知命と立命
「確かに、命というものは存在するが、人間はその命を知り、命を立てることができる。
人間以外の他の動物にはできないことを、人間はやることができる。
すなわち、『命を知り』『命を立てる』ことができる。
『人間というものはどういうものであり、いかにすればどうなるか』ということを研究して、その研究にしたがって、『人間自らを創造する』ことができるところに万物の霊長たる意味がある。
命は我より作すものである。」 (袁了凡『陰隲録』より)
「本当に生れた日の時間まで分かれば、非常に的確にその人間の持って生れた素質、能力、たどるべき社会生活、社会的職業のどういう方面に適応するかというようなことが分かってくる。
また親子、夫婦、兄弟、盟友等の人間関係も非常に良く出てくるものがある。
この推命学は非常に蓋然率というものが高い。
これで見ると人間というものは決まりきったもののように見える。
そのためにしばしば宿命感に陥ってしまう。
しかし、これも実は『宿命』を説いたものではなくて、『立命』を説いているものです。」
(安岡正篤『知命と立命』より)
新栄堂
![](http://image.with2.net/img/banner/banner_14.gif)
クリックしてね
「確かに、命というものは存在するが、人間はその命を知り、命を立てることができる。
人間以外の他の動物にはできないことを、人間はやることができる。
すなわち、『命を知り』『命を立てる』ことができる。
『人間というものはどういうものであり、いかにすればどうなるか』ということを研究して、その研究にしたがって、『人間自らを創造する』ことができるところに万物の霊長たる意味がある。
命は我より作すものである。」 (袁了凡『陰隲録』より)
「本当に生れた日の時間まで分かれば、非常に的確にその人間の持って生れた素質、能力、たどるべき社会生活、社会的職業のどういう方面に適応するかというようなことが分かってくる。
また親子、夫婦、兄弟、盟友等の人間関係も非常に良く出てくるものがある。
この推命学は非常に蓋然率というものが高い。
これで見ると人間というものは決まりきったもののように見える。
そのためにしばしば宿命感に陥ってしまう。
しかし、これも実は『宿命』を説いたものではなくて、『立命』を説いているものです。」
(安岡正篤『知命と立命』より)
新栄堂
![](http://image.with2.net/img/banner/banner_14.gif)
クリックしてね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます