定番 高尾山縦走 中間地点 景信山 ここにも立派な茶店があります。
本ブログで沢山のアクセルをいただいているのが、
「32 「坊ちゃん」のその後」
である。
小説は坊ちゃんが松山の旧制中学校に辞表を出し、東京に戻ってくるところで終わるのだが、坊ちゃん(その世代)の人生はずっと続くことを想像してみたのである。戦争や震災を経て、セピア色の世界にいた坊ちゃんが、もし長生きしていればカラーテレビで東京オリンピックを見ているはずだと。
そして、今改めて、その世代の人々の生きた足跡を、後年作った年表に置いていくと、彼らの歩んだ道も間違いなく「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)の中そのものにあってことが分かってくる。
当時の「坊ちゃん」たちにこんな将来が待っていることを近代学校が成立したばかり19世紀末の大人は絶対に想像などし得なかっただろう。
一方、当時の時代背景の慌ただしさを象徴するように出来事や騒動の連続するこの小説で、時々回想される「清」(東京の家に残してきた下女)が静的な存在として印象的である。小説の終末も清のこと閉じられる。
「だから、清の墓は小日向の養源寺にある。」
坊ちゃんが松山の学校での活躍ぶりを支え続けたものとして漱石は清の存在をこの青年の内面に配しているのである。
そして、あくまで想像の話だが、きっと清はその後の坊ちゃんの人生の中でもずっと生き続けたように感じられるのである。応援者として、同伴者として。
同じように同時代の人々は、清の存在のように近しい人とのつながりや心の交流が、その後の「VUCA」の時代にあっても普遍的にはたらき、その人の生を支えていたことが十分に想像できる。
そして、もし教育を広く解釈するなら、こうしたつながりを意識できる機会があることが(生きる力を下支えするものとして)広義の教育固有の価値といえるのではないだろうか。仕組みとして教育内容とは別の話である。
私たちは、職員室の窓から外をながめながら、「どうして、〇〇さん元気なかったんだろう?」と思ったりする。
「この教材なら□□さんわかるかもしれない」と工夫したりする。「〇組、最近勢いでてきたね」と同僚に言われ嬉しくなることもある。他にも地域との連携がうまくいったり、話し難かった保護者と気持ちが通じたり、運動会に不登校の子が見学にきた、とか心を使っている。もっとあるだろう。
こうしたことが実は近未来にむけての静かな子ども達への後押しになっていくのではないか。それはたぶん間違いない。
まとめていうと、手作りということ、自前の心をちゃんと使うということ、きっとこうしたことが、「清の普遍性」に通じる教育の価値なのではないだろうか。
保育学者で愛育養護学校の元校長の津守眞さんは、保育を教育や養護をつつみこむものとして次のように述べている。
人は、生涯に何度も、自分の心の枠を破って、人生を正しく歩き始めます。あるときは人と出会うことによって、あるときは、自分が思い切って一方踏み出すことによって、またある時は、否応なしに大きな運命の手に連れ出されて、はじめは考えもしなかった世界を生きることになります。
障碍を持っていても、いなくても、どの人も互いに異質であって、同じ人間です。互いに寛容になると言う事は、20世紀の戦争の世紀の、私と同時代の人が獲得した思想でした。私共の世代はその上にあります。教育・保育は、人為的に作られたマニュアルに従ってなされるのではなく、人間と人間とが互いに信じ合い、愛を持って手探りで模索しながら作っていくものです。それが積み重ねられて、人の知が作られます。そのような知は、いわゆる知識の体系とは異なります。私共は、不確かな世界に生きているからこそ、どの子どもをも信頼し、一緒に行きやすい共同体をつくる道を模索して歩むところに教育があるのです。地を這うような、目立たない日々の保育の中に光があります。
『学びとケアで育つ』小学館
引用に即していうなら、いわゆる知識の体系とは異なった、信じ合って、手探りで模索して作っていく人の知の醸成こそが将来の「坊ちゃん」たちを支えつづけるのではないだろうか、「近未来から風」が強くとも。
シリーズ 了
※ 長いシリーズお付合いありがとうございました。もちろんブロクは続きます。今後ともよろしくお願いいたします。
本ブログで沢山のアクセルをいただいているのが、
「32 「坊ちゃん」のその後」
である。
小説は坊ちゃんが松山の旧制中学校に辞表を出し、東京に戻ってくるところで終わるのだが、坊ちゃん(その世代)の人生はずっと続くことを想像してみたのである。戦争や震災を経て、セピア色の世界にいた坊ちゃんが、もし長生きしていればカラーテレビで東京オリンピックを見ているはずだと。
そして、今改めて、その世代の人々の生きた足跡を、後年作った年表に置いていくと、彼らの歩んだ道も間違いなく「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)の中そのものにあってことが分かってくる。
当時の「坊ちゃん」たちにこんな将来が待っていることを近代学校が成立したばかり19世紀末の大人は絶対に想像などし得なかっただろう。
一方、当時の時代背景の慌ただしさを象徴するように出来事や騒動の連続するこの小説で、時々回想される「清」(東京の家に残してきた下女)が静的な存在として印象的である。小説の終末も清のこと閉じられる。
「だから、清の墓は小日向の養源寺にある。」
坊ちゃんが松山の学校での活躍ぶりを支え続けたものとして漱石は清の存在をこの青年の内面に配しているのである。
そして、あくまで想像の話だが、きっと清はその後の坊ちゃんの人生の中でもずっと生き続けたように感じられるのである。応援者として、同伴者として。
同じように同時代の人々は、清の存在のように近しい人とのつながりや心の交流が、その後の「VUCA」の時代にあっても普遍的にはたらき、その人の生を支えていたことが十分に想像できる。
そして、もし教育を広く解釈するなら、こうしたつながりを意識できる機会があることが(生きる力を下支えするものとして)広義の教育固有の価値といえるのではないだろうか。仕組みとして教育内容とは別の話である。
私たちは、職員室の窓から外をながめながら、「どうして、〇〇さん元気なかったんだろう?」と思ったりする。
「この教材なら□□さんわかるかもしれない」と工夫したりする。「〇組、最近勢いでてきたね」と同僚に言われ嬉しくなることもある。他にも地域との連携がうまくいったり、話し難かった保護者と気持ちが通じたり、運動会に不登校の子が見学にきた、とか心を使っている。もっとあるだろう。
こうしたことが実は近未来にむけての静かな子ども達への後押しになっていくのではないか。それはたぶん間違いない。
まとめていうと、手作りということ、自前の心をちゃんと使うということ、きっとこうしたことが、「清の普遍性」に通じる教育の価値なのではないだろうか。
保育学者で愛育養護学校の元校長の津守眞さんは、保育を教育や養護をつつみこむものとして次のように述べている。
人は、生涯に何度も、自分の心の枠を破って、人生を正しく歩き始めます。あるときは人と出会うことによって、あるときは、自分が思い切って一方踏み出すことによって、またある時は、否応なしに大きな運命の手に連れ出されて、はじめは考えもしなかった世界を生きることになります。
障碍を持っていても、いなくても、どの人も互いに異質であって、同じ人間です。互いに寛容になると言う事は、20世紀の戦争の世紀の、私と同時代の人が獲得した思想でした。私共の世代はその上にあります。教育・保育は、人為的に作られたマニュアルに従ってなされるのではなく、人間と人間とが互いに信じ合い、愛を持って手探りで模索しながら作っていくものです。それが積み重ねられて、人の知が作られます。そのような知は、いわゆる知識の体系とは異なります。私共は、不確かな世界に生きているからこそ、どの子どもをも信頼し、一緒に行きやすい共同体をつくる道を模索して歩むところに教育があるのです。地を這うような、目立たない日々の保育の中に光があります。
『学びとケアで育つ』小学館
引用に即していうなら、いわゆる知識の体系とは異なった、信じ合って、手探りで模索して作っていく人の知の醸成こそが将来の「坊ちゃん」たちを支えつづけるのではないだろうか、「近未来から風」が強くとも。
シリーズ 了
※ 長いシリーズお付合いありがとうございました。もちろんブロクは続きます。今後ともよろしくお願いいたします。