北アルプスの花畑 朝日岳山頂ですが、視界なく残念 。猛暑の中の登山だったこともあり、「いい時ばかりにあらず」と独り言。
保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、
津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房
すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。
保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。
なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。
第4章 保育の中で発達を考える ―保育者7・8年目— から
《B夫とA子のこと》
B夫がはじめて来たところに私は出会い、その子の後についてトイレにいった。B夫はトイレットペーパーをちぎって流した。一巻き流すと、隣のトイレで同じことをした。便器の中をのぞきこみじっと見る。床に耳をつけて水の流れる音を聞く。裏庭に行き土の塊をドライエリアに何度も落とす。庭で石を拾い、水たまりに落とす。ふと気がつくと母親が傍らにいることが何度もあった。
この日からはじまって、同じことが何カ月もつづいた。あまり長くつづくので、私も不安を感じ、B夫とのつきあいが次第に薄くなるのを感じていた。
学校の建物に沿ってドライエリアがあり、土手になっている。その斜面で土の団子をつくって投げるのもB夫の好む活動で、日によっては私は何時間もドライエリアの下の暗い空間でこの子と過ごすことがあった。
そんなある日、母親が言った。B夫は石を水に投げるのが好きで、人は波紋を見ていると言うが、そんなものではない。石が落ちてゆく不思議さを見ているので、物理学者みたいだ。ことばを話す子どもだったら、どうして?とたずねるが、この子はそんなことはたずねないで自分で考えていると、私が長い時間ドライエリアでB夫と過ごしていると、母親がよくこんな話をしてくれた。
私もこんな日々を過ごすうちに、いつも同じことばかりしていて困ったという見方から脱し、少し違う見方をして波紋を見ているのだというふうに考え、さらにその見方から脱し、母親が言うように子どもはもっと深く見ていると考えるようになった。母親は、この子とつきあっていると、「ぞくっとするような」ことがあるという。私自身の考えがそのように脱却してゆくと、B夫は私を見て笑いかけることが多くなった。
子どもがゆきつまったとき、つまり、私と子どもとの関係が停滞したように思えるとき、一時、他のすべてをわきにおいても、その子と本気に向かいあう覚悟をする必要がある。そのことを過去にも何度か体験してきた。今度も覚悟を新たにしてこの子と向きあおうと心に決めて朝を迎えた。
その朝、B夫がトイレから走り出てくるところに出会った。ホールに出してあった巧技台の上をB夫は渡りはじめた。冬の寒い朝で、この子の靴下が濡れていたので、母親は靴下を取り替えようとしたがB夫は抵抗した。それでジャンパーを着せて温かくした。私はB夫が巧技台をあちらからこちらへと渡るときに手をかしたり、一緒に歩いたりつきあっているうちに、彼は洋服も靴下もジャンパーも全部脱いで素裸になり、にこにこしてトランポリンをとんだ。そして裸のまま、ホールで運動具にのぼったり走ったりして半日遊んだ。この子が遊んだと言えるはじめての日だった。
その数日を境にして、その日の前と後とでは変化がある。石や土を投げることはボールに代わった。大人を困らせるトイレットベーバーの遊びをトイレに閉じこもってするのではなく、皆の中で動き回って遊ぶ。その行動は社会常識にかなうように変化した。「こんなに良い方向に変化した」というのは、大人の側からの外的視点である。
実践の中で保育者に気づかれている変化は、外的視点からの行動変化だけではない。子ども自身の側に生じている変化があるので、保育者にとって発達として印象づけられるのである。
このことの中で子ども自身が変化している。B夫はトイレットペーパーを自分からしりぞけて他の遊びを選んだ。
もはやトイレットペーパーや石にこだわるのではなく、それから解放され、自分が選択する主体になっている。これは個人の内的発達の視点である。
六歳のA子は、何年も遊びなれたクラスルームで遊ぶことを好む。A子はこの部屋ではいまわり、立ち上がり、歩くようになった。庭や他の部屋に連れ出そうとすると声を上げていやがる。それでも私共担任は、空間をひろげることが発達上望ましいことと考えて、一日に一度は他の部屋に連れてゆこうと話しあったこともあった。けれども、その話はその時かぎりで二日とつづいたことはない。A子はいつも過ごしているクラスルームの中で満ち足りている。自分からその空間の外にゆこうと思わない限り、むりに連れ出してもこの子の世界が広がったことにはならないだろう。この子の眼が外に向いたとき、たとえ部屋から出なくともその世界は広がったといえるだろう。
《外から見た発達》
子どもの行動が社会常識に近づく方向に変化するのを見るとき、これは社会常識という側面から外的に子どもを見る見方である。直線軸の上に同種の行動を並べて、低い段階から高い段階への変化を見るのも外的視点からの発達の見方である。このような特定の側面と規準を定めた外的観察は研究的興味の対象となるが、保育の実践にはそぐわない。この見方をとるとき、大人は外に立つ者となり、保育実践から離れてしまう。
《個人の内的発達の視点》
外的変化に目を奪われるのではなく、それをしている子どもに目をとめるとき、子ども自身が変化していることに気がつく。子どもがトイレットペーパーの遊びをしなくなったと見るだけでなく、子ども自身がトイレットペーパーをしりぞけてボールを選んでいるのを見て、選択する自由を得た子どもの内的変化を知る。子どもは何かにとらわれ、支配されているのではなく、自分が外界を支配する主体となっている。これが個人の内的発達の見方であ
る。保育的関係の中で見る発達
保育の実践の最中に子どもを見るとき、その場の子どもを見ているのであるが、しばしば、過去における保育的関係の中で見た記憶と重なる。前にはあんなふうだったのがこんなに変化したという思いをもつとき、はっきり意識されているのは一つの側面でも、半分無意識のまま保育者自身を含めた全体像が同時に記憶されている。こんなことができるようになったという保育者の驚きは、子ども自身の内的発達への視線を含んでいる。
保育関係においては、具体的状況を通してその子どもの理解が保育者自身の中で常に新たにされている。
子どもの側に育ちつつあるものについても、保育的関係の中で知覚されるのは、行動上の発達だけではない。自分が、自分で、自分からという自我が育っているかどうかが保育者の関心である。そこが育てられていなければ、ある能力だけが向上しても、保育者にとっては不満足である。
《個人の内的発達と社会》
子どもが自分の意志で自由に選択し、自分から発動して何かをなしえたとき、その子どもは堂々として自信があり、幼くとも一人前の成熟した人間の風格がある。それぞれの時期に小さな世界に、それなりの成熟があり、将来に開いてゆく小さな核がある。大人の世界ならば、自由、男気、忍耐などという語で表現するような、人間の内部のものでありながら、社会をつくるのにたいせつな価値である。内部にそれを育てられている人は、社会を展開させうる人である。個人の自我の発達と社会とはここにおいて結びあう。
社会は、身近なところでいえば学校であり、保育の場である。個人の自我が育てられ、子どもたちが自分で遊べるようになるとき、その社会は力動的に展開する。その力動的な保育の場が、また、個人の内部を強め育てる。 保育の場の小さな世界のできごとは、大きな社会につながっている。
A子はまだ自分から部屋の外に出ようとしないけれども、外から入ってくる大人たちがA子に笑いかけ、話しかけ、しばらく遊んでゆく。こうして過ごすうちに、部屋の中にとどまりながらも、外側の世界に対する関心はA子の中に準備されつつあるにちがいない。
B夫がトイレットペーパーにとらわれ、こだわっていたときにも、保育者はその最中の子どもの世界を感受していた。吸いこまれ流れ去る水の音、次つぎに紙片を手放す体感など。B夫が保育者とともにそれらを確認する日々があった。そのときにはその子どもと保育者は共同の場から孤立しているようにみえる。不思議なことに、その積み重ねの中で、子ども自身がそこから解放され自分で選択して遊ぶ日がくる。そうなると、子どもも保育者も共同の場のダイナミズムの中に加えられる。共同の場は、常に、孤立したようにみえる部分を内に含んでいる。自分で遊べない子ども、とらわれた自我、弱い自我の者を、共同社会はいつも自らの内にかかえている。そこに保育的配慮が生まれる。自分たちの中にひきこもうと外から力を加えるのではなく、弱い自我の者が自分自身となって生きられるように、守り、共にあり、育てる機能をもっているのが人間の共同体である。
《この頃の日記より》
学校の場は人生そのものである。実社会で起こることは、学校の中でも起こる。傷つけられたり、のけものにされたり、誤解されたり。それを大人が一緒になって生きて、子どもが堂々と生きられるようにすること。また、親も一緒になって。学校は学校で、親は親で、たがいに防衛的になってはならない。このところ、親のあいだに緊張感があるようだ。
職員の中にも同時に緊張感があって、学校の在り方を考え直してきたことを親にも知ってもらいたい。そして皆が子ども中心に考えるようにしたい。
この学校は、
1 実社会で傷ついたり、受け入れられなかった子どもが癒され、自分を取り戻すところ。
2 どの子どもも、楽しみを見出し、生きがいをもって生活するところ。
3 たがいの間で、また社会との接点で傷つき、傷つけ、誤解される。職員がかかわることによって、その中で子どもが生き抜く力をつけ、また、堂々と生きられるように。親も同様である。つまり、学校は人生の場そのものである。
親と学校がそれぞれ自己防衛的になったら、表面はとりつくろうが、人の力がダイナミックにはたらかない。それにチャレンジしたい。
4 それが私が願うところだが、これがうまく動かなくなっている。
《見出し写真の補足》
翌日の朝、朝日岳山頂を見上げたところ
保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、
津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房
すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。
保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。
なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。
第4章 保育の中で発達を考える ―保育者7・8年目— から
《B夫とA子のこと》
B夫がはじめて来たところに私は出会い、その子の後についてトイレにいった。B夫はトイレットペーパーをちぎって流した。一巻き流すと、隣のトイレで同じことをした。便器の中をのぞきこみじっと見る。床に耳をつけて水の流れる音を聞く。裏庭に行き土の塊をドライエリアに何度も落とす。庭で石を拾い、水たまりに落とす。ふと気がつくと母親が傍らにいることが何度もあった。
この日からはじまって、同じことが何カ月もつづいた。あまり長くつづくので、私も不安を感じ、B夫とのつきあいが次第に薄くなるのを感じていた。
学校の建物に沿ってドライエリアがあり、土手になっている。その斜面で土の団子をつくって投げるのもB夫の好む活動で、日によっては私は何時間もドライエリアの下の暗い空間でこの子と過ごすことがあった。
そんなある日、母親が言った。B夫は石を水に投げるのが好きで、人は波紋を見ていると言うが、そんなものではない。石が落ちてゆく不思議さを見ているので、物理学者みたいだ。ことばを話す子どもだったら、どうして?とたずねるが、この子はそんなことはたずねないで自分で考えていると、私が長い時間ドライエリアでB夫と過ごしていると、母親がよくこんな話をしてくれた。
私もこんな日々を過ごすうちに、いつも同じことばかりしていて困ったという見方から脱し、少し違う見方をして波紋を見ているのだというふうに考え、さらにその見方から脱し、母親が言うように子どもはもっと深く見ていると考えるようになった。母親は、この子とつきあっていると、「ぞくっとするような」ことがあるという。私自身の考えがそのように脱却してゆくと、B夫は私を見て笑いかけることが多くなった。
子どもがゆきつまったとき、つまり、私と子どもとの関係が停滞したように思えるとき、一時、他のすべてをわきにおいても、その子と本気に向かいあう覚悟をする必要がある。そのことを過去にも何度か体験してきた。今度も覚悟を新たにしてこの子と向きあおうと心に決めて朝を迎えた。
その朝、B夫がトイレから走り出てくるところに出会った。ホールに出してあった巧技台の上をB夫は渡りはじめた。冬の寒い朝で、この子の靴下が濡れていたので、母親は靴下を取り替えようとしたがB夫は抵抗した。それでジャンパーを着せて温かくした。私はB夫が巧技台をあちらからこちらへと渡るときに手をかしたり、一緒に歩いたりつきあっているうちに、彼は洋服も靴下もジャンパーも全部脱いで素裸になり、にこにこしてトランポリンをとんだ。そして裸のまま、ホールで運動具にのぼったり走ったりして半日遊んだ。この子が遊んだと言えるはじめての日だった。
その数日を境にして、その日の前と後とでは変化がある。石や土を投げることはボールに代わった。大人を困らせるトイレットベーバーの遊びをトイレに閉じこもってするのではなく、皆の中で動き回って遊ぶ。その行動は社会常識にかなうように変化した。「こんなに良い方向に変化した」というのは、大人の側からの外的視点である。
実践の中で保育者に気づかれている変化は、外的視点からの行動変化だけではない。子ども自身の側に生じている変化があるので、保育者にとって発達として印象づけられるのである。
このことの中で子ども自身が変化している。B夫はトイレットペーパーを自分からしりぞけて他の遊びを選んだ。
もはやトイレットペーパーや石にこだわるのではなく、それから解放され、自分が選択する主体になっている。これは個人の内的発達の視点である。
六歳のA子は、何年も遊びなれたクラスルームで遊ぶことを好む。A子はこの部屋ではいまわり、立ち上がり、歩くようになった。庭や他の部屋に連れ出そうとすると声を上げていやがる。それでも私共担任は、空間をひろげることが発達上望ましいことと考えて、一日に一度は他の部屋に連れてゆこうと話しあったこともあった。けれども、その話はその時かぎりで二日とつづいたことはない。A子はいつも過ごしているクラスルームの中で満ち足りている。自分からその空間の外にゆこうと思わない限り、むりに連れ出してもこの子の世界が広がったことにはならないだろう。この子の眼が外に向いたとき、たとえ部屋から出なくともその世界は広がったといえるだろう。
《外から見た発達》
子どもの行動が社会常識に近づく方向に変化するのを見るとき、これは社会常識という側面から外的に子どもを見る見方である。直線軸の上に同種の行動を並べて、低い段階から高い段階への変化を見るのも外的視点からの発達の見方である。このような特定の側面と規準を定めた外的観察は研究的興味の対象となるが、保育の実践にはそぐわない。この見方をとるとき、大人は外に立つ者となり、保育実践から離れてしまう。
《個人の内的発達の視点》
外的変化に目を奪われるのではなく、それをしている子どもに目をとめるとき、子ども自身が変化していることに気がつく。子どもがトイレットペーパーの遊びをしなくなったと見るだけでなく、子ども自身がトイレットペーパーをしりぞけてボールを選んでいるのを見て、選択する自由を得た子どもの内的変化を知る。子どもは何かにとらわれ、支配されているのではなく、自分が外界を支配する主体となっている。これが個人の内的発達の見方であ
る。保育的関係の中で見る発達
保育の実践の最中に子どもを見るとき、その場の子どもを見ているのであるが、しばしば、過去における保育的関係の中で見た記憶と重なる。前にはあんなふうだったのがこんなに変化したという思いをもつとき、はっきり意識されているのは一つの側面でも、半分無意識のまま保育者自身を含めた全体像が同時に記憶されている。こんなことができるようになったという保育者の驚きは、子ども自身の内的発達への視線を含んでいる。
保育関係においては、具体的状況を通してその子どもの理解が保育者自身の中で常に新たにされている。
子どもの側に育ちつつあるものについても、保育的関係の中で知覚されるのは、行動上の発達だけではない。自分が、自分で、自分からという自我が育っているかどうかが保育者の関心である。そこが育てられていなければ、ある能力だけが向上しても、保育者にとっては不満足である。
《個人の内的発達と社会》
子どもが自分の意志で自由に選択し、自分から発動して何かをなしえたとき、その子どもは堂々として自信があり、幼くとも一人前の成熟した人間の風格がある。それぞれの時期に小さな世界に、それなりの成熟があり、将来に開いてゆく小さな核がある。大人の世界ならば、自由、男気、忍耐などという語で表現するような、人間の内部のものでありながら、社会をつくるのにたいせつな価値である。内部にそれを育てられている人は、社会を展開させうる人である。個人の自我の発達と社会とはここにおいて結びあう。
社会は、身近なところでいえば学校であり、保育の場である。個人の自我が育てられ、子どもたちが自分で遊べるようになるとき、その社会は力動的に展開する。その力動的な保育の場が、また、個人の内部を強め育てる。 保育の場の小さな世界のできごとは、大きな社会につながっている。
A子はまだ自分から部屋の外に出ようとしないけれども、外から入ってくる大人たちがA子に笑いかけ、話しかけ、しばらく遊んでゆく。こうして過ごすうちに、部屋の中にとどまりながらも、外側の世界に対する関心はA子の中に準備されつつあるにちがいない。
B夫がトイレットペーパーにとらわれ、こだわっていたときにも、保育者はその最中の子どもの世界を感受していた。吸いこまれ流れ去る水の音、次つぎに紙片を手放す体感など。B夫が保育者とともにそれらを確認する日々があった。そのときにはその子どもと保育者は共同の場から孤立しているようにみえる。不思議なことに、その積み重ねの中で、子ども自身がそこから解放され自分で選択して遊ぶ日がくる。そうなると、子どもも保育者も共同の場のダイナミズムの中に加えられる。共同の場は、常に、孤立したようにみえる部分を内に含んでいる。自分で遊べない子ども、とらわれた自我、弱い自我の者を、共同社会はいつも自らの内にかかえている。そこに保育的配慮が生まれる。自分たちの中にひきこもうと外から力を加えるのではなく、弱い自我の者が自分自身となって生きられるように、守り、共にあり、育てる機能をもっているのが人間の共同体である。
《この頃の日記より》
学校の場は人生そのものである。実社会で起こることは、学校の中でも起こる。傷つけられたり、のけものにされたり、誤解されたり。それを大人が一緒になって生きて、子どもが堂々と生きられるようにすること。また、親も一緒になって。学校は学校で、親は親で、たがいに防衛的になってはならない。このところ、親のあいだに緊張感があるようだ。
職員の中にも同時に緊張感があって、学校の在り方を考え直してきたことを親にも知ってもらいたい。そして皆が子ども中心に考えるようにしたい。
この学校は、
1 実社会で傷ついたり、受け入れられなかった子どもが癒され、自分を取り戻すところ。
2 どの子どもも、楽しみを見出し、生きがいをもって生活するところ。
3 たがいの間で、また社会との接点で傷つき、傷つけ、誤解される。職員がかかわることによって、その中で子どもが生き抜く力をつけ、また、堂々と生きられるように。親も同様である。つまり、学校は人生の場そのものである。
親と学校がそれぞれ自己防衛的になったら、表面はとりつくろうが、人の力がダイナミックにはたらかない。それにチャレンジしたい。
4 それが私が願うところだが、これがうまく動かなくなっている。
《見出し写真の補足》
翌日の朝、朝日岳山頂を見上げたところ