《エデュカシオン エ リベルテ》 教育の自由裁判をすすめる会ニュース
◎ 10・23テロ
いつかこの事件は《10・23テロ》と呼ばれるかもしれない。そう思うことがある。10・23通達以降の都教委のやり方には恐怖支配ともいうべき暴力性があるからだ。
日の丸に向かって起立し君が代を斉唱せよという職務命令が全ての都立学校で出され、大量の懲戒処分が掛たときわたしは恐怖を覚えた。国民にとって大事な何かが暴力的なやり方で壊されようとしていると感じた。渦中にいた教職員たちの恐怖は凄まじかったに違いない。そのことを原告のKさんが何かの会合で《目に見えないピストルを突きつけられたようだった》と述べていた。
Oさんは都立高教員になる前、私立に勤めていた。その私立高では毎朝日の丸と神棚に向かって正座し額ずく儀式があった。教師たちは式の厳粛さを壊さぬよう生徒の頭を床に押さえつけたり出席簿の角で頭を叩いたりした。Oさんは10・23通達が出たとき私立でのその経験を思い、都立もそれに繋がっていくと感じた。
9月4日の本人尋問で、そう述べたかのじょに、都教委の代理人は、「あなたが私立高でしたことは思想信条の自由の侵害どころか暴力行為だ」と凄んでみせ、10・23通達はそれとは別物だと強弁した。しかし、共通の暴力性があるからこそ、彼女は《繋がっていく》と感じたのだ。
この通達以降、教職員たちの自尊心は踏みにじられた。式では座席まで氏名入りで指定されそこに座れと命じられる。座席の向きや角度にまで都教委が介入する。式当日は都から派遣された職員が監視する。処分理由書には《職務命令に違反》《職の信用を傷つけ》《職全体の不名誉》等の仰々しい文言がならぶ。セクハラや飲酒運転と同様の「服務事故再発防止研修」があり、学校ごとの「校内研修」もある。
心はズタズタに引き裂かれた。《「戒告」という言葉はとても重く、ずしんと心に響きます。主幹の方にまで「研修」が命じられたり、職場での集団研修があったりなど、職場の方々にも迷惑をおかけしていると思うと、大変申し訳なく思いますし、肩身が狭い気がします。間違っていないとは思いっっも、どうしても気になり、思いまどいます。自分に自信がもてなくなり、発言も控えがちになってしまいます。「教師失格」という烙印を押されたかのような気がするのです》(原告Eの陳述書より)。
退職後も徹底して排除される。嘱託や非常勤講師の採用を拒否される。離任式や卒業式等の学校行事に自分だけ呼ばれないという原告もいる。《都立養護学校から講師を依頼されてその準備をしていたのに直前になって「処分された者を講師に呼ぶとは何事か」と圧力がかかったらしく断りの電話がかかってきたこともあります》(原告Hの陳述書より)。
10・23通達を淵源とする懲戒処分の人数は累計で四百名をこえた。処分を重ねるとその度ごとに加重される。戒告、減給1ヶ月、減給6ケ月、停職1ケ月、停職3ヶ月、停職6ヶ月と重くなり、最後は懲戒免職が待っている。
卒業式や入学式は毎年巡ってくる。その都度苦悩も巡ってくる。《都立高校で音楽科の教員を続けたいのであれば、毎年春には卒業式と入学式で強制され、苦しみ続けなければなりません》(原告Iの陳述書より)。《次々と半期退職する人を見送りながら、私自身もいつまでこの圧力に耐えて生徒に笑顔を向けられるか不安です。みんなと同じように定年まで教員として働きたい、生徒と一緒に勉強したり行事や部活動にとりくみたいという、つい数年前まで当たり前だった願いが叶うかどうか怪しくなっています》(原告Oの陳述書より)。
2004年に懲戒処分をうけた教職員のうち百七十三名が2007年2月に処分の取消を求めて提訴した東京「君が代」裁判と呼ばれるこの訴訟は、10月23日の原告本人尋問を最後に人証調べを終え、12月25日には審理を遂げることが予定されている。判決は来春3月になると予測している。
その判決が都教委による恐怖支配の終焉に資するものとなるよう、原告団も弁護団も全力を尽くします。ご支援をこころからお願いいたします。
(しらい けん)
東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース第13号 (2008年10月12日)
◎ 10・23テロ
弁護士 白井 劍
東京「君が代」裁判弁護団事務局長
東京「君が代」裁判弁護団事務局長
いつかこの事件は《10・23テロ》と呼ばれるかもしれない。そう思うことがある。10・23通達以降の都教委のやり方には恐怖支配ともいうべき暴力性があるからだ。
日の丸に向かって起立し君が代を斉唱せよという職務命令が全ての都立学校で出され、大量の懲戒処分が掛たときわたしは恐怖を覚えた。国民にとって大事な何かが暴力的なやり方で壊されようとしていると感じた。渦中にいた教職員たちの恐怖は凄まじかったに違いない。そのことを原告のKさんが何かの会合で《目に見えないピストルを突きつけられたようだった》と述べていた。
Oさんは都立高教員になる前、私立に勤めていた。その私立高では毎朝日の丸と神棚に向かって正座し額ずく儀式があった。教師たちは式の厳粛さを壊さぬよう生徒の頭を床に押さえつけたり出席簿の角で頭を叩いたりした。Oさんは10・23通達が出たとき私立でのその経験を思い、都立もそれに繋がっていくと感じた。
9月4日の本人尋問で、そう述べたかのじょに、都教委の代理人は、「あなたが私立高でしたことは思想信条の自由の侵害どころか暴力行為だ」と凄んでみせ、10・23通達はそれとは別物だと強弁した。しかし、共通の暴力性があるからこそ、彼女は《繋がっていく》と感じたのだ。
この通達以降、教職員たちの自尊心は踏みにじられた。式では座席まで氏名入りで指定されそこに座れと命じられる。座席の向きや角度にまで都教委が介入する。式当日は都から派遣された職員が監視する。処分理由書には《職務命令に違反》《職の信用を傷つけ》《職全体の不名誉》等の仰々しい文言がならぶ。セクハラや飲酒運転と同様の「服務事故再発防止研修」があり、学校ごとの「校内研修」もある。
心はズタズタに引き裂かれた。《「戒告」という言葉はとても重く、ずしんと心に響きます。主幹の方にまで「研修」が命じられたり、職場での集団研修があったりなど、職場の方々にも迷惑をおかけしていると思うと、大変申し訳なく思いますし、肩身が狭い気がします。間違っていないとは思いっっも、どうしても気になり、思いまどいます。自分に自信がもてなくなり、発言も控えがちになってしまいます。「教師失格」という烙印を押されたかのような気がするのです》(原告Eの陳述書より)。
退職後も徹底して排除される。嘱託や非常勤講師の採用を拒否される。離任式や卒業式等の学校行事に自分だけ呼ばれないという原告もいる。《都立養護学校から講師を依頼されてその準備をしていたのに直前になって「処分された者を講師に呼ぶとは何事か」と圧力がかかったらしく断りの電話がかかってきたこともあります》(原告Hの陳述書より)。
10・23通達を淵源とする懲戒処分の人数は累計で四百名をこえた。処分を重ねるとその度ごとに加重される。戒告、減給1ヶ月、減給6ケ月、停職1ケ月、停職3ヶ月、停職6ヶ月と重くなり、最後は懲戒免職が待っている。
卒業式や入学式は毎年巡ってくる。その都度苦悩も巡ってくる。《都立高校で音楽科の教員を続けたいのであれば、毎年春には卒業式と入学式で強制され、苦しみ続けなければなりません》(原告Iの陳述書より)。《次々と半期退職する人を見送りながら、私自身もいつまでこの圧力に耐えて生徒に笑顔を向けられるか不安です。みんなと同じように定年まで教員として働きたい、生徒と一緒に勉強したり行事や部活動にとりくみたいという、つい数年前まで当たり前だった願いが叶うかどうか怪しくなっています》(原告Oの陳述書より)。
2004年に懲戒処分をうけた教職員のうち百七十三名が2007年2月に処分の取消を求めて提訴した東京「君が代」裁判と呼ばれるこの訴訟は、10月23日の原告本人尋問を最後に人証調べを終え、12月25日には審理を遂げることが予定されている。判決は来春3月になると予測している。
その判決が都教委による恐怖支配の終焉に資するものとなるよう、原告団も弁護団も全力を尽くします。ご支援をこころからお願いいたします。
(しらい けん)
東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース第13号 (2008年10月12日)
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