~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

’ホワイトウルフの教え’3

2010-01-19 18:57:53 | ・スピリチュアリズムからの風景



入間市下藤沢・熊野神社 大杉(樹齢約600年)
相変わらず、巨木を訪ね歩いていますよん^^
下の写真は、幹にくっ付けて見上げて撮りました。でもあんまり大きさが
解りませんね^^;; 難しい・・・

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’やさしさ’には二通りあります。

誰に対しても、どんな時にも示される、
真の思いやりからくる’やさしさ’と、

自分が良い人と思われたかったり
嫌われないように、また
本心を知られたくなくて行う
見かけだけの’やさしさ’と。

あなたのやさしさは
どちらですか?

ホワイトウルフの教え 葉祥明

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ドキっとしちゃいますよね。こんな質問されると^^;;

その’やさしさ’の動機は、ナンですか?という事なのでしょう。

本当に相手の事を思って、放たれた行動(思い)なのかどうか・・・
利己的な’小我’からの思いなのか、本物の’サービス’なのか・・・

’ホワイトウルフの教え’2

2009-12-29 12:35:58 | ・スピリチュアリズムからの風景
進みたい方向に
どうしても進めない場合、
それは自分に適した道ではない
ということです。
いつまでもそれにしがみついてないで、
自分に、よりふさわしい道を
選び直しなさい。

ホワイトウルフの教え 葉祥明
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何かに固執したり、執着し過ぎないようにしなさい、
という事でしょう。

人生は多彩、自分次第で沢山の世界を見ることも可能
です。
囚われの心は、近視眼的になりがちで、はまりこんだ
ら、なかなか抜け出せないものです。

どんな局面でも、自分自身を客観視することができる
ようになれば、おちいる事はないでしょうけれど難し
いかも^^;;

反対に、浮き草のようにフワフワと世の中を流されて
いくことも魂の向上には繋がらないでしょう。

イカリを下ろした船のように常に大事なもの、大切な
ものと繋がりながら、世の中のいろいろな波に揉まれ
て生きていくことベストでしょう。

やはり何事も中庸、バランスが大切です^^

paw

’ホワイトウルフの教え’1

2009-12-18 18:02:51 | ・スピリチュアリズムからの風景
結局
人にとって最も大切なのは
“心”です
姿かたちの良さ
頭の良さ
才能・血筋・経済力・肩書き
よりも
“良い心”の持ち主であることが
人として
何より大切なのです

「ホワイトウルフの教え」より
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あなたが、魂は生き続けると思うのならば、
あなたには前生があって、これからも転生すると思うのであれば、
引き継がれていくものは、魂であり、精神です。
それが本当の’あなた’であり、大切なものさえ見失わなければ、
この世で大きく進化・成長することでしょう。paw

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ホワイトウルフの教え
ホワイトウルフ (著), 葉 祥明 (編集)

単行本(ソフトカバー): 93ページ
出版社: ハート出版 (2009/8/8)

内容紹介
北米大陸の雄大な大自然の中で生きていたアメリカ・インディアンの人々は、古老
やシャーマンを通して自然界のスピリットから様々な導きや教えを受け取り、過酷
な自然の原野を生き抜いてきました。
この本の中の言葉もまた同様に、高次元存在のホワイトウルフ・スピリットから、
現代に生きる私たちのためにもたらされたものです。
時代や社会を超えたこの叡智の言葉には、普遍真理の持つ強力なエネルギーがあ
り、これらの言葉にふれることによって、あなたの中に、元々存在していたある精
神が立ち上がり、気づきと目覚めが起こるでしょう。
力強さと賢さ、美しさと優しさ……というホワイトウルフ・エネルギーが、あなた
という人間の持つ、数々の美徳を引き出してくれることを願って。 葉祥明
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別ブログでも紹介しましたが、スピリチュアリズムを学ぶ人にとっても、そうでな
い人にとっても、魂の琴線に触れる言葉がたくさん溢れている本なので、こちらで
も紹介します。

葉祥明さんの絵は、以前から好きでしたが、なるほど目に見えないメッセージが込
められていたんだなあと、改めて感じる次第です。

ときどき、抜粋して紹介していこうと思います。


葉祥明さんのインタビュー記事

http://www.mammo.tv/interview/archives/no068.html

葉祥明オフィシャルブログ

ザ・世界仰天ニュース♪

2009-10-28 22:22:44 | ・スピリチュアリズムからの風景


ごらんになりましたか?
面白かったですねー^^

2009年10月28日
+++++胎児の持つ記憶スペシャル+++++

●ママのおっぱいに秘密のサイン
どうしても飲まない方のオッパイが癌だった・・・

●投稿、子供の不思議能力

池川先生が出演されていました。
もっと詳しく知りたい方は、下記をご覧ください。

子どもは親を選んで生まれてくる 池川 明 (著)


●生まれ変わりの記憶を持つ幼児

以前、’アンビリバボー’に出ていたジェームズ少年がまた取り上げられていまし
た。

もっと詳しく知りたい方は、下記をご覧ください。

(3)前世を記憶する子どもたち

前世を記憶する子供たち

自殺願望の○○さんへ

2009-10-20 20:02:11 | ・スピリチュアリズムからの風景

’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)

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何もやりたくない。好きなことはあるけど、別にどうだっていい。

うつ状態の思考回路は、自信を失い、生きる活力を奪い取る。
自己嫌悪、ダメダメダメダメ・・・だ。
将来を思い煩い、否定的なイメージがくるくる回る。
取り越し苦労や不安が、止め処も無く押し寄せてくる。
ネガティブスパイラルは、頭から離れることなく、寝ても覚めても襲いかかる。

生きることが・・・苦しい・・・。

親からもらった命・・大切にしなきゃだめだよ。
生きたくても、生きられない人がいるじゃないか。
そんな事をしたら、君を愛する周りの人たちがどれだけ悲しむか・・。

そんなことは解っている。

それでも、生きることが・・辛い。
自分の心に素直になりたいんだ。

囚われた心は、そこから抜け出す思考を与えない・・・

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心の赴くままに・・・正直に生きることが大事・・・だからこの世を去りたいと
思う事は利己心ではないのではないか。


心は、何を基盤として、基準として、正しい、正しくないとするのでしょうか?私
たちの心は、いつだって移ろいやすく、もろいものです。

私たちは、生まれてくる前に向こうの世界で、こちらに転生してきて何を学ぶか、
どんなカルマを解消しようとしているのかを計画を自らが立てて生まれてくると言
われています。その計画の中には、自殺の選択は決してありません。

私たちは、肉体が無くなっても霊として生き続けるのであれば、肉体を持っている
時の思いや感情も生き続けるということになります。’生きる’ことに正面から取
り組まないで、今この場から消えても、その思いや感情はずっとその人の思念とな
って消える事はないようです。更に、向こうの世界では、精神・心・感情・思いが
自分を表現する世界(顔つきや体つきではない)ですから、より感情や思いが増幅
されるようです。

苦しくとも生きることを選択し、その難題を真正面から受け止め、生き込むことが
大切です。しかし、ウツ状態のネガティブスパイラルの最中においては、それはそ
れはとても苦しいことです。対処的には、抗うつ剤や安定剤の力を借りることも必
要でしょう。セロトニンを増やす為にリズム運動や腹式呼吸も良いでしょう。

更に下記のシルバーバーチの霊訓のようなスピリチュアリズムの知識も役に立つは
ずです。

少しずつ、少しずつ、薄皮をはがすように・・・
少しずつ、少しずつ、取越し苦労や不安が減っていくはずです。
焦らず、ゆっくり、ゆっくり、時間を流していくことです。

今までこの世で生きてきた中で、培われてきた道徳的判断や価値観が少しずつ、少
しずつ変わってゆきます。
心を捕らえてきた鳥かごが、少しずつ、少しずつ、大きくなっていくでしょう。
鳥かごの大きさが変わり始めれば、少しずつ、少しずつ、ネガティブスパイラルか
ら抜け出し始めます。
と同時に、向こうの世界から注がれているポジティブなエネルギーを受け取る受信
感度が上がってゆきます。

もしまた、めげたり、挫折したら、ゼロに戻り、リセットすればよいのです。落ち
るところまで落ちたのですから。山あり、谷あり、少しずつ、少しずつ、また登っ
て行けばよいのです。

ここで逃げ出してしまえば、また向こうの世界や来世で、同じ試練を繰り返さなけ
ればなりません。

やがて、何が大切か、何が大事かが少しずつ解り始めます。そしてあなたの行く道
を照らし、導いてくれることでしょう。

あなたは決して独りではありません。忘れ去られることはありません。向こうの世
界のあなたと縁のあった方や霊的に繋がりを持った方や守護霊、指導霊が、あなた
が自分自身に課した課題がやりとげがれるようにと見守り、エネルギーを与え続け
ているのです。

一人一人、人生の道は違います。人と較べるものではありません。一人一人が自ら
の向上進化のために、この世に自ら課題を持って生まれてきたのです。その課題を
見つけることこそが、人生の旅なのかもしれません。

わたしも祈っております。
あなたの守護霊様にあなたが導かれますように
あなたの内なる神様があなたを導きますように
心から祈っております。

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シルバーバーチの霊訓の中で、自殺に関する記述を下記に抜粋します。


自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありませ
ん。もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。

それが自然の摂理なのです。地上の誰一人として、何かの手違いのためにその人が
克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。

むしろ私は、その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ
与えられているのですと申し上げたいのです。苦しいからといって地上生活にさよ
ならをしても、その苦しみが消えるわけではありません。

それは有り得ないことです。またそれは摂理に反することです。地上であろうと霊
界であろうと、神の公正から逃れることはできません。

なぜならば、公正は絶対不変であり、その裁定はそれぞれの魂の成長度に合わせて
行われるからです。物質の世界から霊の世界へ移ったからといって、それだけで魂
に課せられた責任から逃れられるものではありません。それだけは明確に断言でき
ます。

(自殺に追いやられる人は、やはり耐え切れない苦しみを受けているからではないか)

大多数は私に言わせれば臆病者の逃避行為であると言ってよいと思います。果たす
べき義務に真正面から取り組むことができず、いま自分が考えていること、つまり
死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考え
るわけです。

ところが、死んだつもりなのに相変わらず自分がいる。そして逃れたはずの責任と
義務の観念が相変わらず自分につきまとう。

その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状
態から抜け出せないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。

(ノイローゼのような形で自殺した場合は、罪がないと考えてよいか)

確かに結果だけをみればノイローゼ気味になって自殺するケースはありますが、そ
ういう事態に至るまでの経過を正直に反省してみると、やはりそのスタートの時点
において’責任からの逃避’の心理が働いていたのです。

もしもその人が何かにつまずいた時点で’自分は間違っていた。やり直そう。その
ためにどんな責めを受けても最後まで責任を全うしよう’と覚悟を決めていたら、
不幸をつぼみのうちに摘み取ることが出来ていたはずです。

ところが人間というのは、窮地に陥るとつい姑息な手段に出ようとするものです。
それが事態を大きくしてしまうのです。そこで神経的に参ってしまって正常な判断
力が失われていきます。ついにはノイローゼ気味となり、自分で自分が分からなく
なります。問題はスタートの時点の心構えにあったのです。

私たちは変えようにも変えられない自然法則の存在を認めると同時に、同じ自殺行
為でも進化の程度によってその意味が異なると観ているのです。たしかに臆病であ
るがゆえに自殺という手段で責任を逃れようとする人が多くいます。しかし、そん
なことで責任は逃れられるものではありません。死んでもなお、その逃れようとし
た責任に直面させられます。

しかし同時に、一種の英雄的行為ともいうべき自殺ー行為そのものは間違っていて
も、そうすることが愛する者にとって唯一の、そして最良の方法であると信じて自
分を犠牲にする人もいます。そういう人を卑怯な臆病者と同じレベルで扱ってはい
けません。大切なのは’動機’です。

(みずからの行為によって(自殺)そちらの世界へ行くことは許されるのか)

許されません。あくまでも摂理にしたがって寿命をまっとうしなければなりません
。神の摂理はつねにその働きが完璧だからです。その摂理の働きに干渉する権利は
誰もありません。

もし干渉して与えられた寿命をみずからの手で切り上げるようなことをすれば、そ
れに対する代償を支払わされます。霊的に熟さないうちに無理やりに次の世界へ行
くようなことをすると、(地上での悲しく苦しい期間よりも)永い期間にわたって
辛い体験を支払わせることになります。

おまけに、せっかく一緒になりたいと思った愛するひと(先に他界した愛する人)
にも会えないことになります。その摂理に背いた行為が一種のミゾをこしられるか
らです。

愛 と 命♪

2009-10-09 14:30:37 | ・スピリチュアリズムからの風景


ここのところ’ザ・ベストハウス123’で感動しています。

井上智史(いのうえともふみ)さん

生後1ヶ月頃、風邪が元で髄膜炎になり、その後水頭症になる。その為に脳、特に
前頭葉に絶望的な損傷を受ける。
手術の際、医師より「助かるかどうかは50%、助かったとしても、一生笑うことは無
いでしょう。」と言われる。

這って動く事しかできなかった彼が、19歳の時に野田燎さんの音楽運動療法と出会
う。そして何と6か月ほどで音楽に合わせてトランポリンが跳べるようになり、ひと
りで歩けるようになる。

そして、22歳から絵画教室に通い始め、絵画展を開くまでに才能を伸ばす。
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何よりもお母さんの愛情が素晴らしい。諦めず、前向きに全身全霊で彼に愛情を注
いだからこそ、音楽療法に出会えたのでしょう。
このトランポリン音楽療法がまたスゴイ。上記には音楽に合わせて跳ぶと書いてあ
るが、跳ぶ側に合わせて音楽を生演奏するのです。
運動と合致したリズムに接する事により、脳の神経が刺激されていくわけですね。
心と身体のバランス、霊・精神・身体のバランスが崩れている人にもかなり有効な
療法ではないでしょうか?

彼の絵は、ホントに優しい目の絵です。そして彼の微笑みも素晴らしい。愛があれ
ば不可能なんてないのかもしれないなあと心から思いましたね^^
これからも彼は成長し続け、絵を通して愛を表現していくことでしょう。

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本田紘輝さん

わずか12年という、短い人生を駆け抜けた本田紘輝さん。四年間に及んだ闘病生活
で、怒りや悲しみ、そして希望など、ありったけの命の輝きを絵に表現しました。
絵の構図は考えなくても沸いてくるようで、大胆な色づかいも普通に生活している
ものには現せない創造力を駆使しています。おそらく絵画の才能ある彼の指導霊が
ついていたのでしょう。
見る者にハッさせるほどの’生命’を突き刺し、私たちの命を鼓舞するエネルギー
が伝わってきます。

少しずつ、脳が圧迫され、視線もコントロールを失い、真っ直ぐに歩けなくなって
くる。まさにヘビの生殺しのようで想像を絶する悲しみや苦しみ、怒りが渦巻き、
やり場の無い無念さが見る者にもこみ上げてくる。

ドキュメンタリーだから、なおさら感情が同調してしまう。最後の最後まで絵を描
き続けようと頑張るが肉体の衰えは否応なしに襲ってくる。
お母さんに
’僕のこの目を忘れないでね’
’愛してる’
と伝える頃には、号泣してしまいました。


スピリチュアリズムでは、わたしたちは、向こうの世界で、自分で選んで、決め
て、この世に生まれてくると教えています。ハンディキャップを抱えることも自分
で選んでいるのだといいます。そこには因果律(カルマ)が働いているのかもしれ
ませんし、あえて困難な人生を選んで、愛を学び、または教えるために生まれでた
のかもしれません。その理由は、この世にいる間は理解することはできないでしょ
う。

人生に長いか、短いかの時間は関係ありません。何を行い、何を学ぶかです。その
ために自分で決めて生まれてきたのですから。
紘輝さんの霊は永遠に生き続けます。きっとお母さんを見守り、そして彼の作品を
見る人々をも見守り続けることでしょう。

しかし、この世での別れは本当に辛い・・・・・
’愛してる’とお母さんに伝えたのち、12歳の大きくなった少年をお母さんが抱き
かかえ号泣した時には、もう耐えられませんでした。やはり別れは辛い・・悲しい
ものです。


それにしても、真っ直ぐに愛を見つめ、命と向き合う人々には、なんと感動させら
れるのでしょう。その感動を頂く側からは、ただ沈黙し、どんな言葉も入り込む
余地の無い愛と命のパワーには、ただただ圧倒されてしまいます。

誕生日の前日に♪

2009-09-13 01:36:47 | ・スピリチュアリズムからの風景

前回の投稿と、ま反対から撮ったショットです。
光と影・・・・それは表裏一体です。
同じものを見ても、角度が違っていれば全く別の世界が見えてきます。

この二日、池袋、神田、銀座、代々木、新百合ヶ丘、大崎、渋谷と
飛び回っていましたが、やっぱり、都会よりも山里が性に合っているな(笑)
自然の風が、一番エネルギーをくれますね^^

さて、もうすぐ9.14、我が誕生日。いよいよ50代突入です。
40代は、物凄い変化が訪れました。恐ろしい出来事にも遭遇しました。
強固な壁を乗り越え、得心した真理にも出会えることができました。
’弟子の成長に合わせて師が現れる’同じ文言に接していても、より深いところ
まで思考する理解力ができつつあるように思います。
しかし、真理の探求者を目指す者としては終わりはありません。この世にいる限り
、否、向こうの世界へ行ったところで、ここが終わりというところはありません。

2008.4からライフワークとしている本の要約も9冊まで終えました。残り2冊。
年齢と同じように一つの区切りを迎えようとしています。その先にあるものは・・
おぼろげに見え隠れしているように感じています。

我が敬愛するロックバンドのボスは、50代を力強く、物凄いパワーで駆け抜けて
いきました。そして、まだまだこれから・・と更にそのパワーに磨きをかけつつ
あります。

私も彼を見習って、力強く駆け抜けたいと願います。
さあ! 出発だ!

音階の不思議♪

2009-08-21 12:09:56 | ・スピリチュアリズムからの風景
一昨日から、またまたマスクパニックが始まりました。我社の倉庫も、あっという
間にカラッポ。10/中旬に大量入荷しますが・・・はあ・・やりくりが大変です。
疲れますわ・・・・^^;;



’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)


先日、昼休みテレビを見ていたら谷村新司さんが面白い話をされていました。

音階にはド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド がありますね。これは日本語読み
なんですが、

ド・・・・・・土(つち)  

レ・・・・・・火(?)

ミ・・・・・・水(みず)

ファ・・・・・風(フワ~)

ソ・・・・・・太陽(ソーラー)

ラ・・・・・・宇宙(空のラ)

シ・・・・・・虚無  

ド・・・・・・土に返る


このように日本語と結びつけて解釈されていました。面白いですねー。
そして、これらの音階は体の位置と相対するとの事。
それぞれの音が、体のある部分に対応すると説明されていました。

低い方のドが股奥の部分から始まり、レミファソと身体の中央を上がっていき、太
陽であるソが心臓、ラが喉、シが脳の松果体(眉間)で、高い方のドが頭頂部。

これらから連想されるのは、チャクラの位置です。ほぼその位置と一致していまし
た。(チャクラについてはカテゴリー:七つのチャクラ に詳しく記載しています)

第1チャクラ 脊椎の底部(尾骨の部分)
第2チャクラ 下腹部から臍にかけての部分
第3チャクラ 太陽神経叢(みぞおちの部分)
第4チャクラ 胸の中心部
第5チャクラ 喉
第6チャクラ 額の中心
第7チャクラ 頭頂部

チャクラは脊椎に関連するエーテル体にあるエネルギー・センター(渦)で、肉体
の7つの内分泌腺及びメンタル体、アストラル体、肉体の調整と活性化を司り、意
識の中枢と各身体の中継点としての役割をはたしている(Wikipedia)

私たちの身体は、この肉体に重なり合うように幾つもの振動数の高い身体(幽体、
霊体、神体やエーテル体、メンタル体、アストラル体などと呼ばれている)を持っ
ていて、死は単に肉体の衣を脱ぎ捨てるだけだと言われています。チャクラは、上
記のように、肉体と目に見えない身体を結び付けている箇所だと言えるようです。


音楽の不思議さは誰もが体験しているでしょう。記憶と結び付けなくても、何故か
涙が溢れるほど魂を揺さぶられることがあったりしますね。元気の出る楽曲や、同
調・協調する楽曲、懐かしく感じる楽曲・・・etc。
それは人によって異なったり、誰もが共感したり・・心や精神の不思議さを感じま
すね。

私たちが、何度か生まれ変わってきていたり、向こうの世界で聴いていた楽曲があ
るとしたら、そんな記憶が呼び覚ますのかもしれません。

さらに私たちの耳は可聴範囲で制限されていますが、私たちが肉体を離れたときに
は、その制限から開放されて、もっともっと美しい音楽を知っているのかもしれま
せん。

なんで?耳も無いのに聴こえるの?と思われるかもしれませんが、五感というもの
は、私たちの心や精神がこの世で認識できる為に、感応できる為に、備えられた増
幅器に過ぎません。実際に音はあるのに私たちは聴こえる周波数領域しか耳を通し
て認識することしかできないのですから。

コウモリ、犬、イルカなどは、私たちには聞こえない、遥かに高い周波数領域を聞
くことができます。どんな音なのかなあ。。。美しい音域なのかなあ。。。聞いて
みたいですね^^

整体 「活元運動」♪

2009-07-26 22:15:16 | ・スピリチュアリズムからの風景





’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)

身体は一種の機械です。したがってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば
故障するにきまっています。すると休息と修理によって機能を回復させるほかあり
ません。法則はごまかせないのです。
あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。その身体のすることにも限
界があり、それを超えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。それは
あなたの責任です。あなたの身体だからです。
行為の一つひとつ、言葉の一つひとつ、思念の一つひとつについて、あなた自身が
責任を取るのです。身体はその責任ある自己表現の媒体なのですから、その遂行に
おいて支障がないように十分に手入れをしておく必要があります。
(シルバーバーチの霊訓9 P49-50)

上記のとおり、スピリチュアリズムでも、身体はこの世で自分を表現するための乗
り物なのだから、大切に、大事に手入れをしなさいと説いています。これはまあ、
当たり前のことですよね^^

30くらいの頃、メンタル面の不調で断食を行いました。(ダイエットが目的では
ありません・笑)その後、お袋がALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病にか
かり今の医学では治すすべがないとお医者さんにサジを投げられました。なんと
か治すことはできないかと、エドガーケイシー療法、鉱泉水、気功、筋肉触手療法
などを試しました。
多少は進行を遅らせることはできたように思いますが、結局治すことはできません
でした。

そんな模索の中で、野口整体の活元運動の事を知りました。野口整体については、
創始者である野口晴哉をご覧ください。体癖についてはこちら

最近では、カイロやマッサージ、鍼灸など何でも「整体」という言葉を付けてい
ますが、この「整体」という言葉は野口晴哉氏が作り出したと言われています。今
では、一般の整体と区別すべく「野口整体」と呼んでいます。当初は治療を行って
いましたが、自らが自分で体を育てる活元運動などの整体操法を教えるようになり
ました。

いろいろと縁があり(これがまた不思議なんですが)、今日、某整体塾の活元運動
を学ぶ会へ参加してきました。以前に、見よう見まねでやっていた時期があったの
ですが、ちゃんと教わったことがなかったので良い機会となりました。

さて、この活元運動(自働運動)とは、からだの奥から出てくる、意識しない動き
で、からだを鍛える運動ではありません。人間は、無意識のうちにいろいろな運動
をしています。座りなおしたり、足を組みなおしたり、アクビをしたり、寝返りを
したり・・。活元運動は、そのような無意識の運動を引き出して自分自身のからだ
を整えていこうとするものです。
ですから、出てくる運動は人によって様々です。自分自身で自分を調整する運動な
わけですね。
活元運動を引き出すために邪気の吐出、脊髄刺激、延髄刺激などを行い自発的に運
動が出るように誘導していきます。そして後は、からだが勝手に動く状態に身を任
せます。誘導方法はこちらのページが参考になります。

その後さらに、動きを誘導するために、意識的にからだを左右に揺すったり、回し
たりします。今回は、二人でペアになって頭に手を置いて刺激を与えながら揺すっ
たり、背中合わせに座って相手の背中と軽く合わせ動きを与えていって誘導したり
しました。(単に頭に手を置く、いわゆる手当て法のようなものではなく、頭のあ
る箇所に手を置き揺する事によって背骨にまで動きが伝わるようです。背中合わせ
の場合も、相手の背骨に自分の呼吸を通すようにと、常に背骨を意識する自律神経
訓練法の延長線上にあるようにも思いました。)

初めのうちは動きが出難かったですが、最後にはいろいろと動きが出てきました。
自分のからだの動きを客観的にポカンと見る・・・それは自律神経訓練法と同じ
ようで、良好な瞑想状態に近い感覚を引き出すことができるように感じました^^

俗に染まらず、俗を離れず♪

2009-07-19 07:25:54 | ・スピリチュアリズムからの風景


’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)


同じ生活環境の中にいても、心の感知するアンテナの方向を変えてコントロール
することによって、違った世界で生きることが可能です。いわゆる俗に染まらず
、しかし俗から離れずに行きてゆく手法です。

霊界側から言わせると、霊界側が本当の世界で、こちらの世界は幻なのだそうです
が、そうは言われても、わたしたちは、この世界での悩みや苦しみで頭の中は占領
されるわけですから、生きている今この時を避けて通るわけには行きません。

私たちは、知らず知らずのうちに各々が自分の世界を自分自身で作り上げていま
す。それは、魂レベルで引き継がれているものと、今生で育ってきた環境によるも
のとで形成されているのでしょう。

この自分自身で作り上げている世界(一つの枠や鳥カゴのようなもの)にいると、
自分の考えや思いは当然正当化されるわけですから、良きにつけ悪しきにつけ居心
地はよいわけです。しかし、生活環境等が緩やかに変化している等のうまくバラン
ス・調和がとれているときは良いのですが、対人関係がうまくいかなかったり、孤
立感が強まってくると、ストレス増加、閉塞感、違和感などで自分の世界が脅かさ
れるようになります。

また、愛する人との死別、大きな挫折、大病、燃え尽き現象などの大きな環境の変
化も、自分自身の人生に対する価値観などが変わり、自分自身で作り上げてきた世
界が崩れ始め、不安定な状況となります。

このような頑固なまでの自分自身で作り上げた世界を柔軟な枠組みの世界、あるい
は、より大きな鳥カゴにするために、スピリチュアリズムの考え方は非常に有効と
思われます。

例えば、対人関係などにおいては、人はそれぞれ自分自身の課題を背負ってこの世
に生まれ変わってきているのだから、根本的に人それぞれの生きる道がある。だ
から、人それぞれが違っていて当然だし、比べる必要もない。これは、あなたと私
は違うんだから関係ないという事ではなく、あなたという存在を認め、登る道は違
っても同じ山を目指してお互いに頑張って登っていこうということです。このよう
に考えれば、相手に人に対して極度の執着心に陥ることも無いし、無視するような
ことも無い良好な人間関係が続けられるのではないでしょうか。

また、愛する人との死別は、ホントに悲しいものですが、その人の魂は、永遠に生
き続けているのだということを知れば、悲しみも癒されます。たとえ肉体が滅んで
も魂は生き続ける・・・それは、可愛がっていたペットも同じです。生命のあると
ころには必ず霊が存在します。’千の風になって’の歌詞は、気休めではありませ
ん。まさに地上を離れた霊のメッセージソングです。

大きな挫折、大病など・・この世で生きていれば、いろいろな事があります。その
渦中においては、押し潰されてしまうのではないか、もう終わりだと思うのは当た
り前です。しかし、神様は、背負えないほどの荷物は与えません。影を知らなけれ
ば光の有り難みは解りません。辛く悲しい体験を乗り越えることによって、自分自
身の世界観はより大きくなっていくことでしょう。

さらに、私たちは肉体を捨てても生き続けるということは、精神や心が生き続ける
ということです。ならば、この自分自身でこしらえた世界をずっと維持していくわ
けです。
そしてその世界には、善きにつけ悪しきにつけの’悪しき’、いわゆる憎しみや妬
みなども含まれています。ですからこの世界で生きている間に、対人関係による感
情を改善・修復していけば、良好な世界観を携えて向こうの世界へと旅立つことが
できます。

また、そうすることによって、この世では身体・精神・霊 のバランスも整い健康
維持にも繋がります。そして、心の世界が主体ですから、自分の言動や行動の動機
は間違っていないか、自分の良心の声に従っているかをいつも自問自答しながら自
分の歩む道の確認作業も重要です。

このように考えていけば、俗に染まらず、俗を離れず、浮き草のように流されず、
地に足を付けた生き方へと繋がり、自分自身の小さな個の世界を、遥かに大きな世
界へと広げることが可能となるのです。

バカヤロー!!!

2009-06-28 19:08:16 | ・スピリチュアリズムからの風景


ラジオを聴いていたら、あるお母さんから、こんな投稿がありました。

長男は37、長女は33。二人とも独身。長男は、東京で独り暮らしを始めて10年。
最近では正月でも帰ってきやしない。
長女は、幼稚園の先生だけど、ぜんぜん嫁に行く気がないらしい。
まったく、ここまで大きくなったのは誰のおかげだ!心配ばかりかけて!

で、そのお母さんは、家族旅行で行った懐かしい那須へ一人旅に出かけました。
山を登っている間も、子供たちが小さかった頃の楽しかった思い出が蘇りました。

しかし、だんだん、またむしゃくしゃしてきました。霧が濃くなってきて行く手を
遮りました。これは都合がいい! お母さんは、大声で’バカヤロー’と言いたく
て、ここまで来たからでした。

’バカヤロー、バカヤロー’と叫んでいると、霧の中から同じ年くらいの女性が現
れました。
もちろん見ず知らずの女性でしたが、’わたしも同じ気持ちですわ。もっと大きな
声で叫びましょう!’
’バカヤロー’’バカヤロー’二人はしばらく代わる代わる’バカヤロー’と山に
向かって連呼したのでした。

というお話でした。
同じ気持ちの方と出会え、大きな声で叫んで、きっとストレス解消になったでしょ
うね。

おしまい・・・・・

といきたいところですが、もう少し・・・

確かに数日は、すう~とした晴れやかな気分になるかもしれませんね。しかし、こ
れは、西洋医学の対処療法みたいなもので、やがては元の状態へと戻っていくこと
でしょう。

根本治療が必要なわけですね。考え方、感じ方、思い方を変えていかなければ、当
然、心身共に調和がとれずに崩れていってしまいます。

自分の枠の中の考え方や価値観が固定されてしまうと、そこからはみ出した物事に
対して(許容範囲外)は、いわゆる悪玉ストレス(不安、心配、恐れ、恨み、妬
み、憎しみなど)が発生します。

特にこの傾向は、近しい人(家族、伴侶、親友など)に対して多いですね。他人は
許せても、あなたにはそうしてもらいたくない・・みたいな。

人をコントロールすることは、所詮できません。百人いれば百人の考え方、生き方
、感じ方があります。それは近しい人でも同じです。この世に生まれ出た事には、
それぞれの理由があります。同じ課題を背負っている人など一人もおりません。

愛憎は表裏一体の感情ですが、自分の感情をコントロールすべく、’やり過ごす’
’聞き流す’’無視する’といった方法もあるわけですが、これでは’愛’があり
ません。

ならば、どうすればよいのか・・・それは、百人いれば百人の考え方、生き方、感
じ方を’認める’ことでしょう。自分とは違うけど、認めます、許容しますという
こと。あなたは、私と違う山道を登っているけど、どうぞ山頂を目指して頑張って
登っていってくださいね、応援しているから・・・ということ。

しかし、コレがなかなかできません。解っていても、自分の感情は、なかなかどう
して手ごわいですね(笑)
まあ、そんな自分の感情と折り合いをつけつつ、より高みを目指すのが’人生’な
のでしょう^^

広い草原や海原に身を置いたり、夜空の星を眺めたりするとき、自分は何とちっぽ
けな存在なのだろうと感じますね。その時、意識が拡大し、自己客観力が増幅しま
す。そして自分を包む自分自身で作り上げていった枠が広がっていきます。そのと
き、寛容、許容の精神の幅が広がっていくのかもしれませんね。


全盲のピアニスト♪

2009-06-10 18:51:12 | ・スピリチュアリズムからの風景

’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)


全盲のピアニスト辻井さんが、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール
において、日本人として初めて優勝されました。
辻井さんの事は、以前から存じ上げておりましたが、いや~、ホントに素晴らしい
!まさに’ブラボー!!’です。
テレビ報道で、連日拝見しておりますが、その度に目がウルウルしてしまいます。
いろいろな方々が素晴らしいコメントをされていますね。まさに万人の魂の琴線に
触れる素晴らしい音を奏でるのでしょう。音だけではなく、身体全体から表現され
るような演奏スタイルからも、素晴らしい何かが伝わってきます。何がここまで、
私たちの魂の揺さぶるのでしょう。

この投稿の前にも触れましたが、視覚(しかく)とは、可視光を物理的入力とした
感覚のことであり、いわゆる五感のひとつです。ある波長の光が物体に当たる際に
反射したり吸収されたりして、それを光の三原色(赤・緑・青)の情報に置き換え
て脳へと送られ認知します。
人が、この光の波長を認識できる範囲は実は非常に狭いのです。ですから、この世
の全体の情報の非常に狭い範囲のものしか認識できていないのですね(他の四感も
同じように実は認知している範囲は狭い)。もし、もっと広い情報が認識できた
ら、世の中は全く違って見えるかもしれせん。

さて、何故この視覚の事に触れたかというと、辻井さんは生まれた時から目が見え
ませんでした。彼に視覚とはどういうものかを伝えるのはとても困難なことでしょ
う。彼にとっては、この世を認識するのは他の四感が全てなのですから。しかし、
もしかしたら彼は視覚以上の情報を四感以外に受け取っているのかもしれません。
そして、その受け取った心の状態を、聴覚(触覚も?)を中心としてピアノを媒体
に表現しているように思えてなりません。それは言わば超能力の領域なのかも・・


例えば、もし世の中のすべての人に視覚という感覚が無いとしましょう。そんな世
界の中で、目が見える(視覚を持つ)人が現れたとします。すると、目が見える人
は、きっと超能力者のような扱いになるでしょうね。

真っ暗な世界を全盲の方のインストラクターが案内するようなシュミレーション・
プログラムがあるようなのです。その全盲の方が言われていたようなのですが、
自分が外を歩いていると、周りの人が’危ない’と声をかけてくれたり、ぶつかり
そうになると手を引っ張ってくれたりするそうです。私たちは、それが親切だと思
っているわけですが、彼の立場からすると、いきなり危ないと言われたり、いきな
り身体に触れられることの方が驚いたり怖かったりするようです。彼にしてみれば
、障害物にぶつかることが認識することなのですね。事前に教えられても、彼の感
覚とは全く違うわけです。

止め処もなく、話があちこちに飛んでしまいましたが、このまま投稿します(笑)

もう一つ、スピリチュアリズムから全盲のピアニスト辻井さんを見させて頂きます
と、彼は自分で今の自分を選んで、そして両親を選んで生まれてきました。全盲と
いうハンデキャップを背負い、しかし、’人に喜んでもらいたい’とピアノをひき
はじめました。幼い頃、家族旅行で行ったサイパンのショッピングセンターで初め
て人前でピアノを弾いた時のブラボーの声と握手?とキス?とハグ?の反応が、彼の
魂に決定的な生き方を教えたのでしょうね。

あなたは、’人に喜んでもらいたい’=’人の役に立ちたい’=’愛’の表現者で
あり、もう転生してくることのないとても霊格の高い魂のように思います。一人で
も多くの方々が、あなたの演奏を聴き、各々の魂の琴線に触れる事を切に願いま
す。あなたがこの世に降り立ったことに感謝いたします。

はだかの心♪

2009-06-06 00:08:26 | ・スピリチュアリズムからの風景


’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)


現世で成功するということは、名声を得たり、お金持ちになったり、名前が売れた
りと現世欲や物質欲を満たすことがほとんどでしょう。幸せとは、一般に、裕福
で、美味しいものが食べれて、お金にも困らずに優雅に暮らすことなのでしょう。
そのために身を粉にして働いているのですからね。

しかし、どんな人でも旅立つ時は独りで、しかも何も物質的なものは、向うの世界
に持って行けません。スピリチュアリズムでは、魂は永遠に不滅で個性も存続する
と教えています。とすると、私たちに持っていけるのは自分の’精神’であり、’
心’しかありません。

私たちは、この世に降り立つとき、向うの世界であらかじめ、何処に生まれてきて
、何をしようと自分自身で決めてきているそうです。その目的とは、魂(精神・
心)をより向上させることであり、より大いなる存在(神様、宇宙の根源など)へ
と近づくことです。そのために、今生はカルマの解消のために生まれ出たのかもし
れません。

このように100人いれば100人の目的とする生き方があるわけですから、誰かと自分
を比較することは根本的に間違っていることになります。人を羨んだり、蔑んだり
するという感情は、この世的な比較から生まれるものです。隣の芝生が良く見える
のもそうですね(笑)。私たちは、この地上でたくさんの人の中で、自分自身の、
自分だけの道を歩いていくのです。

それでは、私たち自身といわれる’精神’とか’心’とはどういうものでしょう
か。感情も心に中にありますから、喜び,興味,驚き,悲しみ,嫌悪,怒り,恐れ
、困惑,不安,恥,誇り,罪、そして愛などなど沢山の形態がありますね。こうし
たものが、向うの世界へ行くと全て、丸裸の状態で自分を形成し、一切の隠し事
が出来ない状態となります。こちらの世界でいえば、テレパシーで相手の心が全部
読みとれてしまうような状態ですね。何と恐ろしいことでしょう(笑)

このような状態の世界ですから、おのずと同じような’精神’や’心’の持ち主が
集まり生活をしています。似たような心の状態の人たちが集まっているわけですね
。しかし、現世は、いろいろな心を持った人たちが、ごった煮状態で暮らしていま
す。ですから、いろいろな問題が起きるわけですが、このごった煮状態の世界で、
自らが自らの自由意志で物事を選択し、この’精神’や’心’を、より磨くために
(成長するために)私たちはこの世界へやってきたわけです。

それでは、この’精神’や’心’を磨くにはどうすれば良いのでしょうか。その方
法のヒントは、この世の中のあちこちに隠されています。そして誰かに教えられる
のではなく、自分自身の魂の琴線に触れなければ、おそらく自分自身のものとする
ことはできないでしょう。自分自身でその方法を見つけ探すことこそが、’人生’
なのかもしれません。

かみさま♪

2009-05-29 14:10:12 | ・スピリチュアリズムからの風景


シルバーバーチは、いわゆる神様(大霊、ハイヤーセルフ、大いなる存在・・・呼
び名はいろいろ・・)は’自然法則’であると説いています。

その自然法則は、因果律(カルマ)の働きにおいては機械的に働きます。それは、
一つの原因が数学的正確さをもって結果を生んでいくのです。この過程を阻止する
ことは誰にもできません。要するに、自ら蒔いた種は、自分で刈り取らなければな
らないわけです。

それは、今世においてのみならず、魂の記憶として過去から未来へと脈々と受け継
がれていきます。ですから、私たちにその自然法則の働きのすべてを今生でのみ把
握することは到底できません。

今、悲しみのどん底にある時、苦しく辛い渦中に、’やはり神様なんていないや’
と思うこともあるでしょう。何度祈っても裏切られ、’神に裏切られた’’神に見
捨てられた’’神様なんて信じない’と感じることもあるでしょう。

しかし、それは今生においてのみの評価であり、近視眼的な見方であることが、こ
の自然法則を知ると判ってくるのです。とはいえ、肉体の衣をまとった我々には、
その自然法則の働きを完璧に理解することができない以上、やっぱり辛いですね。
その辛さを少しでも緩和するには想像力(もしくは祈り)しかないのかもしれませ
ん。


さて、もう一つ・・・
シルバーバーチは、私たち一人一人の中に神様という完全性の火花、全生命のエッ
センスである大霊の一部を宿していると説いています。この神の火花は完全です
が、一方それが私たちの肉体を通して顕現している側面はきわめて不完全です。

しかし、不完全ではあっても、この世においてその神の一部の表現をあちこちに見
ることができます。スポーツの世界において、音楽の世界において、政治の世界に
おいて、町の中において、家庭の中において、このブログの世界において、そして
、動物、植物、自然、地球・・人を介してだけではなく、ありとあらゆる事象の中
その’表現’を見ることができるのです。

いわゆる著名な方の書かれた本のみならず、誰かの書かれたブログの言葉が魂の琴
線に触れることも沢山あります。誰もが、本人が気が付く、気が付かないに関わら
ず、あちこちで’表現’されているのです。

そんな’表現’と出会うべく、このブログのタイトル通り、これからも-人の中
に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛
を感じながら 生き込みたい-と思っています^^

Field of Dreams ♪

2009-05-06 11:07:31 | ・スピリチュアリズムからの風景

1989年公開のアメリカ映画。W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』が原作。

あらすじ
アイオワ州の田舎町に住むレイ・キンセラは農業でなんとか家計をやりくりする、
一見普通の貧乏農家。ただ、若い頃に父親と口論の末に家を飛び出し、以来父の生
涯に一度も顔を見る事も口をきく事すらもなかった事を心の隅で悔やんでいる。あ
る日の夕方、彼はトウモロコシ畑を歩いているとふと謎の声("If you build it,
he will come." = 「それを作れば、彼が来る」)を耳にする。その言葉から強い
力を感じ取った彼は家族の支持のもと、周囲の人々があざ笑うのをよそに、何かに
取り憑かれたように生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を作
り上げる。その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影
を球場にみつける。そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放さ
れ、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


随分昔にこの映画を見ましたが、いい映画だったという記憶だけで、すっかり忘れ
ていたのですが、最近テレビで放映されたのを録画していたので久々に見ました。

いや~、なかなかスピリチュアルな映画だったんですねー。

大よそのあらすじは、記憶していましたが、要所要所にスピリチュアルな場面が見
受けられました。

レイ・キンセラがトウモロコシ畑で、’それを作れば、彼がくる’という声をき
き、畑の一角に野球場のイメージを見ます。

声をきくことそのものの伝達ではなく、ある瞬間にインスピレーションやイマジネ
ーションが浮かぶようなことは、誰にでも起きていることです。そのサインを受け
取れるかどうかは、当人がどれだけそのサインが大切で大事なことであるかを認識
できるかにかかっています。

このサインは、この世に生まれる前に自分自身が用意したものかもしれませんし、
守護霊が誘導するためのものかもしれません。

だからこそ直感・第六感(インスピレーション・イマジネーション)は偶然な産物
なのではなく大切なものなのです。

レイ・キンセラが、その声に従い球場を作るわけですが、その行動によって顕幽両
界の魂たちが癒されていきます。

この世で生きる人たちーレイ・キンセラにとっては、父との確執を解消し、作家テ
レンス・マンは、向こうの世界へと招待されました。

あの世で生きる人たちー八百長疑惑で球界を追われたシューレス・ジョーをはじめ
とする8人の選手他に野球場を提供し、バッターボックスに立ちたかったグラハム
医師の夢を実現させました。

レイ・キンセラが作った野球場は、顕幽両界の住人にとって光り輝く道しるべとな
り、顕幽両界の多くの魂を癒し、因果律を促進していきました。

ほんの小さなサインに気がつき、そこへ導かれることの大切さをこの映画は教えて
くれています。あの世の人たちが、’ここは天国なのか?’と尋ねたのがとても印
象的でした。