諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

62 生体としてのインクルージョン#08 シャッター 1/3

2020年01月18日 | インクルージョン
高尾山は初詣を兼ねた山行

「この地区は歴史があって、80歳のおじいちゃんやおばあちゃんもこの小学校の出身なんですよ」
と小学校の校長先生。
地域連携の教育相談でこの学校に来ている。
校長室には明治の文豪のような歴代の校長先生の肖像写真がこっちを見ている。

 「学制」が公布されたのが1872年なのだから、創設100年を超える小中学校はざらである。
最近は「コミュニティーススクール」と敢えて提唱されているが、もともとそんな雰囲気がある学校。

 石垣沿いの道を歩いて来て、角をまがって坂を上っていくと石の門柱に出迎えられる。そして大きな楠がある。
昔から変わらない道程。
 この同じ道を80歳のおじいちゃんやおばあちゃんも通っていた。
学校に農地を貸してくれている〇〇さんも、民生委員の〇〇さんも、子ども会をまとめている友達のお母さんも、駅前の商店街の人の中にも先輩がいる。

 だから自然に現在の小学生(中学生)を見ても、かつての自分と重ね合わせて、ある種の好意をもって見守っている。
優しいし、ときには厳しく叱ったりもする。ゲストティーチャーとして実際に学校に呼ばれることもある。
 学校は学校教育の場でもあり、地域社会のもつ教育力の心理的な基盤となっているように感じる。

「今年、いろいろ考えて遠足の場所を歩いて行かれる場所に変えたら、PTAは「やっぱりバスに乗せてあげたい」という。だけど、地域の方からは「子どもは歩いて遠足に行くべきだ」と逆の意見が出たんですよ」
という。校長先生もやや当惑気味だったが、地域の学校の運営を住民がやっている感じがよくわかる。


 特別支援学校は都道府県に設置が義務づけられたのが1979年だから学制から100年後だ。
歴史が浅い上、ほとんどの学校の設置者が都道府県だから所在する市長村との関係も小中学校の場合とは異なる。
「おらが町の学校」になりにくい。
その上生徒の通学範囲が広い。スクールバスに1時間乗ってくる。付属の寄宿舎に泊まり込んでいる子どももいる。
生徒が7つや8つの市町村から来ていることもまれではない。

 そうなると、小学校(中学校)のような地域との自然な交流はやや得にくい。
「地域社会とのかかわりは条件的に難しいのか」
などと思いながら、本校の近隣を歩いてみると、地域も高齢化がすすんで人通りが少ないし、商店街もシャッターが下りているお店が目立ってきていることに改めて気づいたりする。
 「インクルーシブ社会と言ったって…」

 ちょっとしんどいなと思ったとき、出来事があった。
生徒が授業を抜け出して校外に駆け出したのである。

                        (つづく)

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60 生体としてのインクルージョン#07 空地

2020年01月04日 | インクルージョン
 学校の裏の空地に立っている。
文化祭、駐車場整理。PTAの黄色いはっぴを着て、手に赤い誘導棒をもっている。

 車はまだ見えない。A地点とB地点に先に誘導するからここには当分車はこなさそう。

 校舎の中は、文化祭の準備で慌ただしいのだが手伝いようもない。
ここにいなければならないから仕方がない。
そう割り切ると、次第にその場にいることに馴染んでいく余裕がでてきた。

 秋晴れが気持ちいい空地で、見上げると雲が高い。
学校で空を見上げることなんてない。


 向こうに校舎の背中が見える。校舎の外壁はモルタルで少しくすんで年季を感じる。
思えば、この校舎の中でほぼずっと働いている。

 毎朝、バス停を降りてからは、今日やることを整理しながら歩く。
気がかりなことを思い出してはその対応を頭の中の「To Do リスト」に加える。
 更衣室でいつも執務兼介助の服装に着替えて、PCを起動させつつ、剥がれかけた掲示物を直し、挨拶しながら、「気がかりA」?を教頭先生に相談したりする…。

 そんな勢いで「To Do」に追われて1日が過ぎる。退勤するのは夜だ。その間校舎を出ないこともある。

 だからこの空地にいることや空地からの景色をほぼ意識したことはない。


 見渡すと新しく建った住宅が多い。新築マイホーム。外壁が白く光っている。

 しばらくして、数人の子ども達が家から出てきて、自転車で遊びだす。
「小学生がいたのか」

 その隣の家のおじいちゃんがポストの新聞を取りに出てくる。おかあさんが布団を干している。
そんな平凡な光景だったが、それが新鮮に感じた。

 たぶん、同じころここに来たこの人たちにはきっとそれなりの繋がりがあり、一緒に暮らしている感触があるに違いない。
今日はこの人たちのいつもの日曜日なのだ。


 こんな光景を識った上で、改めて学校を振り返る。
個々の家の窓からは学校の校舎が見えている。校舎は圧倒的に大きい。
「これって結構な存在感なのだろうな…」

 それにしても、こんなこと、今頃気づいている。もう何年もここに勤めているのに。

 などと考えていると、自転車の小学生達の一人が泣き出した。思わず小走りで近づいて、
「どうしたの?、大丈夫?」
と金網越しに聞く。
「こいつが自転車貸さないから…」
と言う。ケガではなさそうだ。

 はじめてこの子たちとしゃべった。なんでもないやり取り。
同時に、なんだか気分が晴れない感じが残った。
 
 ここにも子どもがいるという実感と、これまで認知していなかった後ろめたさ?。 

「自分は、あのモルタル校舎の中だけで「先生」なんだ」

と。


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58 生体としてのインクルージョン#06 遊園地 (後半)

2019年12月21日 | インクルージョン
  一生懸命というより必死だった修学旅行が終わりはした。でも自宅に戻っても余韻で眠れない。

 終始表情をあまり変えなかったAくんにとって「修学旅行」とはなんだったのか。
バスの振動と慣れない場所での宿泊、まぶしい太陽の下の活動…。
そんなことは、あまり突き詰めず行事は「こなす」べきなのか…。

 そして、お母さんに再会した時のあの上気したような表情は何なのか。
不安から逃れられての安堵の表情か…。
でも最後いい表情がはっきり見られてよかったじゃないか…。

 それより今自宅にいるAくんの体調はどうなのだろう。
月曜日登校できるといいのだけど…。


 そんなことを何度も考えなら休日が過ぎ、いつもの月曜日になった。

 いつものジャージでスクールバスの到着を待っていると、遠くの角を曲がってバスが来るのが見えてきた。
Aくんを乗せた青い線の入ったバス。
 バスが目の前に近づくと、少しワクワクしている。数日前、一緒に冒険をし、寝食を共にした仲間。
「オレたち、頑張ったよな」
とか言い合いたい。


 バスが停車するとAくんの車いすをバスの近くに止めブレーキを踏んで、彼を移乗すべくバスに乗り込む。いつも一連の動作。

 前扉から中央右側の席に彼の姿が見えた。身体の緊張の強い彼はフラットに近いリクライニングシートに座っている。顔はほぼ天井に向いている。
「いたいた!」
と思いながら、いつもの感じ近づいていく。いつもよりやや速足。

 そして、その時である。いつもと違うことが起きた。
 
 彼に近づいて最初にすることは、表情を確かめることである。起きているのか寝ているのか、唇のあたりで水分は足りているのか、肌のツヤの様子で元気度を見たりする。
おはようと言って静かに横抱きにしながら、緊張の入り具合を見たりするのである。

 が、この日は、私が近づくと、
「ん?」
一生懸命を目動かし、彼の足の先の方向の私を見ようとしているのである。
「えっ!、こっちを見ている」

 それだけではなかった。

 近づく私に合わせ視線を移動させ、横にくると、興奮気味の表情で笑ったのである。
「笑った!」
Aくんが笑った。
子どものあどけなさに加え、(例えば、新幹線から降りてくる旧友が手を振って再会を喜んでいるような)感激的な笑顔にも見えた。

びっくりした。
そして直後、笑顔の意味が明確に伝わってきた。
「ボクたち、頑張ったよね」
と彼も言っているのである。

彼はすべて分かっていたのである。
バスの中で呆然としていた。

      (続く)

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56 生体としてのインクルージョン#05 遊園地(前半)

2019年12月07日 | インクルージョン
北欧?(北八ヶ岳山麓)

 当時の養護学校に着任したころ、Aくんがいた。

  Aくんは、身体が自分の意思に関係なく動いてしまう。不随意という。
椅子に座ったときののように、足を付け根から曲げていないと、全身に力が入ってその力から逃れられない。

 言葉はない。音声はあるが意味としては聞き取れない。
音に過敏で、物音に驚いて痙攣することがある。

そんなことが細かくカルテのようなカードに書いてある。プロフィール表とある。


 明日はそのAくんと一緒に修学旅行にいく。


 まずは、安全に行くこと、次にできるだけ快適に過ごせるよう姿勢や体温調整を心掛けること、そして彼の視線を意識して活動すること。
そんなことを考えてはいたが、実感としてAくんとの旅のイメージがつない。なにしろ養護学校の初心者だ。

ワイワイガヤガヤではないのだし、彼が楽しんでいるかよくわからない。

 道中のバスは最後部座席に布団を敷いて、この上にまず自分がすわりAくんを横抱きにする。
彼の心地よい姿勢を微調整しながら保持できるし、表情も見やすいと先輩先生がいう。

 バスが動きだすと小さな揺れを私の身体が吸収するかたちになり直接彼には伝わらない。
股関節や背中の角度も彼にとってナチュラルなポディションを探りやすいことも分かってきた。

 とりあえず、Aくんが見ている(であろう)ものを言葉にしようと思った。
「信号、赤だね」
「イトーヨーカ堂だ」
「ベンツの白いクーペ、高そう」?
そうやって、視線を合わせて見ていると、彼の気持ちに近づくように感じた。
「掛けた毛布が暑すぎないのか」
「もう少し、上体を起こすと視野が広がるかな」
「そろそろ喉が渇いたかな」

 でも、そんな対応が「正解」なのか、Aくんの表情からは読み取れない

 ホテルに着くと、着替えをして入浴タイムだ。
「さあ、入るよ。お家のお風呂より大きいでしょ」
と言って、気持ちいい表情を期待して探している。気持ちいいはずだ、間違いない。
顔を赤くして、少し微笑んでいるように見えた。期待のしすぎてそう見えたのかもしれない。

 夜も同部屋で一緒。寝る前に水分を取って、どちらかの肩に畳んだバスタオル入れて斜めの仰向けで体勢を整えた。
入眠時や夜中の睡眠が浅くなった時に発作があるというので気にしながら一晩を過ごす。
 こうした初日が終わった。

 翌日、郊外の遊園地にふさわしい晴天。
でも寝不足にはきついの太陽。

 せっかくなので…、ということで、メリーゴーラウンドの木馬に乗ることに。自分ともう一人の力持ちの男の先輩とで馬にまたがった感じの座り方を作って上下動しながら回転する動きを体験した。
びくりした表情だったが、何らかの興奮があったように見えた。
「いいねー、いいねー」
とそれを見ていた女性の先生。…本当によかったのか?。

 そのあとゴーカートに乗ったり、ぬいぐるみと握手したり、観覧車の狭い籠の中で発作を起こしたりいろいろなことがあった。

遊園地を出た時、
「先生よかったね。頑張ったじゃない」
とまた先輩に声を掛けられる。
励ましてくれなくてもいいのに…。


 そして帰路。
 帰りのバスでは、横抱きしたAくんは疲れたのか眠っている。
その寝顔は遊び疲れた子が寝てしまった様子に見えた。でも少し疲れすぎてないか心配になる。

 ところが、寝てしまうと体というのは重みを増す。お腹に重みがかかり、静かに寝かせている単調さもあって、こっちは車酔いになっての長い帰路となった。

 ようやく着いた学校では、大勢の先生方と、Aくんたちの保護者も帰りを待っていてくれた。
遠い星から生還したみたいな歓迎。

 そして、旅の最後に印象的なことがあった。車酔いと支えていた腕のシビレを抑えながら笑顔でお母さんにAくんを引き渡した時である。

「あれ!」

Aくんの表情が違う。

                             (続く)


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54 生体としてのインクルージョン#04 教会(後半)

2019年11月24日 | インクルージョン
晩秋

 祈っているたくさんの横顔、後ろ姿…。
それを見ているうちに、さっきまでの自分で立てていた壁の隙間から光がさしてくる気がした。

 横顔や後ろ姿は「自然な人」そのものだった。
「フィリピン人」ではなく身近な誰かが静かに祈る場を求めてここに来ているようなことがスッと分かった。
特別なことでもなく、そういうことが分かってきた。だから教会に来るのだ!。

普段、街でフィリピンの人というのをそう見かけるものではない。こんなに多くの人が身近なところいたことに驚いた。
同じ空の下、それぞれに生活があり、生業をこなし、人生のありように迷いながら、実は近くで生きている人たち。
大統領もマッチョもおばちゃんもヒョウ柄の子も、それぞれの今があるに違いない。その実情は分からない。だが、わかる気がしている。

 聖体拝領で順番に神父さんからご聖体(パン)をいただくという段になると、順番に中央の通路に並び始める。
皆、胸の前で手を合わせて順に進む。
 となりにいたオレンジのアロハのお母さんから「行かないのか?」と目で促され、「ノー、クリスチャン」と応えると感じのいい笑顔で頷く。
それぞれが軽くお辞儀をして聖体を口に入れてもらっている。

 そして、神父さんが少し張った声で、(だぶん)「行きましょう。主の平和のうちに」とタガログ語で言ってる。ミサはフィナーレ?に向け、聖歌の合唱となった。
そもそもタガログ語の聖歌なんてはじめてだし、さっきまでの大きな違和感がよみがえってきかけた時だった。
「手をつなぐんだよ」
と友人。

 フィリピンの人達は互の手を肩の高さでつないで歌うのだという。仕方なく隣の友人を手をつなぐ。男同士でこれだけで違和感。
「いやー、参ったなー」
なんて思っていると、となりのお母さんが、さっさと私の手をとって持ち上げ、ゆっくりしたリズムを伝えながら朗らかに歌いはじまた。
まったく躊躇ながない。
もともと友達なんだから
と、当たり前のことを言われたいる気がした。緊張がほどけていく解放感。

 ゆったりとしたリズムに合わせて、しばらくメロディーだけ真似て歌っていると、しだいに、つないだ手からは、子どものころから知っている懐かしさのような感情がふわっと伝わってくる。

 




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