甥が熱を出し、いもうとがインフルエンザで、続いて姪がインフルエンザで、けいこはその世話にかり出されているらしい。
「もてて困ります」というようなメールを私によこすので笑ってしまった。
私は今本当に日中に片道1時間強のいもうとの家まで行っている余裕はないので、助けてあげられもしない。
それに、インフルエンザウイルスが蔓延している場所に自ら突っ込んでいくなど、やはり私はできない。
今私が別経路でインフルエンザになることは仕方がないにしても。
騒動が終わった後に、けいこがインフルエンザにならなければいいけれど、と思う。
私はここ何年も風邪という風邪をひいていないけれど、諸々自分の体で起こしていることに変わりが利かないことが増えているので、それに対する緊張感がある。
緊張感とか持っているときっと免疫機能などが低下して、風邪をひいてしまうのではないかという悪循環の恐れも抱く。
無理をしないこと、よく寝ること、体を冷やさないこと。
これらは守っておいた方が良い。
余白の余白がない日々を送っているが、それでもギターは少なくとも3日1回くらいは触っている。
何の気なしにギターが弾きたいなと思うこういうときほど、ある程度さまになる感じのフレーズが弾けたらどんなに気持ちいいだろう、と思う。
まあそれでも、コードを鳴らしているだけでも、随分と嬉しくなってしまうのはずっと続いてあるのだけれど。
初めてまともにコピーしたギターソロMr.Bigの「To be with you」はなんとかかんとか、止まらずに全ての音が出るようになってきた。
音楽とはいえ、現象的に言えばすべては「脳から指令を受けた運動」である。
「脳からの指令通りの運動」ができるようになるのは、的確な理解と、たくさんの反復練習しかない。
毛筆や硬筆のレッスン時にも、最近はこの話は常套的にとてもよくする。
理解と練習のバランスや必要な量は個人差があるけれど、少なくとも皆そういうものである。
天才、と呼ばれるどちらも必要なくできてしまう人がいるかいないか知らないが。
そして、あるときうーっと運動を続けていてできないことも、数日後に不意にやってみると、「あれ、できる」ということが起こり得る。
スポーツや楽器を経験したことがある人であれば、この感覚は結構多くの人が持っているようで、とても理解してもらいやすい。
字を書くということは緻密な運動に他ならない、と偉そうに言ったりするのである。
まあでも、私もギターでいえば進歩が微々たるもの過ぎて、結局生徒さんに言っていることは全部自分に戻ってきてしまったりする。
ギターが上手くなりたい、と私は切に思うけれど、切に思うだけでは何にもならないし、そもそも切に思っているのか?という話にもなる。
ギターの弦が張り替えたい。
しかし、自分でやるとギターが壊れてしまいそうな気がする。
ストーンローゼズってとても雰囲気がある音がする。
ふと色々なアルバムをチョイスして聞くのだけれど、ストーンローゼズはいつも耳に止まる。
そして、その場の私の雰囲気を持っていかれる。
フラワーカンパニーズやミッシェルガンエレファントは、良い意味でかなり色合いが偏っている。
一発でわかるような、“彼、彼ららしい”というサウンド感がとても強固である。
曲作りというのもきっと、ある“自分”というものから逃れることは困難であろう。
しかし、出られずともそれからはみ出ようととする姿勢なのか、それを真っ直ぐ突っ切ろうとする姿勢なのかは、おそらく音楽というものの何かを司っているだろうなと思う。
あるいは他の姿勢もあるとは思う。
前者でも後者でも、他のものでも何でも良くて、しかしそのときのアーティストの姿勢というのは、大いに反映される。
横しまに吹雪く列車の全速力
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ac/49ab3784e8880cf98673cb06d35996bf.jpg)
「もてて困ります」というようなメールを私によこすので笑ってしまった。
私は今本当に日中に片道1時間強のいもうとの家まで行っている余裕はないので、助けてあげられもしない。
それに、インフルエンザウイルスが蔓延している場所に自ら突っ込んでいくなど、やはり私はできない。
今私が別経路でインフルエンザになることは仕方がないにしても。
騒動が終わった後に、けいこがインフルエンザにならなければいいけれど、と思う。
私はここ何年も風邪という風邪をひいていないけれど、諸々自分の体で起こしていることに変わりが利かないことが増えているので、それに対する緊張感がある。
緊張感とか持っているときっと免疫機能などが低下して、風邪をひいてしまうのではないかという悪循環の恐れも抱く。
無理をしないこと、よく寝ること、体を冷やさないこと。
これらは守っておいた方が良い。
余白の余白がない日々を送っているが、それでもギターは少なくとも3日1回くらいは触っている。
何の気なしにギターが弾きたいなと思うこういうときほど、ある程度さまになる感じのフレーズが弾けたらどんなに気持ちいいだろう、と思う。
まあそれでも、コードを鳴らしているだけでも、随分と嬉しくなってしまうのはずっと続いてあるのだけれど。
初めてまともにコピーしたギターソロMr.Bigの「To be with you」はなんとかかんとか、止まらずに全ての音が出るようになってきた。
音楽とはいえ、現象的に言えばすべては「脳から指令を受けた運動」である。
「脳からの指令通りの運動」ができるようになるのは、的確な理解と、たくさんの反復練習しかない。
毛筆や硬筆のレッスン時にも、最近はこの話は常套的にとてもよくする。
理解と練習のバランスや必要な量は個人差があるけれど、少なくとも皆そういうものである。
天才、と呼ばれるどちらも必要なくできてしまう人がいるかいないか知らないが。
そして、あるときうーっと運動を続けていてできないことも、数日後に不意にやってみると、「あれ、できる」ということが起こり得る。
スポーツや楽器を経験したことがある人であれば、この感覚は結構多くの人が持っているようで、とても理解してもらいやすい。
字を書くということは緻密な運動に他ならない、と偉そうに言ったりするのである。
まあでも、私もギターでいえば進歩が微々たるもの過ぎて、結局生徒さんに言っていることは全部自分に戻ってきてしまったりする。
ギターが上手くなりたい、と私は切に思うけれど、切に思うだけでは何にもならないし、そもそも切に思っているのか?という話にもなる。
ギターの弦が張り替えたい。
しかし、自分でやるとギターが壊れてしまいそうな気がする。
ストーンローゼズってとても雰囲気がある音がする。
ふと色々なアルバムをチョイスして聞くのだけれど、ストーンローゼズはいつも耳に止まる。
そして、その場の私の雰囲気を持っていかれる。
フラワーカンパニーズやミッシェルガンエレファントは、良い意味でかなり色合いが偏っている。
一発でわかるような、“彼、彼ららしい”というサウンド感がとても強固である。
曲作りというのもきっと、ある“自分”というものから逃れることは困難であろう。
しかし、出られずともそれからはみ出ようととする姿勢なのか、それを真っ直ぐ突っ切ろうとする姿勢なのかは、おそらく音楽というものの何かを司っているだろうなと思う。
あるいは他の姿勢もあるとは思う。
前者でも後者でも、他のものでも何でも良くて、しかしそのときのアーティストの姿勢というのは、大いに反映される。
横しまに吹雪く列車の全速力
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ac/49ab3784e8880cf98673cb06d35996bf.jpg)
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