年が明けて、思えば丸一日休みというのが1日しかなかった。
生来の出不精の私がなんたることかと思っていた。
まあスケジュール調整は全て私がやっているのだから、私がいけない。
それに、丸一日、という単位で休みがないだけで、午前だけとか、夜だけとか、四六時中仕事をしているわけでは全然ない。
そしてそんな中で迎えた、年明け2日目の丸一日休みの昨日。
最近比較的寝るのが早いので、とてもよく寝て12時半に起床。
前日寝る前から私の気分はるんるんだった。
化粧もしない!コンタクトもしない!ブラジャーもしない!家から一歩も出ない!と決め込んでいた。
暖かい日だったようだけれど、私の部屋は相変わらず寒いので、やせ我慢はやめて昼間っから暖房をつける。
起き抜けから私の気分は、今日のこの日を何をしてもいいのだ、という明るい開放感に満ち満ちた。
お味噌汁を作って、トーストを焼き、コーヒーを淹れて。
軽いブランチをして、久しぶりに掃除をする。
久しぶりに掃除、といっても最近は定期的に人が来るので、表面的にはそれなりになっている。
しかし、床ときっちり向き合う掃除をしないと爽快感が得られない。
表面積の広い床と向き合うのは大変だけれど、表面的にざっと掃除しただけでは取れない汚れがたくさん取れる。
雑巾をこれでもかと汚してそのまま捨てるのは、私の一つの快感事なので、最後に玄関と共用部の床も拭く。
とてもすっきりしたところで、お茶を淹れて、途中になっていた「アカギ」のアニメを観ていたら再び寝てしまう。
私はたぶん、人よりも多くの睡眠を必要とする体である。
冷蔵庫にあったさまざまなもので焼うどんを作り、買ってあった草大福などを食べ、こちらもまた少し久しぶりに創作としての書道をする。
創作としての、といっても結果的に私の通っている書道教室の提出物に留まったけれど。
書道をやっているとき、私の心身は喜ぶ。
もちろん疲れているときやどこかが痛いときなどにやっても心身は喜ばないけれど、ある程度の状態から始めればいつもそれなりの喜びを私にくれる。
納得いくものができない、という領域の手前に、根底としてその喜びは存在するのである。
“リズムに乗る”とか“流れに乗る”とか、そんな見えないことが紙に出る。
「気脈」となり、「艶」となる。
それが乗れば、「むふふ」となる。
字を描く、ことが好き。
明日早いから、と無理やり切り上げてしまったけれど、もっとやっていたかった。
はっぴいえんどの「空とぶ・ウララカ・サイダー」とか、キリンジの「エイリアンズ」とかの詞も書いてみたい。
そうこうしているうちにまた次の展覧会の作品も進めねばならない。
やっぱりそういうことがしたい。
日々の私の心を、誰が可愛がってあげるというのか。
睨みつけ赤い壁紙毛皮の人
生来の出不精の私がなんたることかと思っていた。
まあスケジュール調整は全て私がやっているのだから、私がいけない。
それに、丸一日、という単位で休みがないだけで、午前だけとか、夜だけとか、四六時中仕事をしているわけでは全然ない。
そしてそんな中で迎えた、年明け2日目の丸一日休みの昨日。
最近比較的寝るのが早いので、とてもよく寝て12時半に起床。
前日寝る前から私の気分はるんるんだった。
化粧もしない!コンタクトもしない!ブラジャーもしない!家から一歩も出ない!と決め込んでいた。
暖かい日だったようだけれど、私の部屋は相変わらず寒いので、やせ我慢はやめて昼間っから暖房をつける。
起き抜けから私の気分は、今日のこの日を何をしてもいいのだ、という明るい開放感に満ち満ちた。
お味噌汁を作って、トーストを焼き、コーヒーを淹れて。
軽いブランチをして、久しぶりに掃除をする。
久しぶりに掃除、といっても最近は定期的に人が来るので、表面的にはそれなりになっている。
しかし、床ときっちり向き合う掃除をしないと爽快感が得られない。
表面積の広い床と向き合うのは大変だけれど、表面的にざっと掃除しただけでは取れない汚れがたくさん取れる。
雑巾をこれでもかと汚してそのまま捨てるのは、私の一つの快感事なので、最後に玄関と共用部の床も拭く。
とてもすっきりしたところで、お茶を淹れて、途中になっていた「アカギ」のアニメを観ていたら再び寝てしまう。
私はたぶん、人よりも多くの睡眠を必要とする体である。
冷蔵庫にあったさまざまなもので焼うどんを作り、買ってあった草大福などを食べ、こちらもまた少し久しぶりに創作としての書道をする。
創作としての、といっても結果的に私の通っている書道教室の提出物に留まったけれど。
書道をやっているとき、私の心身は喜ぶ。
もちろん疲れているときやどこかが痛いときなどにやっても心身は喜ばないけれど、ある程度の状態から始めればいつもそれなりの喜びを私にくれる。
納得いくものができない、という領域の手前に、根底としてその喜びは存在するのである。
“リズムに乗る”とか“流れに乗る”とか、そんな見えないことが紙に出る。
「気脈」となり、「艶」となる。
それが乗れば、「むふふ」となる。
字を描く、ことが好き。
明日早いから、と無理やり切り上げてしまったけれど、もっとやっていたかった。
はっぴいえんどの「空とぶ・ウララカ・サイダー」とか、キリンジの「エイリアンズ」とかの詞も書いてみたい。
そうこうしているうちにまた次の展覧会の作品も進めねばならない。
やっぱりそういうことがしたい。
日々の私の心を、誰が可愛がってあげるというのか。
睨みつけ赤い壁紙毛皮の人