富士山! 夏 南ア 塩見岳から
軽度の知的障害の生徒は、日常生活を送るスキルは十分ある。若さと健康もある。
でも、うずくまって授業に参加できない。
その授業が自分の将来に資するものか判然とはしないこともあると思うが、一緒にやっていった方がずっと楽になるように感じる。そののち何かが見え始めることは十分ある。
自意識に気がつき、自分が生を受けてしまっていることに呆然としてしまっている生徒(場合によっては保護者)をどうするか。
学校という組織教育の難しさはこうした“とどかない”ことだ。
「どうして分かってくれないのだろう」と付き合い続けることでもある。
神父の井上洋治は、子どものころ病弱で、正月に家族が賑やかにしている間も隣の部屋で臥せていた。
床の中で自然に考えたことは「人はみな死んでいくのにそれまで生きている意味ってなんだろう」ということだった。
「ずっと向こうまで白い砂の浜辺がつづいていていて時おり、風が吹いて、こそっと砂の一部が動く、そしてもとの動かない浜辺にもどる。人間はその砂粒の一つに過ぎないと感じていた」と。この虚無感から抜け出す努力が神父の出発点になる。
救いになったのは19世紀末のシスター、テレーズであった。
「神様はいつでも私たちをみてくださって、後押ししてくださっている」
テレースの心にふれて感激した井上はその心の源泉を知るためにフランスの修道会に入り修行する。
しかし、7年に及ぶ厳しい修行の中で感じたのことは、必ずしも日本人の心にフィットしないキリスト教観だった。その神はあくまで強者で、弱き自分に同伴しているものと感じられない存在。
日本にもどった井上は司祭として「日本人の自分に合った服」を求めるようにキリスト教を仕立て直すことに生涯をかけることになる。
ずっと後年、井上は「南無 アッバ 南無 アッバ」と唱え、祈るようになる。
南無(なむ)は南無阿弥陀の南無。帰依する、すべてをおまかせするという意味のもちろん仏教の言葉。
アッバは当時のパレスチナの言葉、それも幼児語の「ぱぱ」に近い言葉で、聖書学の研究によってイエス自身が神のことをこう表現していたことがパウロの手紙等から分かっているという。
「南無」の委ねる感じ、「アッバ」の神への親近感、合わせて唱えたときの語感が、虚無感に危機感を覚えた少年時代を経た神父の万人に向けて祈りとなった。
呆然とする生徒が、生に失望し、大きな虚無を抱えて生きること、ニヒリズムによって社会に背を向けることのないよう、明確な答えのないまま手を尽くすことが教育の一つの真実なのだろう。
軽度の知的障害の生徒は、日常生活を送るスキルは十分ある。若さと健康もある。
でも、うずくまって授業に参加できない。
その授業が自分の将来に資するものか判然とはしないこともあると思うが、一緒にやっていった方がずっと楽になるように感じる。そののち何かが見え始めることは十分ある。
自意識に気がつき、自分が生を受けてしまっていることに呆然としてしまっている生徒(場合によっては保護者)をどうするか。
学校という組織教育の難しさはこうした“とどかない”ことだ。
「どうして分かってくれないのだろう」と付き合い続けることでもある。
神父の井上洋治は、子どものころ病弱で、正月に家族が賑やかにしている間も隣の部屋で臥せていた。
床の中で自然に考えたことは「人はみな死んでいくのにそれまで生きている意味ってなんだろう」ということだった。
「ずっと向こうまで白い砂の浜辺がつづいていていて時おり、風が吹いて、こそっと砂の一部が動く、そしてもとの動かない浜辺にもどる。人間はその砂粒の一つに過ぎないと感じていた」と。この虚無感から抜け出す努力が神父の出発点になる。
救いになったのは19世紀末のシスター、テレーズであった。
「神様はいつでも私たちをみてくださって、後押ししてくださっている」
テレースの心にふれて感激した井上はその心の源泉を知るためにフランスの修道会に入り修行する。
しかし、7年に及ぶ厳しい修行の中で感じたのことは、必ずしも日本人の心にフィットしないキリスト教観だった。その神はあくまで強者で、弱き自分に同伴しているものと感じられない存在。
日本にもどった井上は司祭として「日本人の自分に合った服」を求めるようにキリスト教を仕立て直すことに生涯をかけることになる。
ずっと後年、井上は「南無 アッバ 南無 アッバ」と唱え、祈るようになる。
南無(なむ)は南無阿弥陀の南無。帰依する、すべてをおまかせするという意味のもちろん仏教の言葉。
アッバは当時のパレスチナの言葉、それも幼児語の「ぱぱ」に近い言葉で、聖書学の研究によってイエス自身が神のことをこう表現していたことがパウロの手紙等から分かっているという。
「南無」の委ねる感じ、「アッバ」の神への親近感、合わせて唱えたときの語感が、虚無感に危機感を覚えた少年時代を経た神父の万人に向けて祈りとなった。
呆然とする生徒が、生に失望し、大きな虚無を抱えて生きること、ニヒリズムによって社会に背を向けることのないよう、明確な答えのないまま手を尽くすことが教育の一つの真実なのだろう。