山は、ほぼ紅葉が終わっていたので、山里・山麓を見て回ろうかと
予定を変更♪
近くのラーメン屋で昼食をすませ(愚息はラーメンが大好物^^)、
(ホントは蕎麦食べたかったんだけどなー。)、奥只見方面へ。
以前から352号線の奥只見~檜枝岐を通ってみたかったので、
絶好のチャンスだっ!
何回かスキーで来たことのある奥只見シルバーラインは、どん突きに
なってしまうのでルート352の枝折峠へ。二日後には通行止めになる
らしく(冬季閉鎖)ラッキー~♪

枝折峠より空を見上げる。雲の動きが速い^^
厳冬突入寸前の空だ。

枝折峠からの展望。

枝折峠からの展望。
2000m級の山がズラリ~、左奥は尾瀬方面と思います。

いや~、なかなか走りごたえのある凄い道路でした。しかしその後、奥只見湖沿い
を抜けるまで、まだ倍以上は走らなければならなかった・・・^^;
ウィキペディアには、国道352号線は、
新潟県魚沼市から福島県檜枝岐村までは、枝折峠や奥只見湖沿い、そして県境付近
で、急カーブの連続した1車線から1.5車線程度の断崖絶壁に沿った道が続き、俗に
言う「酷道」の1つに挙げられている。新潟県側の大湯温泉から、檜枝岐村の国道
401号分岐点との間は、直線距離で30km強のところ、枝折峠越えと奥只見湖畔の谷
越えの屈曲とで激しい大迂回を強いられ、道路延長では70kmを超える過酷なルート
である。この区間はガードレールすらない区間も珍しくなく、ガソリンスタンドに
至っては皆無で、通り抜けには相当な覚悟を要する。湖畔の屈曲区間は、沢の水が
橋もなく道路上を流れる洗い越しが多数存在し、雨量が多くなると通行止めになる。

枝折峠を下りて望む銀山平方面。
やがて一面銀世界なんだろうなあ。
近くの奥只見丸山スキー場は、豪雪地帯なので、普通のスキー場と異なり、1月中
旬から3月中旬までクローズする。(閉鎖期間は積雪の多寡により若干前後するこ
とがある。2005年度は積雪量が多かったため12月中旬から閉鎖された。)

銀山平・・・美しいです。。。。。

運転が好きなpawでも、もう走るのイヤ~~~と思っちゃうほどクネクネの連続。
奥只見湖の紅葉もギリギリといった感じでした。

何とか一枚、紅葉らしい風景を・・・。
この奥只見湖沿いは、山からの沢が道路を横切って湖に流れ込むため、舗装路の
上を川のように横切っている箇所が沢山ありました。驚きですねー。

やっと湖から抜け出す辺り。
枯れた木々と川砂の流紋の不思議な風景が広がっていました。
その後、尾瀬の北側を抜け、檜枝岐村へ。
森の温泉館 アルザ尾瀬の郷
で温泉♪
16時半着ということは、4時間近く走りっぱなしだったわけだ^^;;
数人しか入っていないガラッガラの露天風呂で疲れを癒し、外に出ると
すでに真っ暗。綺麗な三日月が昇っていました。

その後ルート352からルート121へ。見上げると星が綺麗そうだったので
脇道に入ると、たまたま野球場のような広さに広っぱへ(引き寄せられたか?)
いや~、天の川まで見れる綺麗な星空でしたよ。人工衛星までバッチリ見えました。
写真は15秒開放にて撮影。意外と写るもんですなあ。
(コントラストはノイズが写り出すギリギリまで上げています)
その後、下道をちんたら走り今市から例幣使街道を経て鹿沼へ。
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、徳川家康の没後、東照宮に幣
帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。中山道の倉賀野宿を起
点として、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。
もの凄く大きな日光杉並木が狭い道路の両脇に続き、暗がりでは一種異様な感じで
した。帰宅は23時過ぎ。超濃密な旅でございました。end