~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

2017.8.11~14乗鞍高原10(剣ヶ峰/乗鞍本宮奥宮)

2017-09-14 08:48:36 | ・神社・お寺

2017.8.11~14乗鞍高原へ行きました。

畳平から登り、不消ヶ池~剣ヶ峰の風景です。


不消ヶ池

いや~雪渓の色合いが美しかったですねー。

と、ここを過ぎるといきなり雲が湧き出てきました。

と思ったら、あっという間に天候回復。さすが山の天気の変わり様はスゴイですね。

肩の小屋口上方の大雪渓と剣ヶ峰

強烈は陽射しで水蒸気が上がります。スキー、スノボをしている方も居ましたよ。

イワヒバリ

不動明王(大日如来の化身)さんにご挨拶して大日岳・剣ヶ峰へ。

反対側は、摩利支天岳の山頂の乗鞍コロナ観測所

さて、剣ヶ峰山頂へ続くガレ場を登ります。

剣ヶ峰山頂

権現池 すごい色合いです。

山頂手前

お盆休みで天気も良い日でしたのでファミリーから団体さんまで沢山の人達が登っていました。

長野県側・朝日神社(信州側・朝日権現神社)

乗鞍本宮と背中合わせに建っていました。

岐阜県側・乗鞍本宮(飛騨側・乗鞍大権現)

こちらは宮司さんも居られましたよ。山頂は大混雑でした。

ついに剣ヶ峰山頂登頂(3026m)です。人生初の3000m越えでした。一度3000m以上の空間に身を置いてみたかった
のでした。想像以上に混んでいました(笑)

残念ながら山頂は雲が取り巻いていて展望はNGでした。

下山時の権現池

雲が切れると、こんな色合いに。深い青がホントに美しかったです。

 屏風岳

登山道のガレ石の色合いが様々です。
地理院の地図によると、約70~15万年前に噴火した火山の岩石(安山岩・玄武岩類)。

 

下りてきましたー。ちょっと天気が残念でしたが、綺麗な御来光も拝めましたしね。

乗鞍スカイライン

宿泊した乗鞍国民休暇村や牛留池の休憩所も見えていました。

??????

下山時の不消ヶ池では、このユキムシのような虫が粉雪のように飛び交っていました。首回りや顔や頭にくっ付いて
タイヘンでしたよ。

イワギキョウ

クワガタソウの仲間

イワヒバリ あちこち撮り易いところに出没しますね。

クロクモソウ

最後にお花畑を一周しましたよ。朝は白山が見えていましたが、こんな感じ。

ミヤマクロユリの咲き終わりが沢山ありました。すごい群生でした。これだけのクロユリが咲いていたら綺麗だったで
しょうね~。 


2017.8.11~16乗鞍高原9(乗鞍本宮中ノ社)

2017-09-14 08:47:07 | ・神社・お寺

2017.8.11~14乗鞍高原へ行きました。

畳平の「乗鞍宮」に参ってから剣ヶ峰へ向かいました。
それんしても、スゴイ青空です。紫外線強烈です。

乗鞍本宮

主祭神
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
・五十猛大神(いそたけるのおおかみ)
・於加美大神(おかみのおおかみ)
・大山津見大神(おおやまつみのおおかみ)

住所
岐阜県高山市丹生川町岩井谷字乗鞍岳1224番地

由緒由来
乗鞍岳は、中部山岳の飛越国境に聳え、主峰を剣ケ峰と称し、海抜3026Mで本宮が鎮座され古来霊山で、
乗鞍大権現の神体山と仰ぎ、山麓四方の信仰が厚く、別名を鞍ケ嶺.愛宝山.とも言い、貞観の昔紫雲三度
棚引云々と日本書記にも見らる、位山とは正に是れならん。養和元年、木曽義仲の臣、飛騨国を観察のため
屡登山した、其の際社殿を創建し黄金の神像を奉安せしと云い伝う鞍ケ嶺神社があった、神名をもって山名.
湖名となし、権現ケ池、大丹生ケ池、亀ケ池.鶴ケ池には霊水を湛え、雨乞.祈晴に霊驗があると称される、
これらの水は、丹生川及び阿多野川の本流となり、北流して神通川、南流して飛騨川となる。またその流域
には里宮として、式内槻本神社.御崎神社等の古社を初め、分社伊太祁曾神社を祀る事数十社にも及んでいる。

近時御岳教の隆盛に伴い、一時乗鞍信仰が衰頽したしかし尾張地方には信者があり、毎年団体参拝を昔ながら
に続けている、昭和3年、前記鞍ケ嶺神社は、山麓の沢上伊太祁曾神社に合併して「乗鞍神社」と改称した、
同4年9月9日頂上15坪を神社境内地として、大蔵省より無償譲与を受けた。もとは神職・信者村民等挙って
神霊を奉じて登山し、参篭して、毎年8月8日に乗鞍祭を執行するのが慣例であった。

昭和22年各関係者の尽力により、登山道「乗鞍スカイライン」が完成し、畳平の駐車場を終点に、海抜
2、740Mの雲上への自動車運行により、年間数百万人の登山者を数えるに至った。宗教法人法の施行に
伴い昭和24年新しく乗鞍本宮として設立、社殿を再建し、同28年駐車場付近に遥拝所を創建「中ノ社」
となし、同49年現状の如くに再建する。岐阜県神社庁hpより。