つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

光のレスポンス

2012-11-09 14:41:38 | 日記
ブルーハーツの楽譜を買った。
家に楽器は何もない。
それに、かろうじて、本当にかろうじて扱えるのはピアノくらいなもので、コードもものすごく基本的なものしかわからない。
ギターとベースの違いも、最近弦の数が違うということを知ったレベルだし、最近はボーカル以外の音も私なりによく聞こえるようになってはきたものの、何がそういう音を出しているのかはわからない。
でも、自分で触った楽器からブルーハーツの音が出たら・・と思うともう考えるだけでそわそわするしどきどきする。

実際のところ、この楽譜を買ってしまったのは、「BLUE HEARTSの写真も多く載っていて、買ってよかったです」というレビューを見て衝動が止められなかったというのは本当のところだ。
とはいえ、バンドスコアを買っても仕方がないので弾き語りの楽譜にした。
ちなみに、バンドスコア、という言葉もまさに今調べて知った。

実家に帰った時にピアノでも触ってみよう。
家にキーボードを置く場所があれば、ぜひ欲しい。
そのうち、バンドがやりたい、と言い出しかねない。

最近の私がやっていることはまるで男子中学生のようで、所謂「中二病」といわれても仕方がないのだが、一応物事には27歳なりの立ち会い方をしていると思う。
おそらく。
それに、自活している。

ついでに、「日曜日よりの使者の詩(うた)―甲本ヒロト全詞集」という本も買った。
この本は前から存在は知っていた。
ヒロトは自分の書いた歌詞だけが切り出されることをもしかしたら好まないのかもしれないが、次の書道の展覧会でと考えているのでまとまった本があることはありがたい。
でも、これにはマーシーの詩は載っていない。
詩で言えばマーシーのものの方が展覧会には向いているものが多いような気はする。


新しいPCと外付けHDDが届いた。
安かったが、意外に黒くマットで武骨で可愛げがない。
しかし、あまり悪く言うとそのせいで初期不良が出たら困るので、愛着の意味を込めて使い道のなかったファッション誌についていたキティちゃんのシールを貼ってみる。

キャラクターに特に興味はないが、ミッフィーやハローキティは幼稚な感じの他にスタイリッシュさもあるように思う。
簡素な線と、少ない色をベタ塗りにした絵は、潔くてかわいい。
私の冷蔵庫には、ディック・ブルーナが描いた均整の取れたひとつの大きな白い花のポストカードが貼ってある。
それに、彼らの家族設定や物語はなかなか興味深い。

学生時代に買った瀕死状態のPCからiTunesを救う。
色んなダウンロードや設定をしなければならない。
問題がない、ということはないだろう。


嬉しいことを、嬉しい、と表現できる人でありたい。
嬉しいことを、嬉しい、と最大にして感じられる人間でありたい。
また、そういう人を見ていたい。
たぶんそれはその逆も同じ振れ幅で感じてしまうこともついてくるけれど、それでも。

今まで避けてきたものや軽蔑していたこと、見て見ぬふりをしてきたこと。
そのときにそう思っていたことはその時点では本当だから仕方ないけれど、色々と謝りたい。

湯島で咲きかけていた糸菊。
軽やかに、可憐に踊っているバレリーナのよう。
でもそれを支えるのはつま先だけで。

強く、しなやかな躍動。



聞こえますか

2012-11-07 21:38:31 | 日記
ブログのつながりで、久しぶりにお会いしてからまたお会いできた方がいた。
その方がきっかけで私は数年前にブログを始めた。

ブログにおけるコミュニケーションのあり方は、書き手がいて読み手がいて、コメント機能などを含めると双方向的であると言える。
しかし、同じく双方向的であるソーシャルネットワークサービスに比べると、書き手の権力がより強く、読み手もより自発的である。
また、意図しない限り読み手は放射的に広がったりはしない。
書きたい、と、読みたい、もしくはネット上やリアルでに関わらずそれについてコメントしたい、という双方の意志がないとブログ上のコミュニケーションは成立しない。

シンプルであり、孤独。
しかしそのシンプルさと孤独さが好きで、どのソーシャルネットワークサービスにも馴染めずにブログというスタイルで何かを綴り続けている。

お会いするにあたり、失礼があったことを恥じながら、ブログをやっていて良かったなあと思いながら、「青空」を聞きながら、家までを歩く。

帰ってシャワーを浴びて、夜遅くに、もうしばらく会ってない方から連絡をもらった。
別に変な意味はなくて、元気にしてますか、また会いたいです、という内容だった。

人と人との関係が繋がっていくのはこういうことだと思う。
どちらかからの能動的なアプローチ以外にはありえない。
だから、私も会いたい人にはなるべく自分から会いたいと言う。

時間が空いてしまったから連絡をするのが気が引けるとか、自分の忙しさや相手の忙しさやタイミングを図り過ぎたりとか、単純にそこまでの気持ちでなかったりとか、連絡をしないのには色んな理由はある。
でも、それでも、と思える関係が私は大事だし好きだ。

周りには他人しかいない東京で、だから私は東京が好きで東京にいる。

私は密な人間関係を作るとき、ほとんど1対1の関係を作る。
というか、そうしたいと思ってきたわけでなく、気づいたらそうなっていた。
人と人とが交われるのはほんの一部分だけで、どんなに親しくても完全に理解できることなど毛頭ない。
だから、私を基軸にして誰かと交わっていても、その誰かと交わっている他の誰かと私が交われる可能性は低い、と私は思っている。
当たり前だけれど、人には合う合わないはあるし、みんなと同じように交われるということはない。
私がソーシャルネットワークサービスを好まない理由のひとつはこれかもしれない。

ひとりでしたいことやひとりで楽しめることはそうすればいい。
音楽や文章にぎゅうっとさせられることなどはそうだ。
でも相手がいないとできないことや、相手がいることでもっとずっと楽しめることがある。
それに、その相手によって、ぎゅうっとさせられることがあるとすれば、なんて素晴らしいことなんだろうと思う。

誰かと密でありたい、という望みはできれば叶えられるといい。
しかし、他人の気持ちや他人の都合は、私の気持ちや私の都合ではない。

誰かと一緒にいて、面白いとか嬉しいとか、ぎゅうっとなるとか、確かにあることを知っている。
誰かと時間を共有したり紡いだりすることは、面倒や迷惑すらも含めて尚、本当に貴いものだと思う。
だから、そんな貴いものを何となくで先延ばしにすることはなるべくしたくない。
明日、自分自身やその誰かが死んでしまう可能性など限りなく低いとしても。

すべて、縁、という言葉で片付けることもできるけれど、自分を豊かにしてくれる誰かへの敬意をもって、謙虚に柔軟であることも肝に銘じながら、関係を能動的に作りたい。
私が面白いと思う誰かに、私は面白い人間だと思ってもらいたい。
私が好きな誰かを信頼したいし、その誰かに信頼される私でありたい。


もう期は熟した。
今年が終わる前に、ひとつ、ずっと考えてきたやりたいことをやろうと思う。



眩しいマンション

2012-11-06 14:25:26 | 日記
少し前まで夏だったことは間違いないのだけど、11月は晩秋であり、実際に寒いことを思うと当たり前のように季節が進んでいることを実感する。
いつから分厚いコートやダウンジャケットを着ていいのだろう。
いつからヒートテックを着ていいのだろう。

世間の季節感ということもそうなのだが、今年は私自身の季節の過ぎ去り感が乏しい。
夏のスポット的な思い出の余韻を楽しんでいたり憂えていたりをし過ぎてしまって、9月も10月も夏を引きずってしまって今に至る。
元々夏が一番好きな私が、ここ最近で一段と色濃い今年の夏に置き去りにされている。
今年は晩夏の切なさや悲しさをそんなに感じずに済んだと思っていたのだが、単純に夏に麻痺していたという方が正しかったのかもしれない。

6月と9月に挟まれたのが夏じゃない、とはいうものの、寒いという体感には抗っても逆らえない。

ぴあでお気に入り登録しているアーティストのライブ情報が次々に届く。
どこかのサイトで買い物などをしても、メルマガはほぼ拒否設定をする私であるが、このお知らせメールは本当にありがたいなあと思う。

年末に大阪で行われるRADIO CRAZYというフェスに行きたい。
クロマニヨンズが来る。
それだけでももう十分に大阪まで行く理由になるけれど、Hi-STANDARDが来る、PUSHIMが来る、The HIATUSが来る、[Champagne]が来る、あとよくわからないけれど、Weezerのボーカルが参加しているScott & Riversも来る。
サカナクションも来るのだけど、どうしてこんなに興味がなくなってしまったのかわからないのだが、どちらでもよくなってしまった。

ものすごく、ものすごく、ものすごく、行きたい。
ヒロトが見たい、マーシーが見たい。
生のロックバンドが見たい。

音楽フェスの存在自体を、つい数か月前に初めて肌で認識した。
フジロックという大きな大きなフェスに、一度だけ。
フェスは夏限定のものではないのだと、今知った。

しかしながら私は年末は日本にいないのであって、それはそれですごく楽しみなのだが。

もうサイトを見るのはやめよう。
ビートルズの情報でも集めようではないか。



4pieces

2012-11-04 23:40:16 | 日記
カレンダーをめくる。
クリムトの絵でかつて私が一番好きだった絵が出てきた。
好きな絵も、変わる。

あと2ヶ月もしないうちに2012年が終わる。
今年は去年に引き続いて転換期のためいろいろあったが、振り返るにはまだ早い。

この部屋に引っ越してから、カレンダーを毎年買っている。
蜷川実花、ピカソ、クリムト。
4年目の来年は、シャガールと迷って、マティス。

翌月以降の絵を見ないようにしていて、月初に一枚めくるのは小さな楽しみ。

絵のことは何もわからないし、落書きですらできない私だけど、色の世界は好き。
あとは、書き手がどうしてここをこんな風に描いたのだろう、どうしてこんな色使いにしたのだろうと、思いを馳せることも好き。

アートは全部、言うなればその成果物は作り手の排泄物でもある。
何はともあれ、その人から生まれ出でた何か。
善し悪しは二の次に、尊い。

花瓶の水を替える。
小分けに花を生けていたら6つもの花瓶に花がある。

カスミソウはよく見るとその小花を次々に咲かせ、咲いた小花は白色を褪色させながら水分を失っていく。
ガーベラはV字から水平を経て、重力に従いその花びらを反らせていく。
ガーベラもまた鮮やかで強く濁りのないオレンジ色から褐色が混じっていく。
放射状に開いた糸菊もまた、外側から朽ちて色を失う。

今いる花たちは花びらを散らさない。

土に根付いたポトスだけは、日の当たらない窓際で必死に葉っぱの全面を明るい方へと向けている。
絶えず、若葉色。

自転車を新しくする。
愛車は、通勤時に置いている駐輪場には屋根がなく幾度も雨ざらしになっていて、チェーンが錆び付いてしまっていた。
ベルは人に聞こえないくらいの掠れた音しか鳴らないし、ペダルをこぐ度にキュルキュルやカリカリと音がして、変速切り替えはうまくやらないとチェーンが外れてしまう。
油をさすなどは試してみたものな効果はなかった。
まさに、瀕死の状態だった。

最後に愛車に乗って、キュルキュル、カリカリと鳴らしながら自転車屋に行く。
前回と同じく、タイヤが27インチ、カゴ付き、横止め、変速切り替えあり、2万円以内。
それ以外はデザインで決める。

白と黒のパンダ色の自転車。
手続きを済ませ、帰りに乗って初めて気づいたが、手をかけるところがフラットでなくカマキリの手のようになっている。
慣れないこともあるし、フラットの方が乗り姿が良いような気がする。

少し後悔しながらいつもの道を走る。
切り替えもこぐ感じも鍵をかけるのも、とても軽快。
私はなんだか、もうこのパンダ号が好きになった。
こまめに油をさそう。

よく晴れた休日の朝、スマッシュマウス。
青さはさほどないけれど、明るい。
よく晴れた休日の朝、ひんやりと澄んだ空気と熱いコーヒー。
時間的には朝ではないけれど、いろんなものがちょうどいい。

The music とarctic monkeysはたぶんもう聴くことはない。

湯島の菊は、今年も圧巻。

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