23、24日は連休ということもあり、沢山の人たちがボランティアに来られていました。21、22日と台風
の影響でボランティア活動が中止となったこともあり、身体を動かしたくてウズウズしている方も多かった
のではないでしょうか。
ボランティアに来られている方は、特に連休中だったからでしょうか、団体参加の方々が目立ちました。
静岡や神奈川のボランティア協会関連の団体、各大学のボランティアサークルの皆さんなどが多かったです。
海外のボランティアの方々や友人同士と思われる方々もおられました。個人での参加の方々は、若い男女が
多かったですが、親子や高齢の方もおられました。
個人での参加の方は、北海道や鹿児島など遠方からも来られていて、長期間にわたって活動されている方が
多かったように思います。復興、支援への思いの深さが顕れているように感じました。
日頃の生活で違和感を感じている方、ストレスを抱えている方、身の置き所が不安定な方・・・・そのような
方も、ここへ来られ、同じ思いを持つ仲間たちと出会い、生活を共有することで、押さえ込まれていた
能力を発揮される方がいるかもしれません。
人の集まるところには、いろいろな思いの方々が集まってきます。この災害ボランティアセンターも
そうですが、班長、隊長という呼び名の通り、統制を図ろうとする集団の雰囲気に合致する、例えば
運動部や○○団、○○隊、市民・組合運動家のように見受けられる方々もおられました。
ボランティア団体の方々は、各々の団体が手配している近くの宿泊施設での寝泊りとなっているよう
ですが、学生のボランティアサークルの方々や個人で参加の方々は福祉センターに隣接する体育館
での生活となります。初回のオリエンテーション時に体育館で説明を受けましたが、とても音が響き
ますし、当然プライベートの確保もままならず、被災されて長期間このような体育館で暮らされている方々は、
ホントに大変だと実感しました。
私たちは、今回同行した友人の会社の組合にお世話になり、その組合の借り受けた自治会館で寝食させ
て頂きました。食事も提供してもらえるし、布団も用意されています。自治会館ですので、テレビやお
風呂はありませんが、ゆったりとした空間はホントに助かりました。それでも、数日前から来られてい
る人たちが、チャキチャキ動かれているのを見ると、勝手が判らず、はじめのうちは何となく気後れしましたね。
個人的には、今までほとんど台所に立つこともありませんでしたので、改めて家事をあんまりしてこ
なかったなあと反省した次第です(笑)後片付けや洗濯、掃除は、まあ問題ないんですけどね(←言い訳か・笑)
アルコールが入ると、私の知らない世界へと突入していきました。組合に入っていて、そのご縁でボラン
ティア活動に来られている方もいれば、組合運動に深く関わっている方もいますし、更には、この
ような場を足がかりに政治活動に近い運動をされている方もいて、興味深く感じると同時に熱いパワー
を受け取りました。批判、非難する人もあれば、擁護する人もあり、私のような蚊帳の外の立場の人間には、
介入できない場面もあったりして、少し浮いていましたね。それでも、うまく壁を作りながら、気丈に
振舞いながらも、心優しき人とも出会えて嬉しかったです。ボランティア後半からは、メンバーも入れ替
わったりして、つくづく毎日がライブセッションだなと思いました。やっと慣れてきたと思ったら、
帰る日が来ちゃいましたね。
ボランティアセンターの方々も様々です。どの世界でも同じだと思いますが、同じ空気の中にしばらく
いると、初心を忘れてしまい、内輪慣れし、横柄な態度になってしまう。そんな感じの方もいますし、
先の投稿でも書きましたが、箱崎地区の隊長さんのように、
「この箱崎地区では、心構えとしては瓦礫撤去をさせていただいているというような思いで、効率よ
りも、地域の皆さんと心を通わせながら丁寧に仕事をしています。もし、自分の家があった場所が、
無残な瓦礫の点在するままであるのと、草も取られ、瓦礫もなく綺麗に清掃もされているのを見る
のとでは、ぜんぜん気持ちが違ってくる。またそこに住む日を夢見ることができる。前向きに生きて
いくことができる。ですから、誇りをもってボランティア活動にあたってください。」
と、初心貫徹、常に心構えや突き動かす行動の動機に立ち返って自分をも律している方もおられます。
ともあれ、各々の人が各々のいろいろな思い持ちながらも、それでも、ここへ集まって、同じ作業をする
行動・行為は同じです。復興・復旧にはまだまだ時間がかかります。
一日も早い復旧・復興を願い心よりお祈りいたします。
(愛とは何か)
気が合うというだけの友情、趣味が同じということから生まれる友愛から、己れを
忘れて人のために尽くそうとする崇高な奉仕的精神に至るまで、愛は数多くの形態
を取ります。私が理解しているかぎりで言えば、愛とは魂の内奥でうごめく霊性の
一部で、創造主たる神とつながりを悟った時におのずから湧き出てくる魂の欲求で
す。最高の愛には一かけらの利己性もありません。すなわち、その欲求を満たそう
とする活動に何一つ自分のためにという要素がありません。それが最高の人間的な
愛です。それが人類の啓発を志す人々、困窮する者への救済を志す人々、弱き者へ
の扶助を願う人々、そして人生の喜びを踏みにじる既得権力との闘いを挑む人々の
魂を鼓舞してきました。
(シルバーバーチの霊訓3 P200-1より)