退屈を何に振り向けようかと考えた挙句考え出したのは「古典」です。
孫の高校時代の教科書を病院の付き添いなどの際に持ち歩いています。
古典をただ意味が分からないからと現代文に略したものを読んでみたところで何かしっくりこないのです。
何故か分からないなりに伝わってくる心情が微妙にどこか違っているような気がします。
「宇治拾遺物語」「竹取物語」「伊勢物語」「大和物語」「土佐日記」と読んでいく。
「徒然草」に入っていくと兼好法師のこんな一面も・・・・と興味深い和歌の技法が記述されていて大変興味深いですが到底付いて行けません私の頭では,という事が明らかになったという事で何にも進歩しておりませぬ。
そのなかから、兼好法師が和歌四天王の一人である友人に送った和歌では、各句の頭の文字を第一句から第五句へと拾い続いて句の末尾の文字を逆に第五句から第一句へ拾っていくという超難解な技法なども秘められていて、ますます凄いことになっているという古典の魅力には驚かされてしまいます。
その結果「米たまへ。銭も欲し。」という文章が隠されているというのでございますね。(コメを送ってください。銭もほしい。)という事でございますね。
文章の中に技法がこめられていても気が付かないのでは何にもなりませんし、取り違えてしまっても本末転倒でございます。
まあその当時の方々は頭脳明晰で良く勉強されていたのでしょうね。
それが分かりました。もう私の頭では古典の理解は困難かなというところに至っています。それでも勉強してみたら認知症予防には役立つという事なのでしょうか。
病院の待合室での待ち時間にはちょうど良い読み物だと思います。
病気のことなどすっかり忘れて・・・・・・
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