諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

40 子ども時代の意味#7 不思議な時間

2019年08月11日 | 子ども時代の意味
(写真)コマクサ

夏休みだからではありませんが、教育と迂遠な話です。

 
 人の一生、ライフステージのどこを切っても、時々の特徴があるから「子ども時代」だけを特別なものとするのは不自然ともいえる。
昨今はキャリア教育の中で「子ども時代」は次のライフステージの準備期間のように扱われることすらある。

 たぶん、子ども時代を特別な時期と考える思想は、ルソー以降なのではないかと思うが、それ以前だって大人は子どもを可愛がっていて、理解できない行動をとる子どもはどう考えても特別な存在だっただろう。
そもそも近代以前は乳幼児期の生存率が極端に低かった。そういう意味からも子どもは単に「大人の準備段階」ではなかったはずだ。 

 霊長類の研究者から見た人類は多産で子どもが成人まで育つ確率が低いことが特徴だという。出生から長い年月養育が必要であり、青年期に入っても、肉体的に完成されず労働の主力でもなく、家族をもつこともできない役割の不明確な存在だったようだ。
チームとして集住する中で役割が曖昧な時間が子ども時代として長く存在していた。

 さらに生物学者によれば、生物の多くが、弱肉強食の世界に生き抜き、種族の繁栄のため、出生後、急速な肉体的、性的な成熟があるという。つまりできる限り早く食糧の確保に奔走し、生殖行為の闘争のための準備に入る。
が、人間にはそれがそれほど明確にはないという。つまり差し迫った目的的な努力を強いられない長い時間があるというのだ。

 人間の子ども時代というのは大人への直線的な準備の過渡期ではなく、生物の成熟として「定型」といった規定もなく、本人や周囲や社会がその中身を決めうる時間として子ども時代がある。

 その時代を タナカは野球をやり、スズキはスキー学校に行き、ヤマダはミニ四駆に興じたりしている。(もちろん他にいろいろ)

 動物的の本能的で生理的な成長に対して、それとはおよそ無縁な文化活動を行っているというのはなんとも人類は不思議な存在だ。

 裏を返せば、描くべき教育の中身の自由度は大きく、大きいが故に悩みも生じる。
 

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