TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 508

2024年11月03日 | エッセイ
 公衆電話に関するテレビの報道番組に依ると、最盛期と比べ現在の設置台数は当時の10%ほどになってしまっているらしい。それが、何年か後にはその数はもっともっと減ることになるとの事だ

 外出するときはスマホを忘れないように気を付けてはいるが、つい忘れてしまうことが多い。以前のガラ系の単純なものや二つ折りに進化した携帯のように、ポケットに入れっぱなしにしておくには嵩張るし、重いのでスマホは所定の場所に置いておく。それで、外出の時に失念してしまう。それほど頻繁にスマホを使うことはないので、普段はさして困ることはないが、依頼された要件の確認の必要があって家内に電話することがあった。我が家の固定電話は詐欺防止のために常時留守電にしてある。従って、家内が固定電話に出ることはない。それで、公衆電話から家内のスマホに電話したのだが、コンビニで事前に両替してもらった100円分の10円玉とポケットにあった10円玉があっという間になくなった。要件はほぼ終わったのでかけなおす必要はなかったが、スマホへの短い会話にこれほどの10円玉が必要なのかと、その料金の高さを実感した。

 私と家内のスマホは、月に千円の別料金を払い、一回の通話が一時間以内なら日に何回掛けてもその契約料金を超えることはない。家内は地方に住んでいる友人たちに気軽に電話しているようだ。

 携帯電話が普及する前は、公衆電話から自宅の固定電話に電話していたが、10円玉一個で3分間は話せたことを記憶している。そして、携帯電話の使い初めには通話料金の高さに驚かされた。それが、今では千円払うことに依って料金など気にせず一日に何回でも長電話が出来るようになった。長電話と云っても家内と違ってせいぜい10分か、長くても15分であるが、非常にありがたい。また、ラインを使えばお互いの顔を見ながら話せるし、時間の制限もなく無料だ。以前のように何秒で何円とかの携帯のバカ高い料金の時代はずっとずっと昔のように思える。だが、公衆電話からの料金は違っていた。

 本来は上野動物園に行くつもりでいたのだが、重い100-400ミリのレンズを持ってみると、背中にこれをカメラと一緒にしょって、バスと電車に乗って上野まで行くのは億劫になってしまった。だが、次回は意を決して行くつもりだ。そんなわけで、軽い100ミリのマクロ・レンズで済む花の撮影にした。従って、先週に続いて神代植物公園の写真を掲載する。今回は一人で行った。前回からはたった10日ほどしかたっていなかったが、咲いている花はがらりと変わっていた。休日でもないのに、園内には驚くほどの人がいた。撮影は一人の方が良いが、これでは落ち着いて写真が撮れない。従って一番下の2枚は入園者が殆ど来ない水辺に行った。


















折々の写真&雑感 507

2024年10月27日 | エッセイ
 夕食を食べながらテレビを観ていて驚き、思わず箸が止まった。伊勢海老が一尾5千円だと報じられていたのだ。メジナ釣りに伊豆に通っていたころ、帰りによく伊勢海老を何尾か買ってきた。当時は中程度の大きさで一尾が500円だった。自宅から伊豆への往復の渋滞に辟易し、行くのを止してからは、最近の伊豆での伊勢海老の値段は知らないが、5千円もしないだろう。

 新米の値段、野菜や果物の値段、どうすればこうも値上げ出来るのかと思えるほどの価格の高騰だ。自民党は盛んに物価を抑え、暮らしやすい世の中にすると訴えているが、裏金問題や統一教会、それに森友学園の問題も解決しないまま解散してしまった。今回の選挙戦で訴えていることを本当に実現出来るのか?それなら、例え一つでも実現させてから解散すべきだったのではないのか?今のままでは自民党員の演説を誰も信用する人はいないように思える。この原稿を書いているのは投票日前であるので、野党が自民党を上廻るかどうかの判断はつかないが、裏金議員にこっそり公認候補と同額の2千万円を配っているようではどうも自民党に勝ち目はないように思える。自民党にただくっついているだけの宗教政党など論外である。今はどの政党にくっつくか思案の最中であろう。

 以前にアメリカからジャポニカ種の米である「キャルローズ」か「ダイヤモンドG」の輸入をするべきと書いたが、野菜や果物もどんどん輸入すべきと思う。米の保護は自給の為の国策と云われているが、このような値上がりでは国策もヘッタクレもないだろう。米の生産者が今年は豊作だと云い、こんな高値でどんどん出ていくと驚いている様子をテレビのニュースで観た。政府の減反政策の見返りなのか、政策の誤りの償いなのかは知らぬが、農家を手厚く保護している。我々庶民の保護は誰がするのか?それもこれも政府が為替の管理をきちんとしなかったので、生活に悪い影響を与えてしまうほどの円安が根本にある。自民党の議員の諸君は為替の意味をきちんと理解しているのか?

 もう涼しくなったからと、久しぶりに写真仲間と10月の連休前に神代植物公園に行った。今の時期は殆ど撮るものがないが、少し汗ばみながら空気のきれいな公園内を歩くのは気持ちよかった。それでもバラやハギ、水生植物園ではツリフネソウが盛大に咲いており、深大城では蕎麦の花が満開だった。間もなく実がなって刈り取りが始まるだろう。













折々の写真&雑感 506

2024年10月20日 | エッセイ
 先週のブログでマダガスカルのマンゴーについて触れたので、その所為かまたマダガスカルのことをかなり想い出した。以下に写真と一緒にその様子を記したい。


 マジュンガの港。この海の向こう約800kmにはアフリカ大陸がある。パリサンダーの伐採のない日はよくここに散歩に来た。暑くなる前の朝の内だったが、帰りには来なければよかったと後悔するほどに気温が上がる。だが、それを忘れ、またここに来る。そのたびに、取引先の社長は社員の一人を私のお供に付ける。何かあったら心配だと云うが、マダガスカル人は大人しく非常に親日的である。私と目が合うと、必ず「ボンジュール、ジャポネ」と挨拶してくれる。


 マジュンガでは一番の高級なホテル。と云っても、ホテルらしいものは此処の一件しかない。マジュンガはマダガスカルの北西部にあり、首都のアンタナリブからは直線でも800kmほどある。ご存じのように、マダガスカルは南半球に位置するため、北に行けば行くほど熱くなる。マジュンガはマダガスカルでも一番熱い地域の一つに入っている。午後の一番熱い時間になると、平地では40度から45度になる。口を開けて息をすると、乾いた空気のため喉が焼けるように感じるので、鼻で息をするようにしていた。だが、湿度が非常に低いので、東京の今夏の35度よりずっとしのぎやすい。


 街中のホテルでは伐採地に通うのに非常に不便であった。それでこのバンガロー・ハウスに引っ越した。エアコンこそなかったが、中は非常に涼しかった。高い天井から大ぶりな扇風機の羽がゆっくり廻っていた。例によって、お湯のシャワーはなかったが、森から帰ってすぐにシャワーを浴びると水のタンクが太陽熱で充分に熱くなっており、まるで熱いシャワーを浴びているようだった。これは以前に行ったモロンダバのバンガロー・ハウスでの経験から、森から帰ると誰よりも先にシャワーを浴びることにしていた。西海岸のモロンダバにはバオバブの並木があり、欧米から多くの観光客が訪れる。アフリカ大陸からは500㎞の位置にある、マジュンガより300㎞ほど近くなる。


 丸太をフリッチ(杣角とも云い、丸太の白太を多少残して四角にしたもの)を、売れる状態に仕上げているところ。炎天下の作業だが、暑くなりすぎると右の森の中に逃げ込んで水分を補給しながら涼む。彼は非常に腕のいい職人で、多少曲がった丸太でもフリッチに加工するときにまっすぐ見えるように細工してしまう。選木の時に、それを見逃してしまうと日本で売る際に、その分を代金から引かされてしまう。


 パリサンダー(紫檀の代用として床柱用の高級材。フランスでは高級な家具に用いられている)の伐採地に向かう途中の村。バナナの花が咲いていたので、写真を撮るために車を止めてもらった。それを見ていた家人がぞろぞろ出てきて一家の写真を撮るよう頼まれた。


 今は乾期なので(冬、4月から10月)川の水が干上がる寸前まで減っていた。従って魚は自由に泳げず、横になって泳ぐ。それを子供たちがパチンコで討ち、気絶させてから捕まえる。


 パチンコで仕留めた魚はその夜のおかずとなる。山の民の奥さんたちから、一緒に夕食を食べて行かないかと誘われたことが何回もあるが、残念だが、私一人で来たわけではないので丁寧にお断りした。おいしそうな魚を見ると、食べたくなったが、じっと我慢するのが常だった。社員と車を一台残すので、ゆっくり食事をご馳走になったら如何かと取引先の社長に云われたが、夜の森は真っ暗で、星の灯りも多くの樹木で遮られて何も見えない。車のライトだけで走るのは非常に危険である。取引先の大事な社員を危険な目に合わせるわけにはいかない

折々の写真&雑感 505

2024年10月13日 | エッセイ
 朝のテレビの話題で、しなびたようなシャイアンマスカットの一房に一万五千の値がついているとの事だった。アナウンサーが一粒300円ですと解説していた。出演者の一人が深刻な顔をして一粒を食べたが、お笑いタレントではなかったのでワーとかキャーとかは云わなかったが、甘みはかなりのものらしかった。だが、見る限り熟しすぎて萎びる寸前のブドウにしか見えなかった。観るのも馬鹿々々しくなってテレビのスイッチを切ってしまった。

 以前に太陽の何とかいうマンゴーが一つ2万円だか3万円だと報じられて驚いた事があった。そのバカ高いマンゴーを食べたことはないが、私は世界で一番おいしいと云われているマダガスカルのマンゴー、フランスが領土権を持つレ・ユニオンのまん丸いマンゴー、モーリシャスの高級ホテルの朝食に供されるマンゴーを食べたことがある。レ・ユニオンのスーパーマーケットで売られているマンゴーの味は良かったが、甘みが強すぎた記憶がある。モーリシャスのホテルのマンゴーは程よい甘さと品のある味と感じたが、それほどうまいとは思えなかった。やはりマダガスカルのマンゴーが一番だ。それに値も安い。マダガスカルで定宿にしているコルベール・ホテルの近くの広場で一かご50円で買ったマンゴーは、ホテルの従業員に云わせると「お客さまは騙されて高いものを買わされたのです」との事だった。一かご50円で、大小のマンゴーが10個以上あった。一つは5円にもならない。正規の値段は幾らなのか?

 マダガスカルの北部で、最も暑いとされるマジュンガの森に行くと、マンゴーが栽培されており、見渡す限りマンゴーの木が連なっている。時期になると多くの実が地に着く程に大きく重くなる。それを勝手に採って食べても誰も文句を云わない。それで、私はその場所に行くときは必ずナイフを持っていく。

 美味しく安いマンゴーを何故マダガスカルから輸入しないのか?友人が役員をしている世界中の果物を扱っている商社に、マダガスカル大使館にお願いして手に入れたサンプルのマンゴーを持って売りに行ったことがある。「確かに安くて旨い。だけどお前から例え一個のマンゴーでも買ったら、他の果物が買えなくなる」からと購入を断られた。強い系列と問屋制度には困ったものだ。

 先週のブログで川合麻紀さんの作風を真似て撮影した花たちを掲載したが、彼女の足元にも及ばなかったことは認める。それに懲りずに、また同じようにして撮ってみた。少しはいいと期待してみたが、川合麻紀さんの感性と撮影技術には到底及ばないことを思い知らされた。だが、及ばぬまでもまた挑戦してみたい。
















折々の写真&雑感 504

2024年10月06日 | エッセイ
 私の購読している朝日新聞のスポーツ欄の記事は非常に独りよがりの、他のスポーツ紙を真似たような文章だ。普通の新聞を読む読者は各種のスポーツに精通し、熟知しているとは限らない。私などは「昨日の試合はどうなったかな?」と軽い気持ちで読む。だが、その記事は「32歳はどうした」とか「最後に打った22歳」などと書かれても誰のことを指しているのか、私には全く理解出来ない。「32歳ながら、○○はよくやった」とか「○○選手は(22歳)は難しい球をホームランにした」と素人の読者にも簡単に理解出来るような親切な表現にして貰いたい。相撲の記事を読んでいても誰のことを書いているのかわからないことが多い。「大関を陥落して以来の○○歳は、大関になる前の力を取り戻したような力強い相撲を取っている」のような文章はスポーツ記事のはやりなのであろうか?而し、文体としては全く頂けない。

 私の文章がいいと云っているのではない。貿易の仕事を始めた時、手紙が主な連絡手段であり、交渉手段でもあった。緊急の場合は常識はずれなほどに高かったKDDの電報を使っていた。それがテレックスを使うようになると、出来る限り短い文章にした。「おセン泣かすな、馬肥やせ」の文体に、長い英単語を一定の法則にのっとって縮めるのである。TokyoをTYOと表示するなら判読できる方は多くお出でになるだろうが、概は貿易業者でなければ理解出来ないものが殆どである。だが、どのような文体であっても、こちらの真意を取引先に100%通じさせなければならない。先輩は「取引先から聞き返されるような文章は絶対に書くな。それは恥と思え」と厳しく云われていた。テレックスの次はファックスになったが、KDDの高い通信費節約の精神は変わらなかった。今のようにメールが使えるようになると、貿易業者はけた違いに楽になったように思えるが、取引先から質問を受けるような文章は書いていない筈だ。余談だが、相手の顔を観ながら話が出来るテレビ電話使える現在と、私の会社のような零細企業では、電話などしようものなら資金繰りがおかしくなるかと心配するぐらいの高額な料金をKDDから請求された。

 私は小説家ではないので、素晴らしい文章を書くより、読んで下さる方々に内容が正確に伝わることを優先している。貿易屋を辞めても、それを未だに守っているつもりだ。

 今回は、今までの私の撮影の仕方とは違い、花の写真をこのように撮れたら素晴らしいなと以前から尊敬している川合麻紀さんの撮影法を真似して撮ってみた。そして、素人の私とプロとの差を感じた。フルサイズのカメラに、彼女と同じマクロレンズを使ったのだが、色の捉え方と構図の違いを痛いほど感じた。だが、なぜかファイトが湧いてきた。次回は敵わぬまでも、それに迫る写真を撮ってみたい。それも私の手法と感覚で。