八ケ岳🈡 横岳~硫黄岳の稜線 ここでたくさんの高山植物がみられます。
幸福の種⑦
「絶対諦めない」という言葉
シリーズ最終回は、困難な状況にある子ども達のことについて考えます。
「幸福の種」というシリーズではあるが、幸福を一般論であてはめにくい子がある。
幸福の種⑦
「絶対諦めない」という言葉
シリーズ最終回は、困難な状況にある子ども達のことについて考えます。
「幸福の種」というシリーズではあるが、幸福を一般論であてはめにくい子がある。
幸福は、結局その子の背負っている条件によることが多い。
大まかだが、一般論がある程度あてはまるケースと、条件がシビアでそんな枠組み自体をかぶせるべきでないと思われるケースがある。
教師としての一定のキャリアがあると、いろいろな子ども達がいろいろな条件下で生きているケースを見てきている。
その中には、私達自身の想像力でも届かない状況になっているものも少なからずある。
幸福論を考えている時、それらのケースを思い出しつつ、自分の考えが通用するものか、それぞれのケースにあてはめて検証してみる。
大まかだが、一般論がある程度あてはまるケースと、条件がシビアでそんな枠組み自体をかぶせるべきでないと思われるケースがある。
教師としての一定のキャリアがあると、いろいろな子ども達がいろいろな条件下で生きているケースを見てきている。
その中には、私達自身の想像力でも届かない状況になっているものも少なからずある。
幸福論を考えている時、それらのケースを思い出しつつ、自分の考えが通用するものか、それぞれのケースにあてはめて検証してみる。
それは避けられない作業だが、ハードである。
考えているうちにかなりの体力が消耗するような感じがある。
(あの子に、「幸福」だなんて‥)
でも実際、そういう状況の子を「想定外」などとできない。
しかも、その子ども達は、その状況を自ら主体的に招いてしまったわけではない場合が多いから、「私だって…」と言われた時、大変せつない。
もちろん、それを解決するのは教育によるものとは限らない。児童福祉の分野だったり、将来の危機はその時の社会システムが対応する問題なのだろう。
しかし、子どもたちの届かない現実を感じながらも、教育には(教師には)彼らに道をつける方法がある。
まったくシンプルな方法だが、
「絶対諦めない!」
と、言葉でいうことではないか。
幸福を希求する力を呼び起こすための言葉の力ともいえよう。
その子を知り、共に生きてきた教師にできることである。
そして、その担保になるものが、本テキストにある。
困難な状況にある方々が、どう生きがいを求めて行ったかを綴った記録である。
彼らは極限とも思われる状況でも“変革体験”を経て生きがいを得て行く。
生命が、もともともつ底力を証明するかのように。
そして、その「変革」の中身への注意そのものより、「諦めない力」も強く働き得るということも分かるのである。
「絶対諦めない」ことは、絶対何らかの生きがい(幸福)へとつながっていく。
そんな個々の記録の辻々に神谷さんのキーセンテンスがある。
・生きていて出会う、いろいろの場面を味わい、その中から生きがいを見つけ出すこと
・生きがいは、「生きがい感」という感覚なので、人に理屈で説明できなくていいこと
・「生きがい感」は人のそれとは比較できない
・生きがいが奪われた時こそ、生きがいが、もともとあるものとして、再度発見する
機会になる
・生きがいは動的なもので、形がない。働きとして感じる精神性の感性こそ、これに気づく
・絶望の弦楽器は自分で鳴らすものとして、絶望した時に作られるが、その楽器は他人の絶
望にも共鳴し、共感しうる
・そもそも生きていることは、大きなものの上に成り立っている
・孤独な悲しみの底で、その自分をそれでも支えているものに気がつく、返って孤独でない
ことに気づく。
・生きてるだけで、生きがいはそなわっている
これらは、どんな重篤な場面でも希望を失わなかった方々の至った貴重な境地といってもいいだろう。
それは手の届かな子(人)の魂を救う言葉になりうるのかもしれない。
そして、私達(ことに特別支援学校の)教師にとって大きいのは、重篤な病をもった人に真摯にむきあい、彼らの視線を慎重に、そして謙虚に追いながら自らの視線もあわせようとした人があったことである。
神谷美恵子さんは別の本で、自ら病で倒れ看取られる側に立った時、こんな詩を書いたという。
こころとからだを病んで
やっとあなたたちの列に加わった気がする
島の人たちよ、精神病の人たちよ
どうぞ 同志として うけ入れてください
あなたと私のあいだに
もう壁はないものとして
凄い人がいるものである。
(シリーズ 了)
(あの子に、「幸福」だなんて‥)
でも実際、そういう状況の子を「想定外」などとできない。
しかも、その子ども達は、その状況を自ら主体的に招いてしまったわけではない場合が多いから、「私だって…」と言われた時、大変せつない。
もちろん、それを解決するのは教育によるものとは限らない。児童福祉の分野だったり、将来の危機はその時の社会システムが対応する問題なのだろう。
しかし、子どもたちの届かない現実を感じながらも、教育には(教師には)彼らに道をつける方法がある。
まったくシンプルな方法だが、
「絶対諦めない!」
と、言葉でいうことではないか。
幸福を希求する力を呼び起こすための言葉の力ともいえよう。
その子を知り、共に生きてきた教師にできることである。
そして、その担保になるものが、本テキストにある。
困難な状況にある方々が、どう生きがいを求めて行ったかを綴った記録である。
彼らは極限とも思われる状況でも“変革体験”を経て生きがいを得て行く。
生命が、もともともつ底力を証明するかのように。
そして、その「変革」の中身への注意そのものより、「諦めない力」も強く働き得るということも分かるのである。
「絶対諦めない」ことは、絶対何らかの生きがい(幸福)へとつながっていく。
そんな個々の記録の辻々に神谷さんのキーセンテンスがある。
・生きていて出会う、いろいろの場面を味わい、その中から生きがいを見つけ出すこと
・生きがいは、「生きがい感」という感覚なので、人に理屈で説明できなくていいこと
・「生きがい感」は人のそれとは比較できない
・生きがいが奪われた時こそ、生きがいが、もともとあるものとして、再度発見する
機会になる
・生きがいは動的なもので、形がない。働きとして感じる精神性の感性こそ、これに気づく
・絶望の弦楽器は自分で鳴らすものとして、絶望した時に作られるが、その楽器は他人の絶
望にも共鳴し、共感しうる
・そもそも生きていることは、大きなものの上に成り立っている
・孤独な悲しみの底で、その自分をそれでも支えているものに気がつく、返って孤独でない
ことに気づく。
・生きてるだけで、生きがいはそなわっている
これらは、どんな重篤な場面でも希望を失わなかった方々の至った貴重な境地といってもいいだろう。
それは手の届かな子(人)の魂を救う言葉になりうるのかもしれない。
そして、私達(ことに特別支援学校の)教師にとって大きいのは、重篤な病をもった人に真摯にむきあい、彼らの視線を慎重に、そして謙虚に追いながら自らの視線もあわせようとした人があったことである。
神谷美恵子さんは別の本で、自ら病で倒れ看取られる側に立った時、こんな詩を書いたという。
こころとからだを病んで
やっとあなたたちの列に加わった気がする
島の人たちよ、精神病の人たちよ
どうぞ 同志として うけ入れてください
あなたと私のあいだに
もう壁はないものとして
凄い人がいるものである。
(シリーズ 了)