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読書 その二 ロイド・グッドリッチ

2011年01月01日 00時21分13秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
今から100年前と言うと1911年、明治(44年)最後の年で、ニューヨークに移って
程無い頃のクニヤスは22歳でした。 3年後には第一次世界大戦を控え彼の生きた
時代は芸術革命の真っ直中、ニューヨークのモダニズムの台頭と同じ時期でした。
当時は産業革命後の工業化された社会の発達で、近代化と市民革命の地球規模での
大きな変化の流れがありました。

丁度、今の現代生活の基礎作りがこの頃から始められていました。
中産階級の成長で消費社会の定着、都市化、移動手段の発達によって貿易の拡大と国際
分業化などが始まっていった時代で、石油による重化学工業への移行のなか、文化・
政治・経済などあらゆる面で、そして人々の意識の中も大きく変わりつつありました。

芸術の分野も同じで、今までの古典的な写実性に重きを置いた価値観は変わりつつある
時代にそぐわないと、ポスト印象派以降のもっと自由で新しい観念を主張するモダニスト
達の動きが、当時中心であったパリから1913年ニューヨークのアーモリーショーを
通して広がりつつありました。

こういった流れのなか、クニヨシは2回ヨーロッパを往復し、大恐慌を経験し、そして
第二次世界大戦終了数年後の、1948年の3月27日から5月9日まで、ニューヨークの
ウイットニー美術館でクニヤスの回顧展が開かれたのです。そのときに作られた
カタログがこれから翻訳するもので、ロイド・グッドリッチによって書かれています。
このときクニヨシは59歳で、ロイドが51歳の時でした。

アート・ステューデンツ・リーグでクニヨシの後輩だったロイドは、ヨーロッパに
渡ったときに芸術がアメリカより広く理解されている事に驚き、それには学者、
評論家達が大きな役割をはたしているからだと感じました。彼は、画家の道を諦め
ニューヨークに帰って近代芸術の理解者、サポーターの道を選んだのでした。

ロイドが、多分天井まで届く大きな窓のある部屋の机の上にある、まだ手動であろう
タイプライターを使ってこのカタログの原稿を書いたウィットニー美術館。彼は後に
館長を10年間務め、歴史家として多く芸術家を助け文化の発展に寄与したのです。

この激動の時代をくぐり抜けた一人の画家の生涯と作品を通し、当時の雰囲気を
これからの翻訳で伝えられればと思っています。




(写真はロイド・グッドリッチ)

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