つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

居座りの言葉

2012-11-18 23:59:24 | 日記
久しぶりにまともな料理でも作ろうと思い立って、普段は買わないじゃがいもやらピザ用チーズやらカブやらとり肉やら牛乳やらを買い込む。
特に最近は、なるべくいろんなものが汚れないものしか作っていなかった。
作るものと言えば、お味噌汁、鍋、うどん、そば、野菜炒めといったひとつのフライパンや鍋でできるものがほとんどだ。
ベーコンや油揚げは便利なのでたいてい冷凍保存してある。
一応、基本的な調味料は一通り揃っている。
いつもは調理時間も10分かからない。

実家にいた頃、けいこは林檎や梨の皮を剥いてくれなかったので、よく自分で剥いていた。
だから私は皮むきは結構上手い。

買ってきた野菜と肉をバターで炒めて、少し小麦粉をふって水を加えてコンソメで煮る。
牛乳を入れて塩胡椒、ひと煮立ち。
いつ買ったのか記憶にない乾燥パセリも散らして、最後にもう一度胡椒を挽く。
器に入れて、ピザ用チーズを乗せる。

野菜ととり肉のミルク煮。イングリッシュマフィンを添えて。

最後の胡椒を少し挽きすぎた。
けれど、なんだか美味しかった。
まともな料理と言ってみたものの、やはりフライパンひとつで炒めると煮るしかしなかったが。

料理上手な友人は、私が何の気なしにリクエストしてしまったタイ料理を振る舞ってくれた。
ガパオ、ヤムウンセン、トムヤムクン、生春巻き。

タイ料理は家で作るものという発想すらないものだから、改めて感心する。
ナンプラーとレモングラスとパクチー。
いつも思うけれど、好きなのか、どうなのか、好きなのか、どうなのか、好きなのか、というエスニック風味。
好きなのだと思う。

木枯らし1号が吹いたこの日。
私たちはまた、多摩川で空が広い!と言いながらあれこれ話す。
寒いのが大嫌いな私と、寒いのが大好きな彼女、映画の撮影をする彼女の旦那様。

初期不良のため返品したPCの交換品が届いた。
今度はなんの問題もなく懸念していたiTunesの移行もすべて正常に完了した。
初期不良と分かったときは面倒に殺されそうになったけれど、よかった、本当によかった。

何の問題もなければ、何の問題もなく私だってできるではないか。

私が通っている書道教室のあるカリキュラムをまたひとつ終えた。
と言っても、私と書道のあり方が変わるようなものでもないが、それまでの提出物がすべて返ってきて少し感慨深い。

誰かに強いられていない、という意味で、私は書道をいつでも止められる、止めてもいい。
重いとか疲れるとか高いとか汚れるとか、そういう大きな面倒を持っても、私は今書道を止められない。
最近あまり拝見することもなくなったが、先生のパフォーマンスや教えには今でも新しさがある。
本当に稀にだけれど、自分が書いた作品が良いなあと思うこともある。

しかしながら、やろうと思えばもっとできることを、怠慢、という理由でやっていないことがたくさんある。
出すべき提出分を私は毎月3つくらいは出していない。
単純な趣味の世界においての自分への縛りは、あり方が難しい。
それは本当に、私がやりたいようにやればいい、ただその一点に尽きるのだけれど。

「心血注いで頑張る」とか「全力を尽くす」とかへのやり方や向き合い方がわからない。
そもそも、その是非もわからない。
結構、ややこしい。



アイキャントゲットノーサティスファクション

2012-11-16 23:09:27 | 日記
人は一般的に他人に悪く思われたくないから、相手のことをずばり指摘したりはしない。
たぶん、そういうものだと思う。
もちろん、その人との間柄や新密度によって、時に相手を思って進言することは確かにある。

初対面や親しい間柄でない場合は特に、なんとなく、やんわりと、というのが所謂「普通」だと思う。

だから、衝撃的だった。
利害関係が絡んでいるからとは言え、それにしても衝撃的だった。
傷ついた、とかいうことはさほどないし、その人に対して人間的拒否感を抱いた、ということも全くない。
それにしても、衝撃的だった。

確かに、指摘されたことが図星な面も確かにあるから衝撃度が大きかったのだとは思うが、人に対してそこまではっきりと言う人がいるのだという、驚きであった。
他人を指摘するとき、自分自身がその指摘箇所をクリアしていないとできないはずだ。

仕事が関係すると、自分のあり方を見直さなければいけないこともあるだろう。
不得意なことも時にしなければならないし、気持ち良さを追求する場所でもない。
しかし、仕事の時間というのは人生においてとても多くを占めるから、あまりに不得意なことを続けることは私はできないし、そこに気持ち良さを求めることもしてしまう。

甘い、と言われればそれまでだけれど、私の仕事における能力の最大化は私自身の心地よさのようなものと比例するような気もする。
それに、心地よさ、なんて言っていたって多少のストレッチは強いられる。

ただ、戦闘力が99止まり、正確には私はそのゲームがわからないので数字は覚えてないが、などと言われるとカチンとくるし同時にそうかもしれない、とも思う。
思い返すに、最近仕事に全力かと言われると全力でない気もするし、仕事に全力を出せるのか、と言われるとその自信もない。

私はどうしたいのだろう。
私はどうなりたかっただろう。
私はどうすべきだろう。

新しい人間を見た。
と同時に考えなくいけなくなった、考えるきっかけを得た、とも言う。

誰かに褒められることや誰かに認められること、誰かに否定されないこと誰かを否定しないこと、そんなことを求めたり気にしたりする。
しかし人との関わりの中で生きている以上、人から影響を受けるのは必然なもので、新しい接触があってこそ枠外の自分に気付いたり知れたり、時に成長したりする。
相手の言うことを飲むにしても、飲まないにしても。

久しぶりに少し新しさへの消化不良のせいでカオスだ。
人生は自己満足のためにあるべきだ、と思うことには変わりはない。

ただ、この話の大筋は、大いなる衝撃を食らった、というところにある。



オオカミの自信

2012-11-15 13:52:51 | 日記
時々、人が死ぬ夢を見る。
それも身近な誰か、多くの場合は肉親。
夢うつつの状態で、それが夢であることを知り、その瞬間に現実とリンクする。

夢が夢であった事実と、現実が現実である事実。
秋の朝のさらさらした布団の中で、自分自身にまたかと思いながら、矛盾する思いが溢れ出す。

夢に現実の何か予言のようなものを考えたりもするが、ただの一度も当たったことも感じられたこともない。
感じられたらいいのだけど、感じられない。

私の死生観というのは父の死をきっかけに一変していて、色々なことを考えてきたけれど、全てを丸く考えることも未だできずにいる。
過去を美化することが得意なはずの私が、美化どころか、このことに関して言えば矛盾が膨れ上がってしまった。

それでも6年目のビッグウェーブが次第に収まりつつある今、私は私と決着をつけたいと思う。

確かなこととして、今が私のひとつの転機であり、脱皮期だ。
脱ぎかけて新しく現れた皮膚は、柔らかくて、透けてしまうくらいに薄い。
吹く風にすら過敏な皮膚は、温かさにも冷たさにも過剰に反応する。
それは時に痛く沁みて、時に気持ちが良い。
そんなむき出しさは少しずつすこしずつ、外気に馴染んで、新しいものとして定着しつつある。

脱ぎ切れるかはわからないけれど、ひとつの試みをしようと思う。
またいつか、必要なときにいつでも、脱げるように、脱ぐことを恐れないように。


厚削りの鰹節から出汁をとってお味噌汁を作る。
気温が下がって、また頻繁にお味噌汁を作るようになった。

けいこに送ってもらった地元の豆味噌。
タッパーに移してしまった味噌の賞味期限がわからないのだが、見た目も味も匂いも問題ないので問題ないだろう。

豆腐と、油揚げと、なめこ、少し生姜をする。
つるつるのなめこがぽこぽこと浮いている。

世の商品の、ヒアルロン酸でうるうる、というのは解せないけれど、生姜パワーでぽかぽか、というのはとても納得。



不均衡な外面

2012-11-13 14:00:21 | 日記
手続きは相当時間がかかったものの、無事にiPhone5が手に入って何とか使っている。
懸念した初期不良もとりあえずは大丈夫そうだ。

Androidの画面の操作感はつるっとしていて、iOSはさらっとしている。
車で言えば、外車のハンドルは重くて、日本のハンドルは軽い、みたいなそんなところだろう。
運転など高校生のときに免許を取得してから初めだけ、合計5回くらいしかやったことはないが。

意図した幅や強さの動きをしてくれるという点で、確かに操作感はiPhoneの方が良い。
しかし、戻るボタンがなかったり、検索窓がデフォルト状態でなかったりと、なくて初めて困ることも結構ある。

何より、今までデバイスがなくて入れられなかった音楽がiTunes丸ごと入ったことが嬉しい。
家でしか聴けなかったあれやこれがいつでも聴ける。
それでもやはりプレイリスト化しているiPod shuffleをメインで使うだろう。
どの服にも挟めて軽くて小さくて、耳と音楽との関係が簡素な感じが良い。
Blue Toothという機能のことも聞いたことはあるし調べることくらいできるのだけれど、無理な背伸びはやめておこう。

おそらくほとんどの問題は慣れが解決してくれるだろう。
皆が知っていて、至極便利な機能やアプリを私はこの携帯を変えるまでずっと知らないのかもしれないなあと思う。
最後の最後までまで知らなかったら、私的には知らなかったことにもならないからそれはそれでいいかとも思う。


自分がとても低い位置から空をバックに花の写真を撮っていると、このまま花と一緒に逆さまになりたいとよく思う。
遠くの空に向かって、花はそれを突くように伸びて咲く。

INFOBARのカメラでできなかったのだが、iPhoneカメラでは、逆光でもその手前の被写体に焦点を当てることができて、シルエットでなくて色をちゃんと写すことができる。
この場合はバックの空は空色ではなく白く映る。

加工技術や前知識がないから、やってみてそうなのだと知る。
とりあえずそんなでいいのだ。

岡本太郎は、スポーツ観戦や映画鑑賞を好まないと糸井さんが言っていた。
私は特にスポーツ観戦をしないが、映画鑑賞や美術鑑賞はする。
でも、実際にやることによってのみ得られる興奮、というのは受け手としての興奮とは全く性質の異なるものだということはなんとなく理解ができる。
上手いや下手でない世界というのは確かに存在するのだろう。
またその興奮は、どんな評価よりも心地よいものだろう。

気がかりなことがある。
私が気にかける類のことではないことくらい承知しているのだが、どうしても気がかりで仕方がない。
それは、相手のことを気にかけているわけではなくて、それを気にかける自分のことが気がかりなのだと思う。
思いやりや優しさのようなものも、廻りまわって自分のためということを思い知る。
それでも気がかりなのだからどうしようもない。

ややこしい人間である分、面白い。
と私の友人が言っていた。
随分とややこしい話であるのだが、面白いならいいかとも思う。
でも、やっぱり、ややこしいことにはややこしい。

いまにも目からこぼれそうな
涙の理由が言えません
今日も明日もあさっても何かを探すでしょう



待っててね

2012-11-12 13:44:41 | 日記
案の定、というにはものすごく確率の低い話だと思うのだが、新調したPCに初期不良があった。
元のPCから音楽データとごく一部の写真を外付けHDDにコピーして、初期設定を問題なく済ませて、iTunesやらDropBoxやらをダウンロードして、そこまでとても順調だった。
しかし間もなくして、Windowsが勝手に再起動を始める。

この現象、以前古いPCでも起こったことがあって、まさかとは思ったがエラー画面も似ているし「あぁ」と一瞬吐き気がして、落胆した。
電話やらメールやらで問合せをして、不良であることを伝え、商品を再度梱包して発送して・・・また何度かやり取りをしてまた受け取って・・・。
という一連の面倒が目に見えるし、その対応はおそらく順路が整っておらずたらい回しにされるであろうと想定するから苛立ちまでも含めて本当に滅入る。

途端に、数年前のあのときの状況がフラッシュバックする。
マンションの4階、いもうとと一緒に住んでいた広い部屋のリビングで、赤いカーペットとイケアの白い机、大きなオレンジのビーズクッション、洗濯物がカーテンレールにかかっていて、季節は今と同じ秋が深まった頃。
クリストファーヴァインのマグカップでコーヒーを飲んでいた。
夕陽の射す部屋で、温かみのあるオレンジの光が洗濯物を通して充満し部屋が滲んでいた。

よほど印象的だったのだなあと思う。

そのときは使用1年ほど経っており、データのバックアップを一切取っていなかったので、初期化を余儀なくされあえなくPCのハードにあったデータは全て消え去った。
とはいえ、元々写真などはあまりなかったし、その頃の音楽データと言えば、お気に入りは8GBのiPodnanoに入る程度のものだったので、データが消えたことに関しては災難にすっきりしていたくらいだった。

とりあえず、メーカーに電話をし、言われるように初期化をして再設定を行う。
やはりそれでもWindowsはエラー画面と再起動を繰り返す。
メーカーに再度連絡をすると、販売店の方で交換をした方が早いかと思います、とのこと。
たらい回し、なのか何なのか。
販売店に連絡をすると、この商品は完売しているため交換できない場合は返金となります、とのこと。
あぁ、何たること。

私の知識や技術不足でデジタル機器と相容れないのは仕方のないことであるし、過去の不具合が私が知らず知らずのうちにダウンロードした何かでウイルス感染していた可能性はなきにしもあらずかとは思うが、今回はれっきとした運の悪さによることだ。
いったい、何千分の1の確率でこんな不良があるというのだろう。

PC、ステレオコンポ、携帯電話、iPod、他にもあるように思うが、安いもので諦めのつくものはもうクレームも面倒なのでそのまま買い替えたりしてきた。
私がデジタル機器が苦手であるという波動がなんらか影響を及ぼしてしまっているかもしれないことは、オカルト的だけれどいよいよ否定できない。

それに、私が年末までにやりたかったことは、PCがないとできない。

今日取りに行くiPhoneは、どうかそのようなことがありませんようにと私には願うことしかできない。

昨日届いた「日曜日よりの使者の詩(うた)」
ヒロトがどのように歌詞と曲をつなげているのか、どの順に作っているのか知らないが、詞だけを独立させてみると、鋭さや切なさがうるささを失った分際立って、その発想力と表現力に驚く。
ヒロト、という名前がなぜカタカナなのか、その理由のような歌詞もあった。

『情熱の薔薇』の歌詞で、私は「花瓶」をずっと「他人」だと思っていた。
「他人」に水をあげるだなんて優しいなあと。
しかし、考えてみれば確かに、自分の心の中のことを言っている歌だ。

マーシーの詞集もあれば是非欲しいのだが。

その流れで今家にある6枚のブルーハーツとハイロウズのDVDをすべて観返す。
これは壊れなかった新しいホットカーペットの上で延々体育座り。

中途半端な気持ちじゃなくて、本当に本当に大好きだ。
会ってどうなってしまうか分からないけど、会えるものなら本当に会いたい。

情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方