岡山中央郵便局における「郵政期間雇用社員雇止め裁判」で、最高裁は、9月14日、会社側の上告不受理を決定し、萩原和也さんは解雇撤回の全面勝利をかちとった。この裁判は、有期契約労働者の雇い止め訴訟で、新たな判例法理にもなり得る。
=岡山ゆうメイト雇止め=
☆ 最高裁で全面勝利 期間雇用でも解雇はNO!
早いもので、雇止めになってから4年半が経ちました。
当初は裁判費用もなく、あきらめかけていましたが、職場・地域・全国の仲間の支援があって、最後まで闘い抜き、勝利を収めることができました。本当に感謝しています。
2002年5月、当時の岡山中央郵便局に、学生アルバイトとして4時間勤務を始めました。講義終了後の勤務であったため、必然的に夜間の速達の配達を担当していました。
夜間速達の配達とはいうものの、速達はそれほど多くなく、実質的には夕方や夜間指定された再配達郵便物や小包を配達することがメインとなっていました。
2007年2月、3月末で学生ではなくなることから、生計を確立するため、8時間雇用に変更してもらいました。しかし、連続した8時間雇用ではなく、8時~12時と17時半~21時半という変則的な8時間雇用を提示され、やむなくそれを受諾しました。
この変則8時間雇用が、これほど大きな問題になるとは、当時は思ってもみませんでした。
2008年2月27日、当時の課長から、雇止め予告通知書をもらいました。19時50分頃だったと記憶しています。この時間は20時頃の配達出発に向けてばたばたしている時間です。非常識な対応をしたものだと、今思い返してもあきれかえります。
5月23日、提訴に踏み切りました。それまでに、弁護士や職場の仲間と幾度となく話し合い、この雇止めが如何に不当なものかがわかってきました。以降、弁論が開かれるたびに、全国各地から傍聴支援に駆けつけていただきました。
しかし、残念ながら2010年2月26日、岡山地方裁判所は、私の意見に与することなく、棄却の判決を出しました。
このとき、私自身は弁護士と打ち合わせするまでもなく、控訴することを決めていました。それは、この地裁判決を確定させては、全国で働く同じ立場の期間雇用社員に迷惑がかかると思ったからでした。
☆ 高裁で地裁敗訴を逆転!
2011年2月17日、広島高等裁判所岡山支部は、私の意見を全面的に理解し、請求を認める判決を出しました。
このとき、あまりにも酷い地裁判決を体験したこともあって、直ちには「嬉しい」という感情がわいてきませんでした。翌朝、手元に判決があることを確認したとき、ようやく感情がわいてきたのを今でもはっきりと記憶しています。
2011年3月3日、この日は郵政本社前で街宣車に上り、「不当な雇止めは、裁判で、必ず覆される。実際に働いてもいないものに、給料を払わなくてはいけなくなる。こんな無駄なことはない。このような過ちをもう繰り返すな」とマイクで訴えました。
しかし同日、会社側が上告受理申立をしたとの一報が入ってきました。「やっぱり」と思う反面、「いつになったら職場に戻れるのか。無駄なことをするものだ」と思いました。
会社側の上告受理申立から、半年が経過しても、最高裁からは一切音沙汰がありませんでした。大半の事件では半年以内に決着がつくと、弁護士からも聞かされていましたし、最高裁の資料でもそうなっていました。「受理され、答弁書の提出を求められない限りは、まだ大丈夫」と信じてきました。
2012年10月の郵便事業会社と郵便局会社の合併が決まり、10月以降になるかと思っていた矢先の9月18日、最高裁判所から弁護士の元に、不受理決定の調書が届きました。
このときもすぐには感情がわいてこず、狐につままれたような感じでした。同日午後、郵政産業ユニオン宛にお礼の文章を書いているときに、ようやく実感がわいてきました。
☆ 絶対に職場に戻る!
この判決の確定で、期間雇用社員としての地位と、この間の給与の支払いが認められました。
判決では、「民営化の前後を通して、雇用の期待があって、それは民営化前には保護に値しなかったが、民営化後は保護に値する」とされ、この雇止めには解雇権乱用法理の類推適用がされると判断されました。民営化後1回の更新もなかったにもかかわらず、このような職場実態に即した判断をしてくれたことは、大変ありがたいことです。
解雇と同様の判断基準が適用されることとなり、私の起こした交通事故が、その争点となりました。判決では、「発生回数は多いものの、変則8時間雇用などの背景があり、その責任をすべて原告に負わせることは問題があり、また正社員ではこの程度で解雇されることもなく、懲戒標準もそうなっていないことから、解雇とすることは処分としては重すぎる」として、雇止めの無効を認めました。
会社が変わっても、雇用の期待は、当然のように続いていて、それは法的保護に値すると、最高裁がコメントをしてくれたものだと思っています。
10月2日現在、まだ職場には復帰できていません。給与だけを支払い、職場に復帰させないという嫌がらせをしないとも限りません。職場復帰を求めていかなければなりません。
この雇止めの間には、たくさんのものを失いました。一番大きいものは、正社員登用試験の受験機会です。2010年・11年と、正社員登用試験が実施されましたが、受験することができませんでした。特例として試験を実施するか、正社員として雇用するように求めていきます。
細かいことでは、年次有給休暇も数十日消滅してしまいました。この部分に関しては、特例として発給するか、遅延損害金を加算して賃金補償するように求めていきます。
これまでは裁判という職場の外からの闘いでした。今後は職場に戻り、職場の中から労働条件の改善を求め、しっかりと闘いを進めていきます。これまでのご支援、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
『労働情報849号』(2012/10/15)
=岡山ゆうメイト雇止め=
☆ 最高裁で全面勝利 期間雇用でも解雇はNO!
萩原和也(郵政産業労働者ユニオン岡山支部)
早いもので、雇止めになってから4年半が経ちました。
当初は裁判費用もなく、あきらめかけていましたが、職場・地域・全国の仲間の支援があって、最後まで闘い抜き、勝利を収めることができました。本当に感謝しています。
2002年5月、当時の岡山中央郵便局に、学生アルバイトとして4時間勤務を始めました。講義終了後の勤務であったため、必然的に夜間の速達の配達を担当していました。
夜間速達の配達とはいうものの、速達はそれほど多くなく、実質的には夕方や夜間指定された再配達郵便物や小包を配達することがメインとなっていました。
2007年2月、3月末で学生ではなくなることから、生計を確立するため、8時間雇用に変更してもらいました。しかし、連続した8時間雇用ではなく、8時~12時と17時半~21時半という変則的な8時間雇用を提示され、やむなくそれを受諾しました。
この変則8時間雇用が、これほど大きな問題になるとは、当時は思ってもみませんでした。
2008年2月27日、当時の課長から、雇止め予告通知書をもらいました。19時50分頃だったと記憶しています。この時間は20時頃の配達出発に向けてばたばたしている時間です。非常識な対応をしたものだと、今思い返してもあきれかえります。
5月23日、提訴に踏み切りました。それまでに、弁護士や職場の仲間と幾度となく話し合い、この雇止めが如何に不当なものかがわかってきました。以降、弁論が開かれるたびに、全国各地から傍聴支援に駆けつけていただきました。
しかし、残念ながら2010年2月26日、岡山地方裁判所は、私の意見に与することなく、棄却の判決を出しました。
このとき、私自身は弁護士と打ち合わせするまでもなく、控訴することを決めていました。それは、この地裁判決を確定させては、全国で働く同じ立場の期間雇用社員に迷惑がかかると思ったからでした。
☆ 高裁で地裁敗訴を逆転!
2011年2月17日、広島高等裁判所岡山支部は、私の意見を全面的に理解し、請求を認める判決を出しました。
このとき、あまりにも酷い地裁判決を体験したこともあって、直ちには「嬉しい」という感情がわいてきませんでした。翌朝、手元に判決があることを確認したとき、ようやく感情がわいてきたのを今でもはっきりと記憶しています。
2011年3月3日、この日は郵政本社前で街宣車に上り、「不当な雇止めは、裁判で、必ず覆される。実際に働いてもいないものに、給料を払わなくてはいけなくなる。こんな無駄なことはない。このような過ちをもう繰り返すな」とマイクで訴えました。
しかし同日、会社側が上告受理申立をしたとの一報が入ってきました。「やっぱり」と思う反面、「いつになったら職場に戻れるのか。無駄なことをするものだ」と思いました。
会社側の上告受理申立から、半年が経過しても、最高裁からは一切音沙汰がありませんでした。大半の事件では半年以内に決着がつくと、弁護士からも聞かされていましたし、最高裁の資料でもそうなっていました。「受理され、答弁書の提出を求められない限りは、まだ大丈夫」と信じてきました。
2012年10月の郵便事業会社と郵便局会社の合併が決まり、10月以降になるかと思っていた矢先の9月18日、最高裁判所から弁護士の元に、不受理決定の調書が届きました。
このときもすぐには感情がわいてこず、狐につままれたような感じでした。同日午後、郵政産業ユニオン宛にお礼の文章を書いているときに、ようやく実感がわいてきました。
☆ 絶対に職場に戻る!
この判決の確定で、期間雇用社員としての地位と、この間の給与の支払いが認められました。
判決では、「民営化の前後を通して、雇用の期待があって、それは民営化前には保護に値しなかったが、民営化後は保護に値する」とされ、この雇止めには解雇権乱用法理の類推適用がされると判断されました。民営化後1回の更新もなかったにもかかわらず、このような職場実態に即した判断をしてくれたことは、大変ありがたいことです。
解雇と同様の判断基準が適用されることとなり、私の起こした交通事故が、その争点となりました。判決では、「発生回数は多いものの、変則8時間雇用などの背景があり、その責任をすべて原告に負わせることは問題があり、また正社員ではこの程度で解雇されることもなく、懲戒標準もそうなっていないことから、解雇とすることは処分としては重すぎる」として、雇止めの無効を認めました。
会社が変わっても、雇用の期待は、当然のように続いていて、それは法的保護に値すると、最高裁がコメントをしてくれたものだと思っています。
10月2日現在、まだ職場には復帰できていません。給与だけを支払い、職場に復帰させないという嫌がらせをしないとも限りません。職場復帰を求めていかなければなりません。
この雇止めの間には、たくさんのものを失いました。一番大きいものは、正社員登用試験の受験機会です。2010年・11年と、正社員登用試験が実施されましたが、受験することができませんでした。特例として試験を実施するか、正社員として雇用するように求めていきます。
細かいことでは、年次有給休暇も数十日消滅してしまいました。この部分に関しては、特例として発給するか、遅延損害金を加算して賃金補償するように求めていきます。
これまでは裁判という職場の外からの闘いでした。今後は職場に戻り、職場の中から労働条件の改善を求め、しっかりと闘いを進めていきます。これまでのご支援、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
『労働情報849号』(2012/10/15)
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