諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

123 感想の表裏 A面

2021年02月27日 | エッセイ
道 南アルプス 夜叉神峠から鳳凰三山へ 5月

若手の先生の研究授業が行われ、生徒下校後にその授業についての話し合いが行われた。

授業は、細部に指摘はあったものの、元気で楽しい授業で、見ている全員が自然に好印象をもった。

元気で楽しい授業

話し合いの席上、このことに触れて話したかったが、他の先生のコメントとのバランスあってややフォーマル?なコメントを述べた。


「特別支援学校は、子ども達の発達や障害の状況に個人差があるから、大きな原則はあるが何をどんな活動を通して教えるか、ということから考えて授業をつくるのが特徴です。そこが、小中高等学校のいわゆる“定型発達”と言われる子ども達の教育課程と異なる点です。」

「したがって、授業を作るには、日々子ども達と係る中で感性を働かせて、今の彼らに何こそ必要なのかを発見することがとても大切です。いわば子ども達の中に教育課程を見出すことでもあります。」

「この子には、今これが必要だと感じて単元を構成し、授業の準備ができた時、話し方、教材の提示の仕方、子どもからの発信を待つこともにも確信がもて、子どもの心の動きとともに展開する授業ができると思います。」


このコメントがこの若い先生の授業づくりに今後生きてくるのかどうか分からない。
でも、協議会の席上、言っておく必要はあろう。
毎回、授業へのコメントは、行き先を案じてしまう。

ところで、案じてしまって?(もちろんそれだけではないが)結局触れなっかったのは「元気で楽しい授業」についてである。
なんで、みんなそのことに好感をもっちゃうんだろう、ということだ。

「元気で楽しそうでいいですね」という感想で十分であるとも思うのだが。
感想のB面に続く。
               
                      (つづく)




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