一月の終りだった。マレーシアのクアラランプール空港で成田行の便を待っているときに、同年代の日本人に話しかけられた。ドバイからの帰りだと云っていた、そして「成田に着いてすぐに北海道に行くのです。気温の差は60度以上です。参ります」と苦笑いをした。私の場合でも、日本が冬の時は60度までは違わないが、30度以上の差が確実にあった。諸兄諸姉もご存じだろうが、我々の体は夏の暑いときには完全に毛穴が開いてしまう。そして秋に近づくにつれ毛穴が閉じていく。日本が冬のとき、マダガスカルは当然夏である。毛穴が充分に開き切り、閉じる前に寒い日本の冬と遭遇するのである。その寒さは例えようもない。成田に着いた途端に熱い国に戻りたくなる。若いころ、ろくな防寒具も着ないままオートバイで冬の道を走っていた。また、スキー場では汗も拭かずにリフトに乗って風に吹かれた。このような事を繰り返しているうちに肋間神経痛になってしまった。だが、冬に熱い国で過ごすようになると、自然に病状が良くなったようだ。而し、今でも疲れると痛みが出るときがある。そのときは使い捨てカイロを貼ってやると痛みが消える。
暑い国から、9月の末か10月に帰って来ると、実に清々しく幸福な気分にひたれる。このようなチャンスは一年に一回あるかないかである。暑い国では蚊だけではなく、あらゆる虫に刺されないようにしなければならない。また、土の中にはどのような病原菌が生息しているか不明である。もし、そのような病原菌を持って帰ってきても、日本ではすぐに正しい治療が受けられる保証はない。日本では未知の病原菌である可能性が大である。無事に日本に戻れれば、しばらくの間は何の心配もなく、マラリアの予防薬も飲まずに安心して暮らせる。この点、日本は非常にいい国であり、ありがたい。
前回にマダガスカルの紫檀に就いて少し触れたが、日本には私がサンプルとして持込んだものしかマダガスカルの紫檀はない筈である。パリサンダーを日本で「紅紫檀」と名前を付けて売っている業者もいる。他の紫檀の代替え品より少しでも高く売ろうと、赤めの塗料を塗って売っているのであろう。その他にも変った名前の紫檀がある。その最たるものは「手違い紫檀」である。銘木を扱わせてはその人の右に出る人は居ないと云われるほどの名高い人が東南アジアで紫檀に出会い、喜んで買ってきた。日本に戻ってからその「紫檀」を再度検分した。「本紫檀」と云われるインド産の紫檀とは異なることに気が付いた。そして「おぉ、手違いだった!」と云ったそうだ。それでそのような名前がついたが、非常にものがよく、今では銘木の中でも高級品で通っている。インドの本紫檀と同じマメ科であるが、学術的には多少違う。此の手違い紫檀をタイではチンチャンと云い、ビルマではイーンダイクと云う商品名で呼ばれている。
実際の手違い紫檀はマダガスカルの紫檀とは全く違い、むしろ色の濃い、木目のしっかりしたアンツォヒヒ産のパリサンダーの方に似ている。だが、新木場ではパリサンダーより手違い紫檀の方が格段に高い値で取引されている。
上の三枚の写真は全てパリサンダーである。而し、もう少し色を濃くしたら「手違い紫檀」(チンチャン)としても通用するに違いない。比重の問題だけである。
新木場の床柱の加工業者には名人が揃っている。木目と木目の間に木目を書き足したり、全くない所に木目を書いてしまうこともやる。中には節のあるフリッチを安く買い、その節を消して、その上に新たに木目を書いたりもする。仕上げの塗装をしてしまえば素人、いや玄人が見ても書き足した木目を識別することは出来ない。このような名人技を以てすれば、上の三枚の写真のようなパリサンダーを「手違い紫檀」風に加工することなど造作もないだろう。
手違い紫檀とパリサンダーの比重が違うが、せいぜい0.2から0.4の差である。「211」と番号が振ってあるパリサンダーなどは非常に重い。従って手違い紫檀の比重と変わらないのではないだろうか。
上の二枚の写真は、パリサンダーのフリッチとしては決して悪くない。中より上である。だが、手違い紫檀と見まがうようなパリサンダーを見た目には非常に安っぽく見える。
そのような目で見れば、上の写真のパリサンダーなどは只の角材にしか見えない。而し、これも含めて買わざるを得ない。一番上にある写真のようなパリサンダーだけを買えば、購入価格は倍かそれ以上になるだろう。だが、新木場ではそのような値段は通用しない。
「どうだ、俺の作ったフリッチは。いいだろう」と云っているようだった。
マダガスカル固有の紫檀のような木目を持ったパリサンダーにお目にかかった。木目だけではなく色の具合も非常に近かった。
トラックまで肩に担いで運ぶ。私がいるのを認めると手を振って挨拶してくれた。私は安全を願って「モラ、モラ」(ゆっくり、ゆっくり)と声をかけた。重量のあるものを不用意に急いで運んだのでは事故のもとである。
荷台が傾いてしまうほどの重量であった。もっと積むと云っていたが、大丈夫だろうか。
35センチから40センチ角ほどの太いフリッチをトラクターで森から運んできた。これからトラックに乗せ換えるのが一苦労である。後ろに見えるのはマンゴーの木。
アンツォヒヒの街中にあるホテル。BIEの社員もこのホテルに泊っている。私が泊っているバンガローよりかなり安いそうだ。そのホテルにBIEの社員を降ろすと、顔見知りになった森の民の一家に出会った。結婚式に出席するそうで、いいホテルに泊れたのを喜んでいた。それにしても、あの森の中からどうやって此処まで来たのだろうか。歩いてきたとしか考えられない。
暑い国から、9月の末か10月に帰って来ると、実に清々しく幸福な気分にひたれる。このようなチャンスは一年に一回あるかないかである。暑い国では蚊だけではなく、あらゆる虫に刺されないようにしなければならない。また、土の中にはどのような病原菌が生息しているか不明である。もし、そのような病原菌を持って帰ってきても、日本ではすぐに正しい治療が受けられる保証はない。日本では未知の病原菌である可能性が大である。無事に日本に戻れれば、しばらくの間は何の心配もなく、マラリアの予防薬も飲まずに安心して暮らせる。この点、日本は非常にいい国であり、ありがたい。
前回にマダガスカルの紫檀に就いて少し触れたが、日本には私がサンプルとして持込んだものしかマダガスカルの紫檀はない筈である。パリサンダーを日本で「紅紫檀」と名前を付けて売っている業者もいる。他の紫檀の代替え品より少しでも高く売ろうと、赤めの塗料を塗って売っているのであろう。その他にも変った名前の紫檀がある。その最たるものは「手違い紫檀」である。銘木を扱わせてはその人の右に出る人は居ないと云われるほどの名高い人が東南アジアで紫檀に出会い、喜んで買ってきた。日本に戻ってからその「紫檀」を再度検分した。「本紫檀」と云われるインド産の紫檀とは異なることに気が付いた。そして「おぉ、手違いだった!」と云ったそうだ。それでそのような名前がついたが、非常にものがよく、今では銘木の中でも高級品で通っている。インドの本紫檀と同じマメ科であるが、学術的には多少違う。此の手違い紫檀をタイではチンチャンと云い、ビルマではイーンダイクと云う商品名で呼ばれている。
実際の手違い紫檀はマダガスカルの紫檀とは全く違い、むしろ色の濃い、木目のしっかりしたアンツォヒヒ産のパリサンダーの方に似ている。だが、新木場ではパリサンダーより手違い紫檀の方が格段に高い値で取引されている。
上の三枚の写真は全てパリサンダーである。而し、もう少し色を濃くしたら「手違い紫檀」(チンチャン)としても通用するに違いない。比重の問題だけである。
新木場の床柱の加工業者には名人が揃っている。木目と木目の間に木目を書き足したり、全くない所に木目を書いてしまうこともやる。中には節のあるフリッチを安く買い、その節を消して、その上に新たに木目を書いたりもする。仕上げの塗装をしてしまえば素人、いや玄人が見ても書き足した木目を識別することは出来ない。このような名人技を以てすれば、上の三枚の写真のようなパリサンダーを「手違い紫檀」風に加工することなど造作もないだろう。
手違い紫檀とパリサンダーの比重が違うが、せいぜい0.2から0.4の差である。「211」と番号が振ってあるパリサンダーなどは非常に重い。従って手違い紫檀の比重と変わらないのではないだろうか。
上の二枚の写真は、パリサンダーのフリッチとしては決して悪くない。中より上である。だが、手違い紫檀と見まがうようなパリサンダーを見た目には非常に安っぽく見える。
そのような目で見れば、上の写真のパリサンダーなどは只の角材にしか見えない。而し、これも含めて買わざるを得ない。一番上にある写真のようなパリサンダーだけを買えば、購入価格は倍かそれ以上になるだろう。だが、新木場ではそのような値段は通用しない。
「どうだ、俺の作ったフリッチは。いいだろう」と云っているようだった。
マダガスカル固有の紫檀のような木目を持ったパリサンダーにお目にかかった。木目だけではなく色の具合も非常に近かった。
トラックまで肩に担いで運ぶ。私がいるのを認めると手を振って挨拶してくれた。私は安全を願って「モラ、モラ」(ゆっくり、ゆっくり)と声をかけた。重量のあるものを不用意に急いで運んだのでは事故のもとである。
荷台が傾いてしまうほどの重量であった。もっと積むと云っていたが、大丈夫だろうか。
35センチから40センチ角ほどの太いフリッチをトラクターで森から運んできた。これからトラックに乗せ換えるのが一苦労である。後ろに見えるのはマンゴーの木。
アンツォヒヒの街中にあるホテル。BIEの社員もこのホテルに泊っている。私が泊っているバンガローよりかなり安いそうだ。そのホテルにBIEの社員を降ろすと、顔見知りになった森の民の一家に出会った。結婚式に出席するそうで、いいホテルに泊れたのを喜んでいた。それにしても、あの森の中からどうやって此処まで来たのだろうか。歩いてきたとしか考えられない。