★ 岸田さん「君が代」修正処分裁判・控訴審 3月15日(火)13:30~東京高裁511
~炎は消えず「日の丸・君が代」強制に抵抗する小・中学校教員の記録から~
◆ 「君が代」修正処分裁判は、まだ続きます。
定年退職日の約一週間前の卒業式で、私は「君が代」ピアノ伴奏の職務命令に従わなかったと、停職一か月処分になりました。
5回目の処分でしたが、4回目との間に4年余の年月が隔たっています。この4年余の期間は特に、大袈裟でなく四六時中葛藤でした。退職後の今も、その葛藤の記憶は、突然に、鮮明に、押し寄せてきます。
2003年度の卒業式から、小学校音楽専科教員の私には、「君が代」ピアノ伴奏の職務命令書が手渡されてきました。
私のこの手で「君が代」の伴奏を弾くように、そして子どもたちが『「君が代」をウタえる』指導をするようにと、職務命令、処分、異動を繰り返されながらの日々は、人権侵害の何物でもありません。処分は累積され、停職処分が予想されるようになりました。
職務命令が撤回されない以上、停職処分を避けるには、「君が代」の時に「会場にいない」ことです。私は、一日休んだ時は、自宅の庭で曇り空を見上げている振りをしました。遅刻をして、会場の外で「君が代」が終わるまで息を潜めていたこともあります。
学校は、子どもが子どもたちの中が育つところです。教員は、子どもたちの人権を守り自由を保障してゆかなければなりません。そもそも都教委の「10・23通達」、校長の職務命令が問題であり違憲だと百も承知で、けれど現実は、私は、処分も辞さない行動がいいのか、処分を逃れた方がいいのか、どちらも選択できない選択を、天秤にかけました。
弾いてしまおうか。立ってしまおうか。うとうとしては眼が覚める。子どもたちは、「目が赤いよ。花粉症?」と無邪気に尋ねました。
せめて「君が代」を弾く姿を見せない、立つ姿を見せないから良いのではないかと声をかけてくれる仲間もいましたが、停職処分を避けるためとはいえ、結局は自分だけ逃げて、子どもたちを「君が代」の中に置き去りにしてきました。人権を侵害され続けた私が、子どもたちの人権を守ることができなかったのです。
私が主張し続けたのは、「日の丸・君が代」を国旗・国歌と認められない私に対して職務命令を出してまで認めさせないでほしい、私のこの手で伴奏をさせないでほしい、子どもたちに歌うことを強制させないでほしいとの訴えだけです。
私は、勤務校のどの校長とも話し続けました。話したくない相手もいたけれど、結構図々しく押しかけて話す機会を作りました。職務命令が出されてからは、連日校長室の戸を、平気そうに叩いて、職務命令の撤回を訴えてきました。
これを続けた結果がどうなるのか、途方に暮れたり迷ったり怒ったり不安になったり、とにかく続けられるだけやってみようと思っていました。職務命令が撤回された状態で、自分の内面と外面が一致する行為を採りたい。職務命令を撤回させることができたら、それは私にとっては、最も強い抵抗のかたちと、自分で自分を励ましながら、緊張の気持ちに震えながら、図々しく平気そうに振る舞いました。けれど、いつでも結局は、どの校長も職務命令を出し、撤回することもしませんでした。
2010年3月30日の停職一か月処分は、翌31日一日とはいえ、実行されました。つまり、私の35年間の教員生活最後の一日は、停職だったのです。
処分の取り消しを求めた都人事委員会は、約3年後に減給一か月処分に「修正する」裁決を出しました。
「修正」処分も不当ですが、しかし都教委の停職処分は、少なくとも間違っていたという判断なのです。けれど都教委は謝罪どころか、停職の一日も、私の「最後の一日を返して!」の訴えも、なかったことにしました。
2015年10月8日の東京地裁判決は、都教委による停職一か月処分と、都人事委員会で修正裁決された減給一か月処分を取り消しました。
これまでの「君が代」処分撤回の闘いを引き継ぎ、これからの闘いにつなぐごとができる、大きな一歩だと思いました。また、都人事委員会裁決の懲戒処分を裁判所が取り消したのは、初めてのことだそうです。過去の処分歴は理由にならない、累積加重の減給一か月処分は裁量権の逸脱、との判断も出ました。
しかし、判決文の内容には不満が残ります。職務命令やそれに続く懲戒処分が、私の場合は特に憲法第20条、そして第19条、第26条に違反するとの主張は、『採用することができない』と、正面から応えていません。
弁護団が提出した73ページに及ぶ最終第6準備書面には、冒頭から憲法第20条にかなりのページを割いています。
憲法第20条判断の最高裁判決は、これまで愛媛玉串料事件と剣道実技拒否事件など、そんなに多くはありません。最高裁が憲法第20条判断をしていないのだから、地裁では先んじて判断しないのでしょうが、準備書面上これだけのページで、これだけの展開をしていますし、日本聖公会奈良基督教会井田泉司祭の意見書、日本聖公会「正義と平和」に関する決議や声明もあまねく証拠になっているのですから、東京地裁判決でも憲法第20条について、堂々と向かい合ってほしかったと思います。
法の番人であるはずの裁判所が、多様な生き方を認める憲法を無視し、校長の職務命令は一足飛びに合憲と、これまでの「君が代」処分裁判の判決同様、憲法判断を避けました。
悔しい判決文ではありましたが、『・・・キリスト教信仰と君が代の解釈等が結びついた原告の主観的認識を基準にすれば、本件職務命令及び本件処分は、その一般的、客観的な性質いかんにかかわらず、原告にとっては、原告の信仰とは相容れない行為を行うことを強制する行為として受け止められることになる。この意味において、本件職務命令が、原告の信教の自由についての制約となる面があることは否定しがたい。』(判決文33ページ)の一文は、小さな一歩だと思いました。
都側は控訴をしました。「君が代」修正処分裁判は、次は東京高裁の場で、再び憲法判断について、さらに全面展開をしてゆきたいと思います。
~炎は消えず「日の丸・君が代」強制に抵抗する小・中学校教員の記録から~
◆ 「君が代」修正処分裁判は、まだ続きます。
岸田静枝
定年退職日の約一週間前の卒業式で、私は「君が代」ピアノ伴奏の職務命令に従わなかったと、停職一か月処分になりました。
5回目の処分でしたが、4回目との間に4年余の年月が隔たっています。この4年余の期間は特に、大袈裟でなく四六時中葛藤でした。退職後の今も、その葛藤の記憶は、突然に、鮮明に、押し寄せてきます。
2003年度の卒業式から、小学校音楽専科教員の私には、「君が代」ピアノ伴奏の職務命令書が手渡されてきました。
私のこの手で「君が代」の伴奏を弾くように、そして子どもたちが『「君が代」をウタえる』指導をするようにと、職務命令、処分、異動を繰り返されながらの日々は、人権侵害の何物でもありません。処分は累積され、停職処分が予想されるようになりました。
職務命令が撤回されない以上、停職処分を避けるには、「君が代」の時に「会場にいない」ことです。私は、一日休んだ時は、自宅の庭で曇り空を見上げている振りをしました。遅刻をして、会場の外で「君が代」が終わるまで息を潜めていたこともあります。
学校は、子どもが子どもたちの中が育つところです。教員は、子どもたちの人権を守り自由を保障してゆかなければなりません。そもそも都教委の「10・23通達」、校長の職務命令が問題であり違憲だと百も承知で、けれど現実は、私は、処分も辞さない行動がいいのか、処分を逃れた方がいいのか、どちらも選択できない選択を、天秤にかけました。
弾いてしまおうか。立ってしまおうか。うとうとしては眼が覚める。子どもたちは、「目が赤いよ。花粉症?」と無邪気に尋ねました。
せめて「君が代」を弾く姿を見せない、立つ姿を見せないから良いのではないかと声をかけてくれる仲間もいましたが、停職処分を避けるためとはいえ、結局は自分だけ逃げて、子どもたちを「君が代」の中に置き去りにしてきました。人権を侵害され続けた私が、子どもたちの人権を守ることができなかったのです。
私が主張し続けたのは、「日の丸・君が代」を国旗・国歌と認められない私に対して職務命令を出してまで認めさせないでほしい、私のこの手で伴奏をさせないでほしい、子どもたちに歌うことを強制させないでほしいとの訴えだけです。
私は、勤務校のどの校長とも話し続けました。話したくない相手もいたけれど、結構図々しく押しかけて話す機会を作りました。職務命令が出されてからは、連日校長室の戸を、平気そうに叩いて、職務命令の撤回を訴えてきました。
これを続けた結果がどうなるのか、途方に暮れたり迷ったり怒ったり不安になったり、とにかく続けられるだけやってみようと思っていました。職務命令が撤回された状態で、自分の内面と外面が一致する行為を採りたい。職務命令を撤回させることができたら、それは私にとっては、最も強い抵抗のかたちと、自分で自分を励ましながら、緊張の気持ちに震えながら、図々しく平気そうに振る舞いました。けれど、いつでも結局は、どの校長も職務命令を出し、撤回することもしませんでした。
2010年3月30日の停職一か月処分は、翌31日一日とはいえ、実行されました。つまり、私の35年間の教員生活最後の一日は、停職だったのです。
処分の取り消しを求めた都人事委員会は、約3年後に減給一か月処分に「修正する」裁決を出しました。
「修正」処分も不当ですが、しかし都教委の停職処分は、少なくとも間違っていたという判断なのです。けれど都教委は謝罪どころか、停職の一日も、私の「最後の一日を返して!」の訴えも、なかったことにしました。
2015年10月8日の東京地裁判決は、都教委による停職一か月処分と、都人事委員会で修正裁決された減給一か月処分を取り消しました。
これまでの「君が代」処分撤回の闘いを引き継ぎ、これからの闘いにつなぐごとができる、大きな一歩だと思いました。また、都人事委員会裁決の懲戒処分を裁判所が取り消したのは、初めてのことだそうです。過去の処分歴は理由にならない、累積加重の減給一か月処分は裁量権の逸脱、との判断も出ました。
しかし、判決文の内容には不満が残ります。職務命令やそれに続く懲戒処分が、私の場合は特に憲法第20条、そして第19条、第26条に違反するとの主張は、『採用することができない』と、正面から応えていません。
弁護団が提出した73ページに及ぶ最終第6準備書面には、冒頭から憲法第20条にかなりのページを割いています。
憲法第20条判断の最高裁判決は、これまで愛媛玉串料事件と剣道実技拒否事件など、そんなに多くはありません。最高裁が憲法第20条判断をしていないのだから、地裁では先んじて判断しないのでしょうが、準備書面上これだけのページで、これだけの展開をしていますし、日本聖公会奈良基督教会井田泉司祭の意見書、日本聖公会「正義と平和」に関する決議や声明もあまねく証拠になっているのですから、東京地裁判決でも憲法第20条について、堂々と向かい合ってほしかったと思います。
法の番人であるはずの裁判所が、多様な生き方を認める憲法を無視し、校長の職務命令は一足飛びに合憲と、これまでの「君が代」処分裁判の判決同様、憲法判断を避けました。
悔しい判決文ではありましたが、『・・・キリスト教信仰と君が代の解釈等が結びついた原告の主観的認識を基準にすれば、本件職務命令及び本件処分は、その一般的、客観的な性質いかんにかかわらず、原告にとっては、原告の信仰とは相容れない行為を行うことを強制する行為として受け止められることになる。この意味において、本件職務命令が、原告の信教の自由についての制約となる面があることは否定しがたい。』(判決文33ページ)の一文は、小さな一歩だと思いました。
都側は控訴をしました。「君が代」修正処分裁判は、次は東京高裁の場で、再び憲法判断について、さらに全面展開をしてゆきたいと思います。
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