私の現役時代にビルマ(現ミャンマー)に通ったのは1989年から1993年の5年間であった。この間に商談の成立はただの一件もなかった。タイの空港で知り合った大手商社の社員氏は「あの国はこれからですよ。もう少し辛抱なさっては如何ですか」と慰めとも励ましとも云える言葉をかけてくれた。だが、私のような零細貿易会社にはとても負担が重すぎた。彼らは優雅にビジネスクラスでの出張だった。然も全額会社持ち。羨ましい限りだ。我が零細企業では建前は会社持ちだったが、実質は私個人の財布から出ていたのも同然だった。成田からバンコクまでは約6時間のフライト、バンコクからビルマまでは2時間かからなかった。この程度の時間でビジネスクラスでの出張は贅沢であった。おまけに商談は成立していない。ずっと三等(ツーリストクラス)で耐えた。
当時のビルマでは、各家庭にテレビの受像機があったわけではなかった。かなり高額な収入を得るか、先祖伝来の資産のある家庭でしかテレビは購入出来なかった。また、航空会社や公共施設にもテレビが置かれていた。だが、決まったようにテレビは箱の中に収まっており、正面にはきれいな高級そうな布がかけてあった。そんなことをしていたら自由に観られないではないかと考えたが、一日中テレビ放送があるわけではなかった。放送時間になると、正面の布を上にはねのけ、慎重にテレビのスイッチを入れる。どんなつまらない番組でも、放送時間になると人が集まる。夕食に招待して下さった政府高官の自宅でも公共のテレビと同じような作業が行われ、家族と近所の人たちが集ってきた。
日本では三種の神器と云われていた時代があったが、ビルマではたった一つの神器であった。それも、かなり裕福な家庭だけに限られていた。通信事情もそうであった。当時の日本企業では、我が零細企業でも各自にテレックスを所有していたが、ビルマでは電話すらない会社もあった。日本では既にファックスに移行している時期であったが、ビルマではテレックスなどは国営の大手企業か外国企業の支店でなければ持てなかった。日本にかつてあった電電公社のような役所が公衆のテレックスを2台持っており、ラングーン(現ヤンゴン)の全ての貿易会社がそれを使っていた。企業の秘密も何もあったものではない。テレックスの設置されている場所に居れば、競争相手の情報を全て手に入れる事が出来た。ビルマにテレックスを送るときは、ケーブルアドレス(テレックスの住所)の他に、相手企業に割振られた番号を記さなければならなかった。
先週に続き、上野動物園の写真である。1月に一緒に写真を撮りに行く約束を果たせず、2月に入ってからその友人との約束を果たした。暖かい日だった。

キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:800、 f8、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 PLフィルター使用。
マニスと対面したのは久しぶりだった。だが、ガラスに前足をかけ、私に襲う振りはしなかった。しばらく振りで私を忘れてしまったのだろうか?

キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1,600、 f8、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 PLフィルター使用。
リキが母親に甘えていた。初めて生んだ男の子のリキにモモコもまんざらではなかった。

キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:800、 f8、 1/45秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 PLフィルター使用。
リキの父親であり、此の群れのボスである。貫禄と威厳を持っている。

キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
逆光で毛の逆立ちが鮮やかに見えた。私に警戒心を覚えてのことか?それにしても、プレリードッグの前足の爪がこれほど鋭かったことを初めて知った。

キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/45秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
餌場をスズメや居候の他の鳥たちに占領され、池の底の餌を漁っていた。

キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1,600、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
客たちの観られるブースの他に、ジローは裏に別宅を持っている。プールに入ればいいものを、飼育員にせがみ、大量の水をかけられ大いに満足していた。

キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/90秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
子猿の癖に大人のワオキツネザルと全く同じ姿勢で西日を受けていた。恰好だけは大人になったようだ。

キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 190秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
今日の子猿たちは吊り橋を走り廻ることはしなかったが、何度も、何度も速足で往復していた。
当時のビルマでは、各家庭にテレビの受像機があったわけではなかった。かなり高額な収入を得るか、先祖伝来の資産のある家庭でしかテレビは購入出来なかった。また、航空会社や公共施設にもテレビが置かれていた。だが、決まったようにテレビは箱の中に収まっており、正面にはきれいな高級そうな布がかけてあった。そんなことをしていたら自由に観られないではないかと考えたが、一日中テレビ放送があるわけではなかった。放送時間になると、正面の布を上にはねのけ、慎重にテレビのスイッチを入れる。どんなつまらない番組でも、放送時間になると人が集まる。夕食に招待して下さった政府高官の自宅でも公共のテレビと同じような作業が行われ、家族と近所の人たちが集ってきた。
日本では三種の神器と云われていた時代があったが、ビルマではたった一つの神器であった。それも、かなり裕福な家庭だけに限られていた。通信事情もそうであった。当時の日本企業では、我が零細企業でも各自にテレックスを所有していたが、ビルマでは電話すらない会社もあった。日本では既にファックスに移行している時期であったが、ビルマではテレックスなどは国営の大手企業か外国企業の支店でなければ持てなかった。日本にかつてあった電電公社のような役所が公衆のテレックスを2台持っており、ラングーン(現ヤンゴン)の全ての貿易会社がそれを使っていた。企業の秘密も何もあったものではない。テレックスの設置されている場所に居れば、競争相手の情報を全て手に入れる事が出来た。ビルマにテレックスを送るときは、ケーブルアドレス(テレックスの住所)の他に、相手企業に割振られた番号を記さなければならなかった。
先週に続き、上野動物園の写真である。1月に一緒に写真を撮りに行く約束を果たせず、2月に入ってからその友人との約束を果たした。暖かい日だった。

キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:800、 f8、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 PLフィルター使用。
マニスと対面したのは久しぶりだった。だが、ガラスに前足をかけ、私に襲う振りはしなかった。しばらく振りで私を忘れてしまったのだろうか?

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リキが母親に甘えていた。初めて生んだ男の子のリキにモモコもまんざらではなかった。

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リキの父親であり、此の群れのボスである。貫禄と威厳を持っている。

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逆光で毛の逆立ちが鮮やかに見えた。私に警戒心を覚えてのことか?それにしても、プレリードッグの前足の爪がこれほど鋭かったことを初めて知った。

キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/45秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
餌場をスズメや居候の他の鳥たちに占領され、池の底の餌を漁っていた。

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客たちの観られるブースの他に、ジローは裏に別宅を持っている。プールに入ればいいものを、飼育員にせがみ、大量の水をかけられ大いに満足していた。

キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/90秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
子猿の癖に大人のワオキツネザルと全く同じ姿勢で西日を受けていた。恰好だけは大人になったようだ。

キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 190秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
今日の子猿たちは吊り橋を走り廻ることはしなかったが、何度も、何度も速足で往復していた。