つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

空振りの代償

2013-04-12 23:43:48 | 日記
オフィスの移転祝いにいただいたパキラが新しい葉を次々と伸ばしている。
既にわさわさと葉っぱは茂っている奥から黄緑色の小さな若葉が芽吹いて、にょきにょきと背を伸ばし上に延びてくる。
これならいつでも植物の成長と新緑の眩しい黄緑を目にすることができると嬉しく思っていた。
いただいた時から比較すると高さは10センチほど、葉は1.3倍くらいに増えたように思う。

パキラを置いてあるところは全く日が当たらない。
栄養剤もあげておらず、隔日で水やりをするくらいである。
それなのに、芽吹きは伸び、芽吹きは伸びを繰り返すものだから私は少し脅威を感じている。
いくら光合成ができるからといって、光は当たらないわけだからあの葉の増え方をするほどの源があるとも思えないし、土と言えどそんなに大きな鉢植えではない。
彼らのあれほどの生命力の在り処が本当に解せない。

多くの植物は今この時期に芽吹いたり成長したりをするから、季節的なものだろうか。
秋が訪れても冬が訪れても、今のように成長を続けたらこのパキラは私たちを支配し始めるかもしれない。

ところで、あのねじねじとした幹は天然にああなるのだろうか。


ロックンロールに触れてから、ということなのかは定かではないが、最近所謂“ドジ”をすることがとても増えた。
私はそういうことがあるタイプの人を、なぜあの人はあんなにドジなんだろう、と見ていた側だったはずだ。

テレビを点けっぱなしで出かける、電車を乗り過ごす、または反対方向行きに乗ってしまう、なんてことはままあるし、眉毛を書かずに出勤する、財布を会社に置いてランチに出かける、信号待ちの横断歩道でこける、バッグの中でお茶がこぼれる、グラスに入っている水を口につける前に傾け過ぎてこぼす、書道教室に筆を持って行き忘れる、洗剤を買いに出かけてすっかり忘れて花を買って帰る、会社に家の鍵を置いて帰る。
無銭飲食なんて犯罪ではないか。
もちろん、3分で戻ってきますと伝えて走って会社に財布を取りに戻ったが。

昨日は、鍵一式を置き忘れたわけだが、せっかく早く帰ったにも関わらず家のオートロックでそれに気づき、往復1時間半強をかけて取りに戻った。
ギターを練習しようと思っていたのにようやく部屋に入れたときには疲れ果てていた。
火の消し忘れとかホームに転落とか、取り返しのつかないことだけは避けたい。

「志を持った人の元で、その人の志や夢が叶うように仕事をしたい」と本気でそう思っていたことは確かなのだけど、本当にいよいよそれが疑わしい。
最近そんなことにしか頭が回らない。

そんな折、書道教室の帰りがちょうど一緒になったのと、路線が一緒だったので、ある先生とその道中に少しだけ世間話ではない話をした。
書道の先生方とは私が教室に入ってからもう何年も知り合いなわけだけれど、教室で教えてもらうのとほんの少しの世間話をする以上話をしたことがなかった。

書道の世界が、師への崇拝や協会への忠誠心、のようなことは多少はある世界だと思う。
私は先生方は書道的に本当にすごいと思うし、私は元々先生のパフォーマンスに見惚れて一発でこの教室にすると決めたという経緯はあるけれど、崇拝するつもりも媚びるつもりもさっぱりないものだからたぶん先生方からすると失礼がたくさんある生徒なのかと思う。

帰路をご一緒したその先生は、自分のやりたいことと実際にやっていること、今いる教室との考え方の相違を話してくれた。
先生の家庭環境や師弟関係などを考えると色々とあるのだろうと思っていたが、やはりロックな考え方をしていた。
私の最寄駅に着くまでの15分ほどを話して、「是非先生のやりたいことやってください!」と電車で別れる。
是非、もう一度改めて聞いてみたい。

正直なところ、書道で何か、というのは私は考えたことがなかった。
今も特段、どうということは思っていない。
ただ今は可能性を探る、という意味で教室の開塾指導講座なるものに申し込んでみる。
どうにも、やることでしか、私はわからないみたいだから。