~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

四国旅行2 愛媛県内子町・散策

2023-07-02 20:48:48 | ・2022.5 四国旅行記

翌日、8時半にホテルを出発。道後温泉・松山市内を離れ、E56 松山自動車道を南下。ETCカード、家の車に差しっぱなしで来ちゃったもんで現金精算(苦笑)。内子町へ寄ってみようと思ったものの、なにも情報を持たず^^; とりあえず「道の駅 内子フレッシュ パークからり」(9時半)でトイレを借りて「内子町並駐車場」へ車を入れて歩き始めました。

内子町並み保存地区を南へ。

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歩きはじめて、ビックリ。なんと素敵な街並みだこと。内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区へ。

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まるで映画のセットのようです。早かったせいもあり、観光客はほとんど居ませんでしたね。

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竹工芸 武工房

真竹職人とメタケ職人のお店です。竹バッグ、竹ざる等、実演・販売しているようです。

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なんと、床屋さんです。お店の中を見たかったな。

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白髭稲荷神社 ものほんの油揚げが奉納されていました。

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八百屋さん

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いや~、良い空間です。

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たばこ屋さん 「塩」の文字も見えますね。郵便ポストは、やっぱりこの形がいいな。

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近くの内子中学の生徒さん、すれ違い時に「こんにちは!」と挨拶してくれました。

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う~む・・・昭和いや明治・大正の世界だ。

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木蠟資料館 上芳我邸(重要文化財 上芳我家住宅)

愛媛の内子町は昔から交通の要だった宿場町で賑わっていたそうです。江戸時代、大洲藩の領地になると和紙の生産を奨励し、藩の専売品となったことで商人たちは富を築いていきました。その後、明治中期までは和紙から木蝋(もくろう)の生産へと切り替え、内子の人々は莫大な富を得ることに成功します。最盛期の明治30年代後半、愛媛県は木蝋の生産量で全国1位で、内子は実にその7割を占めていたそうです。

木蝋(もくろう)
生蝋とも呼ばれ、ウハゼノキやウルシの果実を蒸してから、果肉や種子に含まれる融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出したもの)広義の蝋)。蝋燭、特に和ろうそく(Japanese candle)の仕上げなどには、生蝋をさらに天日にさらすなどして漂白した白蝋(はくろう)を用いる。かつては蝋燭だけでなく、びんつけ、艶(つや)出し剤、膏薬などの医薬品や化粧品の原料として幅広く使われていた。このため商品作物として明治時代まで西日本各地で盛んに栽培されていた。
木蝋 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2022年9月18日 (日) 05:03 

凄すぎて・・・言葉がでません。

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何処を切り取っても絵になるなあ。

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映画館「森文旭館」

大正14年(1925年)竣工の常設活動写真 昭和40年(1965年)に旭館は閉館され、森文醸造株式会社の倉庫として使用されてきましたが、2013年、社長が保存会を立ち上げ、年に何回か上演会や朗読会を開催するようになりました。

いや~、しぶいです。こんなところにこんな映画館が残っていることが奇跡ですなあ。

さて、もう一か所、どうしても行きたい場所があります。芝居小屋・内子座です。

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外観正面 う~ん 渋すぎますな。中に入ります・・・。

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入り口

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ボランティア?の案内の方が案内してくれましたよ。ここは回り舞台の上ですよ。

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天井も渋いです。

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板敷きの間を木組みによって区切った升席

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舞台脇より。同行友人が役者のよう??(笑) 

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「奈落入口」ここも案内してくれましたよ。

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回り舞台の下部分

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いや~、すごいです。まさに奈落の底。人力で動かしていた時代には、地獄を連想させる非常に暗くてジメジメした場所だったので奈落と呼ばれるようになったとか。

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奈落からセリ上がってくる仕掛けを総称で「セリ」と言いますが、歌舞伎座の花道で観客から見て七三のところにある仕掛けを、特別に「スッポン」と呼びます。

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2階より。

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屋根の上に何かが・・・

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正面の屋根に飾られている「招き狐」には内子座が繁盛するようにという願いがこめられています。「招き猫」でないのは、この周辺では稲荷信仰が多いため。

内子座 大正期の思いが伝わる、本格的な現役の芝居小屋

大正5年(1916年)に大正天皇の即位を祝い創建された内子座。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋として建設されました。回り舞台や花道、桝席、楽屋などがあり当時の建築技術の粋が集められた建造物です。
近年、老朽化のため取り壊されるところ、地元住民の熱意により改修が決定。昭和60年(1985年)に復原工事が完了し、芝居小屋として再出発を果たしました。今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されています。

いや~、ボランティア?のガイドさんに芝居小屋内を案内してもらいましたが、すごかったわ~。まだまだ、この狭い日本の中にも知らないところがたくさんあるんだろうなあ。以前、「鶴瓶の家族に乾杯」で観たことはあったのですが、すごい芝居小屋です。つい最近もテレビで紹介されていましたね。

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内子座の前の「おおはら美容院」こちらも昭和っぽいですね。

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森文醸造株式会社 第二醤油発酵蔵

 

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金光教 内子教会

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さて、古民家をリノベーションした「なるカフェ」で一服。

「じゃばらソーダ(内子産)」を飲みましたよ。柑橘類、苦手なのに(笑)

ジャバラは、ミカン属柑橘類の1種で、ユズ九年母(くねんぼ)などの自然交雑種である。原産地は和歌山県東牟婁郡北山村。強烈な酸味と苦味を生かして、北山村が村おこしに活用している。ジャバラ 最終更新 2022年7月27日 (水) 21:18 

内子町について

 内子町は愛媛県のほぼ中央部に位置し、面積の約8割を山林が占めています。山間の小さな町ですが、江戸後期から明治時代にかけて製蠟業などで栄えた美しいたたずまいの町並みが今も残っています。

内子町中心エリア

八幡浜から四万十経由で今夜宿泊の高知市内まで行こうと予定していましたが、お土産屋「あたらし屋」の店主に聞いたら、それはムリじゃないかあ、相当距離があるし山道だぞということで大幅に予定を変更して内子町から最短ルートで高知市内を目指すことにしました(それでも桂浜に着いたのは15時過ぎでした)。

今思うと、もっとこの町に居たかったなあ。残念。。。。お昼ごろ、内子町を離れて、いざ高知へ。


四国旅行1 松山城~石手寺~伊佐爾波神社~道後温泉

2023-07-02 20:47:17 | ・2022.5 四国旅行記

友人が、四国、行ったことないなあ。行ってみたいなあ・・・なら、旅行企画するか!という乗りで友人と四国旅行へ行ってきました。6月末も候補に上がっていましたがコロナ禍のタイミングで先々どうなるか分からないので5月末で計画。私は、国内の1都1道2府43県のうち、「高知県」のみ足を踏み入れたことがなかったので良いチャンスかなと^^

今回の旅行は、愛媛県>高知県>徳島県をかすめて>香川県というコース。いや~、机上の距離以上に遠かったあ。甘く見てました(笑)

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2022年5月27日(金) ANA 585 東京(羽田)(09:30) - 松山(11:00)

雨の羽田空港 出発!!

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あっという間に瀬戸内海^^ よい天気^^

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前方カメラより。飛行機に乗るのは2年ぶりだわ。

松山空港でレンタカーを借りました。レンタカーの事故が多発しているのでくれぐれも注意せよと。確かに空港から市内へ入ると、何となく運転しにくい。停止線の位置や信号の位置が本州と微妙に違うような・・・。慣れない道での運転で事故が多いのも解るような気がする。。。また、松山市内には路面電車・伊予鉄道が走っています。道路上を並走したりするので要注意ですね。写真はありませんが、一日、路面電車で市内観光するのも良さそうですね。

さて、松山城の駐車場に入れようかと思って探しましたが、市街地なので大きな駐車場がないんですよー。その中でも割と大き目の駐車場に入ろうとしたら満車。駐車場のおじさんにコインパーキングやら美味しいご飯処の情報をもらいました。とても親切^^

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元祖 宇和島鯛めし 丸水 本店 お勧めの鯛めし屋さんで昼食。金曜日でしたがさほど混んでなくてラッキーでした。

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愛媛県 宇和島が鯛めし発祥のようです。天然真鯛めし2200円。ご飯がすすみますね~。

その後、すぐ近くの松山城のロープウェイ乗り場へ。

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松山ロープウェー街という商店街の中に乗り場があります。なんか不思議な感じ。

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ロープウェイとリフトがあって、行きはリフトで。松山城が見えてきています。

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立派な石垣です。

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う~ん、デカいな。。。。

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松山城築城主の加藤嘉明公の甲冑と伝えられています。頭の羽根がカッコいいですねー。

加藤 嘉明(かとう よしあきら[2] / よしあき[3])は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将大名豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍七将の一人。伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。
加藤嘉明 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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城内にはVRコーナーもありましたよ。

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天守からの眺めはとても良かったです。瀬戸内海も見えていました。暑い陽ざしでしたがココは風が気持ちよかったです。

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帰りはロープウェイで^^

その後、どこかお寺に参ろうということで、四国八十八箇所第51番札所・石手寺(いしてじ)へ。

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対面の有料駐車場に入れて、いざ参拝。

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「やきもち」(笑)食べてみても良かったなあ。。 境内、奥が深いです。

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山門

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お遍路さんもおられましたよ。

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三重塔

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本堂

と、ここまでは普通のお寺のようなのですが、本堂裏にはマントラ洞窟 という洞窟がありました。

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更に出口を出ると奥の院があります。

この洞窟もその先の奥の院もまさに異次元空間で、ちょっと写真を載せるは控えます。

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いや~、すごいお寺でございました。

石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来四国八十八箇所第51番札所。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。初詣・厄除詣の参詣者数は県内随一であり、道後温泉から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多く、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定された。
寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が訪れ、真言宗に改めたとされる。寛平4年(892年)領主・河野息利に生まれた長男・息方が当寺で祈祷を受けると握っていた手から「衛門三郎再生」と書かれた石が現れたという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。
石手寺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2022年5月7日 (土) 05:42 

その後、近くの伊佐爾波(いさにわ)神社を参拝。

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楼門

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拝殿

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本殿 寛文7年(1667年)造営。
八幡造の社殿。2棟の建物を前後に連結させてひとつの社殿としたもの。


境内では鳥や動物?への高周波発生装置のような変な音?が気になって私的には神域の空気感を味わうことができませんでした。残念。。。。

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社式内社で、旧社格県社。神紋は「左三つ巴」。別称として「湯月八幡」・「道後八幡」とも呼ばれる。
国の重要文化財に指定されている社殿は、全国に3例しかない八幡造である。このほか、重要文化財の太刀(銘 国行)が伝えられている。

社伝によれば、仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に来湯した際の行宮跡に創建されたという。旧鎮座地は「伊佐爾波岡」と呼ばれていた場所で、現在の湯築城跡とされる。

平安時代中期の『延喜式神名帳』には「伊予国温泉郡 伊佐尓波神社」と記載され、式内社に列している。神仏習合の時代には、宝厳寺石手寺は、共に伊佐爾波神社の別当寺であったとされる。
伊佐爾波神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年3月14日 (日) 14:58 

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拝殿前より 夕陽の頃、光の参道が見られるのかな?

その後、早めにチェックインして道後温泉本館へ。

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道後温泉商店街入り口

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道後温泉本館
おお!ここか!しかし工事中なんですよね~。残念。まあ、それを知った上で「霊の湯」だけでも入りたいと思ってたのだが・・・

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空いている時間帯に対応できたと思ったが、それでも整理券が出てて1時間以上待ち^^; 旅行一日目で疲れてたし、ここまで来て並びたくも待ちたくもないということで諦めました。

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日本で唯一の皇室専用浴室「又新殿(ゆうしんでん)」入ってみたいなあ。。。

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工事中なわけですが、なにもこんな派手な覆いをしなくても良いのでは?そもそも四国旅行を決断した大きな理由は、この道後温泉本館目当てだったのですが、まさか工事中だとは知らなかったんですよね~^^;

道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市道後温泉の中心にある温泉共同浴場。重要文化財であり道後温泉を象徴する建築物。

戦前に建築された歴史ある建物(近代和風建築)で、街のシンボル的存在であり、1994年に国の重要文化財(文化施設)として指定された。共同浴場番付において、東の湯田中温泉大湯と並び西の横綱に番付けされているほか、2009年3月、ミシュランガイド観光地)日本編において2つ星に選定された。2009年、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定。道後温泉本館 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年5月13日 (木) 21:22 

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リーズナブルなホテル(もちろん道後温泉)でしたが、夕食美味しかったですよ。歓楽街のビルが目の前にそびえていました(笑)。四国は全体的に宿泊代は、他エリアよりも安かったです。つづく~

道後温泉(どうごおんせん)は、四国愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉である。日本三古湯の一つといわれる。

その存在は古代から知られ、万葉集巻一にも見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(おんせんぐん)(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉にちなむ地名である。

夏目漱石小説坊つちやん』(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている。2007年8月に地域団体商標地域ブランド)として認定された(申請者は道後温泉旅館協同組合、登録商標第5071495号)。

単純温泉源泉温度42 - 51度(これらを混合して46度で供給している)。地熱由来の非火山型の温泉である。

道後温泉 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年11月11日 (木) 09:43


千葉県富津市周辺 黄金アジと鋸山と富津岬と

2023-07-02 20:36:48 | ・ショートトリップ

2022.5.19 黄金アジが食べたいってことで千葉県内房へ行ってきました。都内西部からは東京湾アクアラインを使うと距離的にかなり短縮できます。東京湾アクアラインの海ホタルPAで休憩。何年振りだろう。。。

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海ホタルPAから木更津方面。海底トンネル抜けて、ここから橋になります。

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反対側、川崎方面。白いのは風の塔。川崎市浮島の沖合約5kmに作られた直径約200m、深さ75mの人工島。 風の塔の上には、高さ90mと75mの2つの塔がそびえています。トンネル内部の空気を排気、外から空気を送気したりするための施設。

その後、木更津JCTから南下。黄金アジ~~~(笑)

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富津市の魚屋の磯料理 まるとし

11時、開店頃に到着しましたが、既に待ってるお客さんが・・・。駐車場が少ないんです。駐車場は店横に3台、斜め向かいに3台。店前は国道127号で交通量も多く、道路で待つわけにもいきません。結局、斜め向かいの駐車場で空くまで待機。平日なのに人気ですねえ。

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待っている間に磯を散策。

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海藻が妙に赤いな。調べたけど良く分からない。ウミウシはいませんでした。

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対岸は三浦半島。

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黄金あじコース(1980円)。黄金アジのフライは肉厚でデカく、お腹パンパンになりました。

 日本でアジといえばマアジ(マアジ属)のことを指す。他にシマアジ、ムロアジ、マルアジなど。マアジの中に、他の海域に回遊することなく一定の場所に根付くマアジがいる。これらは豊富なエサ(プランクトン等)を食べ根付いているので脂の乗りが良くなる。これら根付きのアジは体色が黄身掛かり「黄金アジ」と呼ばれる。とくに東京湾入口の潮の流れの速い場所の浅瀬に棲むアジは美味い。6~8月が旬の時期。富津市金谷周辺には、黄金アジフライを出すお店が数件集中してあります。

お腹いっぱいで、近くの鋸(のこぎり)山へ。

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日本寺大仏

日本寺(にほんじ)は、千葉県安房郡鋸南町にある、曹洞宗の寺院。山号は乾坤山(けんこんざん)。本尊は、薬師瑠璃光如来大仏日本寺大仏)があることで知られる。
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基によって神亀2年(725年)に開山されたとされ、当初は法相宗に属していたという。

最盛期には七堂十二院百坊を有する規模を誇り、良弁空海円仁らが留錫(りゅうしゃく)したと伝える。良弁は木彫の大黒天を彫り、空海は100日間の護摩を焚き、石造の大黒天を彫り遺し、仁王門の金剛力士像は円仁の作とする伝承がある。

天安年間(857年 - 859年)、円仁が入寺して天台宗の寺院となったと伝え、その後、隆盛と衰退を繰り返したが、復興には源頼朝足利尊氏の援助を受けたという。

真言宗を経て、江戸幕府三代将軍徳川家光の治世に曹洞宗に改宗した。幕府から朱印状を与えられていた。境内にある五百羅漢像(千五百羅漢)は、江戸時代後期にこの寺を復興した高雅愚伝(当寺第九世)が発願したもので、上総国望陀郡桜井村の石工・大野甚五郎英令が門弟27人と共に安永8年(1779年)より寛政10年(1798年)までの前後約21年の歳月をかけて彫ったものであり、約1,553体の石仏がある[1]
日本寺 (千葉県鋸南町) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年12月20日 (月) 12:10

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カエルの鳴き声が高らかに響いていました。大仏の周りの水場には無数のオタマジャクシ^^;

日本寺は現地の地図で見ると、見所が近そうに見えますが、実際にはかなり登らなければならなかったりします(以前に来た時の記憶)。なので大仏参拝後、館山登山自動車道で山頂付近へ(ロープウェイもあります)。

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百尺観音
太平洋戦争の戦没者や交通戦争の犠牲者の供養のために彫られたもの。房州石(ぼうしゅういし)の石切場跡に彫られた磨崖仏(高さ100尺=約30m)昭和35年から6年の歳月をかけて彫られました。

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百尺観音付近から見る地獄のぞき

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地獄のぞき こうやって展望台から撮ると、すごく怖そうに思えますが、そうでもないです。

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でも下を見ると怖いかな(笑)

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房州石(金谷石)
房州石、金谷石として、鋸山山中から運び出された石(凝灰質砂岩)は、内房線開通以前には船で運ばれ、江戸・東京の町造りや、開港当初の横浜港の護岸工事などに活用されました。

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山頂付近からは東京湾および房総半島、富士山等が見渡せます。

その後、「音楽と珈琲の店 岬」へ。

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映画「ふしぎな岬の物語」のモデルになったカフェです。

その後、富津岬へ。

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富津岬展望台

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鶴のくちばしのように突き出した約5kmの砂嘴(さし)。7km先の対岸は三浦半島の観音崎。

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ほぼ半世紀前に来ているのですが、あまり変わっていなかったようにも。
楽しい一日でございました^^


日本橋~神田~秋葉原 路地裏と神社と橋と

2022-05-17 10:44:21 | ・ショートトリップ

日本橋堀留町で健康診断を受けた後、神社参拝をメインにブラブラしてきました。この辺りの神社は、ほとんど屋敷稲荷神社です。

中央区には「日本橋」と名前の付く町が沢山あります。

1878年11月2日施行の郡区町村編制法に基づく東京15区のうち、日本橋区と京橋区が誕生。現在の中央区に相当する。
1947年 3月15日 - 両区を併せて現在の中央区となる。旧日本橋区域の町名に「日本橋」の冠称が付く。中央区 (東京都) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2022年5月8日 (日) 08:40

・日本橋(1~3丁目)
・日本橋大伝馬町おおでんまちょう
・日本橋蛎殻町かきがらちょう(1~2丁目)
・日本橋兜町かぶとちょう
・日本橋茅場町かやばちょう(1~3丁目)
・日本橋小網町こあみちょう
・日本橋小伝馬町こでんまちょう
・日本橋小舟町こぶなちょう
・日本橋富沢町とみざわちょう
・日本橋中洲なかす
・日本橋人形町 にんぎょうちょう(1~3丁目)
・日本橋馬喰町ばくろちょう(1~2丁目)
・日本橋箱崎町はこざきちょう
・日本橋浜町 はまちょう(1~3丁目)
・日本橋久松町ひさまつちょう
・日本橋堀留町ほりどめちょう(1~2丁目)
・日本橋本石町ほんごくちょう(1~4丁目)
・日本橋本町ほんちょう(1~4丁目)
・日本橋室町むろまち(1~4丁目)
・日本橋横山町よこやまちょう
・東日本橋

こんなにあるんだ!

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三光稲荷神社(日本橋堀留町)

絹布問屋田原屋村越庄左衛門、木綿問屋建石三蔵の両家が江戸時代初期に勧請したとも、中村座に出演していた大阪の歌舞伎役者関三十郎が元禄2年(1689)以前に伏見より勧請したともいいます。

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富澤稲荷神社(日本橋富沢町)

創建年代は不詳ながら、往古巴熊稲荷神社と称していた。

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笠間稲荷神社(日本橋浜町)

茨城県・笠間稲荷神社の分社で、常陸笠間藩第8代藩主・牧野貞直が下屋敷内に御分霊を奉斎したことに始まる。

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元徳稲荷神社・綱敷天満神社(日本橋浜町)

元徳稲荷神社綱敷天満神社は、元徳稲荷神社に同町内にあった綱敷天満神社を合社しました。元徳稲荷神社は、当地に屋敷のあった細川公が、墨田区立川3丁目の三ッ目通り三ノ橋の袂にある元徳稲荷神社の分霊を懇請して建立。

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茶ノ木神社(日本橋人形町)
当地は下総佐倉藩大名や幕府大老を務めた堀田家の中屋敷地であり、その守護神として祀られたもの。祭神は稲荷神。

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松嶋神社(日本橋人形町)
口伝によると鎌倉時代の元享(1321)以前に、柴田家の祖先が下総の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請したと推測。島稲荷大明神と称された。

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かしわ天うどん 手打ちうどん、すんごくこしがあって美味しかったですよ。

たまたま通りかかった水天宮裏の讃岐うどん「谷や」日本橋人形町)。なんか気になって入店。11時10分くらいでしたが中には既に数人お客さんが。私の出る頃には、ほぼ満員でしたわ。帰ってから調べたら、食べログ『うどん(Tokyo)百名店 2020』選出の人気店でした^^

かしわ天とは、鶏肉に衣を付けて揚げた天ぷらのことです。鶏の天ぷらを「かしわ天」と呼ぶのは香川県特有の言い回しだそうで、地元では、香川県の名物である讃岐うどんのトッピングとして愛されているそうです♪ 
西日本では、しばしば鶏肉のことを「かしわ」と呼びます。
そもそもかしわとは、675年の仏教国教化により肉食が禁止される法律が生まれ、そのころ肉を指す隠語として誕生した言葉です。茶色い地鶏の羽根の色が赤く、柏の葉に似ていることに由来しているのだとか。 ちなみに、イノシシ肉はぼたん、シカ肉はもみじと呼ばれていて、同じく植物の名前から取られています!https://macaro-ni.jp/62545さまより引用。

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八百屋さん日本橋人形町)^^

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小網神社(日本橋小網町)

平日のお昼過ぎでしたが参拝者が並んでいました。すごい人気ですね。ここは屋敷稲荷ではなさそうですが小網稲荷大明神。

文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごしました。ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。 夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。https://www.koamijinja.or.jp/index.htmlより引用。

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常盤稲荷神社(中央区日本橋本町)
長禄元年(1457)に太田道灌が江戸城を築城の際、京都伏見稲荷大神の御分霊をいただき、常盤稲荷と名付け、同城の守護神として勧請。

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珈琲郷(日本橋小舟町) いや~昭和に行けそうなお店でした^^

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古いビルのお隣に列。。。なんだ?「更科」という老舗のお蕎麦屋さんでした(日本橋本町)。

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宝田恵比寿神社(日本橋本町)
慶長十一年(1606年)の昔四百十余年前、江戸城外宝田村の鎮守様。

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裏通りが良い感じ^^

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北上して道路一本渡ると千代田区。で「神田北乗物町」こんな町名のところがあったとは・・・知りませんでしたわ。で調べたら、江戸時代、「駕籠(かご)」を作る乗物職人が住んでいた町らしいですよ。

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お隣は神田東紺屋町。ビルに囲まれて・・・・^^;

「紺屋」という町名は、江戸から明治にかけて、藍染職人が住んでいて、染物業が盛んであったことに由来しているそうですよ。

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神田須田町付近

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「肉の万世」 秋葉原本店サイド。

1949年(昭和24年)設立。戦後に秋葉原で開業した電気部品商・鹿野無線が母体。

万世橋の脇だったから肉の万世というのは昔から知ってたけど、電気屋さんが前身だったのかあ。

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万世橋より東方向。電車、重なって走ってました(笑)
山手線、宇都宮線、高崎線、上野東京ライン、京浜東北線など。

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万世橋より西方向。

旧万世橋駅の開業時(明治45年)に作られたホーム部分がよい感じです^^

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万世橋の隙間から秋葉原方向。

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万世橋 なんかこの辺りの風景は好きなんですよね^^

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旧万世橋駅の開業時に作られたホーム部分を『2013プラットホーム』として整備、デッキとしてよみがえりました。

 

いや~、なかなか面白い散策になったのでした^^


2022.4~5 花と海と空と(119. HUAWEI P30 Pro他)

2022-05-12 18:42:06 | ・matol HUAWEI P30 Pro

あっという間にGWも過ぎ去り・・・・写真の整理も付かず--;

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2022.4.12 ミヤマシキミ 茨城県加波山

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2022.4.12 カタクリ 茨城県加波山

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2022.4.12 古そうですね~ 茨城県加波山

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OLYMPUS Tough TG-6にて撮影

2022.4.12 アオキの花 茨城県加波山

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OLYMPUS Tough TG-6にて撮影

2022.4.12 ミヤマカタバミ 茨城県加波山

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OLYMPUS Tough TG-6にて撮影

2022.4.12 ニリンソウ 茨城県加波山

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OLYMPUS Tough TG-6にて撮影

2022.4.12 ヤマブキ 茨城県加波山

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2022.4.12 採石場にて^^ 茨城県加波山

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モッコウバラの蕾

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2022.5.4 真名瀬漁港 神奈川県葉山町 こんなキレイな春の葉山の海は初めてかも。 

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OLYMPUS Tough TG-6にて撮影

2022.5.4 神奈川県葉山町芝崎海岸 アオウミウシ 25mm位 やっぱり海の宝石だなー

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OLYMPUS Tough TG-6にて撮影

2022.5.4 神奈川県葉山町芝崎海岸 クサフグもたくさん泳いでました。

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天沼八幡神社(杉並区天沼)

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コデマリ

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ハゴロモジャスミン

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2022.5.9 杉並区妙法寺二十三夜堂の狛犬

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2022.5.9 杉並区妙法寺

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2022.5.9 杉並区妙法寺

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ハナちゃん♪

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バラ

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夕焼け 真っ赤に焼けました。

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馬橋稲荷神社 空に龍が現れました^^

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柔らかな夕焼けでした。