写真)塩見岳山頂
かつて校内で読書会をしたことがあり、同僚が紹介してくれた本です。
鷲田清一『「聴く」ことの力 -臨床哲学試論』筑摩書房
哲学とあると難しそうですが、いいなぁと思う部分がたくさんありました。
その一部です。
「語る、諭すというという行為でもなくという、他者のことばを受けとる行為のもつ意味である。」
「聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場を劈(ひら)くということであろう。じっと聞くことそのとこの力を感じる。」
「人間が半分つぶれた虫のように地面でもがくことになるような類の衝撃を受けた人々は、自分の身に起こっていることを表現する言葉がない」
「苦しみの語りは語りを求めるのではなく、語りを待つひとの、受動性の前ではじめて、漏れるようにこぼれ落ちてくる。つぶやきとして、かろうじて。」
「(注意をもって聞くこと)は、もっとも高度な段階では祈りと同じものである」(ヴェイユという哲学者の引用)
最近、教育相談をする分掌にもあり、含蓄のある文章を紹介しました。
「他者の自己理解の場を劈(ひら)く」を助産する、その傾聴の姿勢は祈り、と説いている。