ボランティアに行くと決めてから、前準備を幾つか行いました。まずは、ボランティア保険。
この保険に加入しなければ、ボランティアに参加することができません。私の場合は、杉並区
に住んでいますので、杉並ボランティア・地域福祉推進センターへ行って手続きを行いました。
更に、ボランティアを行う地域まで各自夜行バスや、電車で移動する方が多いのですが、物資
を積んだ車で向かう為、区役所で災害派遣等従事車両証明書を発行してもらいました。(往復の
東北自動車道の通行料が無料になります。乗り降りするインター、通行年月日は特定されます)
証明書を発行してもらうには、受け入れ先のボランティア活動受入承諾書などが必要です。
●2011.9.22
遠野被災地支援ボランティアネットワーク「遠野まごころネット」は、遠野市社会福祉協議会
の「遠野市総合福祉センター」の建物の一部を活動拠点としています。
まず、そこに立ち寄り、積み込んできたボランティア向け支援物資(手袋、マスク、タオル、消毒
液などダンボール約10ケース)を搬入しました。。その後、受付で手続きを終えて、初めての人
向けのオリエンテーションを受けました。
内容は、ボランティアの各種仕事内容&希望ボランティアの登録方法、被災者の方への配慮
(言葉や態度)などの注意事項の説明、、また災害ボランティアは自己完結(衣食住を自分で
まかなうこと)であること、この体育館で宿泊する方への注意事項(シャワー予約)などなど。
特にカメラ撮影に関しては、その後も現場等で何度も注意事項として挙がっていました。当たり
前ですよね・・・被災者の方々が、まるで観光地のように被災地を撮っていたら憤りを感じるの
は当たり前です。会社や所属団体への報告が必要な場合以外は、許可を頂いている限られた場所
以外での撮影は、ほとんど禁止となっていました。
活動内容としては、大多数は、大船渡、陸前高田、大槌町、釜石などでの(現時点では)力仕事
(瓦礫撤去、草むしり)などです。他に心のケア(足湯隊、カフェ隊、ふれあい隊など)、また
薪割り、枝豆選定などの農援隊、写真洗浄などがあります。
私は、同行した友人の会社の組合団体経由でボランティア活動に参加しましたので、その組合の
借り上げたすぐ近くの自治会館で寝泊りしました。21日、22日は台風の影響でボランティア活動中止
だったようです。
活動日程は、
7:15 集合&ラジオ体操
7:30 全体朝礼
8:00ごろ 各現場に向けて出発。各現場へは手配したバス等で送迎。
10:00ごろ 現地着 活動開始
12:00~13:00 昼食 ※昼食は各自持参。
15:00ごろ 現場での活動を終了
16:00ごろ 遠野に戻る
遠野から、大船渡、陸前高田、大槌町、釜石など被災地へは、何処もバスで1~1.5時間の位置
関係です。
私たちは、23日は、釜石市箱崎町の個人宅の解体後の瓦礫撤去と草むしり、24日は陸前高田市高田
地区の田んぼの瓦礫撤去を行いました。
●2011.9.23
釜石市箱崎町にて個人宅の瓦礫撤去&草むしり
現地へ向かうバスの中で、釜石市の説明などを受けました。
釜石市は、岩手県の南東部、陸中海岸国立公園の中心に位置し、世界三大漁場の一つ北西太平洋漁
場の一角をなす三陸漁場と典型的なリアス式海岸を持つ市です。近代製鉄業発祥の地(新日鉄釜石)
であり、最盛期の人口は9万人を超えることもあったが、製鉄所の高炉の休止に伴い人口が減ってい
る。(2010年=4万人弱)by wiki
新日鉄釜石の辺りから、市役所のある中心地付近・・建物はあるものの、二階建ての一階部分は
激しく損傷しているお宅やお店が多かったです。その辺りを通り過ぎ、北方にある箱崎半島へ
向かいます。山側から海岸へ入ると、通常の道路を迂回するようにできた悪路でバスが揺れます。
対岸が大槌町になります。地震の影響で地盤沈下が起こり、1m近く下がっているようで湾岸壁は、
海水面とほぼ同じ位の状態でした。
箱崎地区へ着き、廃校となっている箱崎小学校に集まり、ここを拠点として各班ごとに各々の瓦礫
撤去場所へ向かいます。(手洗い用の水や、仮設トイレなどもある)
私たちは、重機が入り取り壊され、ある程度更地になっている個人お宅の瓦礫撤去や草むしりを
行いました。住まわれている方は、近くの仮設住宅におられるようで午後から様子を見に来られて
いました。
瓦礫撤去作業においては、やはりガラスや釘など鋭利なものもかなり多かったです。突き刺しなど
に強いニトリルゴム製の厚手の手袋は最適でした。
被災直後の状況でしたら、家屋の中の物を運び出したり、車が通行できるように道路の瓦礫を
撤去したりという「行動=物理的に役立つ」という活動になるのですが、ある程度重機も入り、
仮設住宅もできて、目の前の障害はとりあえず取り除かれています。
ある程度落ち着きを取り戻した状況の中での、このような瓦礫撤去や草むしりには、どのような意味
があるのでしょうか?こちらの地区を担当されている隊長さんからは、次のような説明がありました。
「この箱崎地区では、心構えとしては瓦礫撤去をさせていただいているというような思いで、効率よ
りも、地域の皆さんと心を通わせながら丁寧に仕事をしています。もし、自分の家があった場所が、
無残な瓦礫の点在するままであるのと、草も取られ、瓦礫もなく綺麗に清掃もされているのを見る
のとでは、ぜんぜん気持ちが違ってくる。またそこに住む日を夢見ることができる。前向きに生きて
いくことができる。ですから、誇りをもってボランティア活動にあたってください。」
綺麗に片付いているということは被災したみなさんの「心のケア」にもなっているということですね。
心を通わせ、寄り添うこと・・・それも、ボランティア活動に繋がるのでしょう。翌々日には、箱崎
のお母さんたちが、日頃から頑張っているボランティアの皆さんに「ひっつみ」(すいとん)を振舞
われたようです。
隊長さんの丁寧な説明で、ボランティアに参加された皆さんの士気も高まっていたように思います。
終了ごろには、担当した個人宅の敷地もすっかり綺麗になって、私たちも達成感が得られました。
●2011.9.24
陸前高田市高田地区にて、田んぼの瓦礫撤去
二年前に陸前高田へ来たことがありました。
ちょうど七夕祭りで山車が出ていましたね。その頃の記憶はあまりないのですが、松林の広々とした
イメージだけは残っています。
こちらの状況は、広大な陸前高田市街がまるごと津波に襲われているようで、痛々しいほど壊滅的な
ものでした。
高田市街から、わずかに山側の田んぼの瓦礫撤去作業を行いました。台風や雨の影響で、ぬかるんで
いる箇所もずいぶんとあり、長靴が大活躍でした。ここはいずれ田んぼに戻す予定での作業なのですが、
相当深くまで瓦礫が入り込んでいる為、重機が入り、掘り起こしては瓦礫を撤去する作業を何度か繰り
返すようです。瓦礫、ガラス、金属、木片など分別しながら瓦礫撤去を行いました。除塩作業も必要
でしょうし、まだまだ時間がかかるように思います。こちらも仮設トイレや手洗い用の水が用意され
ていました。
陸前高田では、1キロ下流にあった2棟の冷凍倉庫が完全に破壊され、800トンもの冷凍サンマ(一部
サケ、イクラ)のすべてが、周辺にまき散らされていたようで、震災から一ヶ月後頃からは腐敗も進み、
ウジ虫や病原菌の大量発生の危機が目前に迫ったことで、周囲のがれきの撤去を後回しにしてまで、
人海戦術でのサンマ回収を行ったようです。臭気も酷かったようですが、活動中はまったく臭いもあり
ませんでした。
と二日間、ボランティア活動を行ってきました。復興にはまだまだ時間がかかるように思います。
また機会がありましたら参加しようと思います。(災害ボランティアだけでなく)そして、個人的には、
日頃ついつい大雑把になりがちな、細かな心遣い、心配り、気配り、心を通わせることなどが大切だと
いうことを、改めて再認識した次第です。
私は、何としても一度は現地に行って身体で奉仕したいという思いと、現地へ行った経験のある友人が
いたからこそ、ボランティア活動に行ってこれましたが、なかなか独りで現地に行くには、それ相応のエ
ネルギーが必要となるでしょう。
しかし、このような活動は、強制されるものでもなければ、他者を巻き込むものでもなく、自発的な思
いでの行動であるべきで、誰と比べるものでもなければ、できないからと悲観するものでもない。100人
の人がいれば、100の思いがあって、被災地に対する思いと、本人の気持ちの折り合いがもっとも大切だ
と思います。そして、このような直接参加のような形でなくても、復興の手助けになる方法はたくさん
あるはずです。
一日も早い復旧・復興を願い心よりお祈りいたします。