TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

TDY, Temporary Duty マダガスカル編 4

2013年12月23日 | 旅行
 その国に長く滞在する場合は在外日本大使館に届ける義務がある。その殆どは駐在員や長期に滞在する報道関係者の場合で、私のような旅行者として仕事をしているような場合はその範疇に入ることはない。而し、いつどのような事態で長期滞在になるかもしれぬし、年に何回も通っているのであれば、一応大使館に挨拶しておこうと考えた。国会議員が訪ねたようなレセプションはなかったが、一応は歓迎された。それは私が持って行った何冊もの最新の日本の週刊誌と月刊誌のせいだったに違いない。
 何度目かに訪ねた時、マダガスカルにおけるパリサンダーの分布、日本への輸出量を調べて頂けないかとお願いした。一応は承知してくれたが、その後は全く連絡がなかった。調べられなかったのか、私の方で伺うべきだったのかは不明である。大使館は国会議員と大企業のために存在するとの風評がある。大使館や領事館の主な仕事は大した用もないのに日本からやってくる国会議員の送迎と観光案内だと嘆いていた大使館員がいた。
 大使館に勤務している日本人の医師は大使館員のための医師であり、日本からの旅行者が病気になっても診察や治療の医療行為は出来ない。いじわるでしているのではなく、大使館の医師は現地の医師免許を持っていないからである。取引先の社員の一人が病気で長く休んでいると聞いた。私はその社員を連れてマダガスカル大使館の医師を訪ねた。私の会社の社員だと嘘をついて診察をお願いした。その医師は非常に心が優しい。私の嘘を承知で「治療は出来ません。而し、診察はしましょう」と云ってくれた。診察のあと、私が常に所持していた病原微生物の増殖を抑える抗生物質の薬を飲ますように指示された。一、二週間もすれば直るでしょうと医師に云われたが、その社員は一週間もしないうちに元気に出社してきた。お礼を兼ねて報告に伺うと医師は飽きれていた。その患者は今までに一度も抗生物質を使っていなかったので効き目が素晴らしかったのだ。怪我をしたマダガスカル人に、抗生物質の軟膏を塗り、その上に絆創膏を張ると、翌朝にはほぼ直っていた。日本の薬は魔法のようだ云われた。お蔭で、行くたびに薬品を持っていく羽目になった。

 アンタナナリブの業者からパリサンダーを買うことにして、その置き場を見に行った。フリッチが30立米ほどあったが、これでは足りない。その業者(現在も日本との取引をしているので、実名を伏せることをお許し頂きたい。仮にC社と呼ぶ)が懇意にしているトマシナの仲間がパリサンダーのフリッチを持っているので、それを見に行かないかと申し出てきた。アンタナナリブからは北東に300キロほどの所にある(直線では200キロほど)。マダガスカルにある唯一の国際港のトマシナ(旧名はタマタベ)までは比較的道がいいのでドライブも快適である。而し、高速道路を走るわけではないので結構な時間がかかる。それで朝の6時にホテルを出発することになった。

 C社はアンタナナリブの中心街からやや北に車で20分ほど行った所にある。そこはもう郊外の感じで周囲には小川が流れ、田んぼが連なり、とてものどかな場所であった。


 パリサンダーのフリッチ。直径は18センチほどあった。これなら新木場の求める品質を充分に満たしている。最高とは云えないが、初回の買い物としては悪くない。


 アンタナナリブの中心街から少し北に行った所。マダガスカルが「赤い大地」とか「赤い土の島」とか云われるのを納得して頂けると思う。


 マダガスカル人のお墓。恐らくはメリナの由緒ある家族の墓であろう。彼等にとって、墓は我々日本人の想像している以上に重要なものである。死後は確実に生まれた土地に先祖と一緒に葬られる。「別の場所に埋めてしまうぞ!」と云うのがマダガスカル人に対する最大の脅し文句だそうだ。
 マダガスカルには戸籍制度がない。出生届は出生地で行い、それによってIDカードの発行を受ける。従って身元の照会は出生地でしか確認が取れない。この事は出生地を大事にしているのでそのようにしたのではない。単なる制度の不備である。而し、結果的に彼等が如何に出生地を大切にしているかの証になってしまっている。


 墓の写真を撮っていると、近所の悪ガキどもが集まってきて、年かさの子が手真似で写真を撮れと云ってきた。


 上の墓よりさらに北に行った所。客より店番の方が多いようだ。


 これから洗濯をするらしいので後について行ってみた。


 既に洗濯を始めているオバさんたちがいた。目が合うと、手真似でこっちに来いと云っていた。日本人が珍しかったらしい。


 彼女らの物干し場に占領されていた。鉄道はアンタナナリブを起点として南のアンチラベ、北のアンバテュンドラザカ、北東にあるトマシナに通じている。而し、私は一度もマダガスカルの鉄道に乗ったことはなく、走っているところを見たこともなかった。