諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

41 子ども時代の意味#8 共生のはじまり

2019年08月18日 | 子ども時代の意味
 ある村で子どもが産まれた。
母子とも「大丈夫か」と今父親になったばかりの青年が今まで感じたことのない気持ちになっている。

 こんな時はねえと言っておばあちゃんは腕まくりをして働く。
無口だったおじいちゃんが「どれどれ」と言って読んでいた新聞を畳んで赤ちゃんを見に来る。

 近所の人もニコニコしてお見舞いにやってくる。「おめでとう。」
お祝いも届く。郵便配達の人までいつもと違う。
組合長さんもやってきて「ああ、この子は将来村長だな」とか言っている。

 子どもが産まれると家や地域の雰囲気がかわる。

 無力な赤ちゃんが生まれるということは、周りを変える。
それまで、子どもの座?にあった子は、おにいちゃん、おねえちゃんに。「若い衆」は、家長をめざすようになるし、娘は母になるし、父母は祖父母へとシフトチェンジしていく。組合長だって責任感が増す。

 そういった具合に赤ちゃんの誕生はドラマティックに周囲に影響する。

 そんな存在だから、両親のみならず周囲のみんながこの子を可愛がりたいし、将来の教育にも関心をもっている。
自分の大切にしてきたものをこの子の紹介したいと無意識に思う。自然な感情として。

 後年、この赤ちゃんは、隣のお兄ちゃんにザリガニ釣りを教わったし、お姉ちゃんに字の書き方を教わった。おじちゃんにトラクターに乗せてもらい、組合長からお祭りの太鼓の仲間に入れてもらった。そしておばあちゃんに料理の手ほどきを受けた。

 子ども時代は確かに自由な空間のようだが、周囲の人たちの愛情(場合によっては軋轢)とともにダイナミックに中身が構成されていく。
たぶんこのことは古来かわらない自然な教育である。

 子ども時代というのは周囲の人々と共鳴しながら一緒に生きる黙示的な文化性をさかんに身に着ける時なのだろう。


 



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