私にもちょっとした創作意欲みたいなものはあって、そういうものは何らかの原因によって削がれたり、薄れたり、盛り上がったり、居ても立ってもいられなくなったりする。
削がれたり、薄れたりするのは、体力にきっちり紐づいている。
寝ていなかったり、心身が疲れていたりすると全然ダメだ。
1年ほど前、おそらく一番ブルーハーツやハイロウズの歌詞を書に起こしていた。
それがしたくてたまらなかったから。
存分にやる時間もあったし、今よりももっとその渦中にいた。
思えば結構長い間、長い文章のようなものを書いていない。
別に書かなくても良いのだれど。
私のスケベ心というか、心の贅肉というか、そんなものに優位になられている日々は、ある面で気が楽で、ある面で全然気が楽ではない。
最近やたら寝るのが早く、トータル的に寝ている時間が長いというのも、気持ち的に良いのか悪いのか微妙である。
個人事業主の難しさというのはこういう点にもあるわけだ。
すべては心の問題なので、私の心がオーケーであればオーケーである。
問題なのは、最近オーケーかどうかをよく考える時間がないというか、避けているところにある。
誕生日にもらった花たちが、いよいよ少しずつ萎れてきた。
青い花が、ハリを失って柔らかに萎れていく。
冬の弱い光がそれを照らして、青が淡く透き通っている。
緑の葉が付いていたものは、ひとつまたひとつと、黄色く紅葉していく。
だから私は秋の紅葉を手放しで感嘆をあげることはできない。
それ自体が死んでいないのだとしても。
菜の花は長い茎がぐきんと折れてしまった。
おそらく時期尚早で、菜の花にとって寒すぎるのだと思う。
スイートピーはその繊細なイメージとは裏腹に、まだまだハリを保って、しなやかな襞を描いている。
ミントとゼラニウムは、こんな季節だというのに、水差しで細い根が出てきた。
ミントは時々、葉っぱを一枚千切って香りを吸い込む。
どきっとするような、そして細胞が洗われるようなミントの生の香りがする。
ゼラニウムは葉を少し触るだけで、その手に芳しい香りのヴェールを纏わせる。
元気でいてほしくて、少しずつ新しくいてほしくて、伸びていてほしくて。
寒稽古諸行無常に見つめられ

削がれたり、薄れたりするのは、体力にきっちり紐づいている。
寝ていなかったり、心身が疲れていたりすると全然ダメだ。
1年ほど前、おそらく一番ブルーハーツやハイロウズの歌詞を書に起こしていた。
それがしたくてたまらなかったから。
存分にやる時間もあったし、今よりももっとその渦中にいた。
思えば結構長い間、長い文章のようなものを書いていない。
別に書かなくても良いのだれど。
私のスケベ心というか、心の贅肉というか、そんなものに優位になられている日々は、ある面で気が楽で、ある面で全然気が楽ではない。
最近やたら寝るのが早く、トータル的に寝ている時間が長いというのも、気持ち的に良いのか悪いのか微妙である。
個人事業主の難しさというのはこういう点にもあるわけだ。
すべては心の問題なので、私の心がオーケーであればオーケーである。
問題なのは、最近オーケーかどうかをよく考える時間がないというか、避けているところにある。
誕生日にもらった花たちが、いよいよ少しずつ萎れてきた。
青い花が、ハリを失って柔らかに萎れていく。
冬の弱い光がそれを照らして、青が淡く透き通っている。
緑の葉が付いていたものは、ひとつまたひとつと、黄色く紅葉していく。
だから私は秋の紅葉を手放しで感嘆をあげることはできない。
それ自体が死んでいないのだとしても。
菜の花は長い茎がぐきんと折れてしまった。
おそらく時期尚早で、菜の花にとって寒すぎるのだと思う。
スイートピーはその繊細なイメージとは裏腹に、まだまだハリを保って、しなやかな襞を描いている。
ミントとゼラニウムは、こんな季節だというのに、水差しで細い根が出てきた。
ミントは時々、葉っぱを一枚千切って香りを吸い込む。
どきっとするような、そして細胞が洗われるようなミントの生の香りがする。
ゼラニウムは葉を少し触るだけで、その手に芳しい香りのヴェールを纏わせる。
元気でいてほしくて、少しずつ新しくいてほしくて、伸びていてほしくて。
寒稽古諸行無常に見つめられ

