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読書 その四 オカヤマ

2011年01月03日 13時16分07秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
国吉康夫は、1893年(明治26)に日本の南部、岡山市でそこそこの事業家の
一人息子として生まれました。 子供の頃に彼が、絵画に接することはほとんど
ありませんでした。

岡山には美術館はなく、そして彼の見たことのある数少ない絵は、友達の家に
あった全て伝統的な日本画でした。 彼が覚えている唯一の西洋的な絵は、
6~7歳の時、町に来たリアルな戦闘シーンのパノラマ画だけでした。

「それを見て大変動揺してしまいました。」とクニヨシは、最近になって書いています。
「なぜなら、それは本物みたいに生きているようで、私の子供の頃の周りの絵画には
見られなかったものでした。 そこには飾り物とか儀式的な物以上の何かがありま
した。」

学校では、素描は本の中の絵を模写することで教わったのです。 その後、彼は
工業学校で織物と染め物の勉強をし、そして織物の柄のデザインをしました。

絵を描くことが好きでしたが彼は、画家になるだろうとは思ってもいませんでした。
彼は元気で活発な少年で、なかなかの運動選手で、よく学校の陸上競技の代表でした。





Yasuo Kuniyoshi was born in the city of Okayama in southern Japan in 1893,
the only child of a businessman of modest means. As a boy he had little contact
with art. Okayama had no museum and the few pictures he saw were those in
friends’ all in the traditional Japanese style. The only painting in the
Western style that he remembers was a realistic battle panorama that came to
town when he was six or seven. “It stirred me greatly,” he wrote recently,
“because it was so real and lifelike, a factor that I had not been aware of in the
works of art that surrounded my childhood. Here was something that was more
than decorative and dignified.” In school, drawing was taught by copying pictures
in books. Later in technical school he studied weaving and dyeing, and
made designs for textile patterns. But though he liked to draw he had no idea
of becoming an artist. He was a strong, active boy and a good athlete, and often
represented his school in track meets.


(国吉の生まれた年が原文では1893年とあるが、1889年9月1日である。)
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