふことは、
⑤ 十 八 二 一 七 五 四 三 六 九
⑥ 十 八 二 一 九 五 四 三 七 六
よりも、
⑤ 乙 下 二 一 中 三 二 一 上 甲
⑥ 乙 下 二 一 甲 三 二 一 中 上
の方が、「読み易い」といふことに、他ならない
然るに、
(24)
ここでは、「説明」は、控へるものの、
⑤ 乙〈下{二(一)中[三〔二(一)〕上]}甲〉
⑥ 乙{下[二(一)甲}三〔二(一)〕中(上)]
に於いて、
⑤ は、「返り点」と「括弧」であるものの、
⑥ は、「返り点」ではないし、「括弧」でもない
然るに、
(25)
通常の包含関係に従って甲乙点を打った後、その外側で四つの返り点が必要になったら、どうするのでしょうか。天地人点(の三つ)では足りません。その場合も、やはり、次のやうに、甲乙点と天地人点の順序逆転させるしかないのです。そのような例を一つ示しましょう。根気のよい方は、訓読に従って字を逐ってみてください。あまりの複雑さゆえに嫌気のさす方は、読み飛ばしても結構です
何ぞ人をして韓の公叔に謂ひて秦の敢へて周を絶つて韓を伐たんとするは、東周を信ずればなり、公何ぞ周に地を与へ、質使を発して楚に之かしめざる、秦必ず楚を疑ひ、周を信ぜざらん、是れ韓伐たれざらん曰ひ、又秦に謂ひて韓彊ひて周に地を与ふるは、将に以て周を秦に疑はしめんとするなり、周敢へて受けずんばあらず曰は令めざる
何不人謂韓公叔秦之敢絶周而伐韓者、信東周也、公何不周地質使上レ楚、秦必疑楚、不周、是韓不伐也、又謂秦曰、韓彊与周地、将以疑周於秦也、周不敢不受。
(これならわかる返り点、古田島洋介、九一頁改)
然るに、
(26)
何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)、秦必疑(楚)、不〔信(周)〕、是韓不(伐)也、又謂(秦)曰、[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也、周不〔敢不(受)〕
〈{人(韓公叔)謂秦之敢(周)絶而(韓)伐者、(東周)信也、公何〔(周地)与(質使)発(楚)之〕不、秦必(楚)疑、〔(周)信〕不、是韓(伐)不也曰、又(秦)謂、韓彊(周地)与、将〔以(周於秦)疑〕也、周〔敢(受)不〕不曰}令〉
何ぞ〈{人をして(韓の公叔に)謂ひて秦之敢へて(周を)絶つ而(韓を)伐んとする者、(東周を)信ずれば也、公何ぞ〔(周に地を)与へ(質使を)発して(楚に)之かしめ〕不る、秦必ず(楚を)疑ひ、〔(周を)信ぜ〕不らん、是れ韓(伐たれ)不らん也と曰ひ、又(秦に)謂ひて、韓彊ひて(周に地を)与ふるは、将に〔以て(周を於秦に)疑はしめんとする〕也、周〔敢へて(受け)不んば〕不ずと曰は}令め 不る
従って、
(25)(26)により、
(27)
何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
のやうに、「極端に長い、ワンセンテンスの漢文」であっても、
〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ、「五組の、括弧」があれば、「十分」である。
然るに、
(28)
「括弧」が、
(ⅰ)〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
だけであるのに対して、
「返り点」は、
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
(ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ風に、「種類」だけで、「五種類」もあるし、
(ⅴ) は、
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
の、それぞれの「」にも、「」にも、「現れる」。
加へて、
(29)
 漢文の返り点は大体の標準があったが、細かいところには違いがあった。
例えば、
(A) 欲捨 之
(B) 欲 捨 之
(C) 我将 彼而不一レ 吾力 焉。
(D) 我将 彼而不上レ 吾力 焉。
 これをどちらにするか協議したが、私が明治四十五年三月二十九日の
官報に掲載された「漢文の句読・返点・添仮名・読方法」に従って、(A)に
従うのがよいとし、(C)(D)はそれに記載がないが、「上・下」「上・中・下」
は「一・二・三」などをまたいで読むときに用いるものであるから(C)を用いるのがよいと決めた。
(原田種成、漢文のすすめ、一九九二年、一一二頁改)
然るに、
(30)
「括弧」の場合は、
(A)欲取‐捨之
(B)我将任彼而不用吾力焉。
であれば、固より、
(A)欲〔取‐捨(之)〕。
(B)我将[任(彼)而不〔用(吾力)〕]焉。
といふ風に、それぞれが、「一通り」しかない。
加へて、
(31)
(D)我将 彼而不上レ 吾力 焉。
(E)我将 彼等 而不上レ 吾力 焉。
(F)知小節 而恥 功名不上レ 于天下 也。
(G)使 學者皍 凡天下之物、莫上レ 其已知之理、益々極 之、以求上レ 乎其極
のやうな「返り点」は、すなはち、
(D)下 レ 上レ 二 一
(E)下 二 一 上レ 二 一
(F)下 レ 二 一 中 上レ 二 一
(G)下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
のやうな「返り点」は、「読み易い」とは、言へない。
加へて、
(32)
「ユニコード(Unicode)」にも、「一レ、上レ、甲レ、天レ」他が無い。
加へて、
(33)
「括弧」は、「横書き」だけなく、「縦書き」でも、「同じやうに、見やすい」。
従って、
(01)~(33)により、
(34)
「括弧」の方が「返り点」よりも「簡単」で「優れてゐる」。
(35)
「括弧の、唯一の弱点」は、「テストには、出ないため、漢文をいやいや学んでゐる生徒にとっては、それに習熟しようとする、インセンティブが、働かない」ことである。

(223)「不患人之不己知」の「述語論理」。

2019-05-16 16:40:30 | 漢文・述語論理

(01)
① 不患人之不己知、患不知人也=
① 不[患〔人之不(己知)〕]、患[不〔知(人)〕]也⇒
① [〔人之(己知)不〕患]不、[〔(人)知〕不]患也=
① [〔人の(己を知ら)ざる〕患へ]ず、[〔(人を)知ら〕ざるを]患ふるなり=
① 人が自分を知ってくれないことは心配せず、人を知らないことを心配する(三省堂、明解古典学習シリーズ16、論語 孟子、1973年、14頁)。
然るに、
(02)
(a)
1    (1)∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}      A
1    (2)   人a→∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       1UE
 3   (3)   人a                                   A
13   (4)      ∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       23MPP
  5  (5)          己b&~知ab&~患b & ~知ba→患b         A
  5  (6)          己b&~知ab&~患b                   5&E
  5  (7)                        ~知ba→患b         5&E
   8 (8)                 ∃y(己y&~知ya&~患y)        A
    9(9)                    己b&~知ba&~患b         A
    9(ア)                       ~知ba             9&E
    9(イ)                            ~患b         9&E 
  5 9(ウ)                             患b         7アMPP
  5 9(エ)                         ~患b&患b         イウ&I
  58 (オ)                         ~患b&患b         89エEE
  5  (カ)                ~∃y(己y&~知ya&~患y)        8オRAA
  5  (キ)      ∃y(己y&~知xy&~患y)                   6EI
  5  (ク)      ∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  カキ&I
13   (ケ)      ∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  45クEE
1    (コ)   人a→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  3ケCP
1    (サ)∀x{人a→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)} コUI
(b)   
1  (1)∀x{人x→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知yx&~患y)} A
1  (2)   人a→∃y(己y&~知ay&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  1UE
 2 (3)   人a                                   A
12 (4)      ∃y(己y&~知ay&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  23MPP
12 (5)                      ~∃y(己y&~知ya&~患y)  4&E
12 (6)                      ∀y~(己y&~知ya&~患y)  5量化子の関係
12 (7)                        ~(己b&~知ba&~患b)  6UE
12 (8)                       ~己b∨~~知ba∨~~患b   7ド・モルガンの法則
12 (9)                      ~己b∨(~~知ba∨~~患b)  8結合法則
12 (ア)                       己b→(~~知ba∨~~患b)  9含意の定義
12 (イ)                       己b→( ~知ba→~~患b)  ア含意の定義
12 (ウ)                       己b→( ~知ba→  患b)  イDN
12 (エ)       ∃y(己y&~知ay&~患y)                  4&E
  オ(オ)          己b&~知ab&~患b                   A
  エ(カ)          己b                            オ&E
12エ(キ)                            ~知ba→  患b   ウカMPP
12エ(ク)         (己b&~知ab&~患b)&(~知ba→患b)        オキ&I
12エ(ケ)      ∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       クEI
12 (コ)      ∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       エオケEE
1  (サ)   人a→∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       1コCP
1  (シ)∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}      サUI
従って、
(02)により、
(03)
② ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
③ ∀x{人x→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知yx&~患y)}
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(04)
② ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
③ ∀x{人x→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知yx&~患y)}
は、それぞれ、
② すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己(自分)であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないないならば、yは患ふ。
③ すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己(自分)であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、あるyは己(自分)であって、yがxを知らなくとも、yは患へない。といふことはない。
といふ、「意味」である。
然るに、
(05)
② xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないならば、yは患ふ。
に於いて、
② x=人
② y=自分
といふ「代入(置換)」を行ふと、
② 人が自分を知らなくとも、自分は患へず、自分が人を知らないならば、自分は患ふ。
となって、このことを、「敷衍」をすると、
② 人が、自分を知ってくれないことは心配せず、自分が、人を知らないことを心配する。
といふ、「意味」になる。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 不患人之不己知、患不知人也=
① 不[患〔人之不(己知)〕]、患[不〔知(人)〕]也⇒
① [〔人之(己知)不〕患]不、[〔(人)知〕不]患也=
① [〔人の(己を知ら)ざる〕患へ]ず、[〔(人を)知ら〕ざるを]患ふるなり=
① 人が自分を知ってくれないこは心配せず、人を知らないことを心配する。
といふ「漢文・訓読」は、
② ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
③ ∀x{人x→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知yx&~患y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(07)
否定文で、目的語代名詞の場合、VとOの語順が逆になって、「否定+O+V」となる。
(三省堂、明解古典学習シリーズ16、論語 孟子、1973年、14頁)
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 不知=否定++V。
であって、
① 不知=否定+V+
ではない。
従って、
(08)により、
(09)
① 不知 =否定++V。
であるため、
① 不知者=否定++V+者。
であるはずである。
従って、
(09)により、
(10)
① 不知者=否定++V+者。
であるならば、
① 不如者=否定++V+者。
である、はずであるが、何故か、「論語、学而、八」では、
① 不如者=否定++V+者。
ではなく、
② 不如者=否定+V++者。
といふ風に、なってゐる。

(222)「人不知而不愠」の「述語論理」。

2019-05-15 15:25:16 | 漢文・述語論理

(01)
① 人不知而不愠不亦君子乎=
① 人不(知)而不(愠)不(亦君子)乎⇒
① 人(知)不而(愠)不(亦君子)不乎=
① 人(知ら)ずして(愠み)ず(亦君子なら)ずや。
に於いて、
① 不亦君子乎=亦君子ならざるや。
といふ「漢文訓読」は、「反語」である。
然るに、
(02)
反語
とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、日本語でも、「そんなこと誰が知ろうか」と言う場合、「誰が知っているか」とたずねているのではなく、逆に「誰も知ってはいない」ということを言っているのである。けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、45頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 不亦君子乎=亦君子ならざるや。
といふ「漢文訓読」は、「反語」であるため、「二重否定」による、「肯定」である。
従って、
(01)(03)により、
(04)
① 人不知而不愠不亦君子乎。
といふ「漢文」は、
① 人が自分の価値を認めてくれなくとも、気にかけないような人は、なんとりっぱな人ではないか(三省堂、明解古典学習シリーズ16、論語 孟子、1973年、2頁)。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(05)
(α)
1    (1)∀x{人x→∃y[(私y&~知xy&~愠yx)→~~君子y]} A
1    (2)   人a→∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  1UE
 3   (3)   人a                           A
13   (4)      ∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  23MPP
  5  (5)         (私b&~知ab&~愠ba)→~~君子b   A
  5  (6)         (私b&~知ab&~愠ba)→  君子b   5DN
    7(7)   私b&~君子b                      A
    7(8)   私b                           7&E
    7(9)      ~君子b                      7&E
  5 7(ア)        ~(私b&~知ab&~愠ba)         69MTT
  5 7(イ)       ~私b∨~~知ab∨~~愠ba          ア、ド・モルガンの法則
  5 7(ウ)       ~私b∨  知ab∨  愠ba          イDN
  5 7(エ)       ~私b∨ (  知ab∨愠ba)         ウ結合法則
  5 7(オ)        私b→ (  知ab∨愠ba)         エ含意の定義
  5 7(カ)        私b→ (~~知ab∨愠ba)         オDN
  5 7(キ)        私b→ ( ~知ab→愠ba)         カ含意の定義
  5 7(ク)            ( ~知ab→愠ba)         8キMPP
  5  (ケ)   (私b&~君子b)→(~知ab→愠ba)         7クCP
  5  (コ)∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]        ケEI
13   (サ)∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]        45コEE
1    (シ)   人a→∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]  3サCP
1    (ス)∀x{人x→∃y[(私y&~君子y)→(~知xy→愠yx)]} シUI
(β)
1     (1)∀x{人x→∃y[(私y&~君子y)→(~知xy→愠yx)]} A
1     (2)   人a→∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]  1UE
 3    (3)   人a                           A
13    (4)      ∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]  23MPP
  5   (5)         (私b&~君子b)→(~知ab→愠ba)   A
   6  (6)          私b                    A
    7 (7)             ~君子b               A
   67 (8)          私b&~君子b               67&I
  567 (9)                   (~知ab→愠ba)   58MPP
  5 7 (ア)          私b→(~知ab→愠ba)         69CP
  5 7 (イ)         私b→(~~知ab∨愠ba)         ア含意の定義
  5 7 (ウ)           私b→(知ab∨愠ba)         イDN
  5 7 (エ)          ~私b∨(知ab∨愠ba)         ウ含意の定義
  5 7 (オ)         (~私b∨ 知ab∨愠ba)         エ結合法則
  5   (カ)    ~君子b→(~私b∨ 知ab∨愠ba)         7オCP
     キ(キ)        ~(~私b∨ 知ab∨愠ba)         A
  5  キ(ク)   ~~君子b                        カキMTT
  5   (ケ)        ~(~私b∨ 知ab∨愠ba)→~~君子b   キクCP
  5   (コ)       (~~私b&~知ab&~愠ba)→~~君子b   ケ、ド・モルガンの法則
  5   (サ)         (私b&~知ab&~愠ba)→~~君子b   コDN
  5   (シ)      ∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  サEI
13    (ス)      ∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  45シEE
1     (セ)   人a→∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  3スCP
1     (ソ)∀x{人x→∃y[(私y&~知xy&~愠yx)→~~君子y]} セUI
従って、
(05)により、
(06)
(α)∀x{人x→∃y[(私y&~知xy&~愠yx)→~~君子y]}
(β)∀x{人x→∃y[(私y&~君子y)→(~知xy→愠yx)]}
に於いて、すなはち、
(α)すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは私であって、xはyを知らず、yはxを恨まないならば、yは君子ではない、ではない。
(β)すべてのxについて、xが人であるならば、あるyが私であって、yが君子でないならば、xがyを知らなければ、yはxを恨む。
に於いて、
(α)=(β)である。
従って、
(06)により、
(07)
(α)∀x{人x→∃y[(私y&~知xy&~愠yx)→~~君子y]}
(β)∀x{人x→∃y[(私y&~君子y)→(~知xy→愠yx)]}
といふ「述語論理」は、
(α)人(他者)が、私(自分)を知らなくとも(正当に評価しくとも)、人(他者)を恨まないのであれば、自分(私)は、「君子」である。
(β)人(他者)が、私(自分)を知らない(正当に評価しない)場合に、私(自分)が「君子」でないならば、自分(私)は、人(他者)を恨む。
といふ「意味」を、表すことが、出来る。
従って、
(03)(07)により、
(08)
① 人不知而不愠不亦君子乎=
① 人不(知)而不(愠)不(亦君子)乎⇒
① 人(知)不而(愠)不(亦君子)不乎=
① 人(知ら)ずして(愠み)ず(亦君子なら)ざるや=
① 自分を正当評価しない人に対しても、不満に思はない人は、何と、立派な人ではないか。
といふ「漢文・訓読」は、
② ∀x{人x→∃y[(私y&~知xy&~愠yx)→~~君子y]}
③ ∀x{人x→∃y[(私y&~君子y)→(~知xy→愠yx)]}
といふ「述語論理」に、相当する。

(220)「漢文」⇒「述語論理」。

2019-05-15 11:16:23 | 漢文・述語論理

― 平成31年03月29日以降の、「漢文⇒述語論理」を、「解説」をせずに、まとめて示します。―

(01)韓愈・師説(H31.3.29)
(ⅰ)
弟子不必不如師=
弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
弟子[必〔(師)如〕不]不=
弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず=
弟子は、必ずしも、師匠に及ばない。といふわけではない。
(ⅱ)
(α)
1  (1)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} A
1  (2)∃x~{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
1  (3)∃x~{~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)} 2含意の定義
 4 (4)  ~{~弟子a∨∃y(師ya&~如ay)} A
  5(5)  ~{~弟子a∨  (師ba&~如ab)} A
  5(6)   ~~弟子a& ~(師ba&~如ab)  5ド・モルガンの法則
  5(7)   ~~弟子a               6&E
  5(8)     弟子a               7DN
  5(9)          ~(師ba&~如ab)  6&E
  5(ア)          ~師ba∨~~如ab   9ド・モルガンの法則
  5(イ)           ~師ba∨ 如ab   アDN
  5(ウ)            師ba→ 如ab   イ含意の定義
  5(エ)         ∃y(師ya→ 如ay)  ウEI
 4 (オ)         ∃y(師ya→ 如ay)  45エEE
 4 (カ)     弟子a&∃y(師ya→ 如ay)  8オ&I
 4 (キ)  ∃x{弟子a&∃y(師ya→ 如ay)} カEI
1  (ク)  ∃x{弟子x&∃y(師yx→ 如xy)} 34EE
1  (〃)あるxは弟子であり、あるyがxの師であるならば、xはyに及んでゐる。
1  (〃)師に劣らない弟子が存在する。
(β)
1  (1)  ∃x{弟子x&∃y(師yx→  如xy)} A
 2 (2)     弟子a&∃y(師ya→  如ay)} A
 2 (3)     弟子a                2&E
 2 (4)         ∃y(師ya→  如ay)  2&E
  5(5)            師ba→  如ab   A
  5(6)           ~師ba∨  如ab   5含意の定義
 25(7)     弟子a& (~師ba∨  如ab)  36&I
 25(8)  ~~{弟子a& (~師ba∨  如ab)} 7DN
 25(9)  ~{~弟子a∨~(~師ba∨  如ab)} 8ド・モルガンの法則
 25(ア)   ~{~弟子a∨(~~師ba&~如ab)} 9ド・モルガンの法則
 25(イ)   ~{~弟子a∨(  師ba&~如ab)} アDN
 25(ウ)   ~{弟子a→(  師ba&~如ab)}  イ含意の定義
 25(エ)   ~{弟子a→(∃y師ya&~如ay)}  ウEI
 2 (オ)   ~{弟子a→(∃y師ya&~如ay)}  45エEE
 2 (カ) ∃x~{弟子x→(∃y師yx&~如xy)}  オEI
1  (キ) ∃x~{弟子x→(∃y師yx&~如xy)}  12カEE
1  (ク)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)}  キ量化子の関係
1  (〃)すべてのxについて、xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない。
1  (〃)弟子に及ばない師がゐる。

(ⅲ)
(α)~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)}
(β) ∃x{弟子x&∃y(師yx→ 如xy)}
に於いて、
(α)=(β) である。

(02)矛盾・韓非子(H31.4.10)
(ⅰ)
楚人有鬻盾与矛者。誉之曰、吾盾之堅、莫能陥也。又誉其矛曰、吾矛之利、於物無不陥也。或曰、以子之矛、陥子之盾、何如。其人弗能応也=
楚人有[鬻〔盾与(矛)〕者]。誉(之)曰、吾盾之堅、莫(能陥)也。又誉(其矛)曰、吾矛之利、於(物)無〔不(陥)〕也。或曰、以(子之矛)、陥(子之盾)、何如。其人弗〔能(応)〕也⇒
楚人に[〔盾と(矛)とを〕鬻く者]有り。(之を)誉めて曰く、吾が盾の堅きこと、(能く陥す)莫きなり。又た(其の矛を誉めて)曰く、吾矛の利なること、(物に)於いて〔(陥さ)不る〕無きなり。或ひと曰く、(子の矛を)以て、(子の盾を)陥さば、何如ん。其の人〔(応ふる)能は〕ざるなり=
楚の国の人で盾と矛とを売る者がゐた。自分の盾を誉めて言った。 私の盾を突き通すことができるものはない。 又其の矛を誉めて言った。 私の矛の鋭いことには、どんな物でも突き通すことができないものはない。或るひとが言った。 あなたの矛で、あなたの盾を突いたらどうなるのか。 其の(盾と矛を売る)人は、答へることが、出来なかった。
然るに、
(ⅱ)
1       (1)   ∃x(盾x)&∃y(矛y)       A
1       (2)   ∃x(盾x)              1&E
 3      (3)      盾a               A
1       (4)          ∃y(矛y)       1&E
  5     (5)             矛b        A
   6    (6)   ∀y{矛y→ ∃x(盾x&~陥yx)} A
   6    (7)      矛b→ ∃x(盾x&~陥bx)  6UE
  56    (8)          ∃x(盾x&~陥bx)  57MPP
    9   (9)             盾a&~陥ba   A
    9   (ア)                ~陥ba   9&E
     イ  (イ)   ∀x{盾x→ ∃y(矛y& 陥yx)} A
     イ  (ウ)      盾a→ ∃y(矛y& 陥ya)  イUE
 3   イ  (エ)          ∃y(矛y& 陥ya)  3ウMPP
      オ (オ)             矛b& 陥ba   A
      オ (カ)                 陥ba   オ&E
    9 オ (キ)            ~陥ba&陥ba   アカ&I
  56  オ (ク)            ~陥ba&陥ba   89キEE
 356 イ  (ケ)            ~陥ba&陥ba   エオクEE
1 56 イ  (コ)            ~陥ba&陥ba   23ケEE
1  6 イ  (サ)            ~陥ba&陥ba   45コEE
   6 イ  (シ)~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)}      1サRAA
   6 イ  (ス) ~∃x(盾x)∨~∃y(矛y)       シ、ド・モルガンの法則
   6 イ  (セ)  ∃x(盾x)→~∃y(矛y)       ス含意の定義
      ソ (ソ) ~∃x(盾x)               A
      ソ (タ) ~∃y(矛y)∨~∃x(盾x)       ソ∨I
       チ(チ)         ~∃y(矛y)       A
       チ(ツ) ~∃y(矛y)∨~∃x(盾x)       チ∨I
   6 イ  (テ) ~∃y(矛y)∨~∃x(盾x)       スソタチツ∨E
   6 イ  (ト)  ∃y(矛y)→~∃x(盾x)       テ含意の定義
   6 イ  (ナ)  ∃x(盾x)→~∃y(矛y)&
             ∃y(矛y)→~∃x(盾x)       セト&I
(ⅲ)
(6)∀y{矛y→ ∃x(盾x&~陥yx)} といふことは、
(〃)いかなる矛であっても、突き通すことが出来ない「盾」が存在する。といふことであり、
(イ)∀x{盾x→ ∃y(矛y& 陥yx)} といふことは、
(〃)どのやうな盾であっても、突き通すことが出来る「矛」が存在する。といふことである。

(ⅳ)
(1)ある盾xが存在し、ある矛yが存在する。 と「仮定」して、
(6)すべてのyについて、yが矛ならば、あるxは盾であって、yはxを陥さない。と「仮定」して、
(イ)すべてのxについて、xが盾ならば、あるyは矛であって、yはxを陥す。  と「仮定」すると、
(ナ)ある盾xが存在するならば、ある矛yは存在せず、
   ある矛yが存在するならば、ある盾xは存在しない。

(03)借虎威1(H31.4.12・16)
(ⅰ)
虎求百獣而食之得狐=
虎求(百獣)而食(之)得(狐)=
虎(百獣)求而(之)食(狐)得=
虎(百獣を)求めて(之を)食ひ(狐を)得たり=
虎は、全ての獣を求めて、これを食べてゐたが、ある日、狐をつかまえた。
(ⅱ)
1  (1)∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]} A
 2 (2)   虎b&∀x[獸x→求bx&食bx&∃z(狐z&獸z&得bz)]  A
 2 (3)   虎b                               2&E
 2 (4)      ∀x[獸x→求bx&食bx&∃z(狐z&獸z&得bz)]  3UE
 2 (5)         獸a→求ba&食ba&∃z(狐z&獸z&得bz)   4UE
 2 (6)         獸a→求ba&食ba                 5&E
 2 (7)                    ∃z(狐z&獸z&得bz)   6&E
  8(8)                       狐a&獸a&得ba    A
  8(9)                       狐a           8&E    
  8(ア)                          獸a        8&E
 28(イ)            求ba&食ba                 6アMPP
 28(ウ)                食ba                 イ&E
 28(エ)     虎b&狐a                          39&I             
 28(オ)     虎b&狐a&食ba                      エオ&I
 28(カ)  ∃x(虎b&狐x&食bx)                     オEI
 2 (キ)  ∃x(虎b&狐x&食bx)                     78カEE
 2 (ク)∃y∃x(虎y&狐x&食yx)                     キEI
1  (ケ)∃y∃x(虎y&狐x&食yx)                     12クEE
1  (〃)あるyは虎であり、あるxは狐であり、yはxを食ふ。

(04)借虎威2(H31.4.17)
(ⅰ)
天帝使我長百獣=
天帝使〔我長(百獣)〕⇒
天帝〔我(百獣)長〕使=
天帝〔我をして(百獣に)長たら〕使む=
天帝 let me be tHe cHief of all tHe beasts.
(ⅱ)
1    (1)∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}  A
 2   (2)  ∃y{天帝a&我y&∀z(獸z⇔長ayz)}  A
  3  (3)     天帝a&我b&∀z(獸z⇔長abz)   A
  3  (4)            ∀z(獸z⇔長abz)   3&E
  3  (5)               獸c⇔長abc    4UE
  3  (6)    獸c→長abc&長abc→獸c       5Df.⇔
  3  (7)            長abc→獸c       6&E
   8 (8)                ~獸c       A
  38 (9)           ~長abc          78MTT
  3  (ア)   ~獸c→~長abc              39CP
   イ (イ)∃w(鳥w&~獸w)                A
    ウ(ウ)   鳥c&~獸c                 A
    ウ(エ)   鳥c                     ウ&E
    ウ(オ)      ~獸c                 ウ&E
  3 ウ(カ)       ~長abc              アオMPP
  3 ウ(キ)   鳥c&~長abc               エカ&I
  3 ウ(ク)∃w(鳥w&~長abw)              キEI
  3イ (ケ)∃w(鳥w&~長abw)              イウクEE
 2   (コ)     天帝a&我b               3&E
 23イ (サ)     天帝a&我b&∃w(鳥w&~長abw)  ケコ&I
 23イ (シ)  ∃y{天帝a&我y&∃w(鳥w&~長ayw)  サEI
 2 イ (ス)  ∃y{天帝a&我y&∃w(鳥w&~長ayw)  23シEE
 2 イ (セ)∃x∃y{天帝x&我y&∃w(鳥w&~長xyw)} スEI
1  イ (ソ)∃x∃y{天帝x&我y&∃w(鳥w&~長xyw)} 12セEE
1  イ (〃)あるxは天帝であり、あるyは私であり、あるwは鳥であり、xはyを鳥の長にはしない(∵ 天帝は、私を獸の長にしたのであって、鳥は、獸ではない)。

(05)借虎威3(H31.16)
(ⅰ)
百獸之見我而敢不走乎=
百獸之見(我)而敢不(走)乎⇒
百獸之(我)見而敢(走)不乎=
百獣の(我を)見て敢へて(走ら)ざらんや=
獣たちは、私(狐)を見ても、逃げないなでいあられるであらうか(否、そんなことは、決してない)
(ⅱ)
1    (1)  ∃x{我x&∀y(獸y→見yx& 走y)} A
 2   (2)∃x∃y(我x&狐y&獸y&見yx&~走y)  A
  3  (3)     我a&∀y(獸y→見ya& 走y)  1UE
  3  (4)     我a                 3&E
  3  (5)        ∀y(獸y→見ya& 走y)  3&E
  3  (6)           獸b→見ba& 走b   5UE
   7 (7)  ∃y(我a&狐y&獸y&見ya&~走y)  A
    8(8)     我a&狐b&獸b&見ba&~走b   A
    8(9)        狐b              8&E
    8(ア)           獸b           8&E
    8(イ)                  ~走b   8&E
  3 8(ウ)              見ba& 走b   6アMPP
  3 8(エ)              見ba       ウUE
  3 8(オ)                   走b   エUE
  3 8(カ)               ~走b&走b   イオ&I
    8(キ)          ~獸b           アカRAA
  3  (ク)       狐b&~獸b           9キ&I
  3 8(ケ)    ∃y(狐y&~獸y)          クEI
  37 (コ)    ∃y(狐y&~獸y)          78ケEE
 23  (サ)    ∃y(狐y&~獸y)          27コEE
12   (シ)    ∃y(狐y&~獸y)          13サEE
12   (〃)    ある狐は獸ではない。          13サEE
12   (〃)ある狐は単なる獸ではなく、百獸の長である。

(06)民無二王(H31.4.17)
(ⅰ)
天無二日、民無二王=
天無(二日)、民無(二王)⇒
天(二日)無、民(二王)無=
天に(二日)無く、民に(二王)無し=
天に二つの太陽は無く、民に二人の王はゐない。
(ⅱ)
1  (1)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y) A
1  (2)∃x王x                 1&E
 3 (3)  王a                 A
1  (4)     ∀x∀y(王x&王y→x=y) 1&E
1  (5)       ∀y(王a&王y→a=y) 4UE
1  (6)          王a&王b→a=b  5UE
  7(7)          ∀y(王y)     A
  7(8)             王b      7UE
 37(9)          王a&王b      38&I
137(ア)                a=b  69MPP
13 (イ)             王b→a=b  8アCP
13 (ウ)          ∀y(王y→a=y) イUI
13 (エ)   王a&∀y(王y→a=y)     3ウ&I
13 (オ)∃x{王x&∀y(王y→x=y)}    エEI
1  (カ)∃x{王x&∀y(王y→x=y)}    13オEE
1  (〃)あるxが王であって、すべてのyについて、yが王であるならば、xとyは「同一人物」である。
1  (〃)王は、一人しかゐない。

(07)未仁而(H31.4.18)
(ⅰ)
未有仁而遺其親者也=
未[有〔仁而遺(其親)者〕也]⇒
未[〔仁而(其親)遺者〕有也]=
未だ[〔仁にして(其の親)遺つる者〕有らざる也]=
未だ[〔仁にして(其の親)遺つる者〕有らざる也]=
今までに、仁者であって、自分の親を遺棄した者はゐないのだ。
(ⅱ)
(α)
1   (1)∀x{仁x→~∃y(親yx&遺xy)} A
1   (2)   仁a→~∃y(親ya&遺ay)  1UE
 3  (3)   仁a               A
13  (4)      ~∃y(親ya&遺ay)  23MPP
13  (5)      ∀y~(親ya&遺ay)  4量化子の関係
13  (6)        ~(親ba&遺ab)  5UE
13  (7)        ~親ba∨~遺ab   6ド・モルガンの法則
13  (8)         親ba→~遺ab   7含意の定義
13  (9)      ∀y(親ya→~遺ay)  8UI
1   (ア)   仁a→∀y(親ya→~遺ay) 39CP
1   (イ)∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)} アUI
(β)
1   (1)∀x{仁x→∀y(遺xy→~親yx)} A
1   (2)   仁a→∀y(遺ay→~親ya)  1UE
 3  (3)   仁a               A
13  (4)      ∀y(遺ay→~親ya)  23MPP
13  (5)         遺ab→~親ba   4UE
13  (6)        ~遺ab∨~親ba   5含意の定仁
13  (7)       ~(遺ab& 親ba)  6ド・モルガンの法則
13  (8)     ∀y~(遺ab& 親ba)  7UI
13  (9)     ~∃y(遺ay& 親ya)  8量化子の関係
1   (ア)   仁a→~∃y(遺ay&親ya)  39CP
1   (イ)∀x{仁x→~∃y(親yx&遺xy)  アUI

(ⅲ)
(α)∀x{仁x→~∃y(親yx&遺xy)}
(β)∀x{仁x→∀y(親yx→~遺xy)}
に於いて、
(α)=(β) である。

(α)すべてのxについて、xが仁者であるならば、あるyはxの親であり、xがyを捨てる。といふことはない。
(β)すべてのxについて、xが仁者であるならば、すべてのyについて、yがxの親であるならば、xはyを捨てない。

(08)民莫非其臣也(H31.4.21)
(ⅰ)
一民莫非其臣也=
一民莫〔非(其臣)〕也=
一民〔(其臣)非〕莫也=
一民も〔(其の臣)非ざる〕莫きなり=
一人の民も其の(王の)臣民でないものはゐないのだ。
cf.
わずか一尺の土地でも紂王の領地でないところはないし、また一人の人民でも紂王の家来でないものはなかった。ところが、一方文王は〔いかに聖人といえ〕わずか百里四方の小さい土地(諸侯)から勃興したのであるから、天下の王者となることはきわめて困難であったのは当然である(孟子、公孫丑章句上、小林勝人 訳)
(ⅱ)
1     (1)∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]} A
1     (2)   民a→∃y[王ya&∀z(王za→z=y)]  1UE
 3    (3)   民a                      A
13    (4)      ∃y[王ya&∀z(王za→z=y)]  23MPP
  5   (5)         王ba&∀z(王za→z=b)   A
  5   (6)         王ba               5&E
  5   (7)             ∀z(王za→z=b)   5&E
  5   (8)                王ca→c=b    7UE
   9  (9)∃y∃z(紂y&文z&y≠z)            A
    ア (ア)  ∃z(紂b&文z&b≠z)            A
     イ(イ)     紂b&文c&b≠c             A
     イ(ウ)     紂b&文c                 イ&E
     イ(エ)        文c                 イ&E
     イ(オ)           b≠c             イ&E
  5  イ(カ)               ~王ca        8オMTT
  5  イ(キ)         文c&~王ca           オカ&I
  5  イ(ク)      ∃z(文z&~王za)          キEI
  5 ア (ケ)      ∃z(文z&~王za)          アイクEE
  59  (コ)      ∃z(文z&~王za)          9アケEE
13 9  (サ)      ∃z(文z&~王za)          45コEE
1  9  (シ)   民a→∃z(文z&~王za)          3サCP
1  9  (ス)∀x{民x→∃z(文z&~王zx)          シUI

(ⅲ)
(1)すべてのxについて、xが民であるならば、あるyはxの王であって、すべてのzについて、zがxの王であるならば、zはyと同一人物である。 と「仮定」し、
(9)あるyは紂であり、あるzは文であり、yとzは、同一人物ではない。 と「仮定」すると、
(ス)すべてのxについて、xが民であるならば、あるzは文であり、zはxの王ではない。 といふ『結論』を、得る。

(ⅳ)
(1)すべての民が、紂を王とし、紂以外に、民の王がゐない。 と「仮定」し、
(9)紂と文は、同一人物ではない。 と「仮定」すると、
(ス)すべての民の王は、文ではない。といふ『結論』を、得る。

(09)今両虎(H31.4.23)
(ⅰ)
今両虎共闘、其勢不倶生=
今両虎共闘、其勢不(倶生)⇒
今両虎共闘、其勢(倶生)不=
今両虎共に闘はば、其の勢ひ(俱には生き)ず=
いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
(ⅱ)
1   (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1   (2)  ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y)} 1UE
1   (3)     虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b)  2UE
 4  (4)                 生a&生b   A
 4  (5)              ~~(生a&生b)  4DN
14  (6)   ~(虎a&虎b&闘ab)          45MTT
14  (7)    ~虎a∨~虎b∨ ~闘ab        6ド・モルガンの法則
14  (8)   (~虎a∨~虎b)∨~闘ab        7結合法則
  9 (9)   (~虎a∨~虎b)             A
  9 (ア) ~~(~虎a∨~虎b)             9DN
  9 (イ) ~(~~虎a&~~虎b)            ア、ド・モルガンの法則
  9 (ウ)   ~(虎a&虎b)              イDN
  9 (エ)   ~(虎a&虎b)∨~闘ab         ウ∨I
   オ(オ)            ~闘ab         オ
   オ(カ)   ~(虎a&虎b)∨~闘ab         オ∨I  
14  (キ)   ~(虎a&虎b)∨~闘ab         89エオカ∨E 
14  (ク)     虎a&虎b →~闘ab         ク含意の定義
1   (ケ)     生a&生b→(虎a&虎b→~闘ab)  4クCP
1   (コ)  ∀y{生a&生y→(虎a&虎y→~闘ay)} ケUI
1   (サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} コUI

(ⅲ)
(1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} といふ「仮定」により、
(サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} といふ『結論』を得る。

(ⅳ)
(1)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。 といふ「仮定」により、
(サ)すべてのxとすべてのyについて、xが生きて、 yも生きて、 xが虎であり、yも虎であらならば、xとyは、闘はない。  といふ『結論』を得る。
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが死なず、 yも死なず、 xが虎であり、yも虎であるならば、xとyは、闘はない。  といふ『結論』を得る。

(10)君子非(H31.5.8)
(ⅰ)
君子不以其所以養人者害人=
君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず=
その人が、君子であるならば、その人は、人々を養ふ手段(土地)のために、人々を害するやうなことはしない(土地よりも、人間の方が大切である)
(ⅱ)
(α)
1   (1)  ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)} A
1   (2)    ∀y{君ay&人ya→~∃z(養zy&害zy&所zay)  1UE
1   (3)      {君ab&人ba→~∃z(養zb&害zb&所zab)  2UE
 4  (4)       君ab&人ba                    A
14  (5)               ~∃z(養zb&害zb&所zab)  34MPP
14  (6)               ∀z~(養zb&害zb&所zab)  5量化子の関係
14  (7)                 ~(養cb&害cb&所cab)  6UE
1   (8)       君ab&人ba→  ~(養cb&害cb&所cab)  47CP
  9 (9)       君ab&人ba                    A
   ア(ア)                  (養cb&害cb&所cab)  A
1 9 (イ)                 ~(養cb&害cb&所cab)  89MPP
1 9ア(ウ)  (養cb&害cb&所cab)&~(養cb&害cb&所cab)  アイ&I
1  ア(エ)     ~(君ab&人ba)                   9ウRAA
1   (オ)       (養cb&害cb&所cab)→~(君ab&人ba)  アエCP
1   (カ)    ∀y{(養cy&害cy&所cay)→~(君ay&人ya)} オUI
1   (キ)  ∀x∀y{(養cy&害cy&所cxy)→~(君xy&人yx)} カUI
1   (ク)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)} キUI
(β)
1   (1)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)} A
1   (2)  ∀x∀y{(養cy&害cy&所cxy)→~(君xy&人yx)} 1UE
1   (3)    ∀y{(養cy&害cy&所cay)→~(君ay&人ya)} 2UE
1   (4)       (養cb&害cb&所cab)→~(君ab&人ba)  3UE
 5  (5)     ∃z(養zb&害zb&所zab)             A         
  6 (6)       (養cb&害cb&所cab)             A
   7(7)                       (君ab&人ba)  A 
1 6 (8)                      ~(君ab&人ba)  46MPP
1 67(9)            (君ab&人ba)&~(君ab&人ba)  78&I
15 7(ア)            (君ab&人ba)&~(君ab&人ba)  569EE
1  7(イ)    ~∃z(養zb&害zb&所zab)             5アRAA
1   (ウ)       君ab&人ba→~∃z(養zb&害zb&所zab)  7イCP
1   (エ)    ∀y{君ay&人ya→~∃z(養zy&害zy&所zay)} ウUI
1   (オ)  ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)} エUI

(ⅲ)
(α)  ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)}
(β)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)}
に於いて、
(α)=(β) である。

(ⅳ)
(α)すべてのxとyについて、xがyの君子であって、yがxの人民であるならば、あるzが、yを養ひ、yを害ふ、xとyの所以である。といふことはない。
(β)すべてのzとxとyについて、zがyを養ひ、zがyを害ふ、xとyの所以であるならば、xがyの君子であって、yがxの人民である。といふことはない。
に於いて、
(α)=(β) である。

(11)雜説・韓愈1(H31.5.10)
(ⅰ)
世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有=
世有(伯楽)、然後有(千里馬)千里馬常有而伯楽不(常有)⇒
世(伯楽)有、然後(千里馬)有。千里馬常有而伯楽(常有)不=
世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。千里馬は常に有れども伯楽は(常には有ら)ず=
世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
然るに、
(ⅱ)
1  (1) ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀x(馬喰z→伯楽z)    A
1  (2)                    ∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}                 1&E
1  (3)                       馬a→∃y(千里y&馬y)                  2UE
 4 (4)                       馬a                             A
14 (5)                          ∃y(千里y&馬y)                  34MPP
1  (6) ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)                                   1&E
14 (7)            ∃z(伯楽x)                                   56MPP
14 (8)            ∃z(伯楽x)&∃y(千里y&馬y)                        57&I
1  (9)                                      ~∀z(馬喰z→伯楽z)    1&E
1  (ア)                                     ~∀z(~馬喰z∨伯楽z)    1含意の定義
1  (イ)                                     ∃z~(~馬喰z∨伯楽z)    ア量化子の関係
  ウ(ウ)                                       ~(~馬喰a∨伯楽a)    A
  ウ(エ)                                       ~~馬喰a&~伯楽a     ウ、ド・モルガンの法則
  ウ(オ)                                         馬喰a&~伯楽a     エDN
  ウ(カ)                                      ∃z(馬喰a&~伯楽z)    オEI
1  (キ)                                      ∃z(馬喰z&~伯楽z)    イウカEE
14 (ク)             ∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)                  5キ&I
14 (ケ)      [∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]  8ク&I
1  (コ)   馬a→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]  4ケCP
1  (サ)∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]} コUI

(ⅲ)
   (1) ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀x(馬喰z→伯楽z)   
   (サ)∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]}
に於いて、
(1)ならば、(サ)である。

(ⅳ)
   (1)∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
(サ)馬がゐれば[伯楽と千里の馬の、ペア]が存在し[伯楽ではない馬喰と千里の馬の、ペア]も存在することになる。
に於いて、
(1)ならば、(サ)であって、
(サ)の場合に、千里の馬は、卑しい人間の手で、粗末に扱はれ、馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
といふ、ことになる。

(12)雜説・韓愈2(H31.5.12)
(ⅰ)
食馬者不知其能千里而食也=
食(馬)者不〔知(其能千里)而食〕也⇒
(馬)食者〔(其能千里)知而食〕不也=
(馬を)食ふ者は〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり=
馬を飼ふ者は、必ずしも、その馬が千里の馬であることを知った上で、飼ふわけではないのだ。
(ⅱ)
(α)
1 (1)~∀x{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} A
1 (2)∃x~{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} 1量化子の関係
 3(3)  ~{∃y[(千里y&馬y)&飼ay]→ 伯楽a} A
 3(4) ~{~∃y[(千里y&馬y)&飼ay]∨ 伯楽a} 3含意の定義
 3(5)  ~~∃y[(千里y&馬y)&飼ay]&~伯楽a  4ド・モルガンの法則
 3(6)    ∃y[(千里y&馬y)&飼ay]&~伯楽a  5DN
 3(7)    ∃y[(千里y&馬y)&飼ay]       6&E
 3(8)                     ~伯楽a  6&E
 3(9)    ~伯楽a&∃y[(千里y&馬y)&飼ay]  78&I
 3(ア) ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]} 9EI
1 (イ) ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]} 23アEE
(β)
1 (1) ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]} A
 2(2)    ~伯楽a&∃y[(千里y&馬y)&飼ay]  A
 2(3)    ~伯楽a                   2&E
 2(4)         ∃y[(千里y&馬y)&飼ay]  2&E
 2(5)    ∃y[(千里y&馬y)&飼ay]&~伯楽a  34&E
 2(6)  ~~∃y[(千里y&馬y)&飼ay]&~伯楽a  5DN
 2(7) ~{~∃y[(千里y&馬y)&飼ay]∨ 伯楽a} 6ド・モルガンの法則
 2(8)  ~{∃y[(千里y&馬y)&飼ay]→ 伯楽a} 7含意の定義
 2(9)∃x~{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} 8EI
1 (ア)∃x~{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} 129EE
1 (イ)~∀x{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} ア量化子の関係

(ⅲ)
(α)~∀x{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x}
(β) ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]}
に於いて、
(α)=(β) である。
(ⅳ)
(α)すべてのxについて、あるyが千里であって、馬であって、xがyを飼ふならば、xは伯楽である。といふわけではない。
(β)あるxは、伯楽でなく、あるyは、千里であって、馬であって、xはyを飼ふ。
に於いて、
(α)=(β) である。

(ⅴ)
(α)xは、其の(馬yの)能(力)が千里であることを知った上で、yを飼ふのではない。
(β)xは、其の(馬yの)能(力)が千里であることを知った上で、yを飼ふのではない。
に於いて、
(α)=(β) である。

(13)雜説・韓愈3(H31.5.13)
(ⅰ)
雖有千里之能食不飽力不足=
雖〔有(千里之能)〕食不(飽)力不(足)⇒
〔(千里之能)有〕雖食(飽)不力(足)不=
〔(千里の能)有りと〕いへども食(飽か)ざれば力(足ら)ず=
たとえ、千里馬であっても、食料が十分でないならば、力を出すことが出来ない。
(ⅱ)
(α)
1   (1)∀x{[(千里x&馬x)&~食飽x]→~力足x} A
1   (2)   [(千里a&馬a)&~食飽a]→~力足a  1UE
 3  (3)   [(千里a&馬a)&~食飽a]       A
  4 (4)                    力足a  A
13  (5)                   ~力足a  23MPP
134 (6)               力足a&~力足a  45&I
1 4 (7)  ~[(千里a&馬a)&~食飽a]       36RAA
1 4 (8)   ~千里a∨~馬a∨~~食飽a        7ド・モルガンの法則
1 4 (9)   ~千里a∨~馬a∨  食飽a        8ド・モルガンの法則
1 4 (ア)  (~馬a∨~千里a)∨ 食飽a        9交換法則
1 4 (イ)   (馬a→~千里a)∨ 食飽a        ア含意の定義
1 4 (ウ)    食飽a∨(馬a→~千里a)        イ交換法則
1 4 (エ)  ~~食飽a∨(馬a→~千里a)        ウDN
1 4 (オ) ~~~食飽a→(馬a→~千里a)        エ含意の定義 
1 4 (カ)   ~食飽a→(馬a→~千里a)        オDN
1   (キ)   力足a→[~食飽a→(馬a→~千里a)]  4カCP
1   (ク)∀x{力足x→[~食飽x→(馬x→~千里x)]} 1UI
(β)
1   (1)∀x{力足x→[~食飽x→(馬x→~千里x)]} A
1   (2)   力足a→[~食飽a→(馬a→~千里a)]  1UE
 3  (3)   力足a                   A
  4 (4)      ~[~食飽a→(馬a→~千里a)]  A
13  (5)       [~食飽a→(馬a→~千里a)]  23MPP
134 (6)      ~[~食飽a→(馬a→~千里a)]&
              [~食飽a→(馬a→~千里a)]  45&I
1 4 (7)  ~力足a                   36RAA
1   (8) ~[~食飽a→(~馬a∨~千里a)]→~力足a 47CP
1   (9)~[~~食飽a∨(~馬a∨~千里a)]→~力足a 8含意の定義
1   (ア)  ~[食飽a∨(~馬a∨~千里a)]→~力足a 9DN
1   (イ)  ~[(~馬a∨~千里a)∨食飽a]→~力足a ア交換法則
1   (ウ) [~(~馬a∨~千里a)&~食飽a]→~力足a イ、ド・モルガンの法則
1   (エ)[(~~馬a&~~千里a)&~食飽a]→~力足a ウ、ド・モルガンの法則
1   (オ)    [(馬a&千里a)&~食飽a]→~力足a エDN
1   (カ)∀x{[(馬x&千里x)&~食飽x]→~力足x} オUI

(ⅲ)
(α)∀x{[(千里x&馬x)&~食飽x]→~力足x}
(β)∀x{力足x→[~食飽x→(馬x→~千里x)]}
に於いて、
(α)=(β) である。

(ⅳ)
(α)すべてのxについて、xが千里であって、馬であって、食料が十分でないないならば、力を出すことが出きない。
(β)すべてのxについて、xが千里であって、馬であって、食料が十分でないないならば、力を出すことが出きない。
に於いて、
(α)=(β) である。
(ⅴ)
1  (1)∀x{力足x→[~食飽x→(馬x→~千里x)]} A
 2 (2)∃x(力足x&~食飽x&馬x)          A
1  (3)   力足a→[~食飽a→(馬a→~千里a)]  1UE
  3(4)   力足a&~食飽a&馬a           A
  3(5)   力足a                   4&E
  3(6)       ~食飽a              4&E
  3(7)            馬a           4&E
1 3(8)       ~食飽a→(馬a→~千里a)    35MPP
1 3(9)             馬a→~千里a     68MPP
1 3(ア)                ~千里a     79MPP
1 3(イ)   ~食飽a&力足a              56&I
1 3(ウ)   ~食飽a&力足a&~千里a         アイ&I
1 3(エ)   ~食飽a&力足a&~千里a&馬a      7ウ&I
1 3(オ)∃x(~食飽a&力足a&~千里a&馬a)     エEI
12 (カ)∃x(~食飽a&力足a&~千里a&馬a)     24オEE

(ⅵ)
   (1)∀x{力足x→[~食飽x→(馬x→~千里x)]}
   (2)∃x(力足x&~食飽x&馬x)          
であるならば、  
   (カ)∃x(~食飽a&力足a&~千里a&馬a)
である。

(ⅶ)
(1)すべてのxについて、xが千里であって、馬であって、食料が十分でないないならば、力を出すことが出きない。
(〃)すべてのxについて、xが千里であって、馬であって、食料が十分でないないならば、力を出すことが出きない。
といふ一方で、
   (2)あるxは、力を出すことが出来るが、食料が十分でない馬である。
といふのであれば、
   (カ)あるxは、食料が十分でなくとも、力を出すことが出きる、千里の馬ではない馬である。
   (〃)食料が十分でなくとも、力を出すことが出きる、千里の馬ではない馬がゐる。
e.g.
10=5×(1+1)=5×2=10
10=5×(2×1)=5×2=10

「全体が等しい」とき、「その一部」を、「等しい式」に、置き換へても、
「全体は等しい」。といふことは、「述語計算」に於いても、さうである。


(14)論語・学而(H31.5.15)
(ⅰ)
人不知而不愠不亦君子乎=
人不(知)而不(愠)不(亦君子)乎⇒
人(知)不而(愠)不(亦君子)不乎=
人(知ら)ずして(愠み)ず(亦君子なら)ざるや=
自分を正当評価しない人に対しても、不満に思うはない人は、何と、立派な人ではないか。
(ⅱ)
(α)
1     (1)∀x{人x→∃y[(私y&~知xy&~愠yx)→~~君子y]} A
1     (2)   人a→∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  1UE
 3    (3)   人a                           A
13    (4)      ∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  23MPP
  5   (5)         (私b&~知ab&~愠ba)→~~君子b   A
  5   (6)         (私b&~知ab&~愠ba)→  君子b   5DN
    7 (7)   私b&~君子b                      A
    7 (8)   私b                           7&E
    7 (9)      ~君子b                      7&E
  5 7 (ア)        ~(私b&~知ab&~愠ba)         69MTT
  5 7 (イ)       ~私b∨~~知ab∨~~愠ba          ア、ド・モルガンの法則
  5 7 (ウ)         ~私b∨知ab∨  愠ba          イDN
  5 7 (エ)         ~私b∨(知ab∨ 愠ba)         ウ結合法則
  5 7 (オ)          私b→(知ab∨ 愠ba)         エ含意の定義
  5 7 (カ)         私b→(~~知ab∨愠ba)         オDN
  5 7 (キ)         私b→( ~知ab→愠ba)         カ含意の定義
  5 7 (ク)            ( ~知ab→愠ba)         8キMPP
  5   (ケ)   (私b&~君子b)→(~知ab→愠ba)         7クCP
  5   (コ)∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]        ケEI
13    (サ)∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]        45コEE
1     (シ)   人a→∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]  3サCP
1     (ス)∀x{人x→∃y[(私y&~君子y)→(~知xy→愠yx)]} シUI
(β)
1     (1)∀x{人x→∃y[(私y&~君子y)→(~知xy→愠yx)]} A
1     (2)   人a→∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]  1UE
 3    (3)   人a                           A
13    (4)      ∃y[(私y&~君子y)→(~知ay→愠ya)]  23MPP
  5   (5)         (私b&~君子b)→(~知ab→愠ba)   A
   6  (6)          私b                    A
    7 (7)             ~君子b               A
   67 (8)          私b&~君子b               67&I
  567 (9)                   (~知ab→愠ba)   58MPP
  5 7 (ア)          私b→(~知ab→愠ba)         69CP
  5 7 (イ)         私b→(~~知ab∨愠ba)         ア含意の定義
  5 7 (ウ)           私b→(知ab∨愠ba)         イDN
  5 7 (エ)          ~私b∨(知ab∨愠ba)         ウ含意の定義
  5 7 (オ)         (~私b∨ 知ab∨愠ba)         エ結合法則
  5   (カ)    ~君子b→(~私b∨ 知ab∨愠ba)         7オCP
     キ(キ)        ~(~私b∨ 知ab∨愠ba)         A
  5  キ(ク)   ~~君子b                        カキMTT
  5   (ケ)        ~(~私b∨ 知ab∨愠ba)→~~君子b   キクCP
  5   (コ)       (~~私b&~知ab&~愠ba)→~~君子b   ケ、ド・モルガンの法則
  5   (サ)         (私b&~知ab&~愠ba)→~~君子b   コDN
  5   (シ)      ∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  サEI
13    (ス)      ∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  45シEE
1     (セ)   人a→∃y[(私y&~知ay&~愠ya)→~~君子y]  3スCP
1     (ソ)∀x{人x→∃y[(私y&~知xy&~愠yx)→~~君子y]} セUI

(ⅲ)
(α)∀x{人x→∃y[(私y&~知xy&~愠yx)→~~君子y]}
(β)∀x{人x→∃y[(私y&~君子y)→(~知xy→愠yx)]}
に於いて、すなはち、
(α)すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは私であって、xはyを知らず、yはxを恨まないならば、yは君子ではない、ではない。
(β)すべてのxについて、xが人であるならば、あるyが私であって、yが君子でないならば、xがyを知らなければ、yはxを恨む。
に於いて、
(α)=(β)である。

(15)論語・学而2(H31.5.16)
(ⅰ)
不患人之不己知、患不知人也=
不[患〔人之不(己知)〕]、患[不〔知(人)〕]也⇒
[〔人之(己知)不〕患]不、[〔(人)知〕不]患也=
[〔人の(己を知ら)ざる〕患へ]ず、[〔(人を)知ら〕ざるを]患ふるなり=
人が自分を知ってくれないことは心配せず、自分が、人を知らないことを心配する。
(ⅱ)
(α)
1    (1)∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}      A
1    (2)   人a→∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       1UE
 3   (3)   人a                                   A
13   (4)      ∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       23MPP
  5  (5)          己b&~知ab&~患b & ~知ba→患b         A
  5  (6)          己b&~知ab&~患b                   5&E
  5  (7)                        ~知ba→患b         5&E
   8 (8)                 ∃y(己y&~知ya&~患y)        A
    9(9)                    己b&~知ba&~患b         A
    9(ア)                       ~知ba             9&E
    9(イ)                            ~患b         9&E 
  5 9(ウ)                             患b         7アMPP
  5 9(エ)                         ~患b&患b         イウ&I
  58 (オ)                         ~患b&患b         89エEE
  5  (カ)                ~∃y(己y&~知ya&~患y)        8オRAA
  5  (キ)      ∃y(己y&~知xy&~患y)                   6EI
  5  (ク)      ∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  カキ&I
13   (ケ)      ∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  45クEE
1    (コ)   人a→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  3ケCP
1    (サ)∀x{人a→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)} コUI
(β)   
1  (1)∀x{人x→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知yx&~患y)} A
1  (2)   人a→∃y(己y&~知ay&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  1UE
 2 (3)   人a                                   A
12 (4)      ∃y(己y&~知ay&~患y)&~∃y(己y&~知ya&~患y)  23MPP
12 (5)                      ~∃y(己y&~知ya&~患y)  4&E
12 (6)                      ∀y~(己y&~知ya&~患y)  5量化子の関係
12 (7)                        ~(己b&~知ba&~患b)  6UE
12 (8)                       ~己b∨~~知ba∨~~患b   7ド・モルガンの法則
12 (9)                      ~己b∨(~~知ba∨~~患b)  8結合法則
12 (ア)                       己b→(~~知ba∨~~患b)  9含意の定義
12 (イ)                       己b→( ~知ba→~~患b)  ア含意の定義
12 (ウ)                       己b→( ~知ba→  患b)  イDN
12 (エ)       ∃y(己y&~知ay&~患y)                  4&E
  オ(オ)          己b&~知ab&~患b                   A
  エ(カ)          己b                            オ&E
12エ(キ)                            ~知ba→  患b   ウカMPP
12エ(ク)         (己b&~知ab&~患b)&(~知ba→患b)        オキ&I
12エ(ケ)      ∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       クEI
12 (コ)      ∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       エオケEE
1  (サ)   人a→∃y[(己y&~知ay&~患y)&(~知ya→患y)]       1コCP
1  (シ)∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}      サUI

(ⅲ)
(α)∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
(β)∀x{人x→∃y(己y&~知xy&~患y)&~∃y(己y&~知yx&~患y)}
に於いて、すなはち、
(α)すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己(自分)であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないないならば、yは患ふ。
(β)すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己(自分)であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、あるyは己(自分)であって、yがxを知らなくとも、yは患へない。といふことはない。
に於いて、
(α)=(β)である。

(16)論語・学而3(H31.5.17・18)
(ⅰ)
① 不好犯上而好作乱者、未之有也=
① 不[好〔犯(上)〕]而好〔作(乱)〕者、未(之有)也⇒
① [〔(上)犯〕好]不而〔(乱)作〕好者、未(之)有也=
① [〔(上)を犯すことを〕好ま]ずして〔(乱を)作すこと〕好む者は、未だ(之れ有ら)ざるなり=
① 目上の人に逆らいたがらないのに、乱を起こしたがる者は、絶対にいない(三省堂、明解古典学習シリーズ16、論語 孟子、1973年、3頁)。
(ⅱ)
(α)
1 (1)~∀x{上x→ ∃y(~好犯yx&好乱yx)}  A 
1 (2)∃x~{上x→ ∃y(~好犯yx&好乱yx)}  1量化子の関係
 3(3)  ~{上a→ ∃y(~好犯ya&好乱ya)}  A
 3(4)  ~{~上a∨∃y(~好犯ya&好乱ya)}  3含意の定義
 3(5)  ~~上a&~∃y(~好犯ya&好乱ya)   4ド・モルガンの法則
 3(6)       ~∃y(~好犯ya&好乱ya)   5&E
 3(7)       ∀y~(~好犯ya&好乱ya)   6量化子の関係
 3(8)         ~~好犯ba∨~好乱ba    7UE
 3(9)          ~好犯ba→~好乱ba    8含意の定義
 3(ア)       ∀y(~好犯ya→~好乱ya)   9
 3(イ)  ~~上a                   5&E
 3(ウ)    上a                   イ
 3(エ)    上a&∀y(~好犯ya→~好乱ya)   アウ&I
 3(オ) ∃x{上x&∀y(~好犯yx→~好乱yx)}  エEI
1 (カ) ∃x{上x&∀y(~好犯yx→~好乱yx)}  23オEE
(β)
1   (1) ∃x{上x&∀y(~好犯yx→~好乱yx)} A
 2  (2)    上a&∀y(~好犯ya→~好乱ya)  A
 2  (3)       ∀y(~好犯ya→~好乱ya)  2&E
 2  (4)          ~好犯ba→~好乱ba    3
  5 (5) ∀x{上x→∃y(~好犯yx& 好乱yx)}  A
  5 (6)    上a→∃y(~好犯ya& 好乱ya)   5UE
 2  (7)    上a                   2&E
 25 (8)       ∃y(~好犯ya& 好乱ya)   67CP
   9(9)          ~好犯ba& 好乱ba    A
   9(ア)          ~好犯ba          9&E
 2 9(イ)                ~好乱ba    4アMPP
   9(ウ)                 好乱ba    9&E
 2 9(エ)           ~好乱ba&好乱ba    イウ&I
 25 (オ)           ~好乱ba&好乱ba    89エEE
 2  (カ)~∀x{上x→∃y(~好犯yx& 好乱yx)}  5オRAA
1   (キ)~∀x{上x→∃y(~好犯yx& 好乱yx)}  12カEE
(ⅲ)
(α)~∀x{上x→∃y(~好犯yx& 好乱yx)}
(β) ∃x{上x&∀y(~好犯yx→~好乱yx)}
に於いて、すなはち、
(α)すべてのxについて、xが上(目上の人)であるならば、あるyがxに逆らふことを好まずして、yがxに乱を起こす。といふことはない。
(β)あるxは上(目上の人)であって、すべてのyについて、yがxに逆らふことを好まないならば、yはxに乱を起こすことを、好まない。
に於いて、
(α)=(β)である。
(ⅴ)―「別解」―
(α)
1 (1)~∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} A 
1 (2)∃x~∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} 1量化子の関係
1 (3)∃x∀y~{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} 1量化子の関係
 4(4)  ∀y~{上ay→(~好犯ya&好乱ya)} A
 4(5)    ~{上ab→(~好犯ba&好乱ba)} 4UE
 4(6)   ~{~上ab∨(~好犯ba&好乱ba)} 5含意の定義
 4(7)   ~~上ab&~(~好犯ba&好乱ba)  6ド・モルガンの法則
 4(8)   ~~上ab                7&E
 4(9)     上ab                8DN
 4(ア)         ~(~好犯ba&好乱ba)  7&E
 4(イ)         ~~好犯ba∨~好乱ba   ア、ド・モルガンの法則
 4(ウ)          ~好犯ba→~好乱ba   イ含意の定義
 4(エ)     上ab&(~好犯ba→~好乱ba)  9ウ&I
 4(オ)  ∀y{上ay&(~好犯ya→~好乱ya)} エUI
 4(カ)∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)} オEI
1 (キ)∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)} 14EE
(β)
1   (1)∃x∀y{上xy&(~好犯yx→~好乱yx)} A
 2  (2)  ∀y{上ay&(~好犯ya→~好乱ya)} A
 2  (3)     上ab&(~好犯ba→~好乱ba)} 2UE
 2  (4)     上ab                3&E
 2  (5)          ~好犯ba→~好乱ba   3&E
  6 (6) ∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} A
  6 (7)   ∃y{上ay→(~好犯ya&好乱ya)} 6UE
   8(8)      上ab→(~好犯ba&好乱ba)  A
 2 8(9)           ~好犯ba&好乱ba   48MPP
 2 8(ア)           ~好犯ba        9&E
 2 8(イ)                 好乱ba   9&E
 2 8(ウ)                ~好乱ba   5イMPP
 2 8(エ)           好乱ba&~好乱ba   イウ&I
 26 (オ)           好乱ba&~好乱ba   78EE
 2  (カ)~∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} 6オRAA
1   (キ)~∀x∃y{上xy→(~好犯yx&好乱yx)} 12カEE

(221)師の説(韓愈)の「述語論理」。

2019-05-14 13:12:44 | 漢文・述語論理

(01)
弟子不必不如師=
弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
弟子[必〔(師)如〕不]不=
弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず=
弟子は、必ずしも、師匠に及ばない。といふわけではない。
(02)
(α)
1 (1)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} A
1 (2)∃x~{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
1 (3)∃x~{~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)} 2含意の定義
 4(4)  ~{~弟子a∨∃y(師ya&~如ay)} A
 4(5)    弟子a&~∃y(師ya&~如ay)  4ド・モルガンの法則
 4(6)    弟子a                5&E
 4(7)        ~∃y(師ya&~如ay)  5&E
 4(8)        ∀y~(師ya&~如ay)  6量化子の関係
 4(9)          ~(師ba&~如ab)  7UE
 4(ア)           ~師ba∨ 如ab   8ド・モルガンの法則
 4(イ)            師ba→ 如ab   9含意の定義
 4(ウ)         ∃y(師ya→ 如ay)  イEI
 4(エ)    弟子a& ∃y(師ya→ 如ay)  5ウ&I
 4(オ) ∃x{弟子x& ∃y(師yx→ 如xy)} エEI
1 (カ) ∃x{弟子x& ∃y(師yx→ 如xy)} 34オEE
  1 (〃)あるxは弟子であり、あるyがxの師であるならば、xはyに及んでゐる。
  1 (〃)師に劣らない弟子が存在する。
(β)
1  (1)  ∃x{弟子x&∃y(師yx→  如xy)} A
 2 (2)     弟子a&∃y(師ya→  如ay)} A
 2 (3)     弟子a                2&E
 2 (4)         ∃y(師ya→  如ay)  2&E
  5(5)            師ba→  如ab   A
  5(6)           ~師ba∨  如ab   5含意の定義
 25(7)     弟子a& (~師ba∨  如ab)  36&I
 25(8)  ~~{弟子a& (~師ba∨  如ab)} 7DN
 25(9)  ~{~弟子a∨~(~師ba∨  如ab)} 8ド・モルガンの法則
 25(ア)   ~{~弟子a∨(~~師ba&~如ab)} 9ド・モルガンの法則
 25(イ)   ~{~弟子a∨(  師ba&~如ab)} アDN
 25(ウ)   ~{弟子a→(  師ba&~如ab)}  イ含意の定義
 25(エ)   ~{弟子a→(∃y師ya&~如ay)}  ウEI
 2 (オ)   ~{弟子a→(∃y師ya&~如ay)}  45エEE
 2 (カ) ∃x~{弟子x→(∃y師yx&~如xy)}  オEI
1  (キ) ∃x~{弟子x→(∃y師yx&~如xy)}  12カEE
1  (ク)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)}  キ量化子の関係
1  (〃)すべてのxについて、xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない。
1  (〃)弟子に及ばない師がゐる。
従って、
(02)により、
(03)
(α)~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)} 
(β) ∃x{弟子x&∃y(師yx→ 如xy)}
に於いて、
(α)=(β) である。
従って、
(03)により、
(04)
「弟子」と「師」を「交換」した、
(α)~∀x{師x→∃y(弟子yx&~如xy)} 
(β) ∃x{師x&∃y(弟子yx→ 如xy)}
に於いても、
(α)=(β) である。はマチガイです。
従って、
(04)により、
(05)
「二重否定」により、
(α)~∀x{師x→∃y(弟子yx& ~如xy)} 
(β) ∃x{師x&∃y(弟子yx→~~如xy)}
に於いても、
(α)=(β) である。
従って、
(05)により、
(06)
「~如」を「賢」に「置換」した、
(α)~∀x{師x→∃y(弟子yx& 賢xy)}
(β) ∃x{師x&∃y(弟子yx→~賢xy)}
に於いても、
(α)=(β) である。はマチガイです。
従って、
(06)により、
(07)
(α)すべてのxについて、xが師であるならば、あるyはxの弟子であって、xはyよりも賢い。といふわけではない。
(β)あるxは師であって、あるyはxの弟子であって、xはyよりも、賢くない。
に於いて、
(α)=(β) である。
然るに、
(08)
師不必賢於弟子=
師不[必賢〔於(弟子)〕]⇒
師[必〔(弟子)於〕賢]不=
師は[必ずしも〔(弟子)よりも〕賢なら]ず=
師は、必ずしも、弟子よりも、賢い。といふわけではない。
従って、
(01)~(08)により、
(09)
① 弟子不必不如師。
② 師不必賢於弟子。
といふ「漢文」は、
① ~∀x{弟子x→∃y(  師yx&~如xy)}
② ~∀x{ 師x→∃y(弟子yx& 賢xy)}
といふ「述語論理」に相当する。
然るに、
(10)
① ~∀x{弟子x→∃y(  師yx&~如xy)}
② ~∀x{ 師x→∃y(弟子yx& 賢xy)}
といふ「述語論理」は、
① It is not always true that students are inferior to their teachers.
② It is not always true that teachers are superior to their students.
といふ「英語」に、相当する。
従って、
(10)により、
(11)
① ~∀x{弟子x→∃y(  師yx&~如xy)}
② ~∀x{師x  →∃y(弟子yx& 賢xy)}
といふ「述語論理」は、
① that students are inferior to their teachers.
② that teachers are superior to their students.
といふ「内容」に対する、「部分否定」である。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
① 弟子不必不如師。
② 師不必賢於弟子。
といふ「漢文」も、
① 弟子不如師=弟子は師に及ばない。
② 師賢於弟子=師は弟子よりも賢い。
といふ「内容」に対する、「部分否定」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
その意味では、
① 弟子必不如師。
② 師必賢於弟子。
といふ「漢文」も、
∀x{弟子x→∃y(  師yx&~如xy)}
∀x{師x  →∃y(弟子yx& 賢xy)}
① It is not always true that students are inferior to their teachers.
② It is not always true that teachers are superior to their students.
と「同様」に、
{弟子必不如師}。
{師必賢於弟子}。
といふ「語順」であるべきである。
然るに、
(14)
① 弟子不必不如師。
② 師不必賢於弟子。
ではなく、
弟子必不如師。
師必賢於弟子。
であるとすると、それぞれ、
が、「名詞(弟子)」を「否定」し、
が、「名詞( 師 )」を「否定」する。
然るに、
(15)
」は、「動作状態」を「否定」する。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
① 弟子不必不如師。
② 師不必賢於弟子。
に対する、
弟子必不如師。
師必賢於弟子。
といふ「漢文」は、無い。
然るに、
(17)
「不」が、「動作や状態」を「否定」するのに対して、
「非」は、「内容」を「否定」する。
然るに、
(18)
③ 不弟子必不如師。
④ 不師必賢於弟子。
だけでなく
弟子必不如師。
師必賢於弟子。
といふ「漢文」も、無い。
(19)
明治以前の日本人は、漢文を読むことで論理的な考えを身につけました。漢文論理的な構文をたくさん含んでいるからです。
(山下正男、論理的に考えること、1985年、ⅲ)
然るに、
(20)
① 弟子不必不如師=
① 弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
① 弟子[必〔(師)如〕不]不=
① 弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず=
① 弟子は、必ずしも、師匠に及ばない。といふわけではない。
といふ「漢文(部分否定で、二重否定)」こそが、「論理的構文」の、「典型」である。
従って、
(20)
① 弟子不必不如師=
① 弟子は、必ずしも、師匠に及ばない。といふわけではない。
といふ「漢文訓読」こそが、
① ~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)}=
① すべてのxについて、xが師であるならば、あるyはxの弟子であって、xはyよりも賢い。といふわけではない。
といふ「述語論理」に、最も訳し易い
然るに、
(21)
⑤ 欲人之無惑也難矣=
⑤ 欲〔人之無(惑)〕也難矣⇒
⑤ 〔人之(惑)無〕欲也難矣=
⑤ 〔人の(惑ひ)無からんと〕欲するや難し=
⑤ 人が疑問をなくそうと願っても、それは難しい。
のやうな「漢文訓読」は、「論理的構文ではないものの、「典型」である。
従って、
(22)
⑤ 欲人之無惑也難矣=
⑤ 人が疑問をなくそうと願っても、それは難しい。
といふ「漢文訓読」を、「述語論理」に訳すことは、出来ない
従って、
(23)
「師の説(韓愈)」の全体を、「述語論理」に訳すことは、出来ない


(219)「雜説・韓愈」の述語論理(Ⅱ):「返り点」に注意。

2019-05-12 13:24:03 | 漢文・述語論理

(01)
食馬者不知其能千里而食也=
食(馬)者不〔知(其能千里)而食〕也⇒
(馬)食者〔(其能千里)知而食〕不也=
(馬を)食ふ者は〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり=
馬を飼ふ者は、必ずしも、その馬が千里の馬であることを知った上で、飼ふわけではないのだ。
然るに、
(02)
「xが伯楽である。」ならば、そのときに限って、
「xは、其の(馬yの)能(力)が千里であることを知る。」
といふ風に、「定義」する。
従って、
(01)(02)により、
(03)
③ ある千里の馬yをxが飼ふとしても、そのxは、必ずしも、伯楽であるとは、限らない。
④ 馬を飼ふ者は、必ずしも、その馬が千里の馬であることを知った上で、飼ふわけではないのだ。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 食馬者不知其能千里而食也。
② ~∀x{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→伯楽x}
③ ある千里の馬yを、xが飼ふとしても、そのxは、必ずしも、伯楽であるとは、限らない。
④ 馬を飼ふ者は、必ずしも、その馬が千里の馬であることを知った上で、飼ふわけではないのだ。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1)~∀x{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} A
1 (2)∃x~{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} 1量化子の関係
 3(3)  ~{∃y[(千里y&馬y)&飼ay]→ 伯楽a} A
 3(4) ~{~∃y[(千里y&馬y)&飼ay]∨ 伯楽a} 3含意の定義
 3(5)  ~~∃y[(千里y&馬y)&飼ay]&~伯楽a  4ド・モルガンの法則
 3(6)    ∃y[(千里y&馬y)&飼ay]&~伯楽a  5DN
 3(7)    ∃y[(千里y&馬y)&飼ay]       6&E
 3(8)                     ~伯楽a  6&E
 3(9)    ~伯楽a&∃y[(千里y&馬y)&飼ay]  78&I
 3(ア) ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]} 9EI
1 (イ) ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]} 23アEE
(ⅱ)
1 (1) ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]} A
 2(2)    ~伯楽a&∃y[(千里y&馬y)&飼ay]  A
 2(3)    ~伯楽a                   2&E
 2(4)         ∃y[(千里y&馬y)&飼ay]  2&E
 2(5)    ∃y[(千里y&馬y)&飼ay]&~伯楽a  34&E
 2(6)  ~~∃y[(千里y&馬y)&飼ay]&~伯楽a  5DN
 2(7) ~{~∃y[(千里y&馬y)&飼ay]∨ 伯楽a} 6ド・モルガンの法則
 2(8)  ~{∃y[(千里y&馬y)&飼ay]→ 伯楽a} 7含意の定義
 2(9)∃x~{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} 8EI
1 (ア)∃x~{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} 129EE
1 (イ)~∀x{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x} ア量化子の関係
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)~∀x{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x}
(ⅱ) ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ)すべてのxについて、あるyが千里であって、馬であって、xがyを飼ふならば、xは伯楽である。といふわけではない。
(ⅱ)あるxは、伯楽でなく、あるyは、千里であって、馬であって、xはyを飼ふ。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(02)(07)により、
(08)
(ⅰ)すべてのxについて、あるyが千里であって、馬であって、xがyを飼ふならば、xは伯楽である。といふわけではない。
(ⅱ)あるxは、伯楽でなく、あるyは、千里であって、馬であって、xはyを飼ふ。
であるならば、いづれにせよ、
(ⅰ)xは、其の(馬yの)能(力)が千里であることを知った上で、yを飼ふのではない。
(ⅱ)xは、其の(馬yの)能(力)が千里であることを知った上で、yを飼ふのではない。
といふ、ことになる。
従って、
(01)~(08)により、
(09)
① 食馬者不知其能千里而食也=
① 食(馬)者不〔知(其能千里)而食〕也⇒
① (馬)食者〔(其能千里)知而食〕不也=
① (馬を)食ふ者は〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり=
① 馬を飼ふ者は、必ずしも、その馬が千里の馬であることを知った上で、飼ふわけではないのだ。
といふ「漢文訓読」は、
②   ∃x{~伯楽x&∃y[(千里y&馬y)&飼xy]}
③ ~∀x{∃y[(千里y&馬y)&飼xy]→ 伯楽x}
といふ「述語論理」に、すなはち、
② あるxは、伯楽でなく、あるyは、千里であって、馬であって、xはyを飼ふ。
③ すべてのxについて、あるyが千里であって、馬であって、xがyを飼ふならば、xは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理」に、相当する。
(10)

従って、
(10)により、
(11)
(イ)食(馬)者不〔知(其能千里)而食〕也。
(ロ)食(馬)者不〔知(其能千里)〕而食也。
(ハ)食(馬)者知(其能千里)而不(食)也。
である。
然るに、
(12)
「ド・モルガンの法則」により、
「AとBの、否定」は、
「AでなくてBであるか、BでなくてAであるか、AでもないしBでもない。」である。
従って、
(13)
「AとBの、否定」は、
「AでもないしBでもない。」ではない
然るに、
(14)
「A=馬を養ふ。」
「B=その能の千里なるを知る。」
とすると、
「A=馬を養ふ者。」 は、当然
「A=馬を養ふ。」
(12)(13)(14)により、
(15)
この場合の、
「AとBの、否定」は、
「AでなくてBであるか、BでなくてAであるか、AでもないしBでもない。」
といふ「3通り」の内の、
「BでなくてAである。」といふ「1通り以外は、有り得ない
従って、
(14)(15)により、
(16)
この場合の、
「AとBの、否定」は、
「BでなくてAである。」、すなはち、
その能の千里なるを知らずして、馬を養ふ。」といふ、ことになる。
従って、
(11)(16)により、
(17)
(イ)不〔知(其能千里)而食〕也=其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
(ロ)不〔知(其能千里)〕而食也=其の能の千里なるを知らずして食ふなり。
  の場合は、
(イ)=(ロ) である。
然るに、
(14)により、
(18)
(ハ)知(其能千里)而不(食)也=その能の千里なる知りて、食はざるなり。
の場合は、
「BであってAでない。」といふ、ことになる。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
(イ)不〔知(其能千里)而食〕也=「BでなくてAである。」
(ロ)不〔知(其能千里)〕而食也=「BでなくてAである。」
(ハ)知(其能千里)而不(食)也=「BであってAでない。」
である。
従って、
(19)により、
(20)
(イ)不〔知(其能千里)而食〕也=「BでなくてAである。」
(ロ)不〔知(其能千里)〕而食也=「BでなくてAである。」
(ハ)知(其能千里)而不(食)也=「BであってAでない。」
に於いて、
(イ)=(ロ) であるが、
(ロ)=(ハ) ではない
従って、
(20)により、
(21)
(イ)不〔知(其能千里)而食〕也=「BでなくてAである。」
(ロ)不〔知(其能千里)〕而食也=「BでなくてAである。」
(ハ)知(其能千里)而不(食)也=「BであってAでない。」
に於いて、「それぞれ、意味が違ってくる。」といふ。わけではない
従って、
(10)(21)により、
(22)
「中西清、漢文研究、昭和31年、292頁」にある、中西先生の「説明」は、「マチガイ」である。
従って、
(10)(21)(22)により、
(23)
(イ)下 二 一 上
(ロ)レ 二 一
といふ「返り点」は、「両方とも、正しい」。
然るに、
(24)
◆ 不 其能千里 而食 也 この句は、別に、
「不 其能千里 而食也」と返り点をつけて「その能の千里なるを知らずして食ふなり。」(=その能力が千里もあるのを知らずに養っている。)と訓読することができる。例文の場合、書き下し文だけを読むと、
「知 其能千里 而不食也」(その能力が千里もあることを知りながら養わない。)と混同するおそれがあるのでじゅうぶんに注意しなければならない(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1972、156頁)。
といふ「説明」は、「正しい」。

(218)「管到(括弧)」は有ります!!

2019-05-11 12:30:28 | 返り点、括弧。

―「昨日の記事」を「補足」します。―
(48)
原文
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖〔有(名馬)〕、祇辱(於奴隷人之手)、駢死(於槽櫪之間)、不〔以(千里称)〕也。
cf.
原文」に「括弧」は無い。といふ人がゐるかも知れない。然るに、「括弧(管到)が無い、言語」は、存在しない
然るに、
(49)
句読点」が無い「文(言語)」は、無いはずである。
然るに、
(50)
しかし、あれこれ説明しても「ワカラヘン」奴ばかり。そこでええいと思いきって黒板に大書した。「キンタマケルナ」と。右の文に正しく句読点をつけよ、と前へひっぱり出してチョークを持たせた。ところがどいつもこいつもマチガイ。正解は、「金太、負けるな」であるぞ。句読点の大切さを頭にタタキコメ(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、80頁)。
従って、
(50)により、
(51)
① キンタマ、ケル、ナ=金玉、蹴る、な。
② キンタ、マケル、ナ=金太、負ける、な。
に於いて、
①=② ではない。
然るに、
(52)
① キンタマケルナ。
とは異なり、
① 無蹴金玉。
であれば、
① 無、蹴、金玉=金玉を、蹴ること、なかれ。
といふ「解釈」しか、有りえない。
従って、
(52)により、
(53)
① 無食我。
であれば、
② 無、食我。
ではないし、
③ 無食、我。
ではなく、
① 無、食、我=我を、食らふこと、無かれ。
といふ「解釈」しか、有りえない。
然るに、
(54)
① 無、食、我=我を、食らふこと、無かれ。
に於いて、
① 無、
といふ「否定」は、
②    食、
だけを「否定」してゐるのでなく、
③   食、我
といふ「二語」を「否定」してゐる。
従って、
(54)により、
(55)
① 無、食、我=我を、食らふこと、無かれ。
に於いて、
① 無、
といふ「否定」は、
①   食、我
といふ「二語」に、「掛かってゐる」。
然るに、
(56)
① 無、食、我=我を、食らふこと、無かれ。
に於いて、
①   食
といふ「動詞」は、
①     我
といふ「一語」に、「掛かってゐる」。
従って、
(55)(56)により、
(57)
① 無、食、我=我を、食らふこと、無かれ。
に於いて、
① 無、は、
①  〔食、我〕に「掛かってゐて」、
①     食、は、
①    (我)に「掛かってゐる」。
然るに、
(58)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)。
従って、
(57)(58)により、
(59)
① 無〔食(我)〕=我を、食らふこと、無かれ。
に於ける、
①  〔 ( )〕
といふ「括弧」は、
① 無、食、我。
といふ「漢文の、管到」を表してゐる。
然るに、
(60)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
従って、
(58)(60)により、
(61)
「日本人の、白文の訓読」では、といふことに限らず、
「中国人の、漢文の読解」でも、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。
といふ、ことになる。
従って、
(53)(59)(61)により、
(62)
① 無食我。
といふ「漢文(白文)」の、
① 無、食、我。
といふ「句読点」と、
① 無〔食(我)〕。
といふ「括弧(管到)」を「無視」するならば、「中国人」であろうと、「日本人」であろうと、
① 無食我。
といふ「漢文(白文)」を、「読解」することは、出来ない
然るに、
(63)
「日本人」も、「中国人」も、
① 無食我。
といふ「漢文(白文)」を「読解」出来る。
従って、
(62)(63)により、
(64)
「MTT(後件否定)」により、
① 無食我。
といふ「漢文(白文)」には、
① 無〔食(我)〕。
といふ「括弧(管到)」が存在する(Q.E.D)。
然るに、
(65)
① 無〔食(我)〕=
① 3〔2(1)〕⇒
① 〔(1)2〕3=
① 〔(我)食〕無=
① 〔(我を)食ふこと〕無かれ。
従って、
(65)により、
(66)
① 無〔食(我)〕=
① 〔(我を)食ふこと〕無かれ。
であるため、この場合の、「漢文」と「訓読」では、「語順」になる。
然るに、
(67)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(64)~(67)により、
(68)
① 無食我=
① 無〔食(我)〕⇒
① 〔(我)食〕無=
① 〔(我を)食ふこと〕無かれ。
といふ「漢文訓読」に於ける、
①  〔 ( )〕
といふ「括弧」は、
(ⅰ)「漢字」の「管到」。
(ⅱ)「訓読」の「語順」。
(ⅲ)「漢文」の「補足構造」。
といふ、「三つ」を、表してゐる。
従って、
(69)
② 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
② 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
② 是以、大學始敎、必〈學者(凡天下之物)皍{[(其已知之理)因而益(之)極以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
② 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む=
② そのため、大學の敎へを始める際には、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)ついて、{[(その學者がすでに知っているの理に)依って、益々(これを)極め、以て〔(その極点に)至ることを〕求め]ないことが}無いやうに〉させる。
といふ「漢文訓読」に於ける、
②〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」も、
② 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極(大學 伝五章)。
といふ「漢文」に於ける、
(ⅰ)「漢字」の「管到」。
(ⅱ)「訓読」の「語順」。
(ⅲ)「漢文」の「補足構造」。
といふ、「三つ」を、表してゐる。
従って、
(69)により、
(70)
② 是以、大學始敎、必使 學者皍 凡天下之物、莫上レ 其已知之理、益々極 之、以求上レ 乎其極
に於ける、
② 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ、「読みにくい、返り点」も、
② 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に於ける、
(ⅰ)「漢字」の「管到」。
(ⅱ)「訓読」の「語順」。
(ⅲ)「漢文」の「補足構造」。
といふ、「三つ」を、表してゐる。
cf.
② 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
③ 己 二 一 戊  丁 二 一 レ 丙  乙 甲
に於いて、「語順」としては、
②=③ であるものの、
『漢文に関する文部省調査報告(明治45年3月29日官報掲載)』により、
③ 己 二 一 戊  丁 二 一 レ 丙  乙 甲
は、「マチガイ」になります。
従って、
(69)(70)により、
(71)
②〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
② 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「括弧と返り点」は、
② 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に於ける、
(ⅰ)「漢字」の「管到」。
(ⅱ)「訓読」の「語順」。
(ⅲ)「漢文」の「補足構造」。
といふ、「三つ」を、表してゐる。
従って、
(71)により、
(72)
②〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
② 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「括弧と返り点」は、ただ単に
② 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に於ける、
(ⅱ)「訓読」の「語順」。
だけを
、表してゐるわけではない
従って、
(72)により、
(73)
② 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
② 是以、大學始敎、必使 學者皍 凡天下之物、莫上レ 其已知之理、益々極 之、以求上レ 乎其極
といふ「漢文」に於ける、
②〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
② 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「括弧と返り点」は、
② 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ風に「訓読」をしようと、
② Shì yǐ dàxué shǐ jiào bì shǐ xuézhě jí fán tiānxià zhī wù mòbù yīn qí yǐ zhīzhī lǐ ér yì jí zhī yǐ qiú zhì hū qí jí.
といふ風「音読」しようと、初めから、
② 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に、備はってゐた。
といふ、ことになる。
従って、
(73)により、
(74)
訓読」をするにせよ、「音読」をするにせよ、例へば、
② 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」の、
②〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」、すなはち、「管到補足構造」を、無視することは、出来ない

(217)「雜説(韓愈)」の「述語論理」(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)。

2019-05-10 19:55:58 | 漢文・述語論理

―「記事(214・215・216)」を、「1つ」にまとめます。―
(01)
存在を表わす動詞として、古代語においても、「有」と「在」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、次のように全く反対である。
 A式 場所語―有―存在物
  例 机上有書(机上に書あり)
 B式 存在物―在―場所語
  例 書在机上(書、机上にあり)
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、346頁)
従って、
(01)により、
(02)
① 伯楽不常=伯楽は常にはあらず。
② 伯楽不常在=伯楽は常にはあらず。
であれば、
① は、「マチガイ」であって、
② が、「タダシイ」はずであるが、
「韓愈(雜説)」の「原文」では、何故か、
② ではなく、
① になってゐる。
然るに、
(03)
③ 臣弑其君者有之=臣にして其の君を弑する者、之有り。
のやうな「倒置」であるならば、
① 伯楽不常有 =伯楽は常にはあらず。
ではなく、
① 伯楽不常有之=伯楽は常には、之有らず。
になってゐても、ヲカシクはない。
然るに、
(04)
④ 常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
等は、すべて、「名詞」である。
従って、
(04)により、
(05)
常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
だけでなく、
常有
の場合も、「名詞」なのかも知れない。
従って、
(05)により、
(06)
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
の場合も、
④ 千里馬常有=千里の馬は常有である。
といふ「名詞文」として、
④ 千里馬常有=千里(形容詞)+馬(名詞)+常有(名詞)。
といふ「語順」なのかも、知れないし、さうであれば、
④ 千里馬常有=千里馬は常有である。
といふ「語順」は、「漢文として、普通である」。
然るに、
(07)
「韓愈」自身は、
存在を表わす動詞として、古代語においても、「」と「」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、全く反対である。
といふことを、どうでも良いと思ってゐたのかも、知れない。
然るに、
(08)
仮に、さうであるならば、
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
といふ「それ」は、固より、
① 伯楽不常=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常=千里の馬は常にあり。
である。といふことになる。
然るに、
(09)
① 世有伯楽、然後有千里馬=
① 世有(伯楽)、然後有(千里馬)⇒
① 世(伯楽)有、然後(千里馬)有=
① 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里馬)有り=
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
然るに、
(09)により、
(10)
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
といふことは、
① 伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。
といふ、ことである。
然るに、
(11)
① 伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。⇔
① ~∃x(伯楽x)→~∃y(千里馬y)⇔
① 伯楽であるxが存在しないのであれば、千里馬であるyも存在しない。
然るに、
(12)
1  (1)~∃z(伯楽z)→  ~∃y(千里y&馬y)   A
 2 (2)~∃z(伯楽z)                 A
  3(3)            ∃y(千里y&馬y)   A
  3(4)          ~~∃y(千里y&馬y)   3DN 
12 (5)           ~∃y(千里y&馬y)   12MPP
123(6)~~∃y(千里y&馬y)&~∃y(千里y&馬y) 45&I
1 3(7)~~∃z(伯楽z)                26RAA
1 3(8)  ∃z(伯楽z)                7DN
1  (9)  ∃y(千里y&馬y)→ ∃z(伯楽z)    38CP
(ⅱ)
1  (1)  ∃y(千里y&馬y)→ ∃z(伯楽z)    A
 2 (2)  ∃y(千里y&馬y)             A
  3(3)             ~∃z(伯楽z)    A
12 (4)              ∃z(伯楽z)    12MPP
123(5)     ~∃z(伯楽z)&∃z(伯楽z)    34&I
1 3(6) ~∃y(千里y&馬y)             25RAA
1  (7) ~∃z(伯楽z)→~∃y(千里y&馬y)    36CP
従って、
(12)により、
(13)
① ~∃z(伯楽z) →~∃y(千里y&馬y)=あるzが伯楽でないならば、あるyは千里の馬ではない。
②   ∃y(千里y&馬y)→ ∃z(伯楽z) =千里の馬であるyが存在するならば、伯楽であるzも存在する。
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)~(13)により、
(14)
① 世有伯楽、然後有千里馬=
① 世有(伯楽)、然後有(千里馬)⇒
① 世(伯楽)有、然後(千里馬)有=
① 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里馬)有り=
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
といふ「漢文・訓読」は、
① ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)⇔
① あるyが千里であって、そのyが馬であるならば、あるzは伯楽である。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(15)
② 千里馬常有而⇔
② 千里の馬は常に有れども=
② 千里の馬は、常にゐるが、
然るに、
(16)
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
といふことからすれば、
② 千里の馬は、常にゐる。
といふことは、
② 馬の中には、千里の馬がゐる。
といふ「意味」である。
従って。
(15)(16)により、
(17)
② 千里馬常有而⇔
② 千里の馬は常に有れども=
② 千里の馬は、常にゐるが、
といふ「漢文・訓読」は、
② ∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}⇔
② すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは千里であって、そのyは馬である。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(18)
③ 伯楽不常有=
③ 伯楽不(常有)⇔
③ 伯楽は(常には有ら)ず=
③ 伯楽は、常にゐるとは、限らない。
に関しては、
 ―「部分否定」と「全部否定」。―
然るに、
(19)
{a、b、c}が「変域(ドメイン)」であるとき、
① ~∀x( Fx)=~(Fa&Fb&Fc)
然るに、
(20)
「ド・モルガンの法則」により、
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
然るに、
(21)
②   ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
従って、
(20)(21)により、
(22)
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
②   ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(23)
③  ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)
然るに、
(24)
「ド・モルガンの法則と、二重否定」により、
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=(~~Fa&~~Fb&~~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
従って、
(23)(24)により、
(25)
③  ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=(~~Fa&~~Fb&~~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(25)により、
(26)
⑤  ∀x( ~Fx)= ( ~Fa& ~Fb& ~Fc)
⑥ ~∃x(~~Fx)=~(~~Fa∨~~Fb∨~~Fc)
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(27)
「二重否定」により、
⑤  ∀x( ~Fx)= (~Fa&~Fb&~Fc)
⑥ ~∃x(  Fx)=~( Fa∨ Fb∨ Fc)
従って、
(22)(25)(27)により、
(28)
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
②   ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
③  ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
⑤  ∀x(~Fx)= (~Fa&~Fb&~Fc)
⑥ ~∃x( Fx)=~( Fa∨ Fb∨ Fc)
に於いて、
①=② であって、
③=④ であって、
⑤=⑥ であるものの、このこと他を、「量化子の関係」と言ふ。
然るに、
(29)
(ⅰ)
1 (1)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) A
1 (2)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 1量化子の関係
 3(3)  ~(馬喰a→ 伯楽a) A
 3(4) ~(~馬喰a∨ 伯楽a) 3含意の定義
 3(5) ~~馬喰a& ~伯楽a  4ド・モルガンの法則
 3(6)   馬喰a& ~伯楽a  5DN
 3(7)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 6EI
1 (8)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 237EE
(ⅱ)
1 (1)∃x(馬喰x& ~伯楽x) A
 2(2)   馬喰a& ~伯楽a  A
 2(3)~~(馬喰a& ~伯楽a) 2DN
 2(4)~(~馬喰a∨~~伯楽a) 3ド・モルガンの法則
 2(5)~(~馬喰a∨  伯楽a) 4DN
 2(6)  ~ 馬喰a→ 伯楽a) 5含意の定義
 2(7)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 6EI
1 (8)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 127EE
1 (9)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) 8量化子の関係
(30)
(ⅲ)
1(1)   ∀x(馬喰x→~伯楽x) A
1(2)      馬喰a→~伯楽a  1UE
1(3)     ~馬喰a∨~伯楽a  2含意の定義
1(4)    ~(馬喰a& 伯楽a) 3ド・モルガンの法則
1(5)  ∀x~(馬喰x& 伯楽x) 4UI
1(6)~∃x~~(馬喰x& 伯楽x) 4量化子の関係
1(7)  ~∃x(馬喰x& 伯楽x) 6DN
(ⅳ)
1(1)  ~∃x(馬喰x& 伯楽x) A
1(2)  ∀x~(馬喰x& 伯楽x) 1量化子の関係
1(3)    ~(馬喰a& 伯楽a) 2UE
1(4)     ~馬喰a∨~伯楽a  3ド・モルガンの法則
1(5)      馬喰a→~伯楽a  4含意の定義
1(6)   ∀x(馬喰x→~伯楽x) 5UI
従って、
(29)(30)により、
(31)
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
③   ∀x(馬喰x→~伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽ではない。
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=あるxが馬喰であって、伯楽である。といふことはない(伯楽である馬喰は、存在しない)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
然るに、
(32)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)= (~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=~( 伯楽a∨ 伯楽b∨ 伯楽c)
である。
従って、
(32)により、
(33)
「ドモルガンの法則」により、
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=(~伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
然るに、
(34)
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、例へば、       (  伯楽a& 伯楽b& 伯楽c) であれば、「」であるが、   
                ( 伯楽a&~伯楽b&~伯楽c) であれば、「真」である。
従って、
(32)(34)により、
(35)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、例へば、 
② 馬喰aは伯楽である。
② 馬喰bは伯楽ではない
② 馬喰cも伯楽ではない
といふ場合に於いて、「」である。
従って、
(36)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、
② 三人の内の、一人は伯楽であり、他の二人は伯楽でない
のであれば、その場合は、「」である。
従って、
(37)
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、
②「部分否定」である。
従って、
(31)(37)により、
(38)
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
に於いて、
①=② は、「部分否定」である。
然るに、
(33)により、
(39)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=(~伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
であれば、
④ 三人の内の、三人とも伯楽でない
ならば、そのときに限って、「」である。
従って、
(31)(39)により、
(40)
③   ∀x(馬喰x→~伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽ではない。
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=あるxが馬喰であって、伯楽である。といふことはない(伯楽である馬喰は、存在しない)。
に於いて、
③=④ は、「全部否定」である。
然るに、
(41)
「不常~」「常二ハ~ず」と読み、「いつも~とはかぎらない」の意を示す一部否定の形。全部否定は「常不~」の形で「常に~ず」と読み、「いつもからなず~ない」の意を表す。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、155頁)
従って、
(18)(38)(41)により、
(42)
③ 伯楽不常有=
③ 伯楽不(常有)⇔
③ 伯楽は(常には有ら)ず=
③ 伯楽は、常にゐるとは、限らない
といふ「漢文・訓読」は、
③ ~∀x(馬喰x→伯楽x)⇔
③ すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
従って、
(14)(17)(42)により、
(43)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有=
④ 世有(伯楽)、然後有(千里馬)。千里馬常有而伯楽不(常有)⇔
④ 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。千里馬は常に有れども伯楽は(常には有ら)ず=
④ 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)⇔
④ 千里の馬であるyが存在するならば、伯楽であるxも存在する。すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(44)
1  (1) ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀x(馬喰z→伯楽z)    A
1  (2)                    ∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}                 1&E
1  (3)                       馬a→∃y(千里y&馬y)                  2UE
 4 (4)                       馬a                             A
14 (5)                          ∃y(千里y&馬y)                  34MPP
1  (6) ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)                                   1&E
14 (7)            ∃z(伯楽x)                                   56MPP
14 (8)            ∃z(伯楽x)&∃y(千里y&馬y)                        57&I
1  (9)                                      ~∀z(馬喰z→伯楽z)    1&E
1  (ア)                                     ~∀z(~馬喰z∨伯楽z)    1含意の定義
1  (イ)                                     ∃z~(~馬喰z∨伯楽z)    ア量化子の関係
  ウ(ウ)                                       ~(~馬喰a∨伯楽a)    A
  ウ(エ)                                       ~~馬喰a&~伯楽a     ウ、ド・モルガンの法則
  ウ(オ)                                         馬喰a&~伯楽a     エDN
  ウ(カ)                                      ∃z(馬喰a&~伯楽z)    オEI
1  (キ)                                      ∃z(馬喰z&~伯楽z)    イウカEE
14 (ク)             ∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)                  5キ&I
14 (ケ)      [∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]  8ク&I
1  (コ)   馬a→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]  4ケCP
1  (サ)∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]} コUI
従って、
(44)により、
(45)
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
⑤ ∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]}
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
従って、
(45)により、
(46)
④ あるyが千里の馬であるならば、あるzは伯楽であり、&すべてのxについて、xが馬ならば、あるyは千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
⑤ すべてのxについて、xが馬ならば[あるzは伯楽であり、あるyは千里の馬であり」、&[あるzは馬喰であるが伯楽ではなく、あるyは千里の馬である]。
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
従って、
(46)により、
(47)
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
⑤ 馬がゐれば[伯楽と千里の馬の、ペア]が存在し[伯楽ではない馬喰と千里の馬の、ペア]が存在することになる。
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
然るに、
(48)
原文
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖〔有(名馬)〕、祇辱(於奴隷人之手)、駢死(於槽櫪之間)、不〔以(千里称)〕也。
cf.
原文」に「括弧」は無い。といふ人がゐるかも知れない。然るに、「括弧(スコープ・管到)が無い言語」は、存在しない
〔訓読〕
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死、千里を以つて称せられざるなり。
〔口語〕
世の中に、伯楽がいてこそ初めて、千里の馬が存在する。
千里の馬は、常に世存在するが、伯楽は、常にいるわけではない。
そのため、千里の馬がいたとしても、卑しい人間の手で、粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
従って、
(48)により、
(49)
④[伯楽と千里の馬の、ペア]が存在し[伯楽ではない馬喰と千里の馬の、ペア]が存在する。からこそ、
④ 千里の馬の中の、ある馬は、(伯楽ではない)卑しい人間の手で、粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
といふ風に、韓愈は、言ってゐる。
従って、
(43)~(49)により、
(50)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有。
といふ「漢文」は、確かに、
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(51)
いっぽう、漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は、原理的に存在できない(加藤徹、白文攻略 漢文法ひとり学び、2013年、8頁)。
然るに、
(52)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた述語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかもたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)。
従って、
(50)(51)(52)により、
(53)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有。
といふ「漢文」にも、「ネイティブライター」は、存在しないし、
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
といふ「述語論理」にも、「ネイティブライター」は、存在しない。
従って、
(54)
「中国語(白話)」を学んでも、「漢文」が書けるようにならないことは、
「英語や独語」を学んでも、「述語論理」が書けるようにならないことと、「同じこと」である。
然るに、
(55)
文言と白話といい、それは同じ中国語であって、元来は一つのものである、ただ単音節のつねとして原則的にひとつの音節をひとつの漢字でうつしたものが文言であり、それでは目で読めても、耳でききわけにくいため、ひとつの音節に別の音節を付属させたものば白話である(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、19頁)。
従って、
(56)
加藤徹先生の「説明」と、牛島徳次郎先生の「説明」は、「漢文は、耳で聞いても理解できない。」といふ点に於いて、「一致」し、「漢文は、中国語である。」といふ点に於いて、「矛盾」する。

(216)「雜説(韓愈)」の「述語論理」。

2019-05-10 14:32:53 | 訓読・論理学

―「昨日の記事(215)」の「続き」を書きます。―
従って、
(28)(41)(44)により、
(45)
③ 千里馬常有而伯楽不常有=
③ 千里馬常有而伯楽不(常有)⇔
③ 千里の馬は常に有れども、伯楽は(常には有ら)ず=
③ 千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
といふ「漢文・訓読」は、
③ ∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)=
③ すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(46)
① 世有伯楽、然後有千里馬=
① 世有(伯楽)、然後有(千里馬)⇒
① 世(伯楽)有、然後(千里馬)有=
① 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里馬)有り=
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
然るに。
(46)により、
(47)
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
といふことは、
① 伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。
といふ、ことである。
然るに、
(48)
① 伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。⇔
① ~∃x(伯楽x)→~∃y(千里馬y)⇔
① xは伯楽であって、そのやうなxが存在しないのであれば、yは千里馬であって、そのやうなyも存在しない。
然るに、
(49)
(ⅰ)
1  (1)~∃x(伯楽x)→  ~∃y(千里馬y) A
 2 (2)~∃x(伯楽x)             A
  3(3)            ∃y(千里馬y) A
  3(4)          ~~∃y(千里馬y) 3DN      
12 (5)           ~∃y(千里馬y) 12MPP
123(6)~~∃y(千里馬y)&~∃y(千里馬y) 45&I
1 3(7)~~∃x(伯楽x)            26RAA
1 3(8)  ∃x(伯楽x)            7DN
1  (9)  ∃y(千里馬y)→ ∃x(伯楽x)  38CP
(ⅱ)
1  (1)  ∃y(千里馬y)→ ∃x(伯楽x)  A
 2 (2)  ∃y(千里馬y)           A
  3(3)           ~∃x(伯楽x)  A
12 (4)            ∃x(伯楽x)  12MPP
123(5)   ~∃x(伯楽x)&∃x(伯楽x)  34&I
1 3(6) ~∃y(千里馬y)           25RAA
1  (7) ~∃x(伯楽x)→~∃y(千里馬y)  36CP
従って、
(49)により、
(50)
① ~∃x(伯楽x) →~∃y(千里馬y)=あるxは伯楽であって、そのやうなxは存在しないのであれば、あるyは千里馬であって、そのやうなyは存在しない。
②   ∃y(千里馬y)→ ∃x(伯楽x) =千里馬であるyが存在するならば、伯楽であるxも存在する。
に於いて、
①=② である。
従って、
(45)~(50)により、
(51)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有=
④ 世有(伯楽)、然後有(千里馬)。千里馬常有而伯楽不(常有)⇔
④ 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。千里馬は常に有れども伯楽は(常には有ら)ず=
④ 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)⇔
④ 千里馬であるyが存在するならば、伯楽であるxも存在する。すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(52)
④ すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里馬である。
といふことは、
④ 「馬といふ集合」の「要素」として、「千里馬」が存在する。
といふ、ことであって、
④ すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふことは、
④「馬喰といふ集合」の「要素」として「伯楽ではない者」が存在する。
といふ、ことである。
従って、
(50)(52)により、
(53)
④ ∃y(千里馬y)→∃x(伯楽x)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
といふ「述語論理」は、要するに、
④ 千里馬が存在するならば、伯楽も存在する。千里馬は存在する。伯楽でない馬喰も存在する。
といふ「意味」になる。
然るに、
(54)
④ 千里馬が存在するならば、伯楽も存在する。千里馬は存在する。伯楽でない馬喰も存在する。
といふことは、要するに、
④ 千里馬と、伯楽である馬喰と、伯楽ではない馬喰が、同時に存在する。
といふ「意味」になる。
然るに、
(55)
〔原文〕
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖有(名馬)、祇辱(於奴隷人之手)、駢死(於槽櫪之間)、不〔以(千里称)〕也。
〔訓読〕
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死、千里を以つて称せられざるなり。
〔口語〕
世の中に、伯楽がいてこそ初めて、千里の馬が存在する。
千里の馬は、常に世存在するが、伯楽は、常にいるわけではない。
そのため、名馬がいたとしても、卑しい人間の手で、粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
従って、
(54)(55)により、
(56)
④ 千里馬と、伯楽である馬喰と、伯楽ではない馬喰が、同時に存在する。
といふことから、
④ 伯楽ではない馬喰と千里馬が、ペアになると、千里馬は、千里馬としての評価を受けることが、出来ない。
といふことを、韓愈は、言ってゐる。
然るに、
(57)
1  (1) ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀x(馬喰z→伯楽z)    A
1  (2)                  ∀x{馬x→∃y(千里馬y)}                 1&E
1  (3)                     馬a→∃y(千里馬y)                  2UE
 4 (4)                     馬a                           A
14 (5)                        ∃y(千里馬y)                  34MPP
1  (6) ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)                                 1&E
14 (7)          ∃z(伯楽x)                                 56MPP
14 (8)          ∃z(伯楽x)&∃y(千里馬y)                        57&I
1  (9)                                   ~∀z(馬喰z→伯楽z)   1&E 
1  (ア)                                  ~∀z(~馬喰z∨伯楽z)   1含意の定義
1  (イ)                                  ∃z~(~馬喰z∨伯楽z)   ア量化子の関係
  ウ(ウ)                                    ~(~馬喰a∨伯楽a)   A
  ウ(エ)                                    ~~馬喰a&~伯楽a    ウ、ド・モルガンの法則
  ウ(オ)                                      馬喰a&~伯楽a    エDN
  ウ(カ)                                   ∃z(馬喰a&~伯楽z)   オEI
1  (キ)                                   ∃z(馬喰z&~伯楽z)   イウカEE
14 (ク)            ∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)                 5キ&I
14 (ケ)      [∃z(伯楽z)&∃y(千里馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)]  8ク&I
1  (コ)   馬a→[∃z(伯楽z)&∃y(千里馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)]  4ケCP
1  (サ)∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)]} コUI
従って、
(57)により、
(58)
④ ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
⑤ ∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里馬y)]}
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
従って、
(58)により、
(59)
④ あるyが千里馬であるならば、あるzは伯楽であり、&すべてのxについて、xが馬ならば、あるyは千里馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
⑤ すべてのxについて、xが馬ならば[あるzは伯楽であり、あるyは千里馬であり」、&[あるzは馬喰であるが伯楽ではなく、あるyは千里馬である]。
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
従って、
(55)(59)により、
(60)
④ 馬がゐる限り、ある千里馬は、伯楽ではない、馬喰に、飼はれることになり、それ故、
⑤ 馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
といふ、ことになる。
従って、
(46)(60)により、
(61)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有=
④ 世有(伯楽)、然後有(千里馬)。千里馬常有而伯楽不(常有)⇔
④ 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。千里馬は常に有れども伯楽は(常には有ら)ず=
④ 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∃y(千里馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)⇔
④ あるyが千里馬であるならば、あるzは伯楽であり、&すべてのxについて、xが馬ならば、あるyは千里馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰ではないならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
       

(215)「雜説(韓愈)」の「有」の「語順」と「千里馬常有」の「述語論理」。

2019-05-09 19:20:54 | 訓読・論理学

―「先ほどの記事(214)」の「続き」を書きます。―
(32)
存在を表わす動詞として、古代語においても、「」と「」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、次のように全く反対である。
 A式 場所語―有―存在物
  例 机上書(机上に書あり)
 B式 存在物―在―場所語
  例 書机上(書、机上にあり)
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、346頁)
従って、
(32)により、
(33)
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
② 伯楽不常=伯楽は常にはあらず。
であれば、
① は、「マチガイ」であって、
② が、「タダシイ」はずであるが、
「韓愈(雜説)」の「原文」では、何故か
② ではなく、
① になってゐる。
然るに、
(34)
③ 臣弑其君者有之=臣にして其の君を弑する者、之有り。
のやうな「倒置」であるならば、
① 伯楽不常有 =伯楽は常にはあらず。
ではなく、
① 伯楽不常有之=伯楽は常には、之有らず。
になってゐても、ヲカシクはない。
然るに、
(35)
④ 常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
等は、すべて、「名詞」である。
従って、
(35)により、
(36)
常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
だけでなく、
常有
の場合も、「名詞」なのかも知れない。
従って、
(36)により、
(37)
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
の場合も、
④ 千里馬常有=千里の馬は常有である。
といふ「名詞文」として、
④ 千里馬常有=千里(形容詞)+馬(名詞)+常有(名詞)。
といふ「語順」なのかも、知れないし、さうであれば、
④ 千里馬常有=千里の馬は常有である。
といふ「語順」は、「漢文として、普通である」。
然るに、
(38)
「韓愈」自身は、
存在を表わす動詞として、古代語においても、「」と「」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、全く反対である。
といふことを、どうでも良いと思ってゐたのかも、知れない。
然るに、
(39)
仮に、さうであるならば、
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
といふ「それ」は、固より、
① 伯楽不常=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常=千里の馬は常にあり。
である。といふことになる。
然るに、
(40)
(ⅰ)
1  (1)∀x{馬x→∃y(千里xy)}    A
1  (2)   馬a→∃y(千里xy)     1UE
 3 (3)   馬a              A
13 (4)         ∃y(千里xy)  23MPP
  5(5)            千里ab   A
 35(6)         馬a&千里ab   35&I
 35(7)      ∃y(馬a&千里ay)  6EI
13 (8)      ∃y(馬a&千里ay)  457EE
1  (9)   馬a→∃y(馬a&千里ay)  38CP
1  (ア)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)} 9UI
(ⅱ)
1  (1)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)} A
1  (2)   馬a→∃y(馬a&千里ay)  1UE
 3 (3)   馬a              A
13 (4)      ∃y(馬a&千里ay)  23MPP
  5(5)         馬a&千里ab   A
  5(6)            千里ab   5&E
  5(7)         ∃y(千里ay)  6EI
13 (8)         ∃y(千里ay)  457EE
1  (9)      馬a→∃y(千里xy)  38CP
1  (ア)   ∀x{馬x→∃y(千里xy)} 9UI
従って、
(41)
(ⅰ)∀x{馬x→   ∃y(千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、xの千里である。
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(42)
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
といふことは、
(ⅱ)「馬の集合」の中には、「千里の馬」が、「必ずゐる」。
といふ「意味」である。
然るに、
(43)
(ⅱ)「馬の集合」の中には、「千里の馬」が、「必ずゐる」。
といふことは、
(ⅱ)千里の馬は、常に有る。
といふことである。
然るに、
(44)
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
とするよりも、
(ⅲ)∀x{馬x→∃y(千里馬y)}   =すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬である。
とする方が、「簡単(計算が楽)」なので、以下では、
(ⅲ)∀x{馬x→∃y(千里馬y)}   =すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬である。
であると、する。
従って、
(28)(41)(44)により、
(45)
④ 千里馬常有而伯楽不常有=
④ 千里馬常有而伯楽不(常有)⇒
④ 千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)=
④ すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
(46)
漢文」は、もともと、「人工言語」であるものの、「漢文の文法」は、「語順」だけである。と言っても、「言ひ過ぎ」ではない。
従って、
(47)
漢文」には、「ギリシャ語や、ラテン語や、エスペラント」のやうな「文法」が「一切、皆無」である。
cf.
漢語におけるこのような表現のしかたは、単語の間の関係を文法的な形式によって示すことを重んじている西欧の言語になれている人にとっては、まことに奇妙なことに思われるものと考えられる。カールグレン氏は、その著書《中国の言語》において、このような奇妙な孤立的な漢語の文法は、「非常に貧弱なものであり」、「漢語においては、文法的な分析は、あまり役に立たず、実際に役立つのは、広い読書を通じて習得した経験、つまり、中国人がどのようにして文をつくりあげているかということに対する感覚が、唯一のものである」と説き、更に、漢語の文の意味を理解するためには、「豊富な直観が、必要である」とも述べている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、293頁)。
然るに、
(48)
述語論理」にも、「ギリシャ語や、ラテン語や、エスペラント」のやうな「文法」が、「皆無」である。
それ故、
(49)
蓋し、「述語論理」に、「最も近い言語」は、「漢文」であるに、違ひない。
従って、
(50)
漢文」に興味がある私は、「その勢ひ」として、「述語論理」にも、興味を持つことなる。
それ故、
(51)
「然るべき、漢文」に関しては、どうしても、「述語論理」に訳したくなるものの、そのやうなことをしてゐると、せっかく買った、「Word2019」の勉強を、いつまで経っても、始めることが出来ず、そのことが、今現在の、「最大の悩み」になってゐる。

(214)「伯楽不常有(部分否定)」と「伯楽常不有(全部否定)」の「述語論理」。

2019-05-09 14:51:41 | 訓読・論理学

(01)
{a、b、c}が「変域(ドメイン)」であるとき、
① ~∀x( Fx)=~(Fa&Fb&Fc)
然るに、
(02)
「ド・モルガンの法則」により、
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
然るに、
(03)
②   ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
従って、
(02)(03)により、
(04)
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
②   ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
③  ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)
然るに、
(06)
「ド・モルガンの法則と、二重否定」により、
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=(~~Fa&~~Fb&~~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
従って、
(05)(06)により、
(07)
③  ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=(~~Fa&~~Fb&~~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(07)により、
(08)
⑤  ∀x( ~Fx)= ( ~Fa& ~Fb& ~Fc)
⑥ ~∃x(~~Fx)=~(~~Fa∨~~Fb∨~~Fc)
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(09)
「二重否定」により、
⑤  ∀x( ~Fx)= (~Fa&~Fb&~Fc)
⑥ ~∃x(  Fx)=~( Fa∨ Fb∨ Fc)
従って、
(04)(07)(09)により、
(10)
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
②   ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
③  ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
⑤  ∀x(~Fx)= (~Fa&~Fb&~Fc)
⑥ ~∃x( Fx)=~( Fa∨ Fb∨ Fc)
に於いて、
①=② であって、
③=④ であって、
⑤=⑥ であるものの、このこと他を、「量化子の関係」と言ふ。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1 (1)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) A
1 (2)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 1量化子の関係
 3(3)  ~(馬喰a→ 伯楽a) A
 3(4) ~(~馬喰a∨ 伯楽a) 3含意の定義
 3(5) ~~馬喰a& ~伯楽a  4ド・モルガンの法則
 3(6)   馬喰a& ~伯楽a  5DN
 3(7)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 6EI
1 (8)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 237EE
(ⅱ)
1 (1)∃x(馬喰x& ~伯楽x) A
 2(2)   馬喰a& ~伯楽a  A
 2(3)~~(馬喰a& ~伯楽a) 2DN
 2(4)~(~馬喰a∨~~伯楽a) 3ド・モルガンの法則
 2(5)~(~馬喰a∨  伯楽a) 4DN
 2(6)  ~ 馬喰a→ 伯楽a) 5含意の定義
 2(7)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 6EI
1 (8)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 127EE
1 (9)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) 8量化子の関係
(12)
(ⅲ)
1(1)   ∀x(馬喰x→~伯楽x) A
1(2)      馬喰a→~伯楽a  1UE
1(3)     ~馬喰a∨~伯楽a  2含意の定義
1(4)    ~(馬喰a& 伯楽a) 3ド・モルガンの法則
1(5)  ∀x~(馬喰x& 伯楽x) 4UI
1(6)~∃x~~(馬喰x& 伯楽x) 4量化子の関係
1(7)  ~∃x(馬喰x& 伯楽x) 6DN
(ⅳ)
1(1)  ~∃x(馬喰x& 伯楽x) A
1(2)  ∀x~(馬喰x& 伯楽x) 1量化子の関係
1(3)    ~(馬喰a& 伯楽a) 2UE
1(4)     ~馬喰a∨~伯楽a  3ド・モルガンの法則
1(5)      馬喰a→~伯楽a  4含意の定義
1(6)   ∀x(馬喰x→~伯楽x) 5UI
従って、
(11)(12)により、
(13)
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
③   ∀x(馬喰x→~伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽ではない。
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=あるxが馬喰であって、伯楽である。といふことはない(伯楽である馬喰は、存在しない)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
然るに、
(14)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)= (~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=~( 伯楽a∨ 伯楽b∨ 伯楽c)
である。
従って、
(14)により、
(15)
「ドモルガンの法則」により、
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=(~伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
然るに、
(16)
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、例へば、       (  伯楽a& 伯楽b& 伯楽c)
であれば、「偽」であるが、     ( 伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
であれば、「真」である。
従って、
(14)(16)により、
(17)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、例へば、 
② 馬喰aは伯楽である。
② 馬喰bは伯楽ではない
② 馬喰cも伯楽ではない
といふ場合に於いて、「」である。
従って、
(18)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、
② 三人の内の、一人は伯楽であり、他の二人は伯楽でない
のであれば、その場合は、「」である。
従って、
(19)
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、
②「部分否定」である。
従って、
(13)(19)により、
(20)
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
に於いて、
①=② は、「部分否定」である。
然るに、
(15)により、
(21)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=(~伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
であれば、
④ 三人の内の、三人とも伯楽でない。
ならば、そのときに限って、「」である。
従って、
(13)(21)により、
(22)
③   ∀x(馬喰x→~伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽ではない。
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=あるxが馬喰であって、伯楽である。といふことはない(伯楽である馬喰は、存在しない)。
に於いて、
③=④ は、「全部否定」である。
然るに、
(23)
①「有」は「他動詞的」であって、
②「在」は「自動詞的」である。
従って、
(23)により、
(24)
① 伯楽不常有。
② 伯楽不常在。
であれば、
① よりも、
② の方が、分かり易い。
然るに、
(25)
「不常~」「常ニハ~ず」と読み、「いつも~とはかぎらない」の意を示す一部否定の形。全部否定は「常不」の形で「常に~ず」と読み、「いつもからなず~ない」の意を表す。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、155頁)
然るに、
(26)
① 伯楽不常有=
① 伯楽不(常有)=
① 伯楽(常有)不⇒
① 伯楽は(常には有)ず。
(27)
③ 伯楽常不有=
③ 伯楽常不(有)⇒
③ 伯楽常(有)不=
③ 伯楽は常に(有ら)ず。
従って、
(20)(22)(25)(26)(27)により、
(28)
① 伯楽不常有=伯楽は常には有ず。
といふ「漢文・訓読」は、それぞれ、
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
といふ「述語論理・訓読」に対応し、
③ 伯楽常不有=伯楽は常に有ず。
といふ「漢文・訓読」は、
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
②  ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
といふ「述語論理・訓読」に対応する。
然るに、
(29)
因みに言ふと、
① 伯楽不常有。
といふ「漢文」は、
① 伯楽不常有=
① 伯楽不〔常(有)〕⇒
① 伯楽〔(有)常〕不=
① 伯楽は〔(有ること)常なら〕ず。
といふ風に、読むことも、可能であるし、
③ 伯楽常不有。
といふ「漢文」は、
③ 伯楽常不有=
③ 伯楽常〔不(有)〕⇒
③ 伯楽〔(有)不〕常=
③ 伯楽は〔(有ら)ざること〕常なり。
といふ風に、読むことも、可能であり、この方が、分かり易い。
cf.
原田種臣、私の漢文講義、1995年、56頁。
(30)
(ⅰ)
1 (1)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) A
1 (2)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 1量化子の関係
 3(3)  ~(馬喰a→ 伯楽a) A
 3(4) ~(~馬喰a∨ 伯楽a) 3含意の定義
 3(5) ~~馬喰a& ~伯楽a  4ド・モルガンの法則
 3(6)   馬喰a& ~伯楽a  5DN
 3(7)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 6EI
1 (8)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 237EE
(ⅱ)
1 (1)∃x(馬喰x& ~伯楽x) A
 2(2)   馬喰a& ~伯楽a  A
 2(3)~~(馬喰a& ~伯楽a) 2DN
 2(4)~(~馬喰a∨~~伯楽a) 3ド・モルガンの法則
 2(5)~(~馬喰a∨  伯楽a) 4DN
 2(6)  ~ 馬喰a→ 伯楽a) 5含意の定義
 2(7)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 6EI
1 (8)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 127EE
1 (9)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) 8量化子の関係
といふ「計算」は、
(ⅰ)
1 (1)不常x(馬喰x則 伯楽x) A
1 (2)有x不(馬喰x則 伯楽x) 1量化子の関係
 3(3)  不(馬喰a則 伯楽a) A
 3(4) 不(不馬喰a若 伯楽a) 3含意の定義
 3(5) 不不馬喰a且 不伯楽a  4ド・モルガンの法則
 3(6)   馬喰a且 不伯楽a  5DN
 3(7)有x(馬喰x且 不伯楽x) 6EI
1 (8)有x(馬喰x且 不伯楽x) 237EE
(ⅱ)
1 (1)有x(馬喰x且 不伯楽x) A
 2(2)   馬喰a且 不伯楽a  A
 2(3)不不(馬喰a且 不伯楽a) 2DN
 2(4)不(不馬喰a若不不伯楽a) 3ド・モルガンの法則
 2(5)不(不馬喰a若  伯楽a) 4DN
 2(6)  不 馬喰a則 伯楽a) 5含意の定義
 2(7)有x不(馬喰x則 伯楽x) 6EI
1 (8)有x不(馬喰x則 伯楽x) 127EE
1 (9)不常x(馬喰x則 伯楽x) 8量化子の関係
といふ風に、書いても、構はない。
(31)
1 (1)不常x(馬喰x則 伯楽x) A
1 (2)有x不(馬喰x則 伯楽x) 1量化子の関係
であれば、
1 (1)xが馬喰であるならば、則ち、xが伯楽である。といふことは、常にさうである。といふわけではない。 A
1 (2)有るxが馬喰であるならば、則ち、xが伯楽である。といふわけではない。 1量化子の関係
といふ風に、読めるため、
1 (1)不常x(馬喰x則 伯楽x) A
1 (2)有x不(馬喰x則 伯楽x) 1量化子の関係
よりも、
1 (1)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) A
1 (2)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 1量化子の関係
といふ「記号」の方が、「優れてゐる」といふことには、ならない。

(213)「君子不以其所以養人者害人」の「述語論理」。

2019-05-08 14:53:52 | 訓読・論理学

(01)
① 君子以其所以養人者害人=
① 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
① 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
① 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
は、「孟子、梁惠王章句下」である
従って、
(01)により、
(02)
④ 君子以其所以養人者害人=
④ 君子以[其所‐以〔養(人)〕者]不〔害(人)〕⇒
④ 君子[其〔(人)養〕所‐以者]以〔(人)害〕不=
④ 君子は[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て〔(人を)害せ〕ず。
は、「孟子、梁惠王章句下」ではない
従って、
(01)(02)により、
(03)
「(137)「君子不以其所以養人者害人」等の「不」について。」でも、書いたと思ふものの、
① 君子以其所以養人者害人。
④ 君子以其所以養人者害人。
に対する「訓読」は、「両方」とも、
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
④ 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
であるものの、「漢文」としては、
①=④ では、決してない
(04)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子→~(以其所‐以養人者&害人)。
であって、
④ 君子以其所以養人者不害人=
④ 君子→以其所‐以養人者&~(害人)。
であるため、
① に対しては、「ド・モルガンの法則、含意の定義、交換法則」を適用することが、出来るものの、
④ に対しては、「ド・モルガンの法則、含意の定義、交換法則」を適用することが、出来ない
すなはち、
(05)
④ ではなく
① であれば、
1 (1)君子→~(以其所‐以養人者&害人) A
 2(2)君子                A
12(3)   ~(以其所‐以養人者&害人) 12MPP
12(4)   ~以其所‐以養人者∨~害人  3ド・モルガンの法則
12(5)    以其所‐以養人者→~害人  4含意の定義
1 (6)君子→(以其所‐以養人者→~害人) 25CP
12(7)   ~害人∨~以其所‐以養人者  4交換法則
12(8)    害人→~以其所‐以養人者  7含意の定義
1  (9)君子→(害人→~以其所‐以養人者) 28CP
である。
従って、
(05)により、
(06)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子→~(以其所‐以養人者&害人)。
② 君子→(以其所‐以養人者→~害人)。
③ 君子→(害人→~以其所‐以養人者)。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(06)により、
(07)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
① 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
① 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず=
① 君子であるならば、彼が人々を養ふための所以である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
といふ「漢文・訓読」は、
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための所以である土地のためにするならば、その時は、人々を害さない。
③ 君子であるならば、人々を害するのであれば、その時は、彼が人々を養ふための所以である土地のためにしない。
といふ「意味」である。
cf.
其の=his=君子の。
然るに、
(08)
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための所以である土地のためにするならば、その時は、人々を害さない。
③ 君子であるならば、人々を害するのであれば、その時は、彼が人々を養ふための所以である土地のためにしない。
といふことは、
① 君子であること、と、
② 彼が、人々を養ふための所以である土地のためにしつつ、人々を害すること、と、
は、「両立ない」。
といふ、意味」である。
然るに、
(09)
ここに至って大王は都の長老を集めて告げました、『蛮族が欲しがっているのは、わが国の土地だ。余はこう聞いている。君子は人々の生活する元(つまり土地)をめぐって争い人命を損ねたりはしない、と。諸君、君主がいなくなっても憂うな。余はこれからこの都を去って、梁山を越え岐山のふもとへ拠点を作って落ちのびようと思う。』と(十五 - 孟子を読む)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
③ 大王は、君子であったため、それまで住んでゐた「土地」を「放棄」しなければ、人々を害することになると判断して、その「土地」を「放棄した
といふ、ことになる。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1   (1)  ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)} A
1   (2)    ∀y{君ay&人ya→~∃z(養zy&害zy&所zay)  1UE
1   (3)      {君ab&人ba→~∃z(養zb&害zb&所zab)  2UE
 4  (4)       君ab&人ba                    A
14  (5)               ~∃z(養zb&害zb&所zab)  34MPP
14  (6)               ∀z~(養zb&害zb&所zab)  5量化子の関係
14  (7)                 ~(養cb&害cb&所cab)  6UE
1   (8)       君ab&人ba→  ~(養cb&害cb&所cab)  47CP
  9 (9)       君ab&人ba                    A
   ア(ア)                  (養cb&害cb&所cab)  A
1 9 (イ)                 ~(養cb&害cb&所cab)  89MPP
1 9ア(ウ)  (養cb&害cb&所cab)&~(養cb&害cb&所cab)  アイ&I
1  ア(エ)     ~(君ab&人ba)                   9ウRAA
1   (オ)       (養cb&害cb&所cab)→~(君ab&人ba)  アエCP
1   (カ)    ∀y{(養cy&害cy&所cay)→~(君ay&人ya)} オUI
1   (キ)  ∀x∀y{(養cy&害cy&所cxy)→~(君xy&人yx)} カUI
1   (ク)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)} キUI
(ⅱ)
1   (1)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)} A
1   (2)  ∀x∀y{(養cy&害cy&所cxy)→~(君xy&人yx)} 1UE
1   (3)    ∀y{(養cy&害cy&所cay)→~(君ay&人ya)} 2UE
1   (4)       (養cb&害cb&所cab)→~(君ab&人ba)  3UE
 5  (5)     ∃z(養zb&害zb&所zab)             A         
  6 (6)       (養cb&害cb&所cab)             A
   7(7)                       (君ab&人ba)  A 
1 6 (8)                      ~(君ab&人ba)  46MPP
1 67(9)            (君ab&人ba)&~(君ab&人ba)  78&I
15 7(ア)            (君ab&人ba)&~(君ab&人ba)  569EE
1  7(イ)    ~∃z(養zb&害zb&所zab)             5アRAA
1   (ウ)       君ab&人ba→~∃z(養zb&害zb&所zab)  7イCP
1   (エ)    ∀y{君ay&人ya→~∃z(養zy&害zy&所zay)} ウUI
1   (オ)  ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)} エUI
従って、
(11)により、
(12)
(ⅰ)  ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)}
(ⅱ)∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(12)により、
(13)
(ⅰ)すべてのxとyについて、xがyの君子であって、yがxの人民であるならば、あるzが、yを養ひ、yを害ふ、xとyの所以である。といふことはない。
(ⅱ)すべてのzとxとyについて、zがyを養ひ、zがyを害ふ、xとyの所以であるならば、xがyの君子であって、yがxの人民である。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(14)
(ⅰ)すべてのxとyについて、xがyの君子であって、yがxの人民であるならば、あるzが、yを養ひ、yを害ふ、xとyの所以である。といふことはない。
(ⅱ)すべてのzとxとyについて、zがyを養ひ、zがyを害ふ、xとyの所以であるならば、xがyの君子であって、yがxの人民である。といふことはない。
といふことは、
(ⅲ)xがyの君子で、yがxの人民であること。
(ⅳ)zが、yを養ひ、yを害ふ、xとyの所以(理由・目的・手段)であること。
に於いて、
(ⅲ)と(ⅳ)は、「両立ない」。
といふ、「意味」である。
従って、
(08)(14)により、
(15)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
① 君子{[其〔(人)養〕所‐以者]以(人)害}不=
① 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず=
① 君子であるならば、彼が人々を養ふための所以である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
といふ「漢文・訓読」は、
②   ∀x∀y{君xy&人yx→~∃z(養zy&害zy&所zxy)}。
③ ∀z∀x∀y{(養zy&害zy&所zxy)→~(君xy&人yx)}。
といふ「述語論理」に、相当する。

(212)~(P&~Q)=P→Q=~P∨Q。

2019-05-07 11:47:21 | 論理

(01)
(PまたはQ。)といふ「日本語」は、「排他的論理」  と「排他的論理和」の、「2通り」がある。
(PならばQ。)といふ「日本語」も、「逆もである。」と「逆はである。」の、「2通り」がある。
然るに、
(02)
(Pかつ、Qでない。)といふ「日本語」は、「1通り」しかない。
従って、
(03)
(Pかつ、Qでない。ではない。)といふ「日本語」も、「1通り」しかない。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1   (1) ~P∨ Q  A
 2  (2)  P&~Q  A
  3 (3) ~P     A
 2  (4)  P     2&E
 23 (5) ~P& P  34&I
  3 (6)~(P&~Q) 25RAA
   7(7)     Q  A
 2  (8)    ~Q  2&E
 2 7(9)  Q&~Q  78&I
   7(ア)~(P&~Q) 29RAA
1   (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
(ⅲ)
1   (1) ~( P&~Q)         A
 2  (2) ~(~P∨ Q)         A
  3 (3)   ~P             A
  3 (4)   ~P∨ Q          3∨I
 23 (5) ~(~P∨ Q)&(~P∨ Q) 24&I
 2  (6)  ~~P             35RAA
 2  (7)    P             6DN
   8(8)       Q          A
   8(9)   ~P∨ Q          8∨I
 2 8(ア) ~(~P∨ Q)&(~P∨ Q) 28&I
 2  (イ)      ~Q          8アRAA
 2  (ウ)    P&~Q          7イ&I
12  (エ) ~( P&~Q)&( P&~Q) 1ウ&I
1   (オ)~~(~P∨ Q)         2エDN
1   (カ)   ~P∨ Q          オDN
(05)
(ⅱ)
1 (1)  P→ Q  A
 2(2)  P&~Q  A
 2(3)  P     2&E
 2(4)    ~Q  2&E
12(5)     Q  13MPP
12(6)  ~Q&Q  45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(ⅲ)
1  (1)~(P&~Q)        A
 2 (2)  P            A
  3(3)    ~Q         A
 23(4)  P&~Q         23&I
123(5)~(P&~Q)&(P&~Q) 14&I
12 (6)   ~~Q         3RAA
12 (7)     Q         6DN
1  (8)  P→ Q         27CP
従って、
(04)(05)により、
(06)
(ⅰ) ~P∨ Q :Pでないか、または、Qである。
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、  Qである。
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
然るに、
(07)
「交換法則」により、
(ⅰ)  Q∨~P :Qであるか、または、Pでない。
(ⅲ)~(~Q&P):Qでなくて、Pである。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅲ) である。
然るに、
(08)
(ⅲ)Qでなくて、Pである。といふことはない。:~(~Q&P)
といふことは、
(ⅱ)Qでないならば、Pでない。:~Q→~P
といふことに、他ならない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
(ⅰ) ~P∨ Q :Pでないか、または、Qである。
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、  Qである。
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。といふことは、
(ⅰ)  Q∨~P :Qであるか、または、Pでない。
(ⅱ) ~Q→~P :Qでないならば、  Pでない。
(ⅲ)~(~Q&P):Qでなくて、Pである。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。といふことに、他ならない。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ) ~P∨ Q :Pでないか、または、Qである。
(〃)  Q∨~P :Qであるか、または、Pでない。
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、  Qである。
(〃) ~Q→~P :Qでないならば、  Pでない。
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
(〃)~(~Q&P):Qでなくて、Pである。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) であるものの、特に、
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、  Qである。
(〃) ~Q→~P :Qでないならば、  Pでない。
を、「対偶(Contraposition)」と言ふ。
然るに、
(03)により、
(11)
(ⅲ)の「右辺の日本語」には、「1通りの意味」しかない。
従って、
(10)(11)により、
(12)
(ⅰ)の「右辺の日本語」にも、「1通りの意味」しかなく、
(ⅱ)の「右辺の日本語」にも、「1通りの意味」しかない。
然るに、
(13)
① ~(真&~真) は「真」。
② ~(真&~偽) は「」。
③ ~(偽&~真) は「真」。
④ ~(偽&~偽) は「真」。
である。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
① ~真∨真 は「真」。
② ~真∨偽 は「」。
③ ~偽∨真 は「真」。
④ ~偽∨偽 は「真」。
であって、
① 真→真 は「真」。
② 真→偽 は「」。
③ 偽→真 は「真」。
④ 偽→偽 は「真」。
である。
然るに、
(15)
精選版 日本国語大辞典の解説
はいたてき‐ろんりわ【排他的論理和】
〘名〙 論理和(「または」)の解釈の一つ。二つの命題から成る複合命題「AまたはB」が真となるのはAとBのどちらか一方だけであるときとする。日常の「または」もこの解釈をとる場合が多い。
従って、
(14)(15)により、
(16)
「~P∨Q」が、「排他的論理和」であるならば、
① ~真∨真 は「真」。
② ~真∨偽 は「」。
③ ~偽∨真 は「真」。
④ ~偽∨偽 は「真」。
ではなく、
①{(~真=偽)∨真 }は「真」。
②{(~真=偽)∨偽 }は「」。
③{(~偽=真)∨真 }は「」。
④{(~偽=真)∨偽 }は「真」。
でなければ、ならない。
従って、
(10)(12)(16)により、
(17)
(ⅰ)~P∨Q:Pでないか、または、Qである。
の場合は、「排他的論理和」ではない。
然るに、
(18)
① 真→真 は「真」。
② 真→偽 は「」。
③ 偽→真 は「真」。
④ 偽→偽 は「真」。
に於いて、「→」を、
     「」に換へると、
① 真←真 は「真」。
② 真←偽 は「真」。
③ 偽←真 は「」。
④ 偽←偽 は「真」。
然るに、
(18)により、
(19)
② 真→偽 は「」。
③ 偽→真 は「真」
に対して、
② 真←偽 は「真」。
③ 偽←真 は「」。
であるため、「真・偽」が、「一致しない」。
従って、
(10)(18)(19)により、
(20)
(ⅱ)P→Q:Pであるならば、Qである。
であるからと言って、
(ⅱ)Q→P:Qであるならば、Pである。
といふ「である。」といふ、ワケではない。
然るに、
(21)
(ⅲ) (P&~Q):Pであって、Qでない。
(〃) (~P&Q):Pでなくて、Qである。
(〃) (Q&~P):Qであって、Pでない。
に於いて、
(ⅲ)=(〃) ではない。
といふことは、「当然」である。
従って、
(21)により、
(22)
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
であるからと言って、
(ⅲ)~(Q&~P):Qであって、Pでない。といふことはない。
といふワケではない。
といふことは、「当然」である。
従って、
(01)(03)、(10)~(22)により、
(23)
(ⅰ) ~P∨ Q :Pでないか、または、Qである。
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、  Qである。
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) であるものの、「一番、分かり易い」のは、
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
である。
然るに、
(24)
「交換法則」により、
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
(〃)~(~Q&P):Qでなくて、Pである。といふことはない。
に於いて、
(ⅲ)=(〃) である。
然るに、
(25)
(ⅲ)~(~Q&P):Qでなくて、Pである。といふことはない。
といふことは、
(ⅲ)Pであるためには、Qであることが、「必要」である。
といふ、ことである。
従って、
(24)(25)により、
(26)
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
(〃)~(~Q&P):Qでなくて、Pである。といふことはない。
に於いて、
(ⅲ)Qであることは、Pであるための「必要条件」である。
然るに、
(27)
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
であるならば、
(ⅲ)Pであれば、それだけで、Qである。
従って、
(28)
(ⅲ)~(P&~Q):Pであって、Qでない。といふことはない。
(〃)~(~Q&P):Qでなくて、Pである。といふことはない。
に於いて、
(ⅲ)Pであることは、Qであるための「十分条件」である。
従って、
(06)(26)(28)により、
(29)
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、Qである。
に於いても、
(ⅲ)Qであることは、Pであるための「必要条件」であって、
(ⅲ)Pであることは、Qであるための「十分条件」である。
然るに、
(30)
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、Qであり、
(ⅳ) ~P→~Q :Pでなければ、 Qでない。
であるならば、
(ⅱ)  Pは、Qの「十分条件」であって、尚且つ、
(〃)  Pは、Qの「必要条件」である。
従って、
(30)により、
(31)
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、Qであり、
(〃) ~P→~Q :Pでなければ、 Qでない。
であるならば、
(ⅱ)  Pは、Qの「必要十分条件」である。
然るに、
(32)
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、Qであり、
(〃) ~P→~Q :Pでなければ、 Qでない。
であるならば、
(〃)  P=Q である。
従って、
(31)(32)により、
(33)
(ⅱ)  P→ Q :Pであるならば、Qであり、
(〃) ~P→~Q :Pでなければ、 Qでない。
であるならば、
(ⅱ)  Pは、Qの「必要十分条件」であって、
(〃)  Qも、Pの「必要十分条件」である。