パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「教え子を再び戦場に送らない」思いを行動に!根津公子

2011年10月02日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  《9・24「君が代」強制大阪府条例はいらん!全国集会・資料》
 ◇ 「教え子を再び戦場に送らない」思いを行動に!
根津公子(東京・元教員:2011年3月退職)

 東京以上に突出した攻撃が始まった大阪で、私の「君が代」被処分の体験がそのまま通用するとは思いませんが、一つの参考にしていただきたいと思い、はじめに述べます。
 2004年から、都教委が「3回不起立で免職」と言う中、停職6ヶ月の処分を3回で定年退職を迎えることができたのは、全国の大勢の方が一緒に闘ってくださったことによるものと確信しています。
 2004年は不起立1回で戒告、2回で減給1ヶ月にされた仲間が出た時でしたから、2005年3月の卒業式を迎えるに当たっては、その時すでに減給3ヶ月にあった私は、免職の危険を感じ、定年までのあと6年、免職は避けたいと思っていました。
 生徒たちには授業で「日の丸・君が代」、及びその強制に対する私の思いと、しかし、クビを回避するために起立してしまうかもしれない気持ちとを話し、詫びました。当日は、不起立を現認する係りの副校長に、事前に告げておいた歌詞のところまで起立し、そこで着席したのですが、「君が代」の間じゅう私を注視する卒業生たちの目は私の胸に突き刺さりました
 また、その時私の脳裏には、日本が侵略した中国大陸で上官から「突け」と命令された初年兵の姿が現われたのです。初年兵の前には、縄で縛られた便衣姿の中国人捕虜がいて、「お前は突くのか」と言われているようでした。「座る」と告げてあった歌詞のところに来て着席し、突かなくてよかったと安堵しました。
 と同時に、自分の気持ちを偽った行為は金輪際やめよう。こんなことをしていたら私は、教員として子どもたちの前に立つことはできなくなる。私は自分を好きではいられなくなる。誇りを失っては生きていけない、と思いました。
 ですから、それ以降は免職を覚悟で不起立をしてきました。

 2005年4月は停職1ヶ月、2006年3月が停職3ヶ月、そして、2007年に停職6ヶ月と、処分は重くされていきました。
 2008年3月を迎えるに当たっては、免職を宣言されたのも同じ、生きた心地がしませんでした。「処分量定の改定」(2006年)で「停職は6月まで」と明記されたからでした。この年初めて赴任した養護学校で生徒と過ごしながら、涙が溢れてしまうこともたびたびでした。
 都教委は2月初め、私が授業で着用していた「『日の丸・君が代』強制反対」「OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO」のロゴが入ったトレーナー・Tシャツが職務命令違反・職務専念義務違反だとして私を呼び出しました。都教委は、「君が代」を避け、別件での免職を企んだのだと思いました
 このままクビにされるのは嫌だ。その一心でその日からほぼ毎日、私は放課後1時間休暇を取って、都教委に「免職にするな」と言いに行きました。攻撃された時には広くSOSを発し、助けてもらうことが大事と、私ほこれまでの体験から学び、この時も広く呼びかけました。
 予想をはるかに超える多くの方が動いてくださいました。連日、夜の10時、11時まで都庁の教育委員会ロビーは人であふれかえり、また、都教委には電話やメールがたくさん届けられたそうです。私自身は、クビにされると思ったから突っ走ってしまったし、またそれができたのです。こうして、大勢の方のお力で、免職・累積加重処分をストップさせることができました。
 2008年度はあきる野学園に異動。2009年3月は、「分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針」(08年7月策定)を使って分限免職にされるのではないか、と私も校長も心配しましたが、クリアー。2010年、2011年は、卒業式に出席できなかったので、処分は受けませんでしたが、しかし、次は免職かとの恐れと覚悟は2004年以来、常に持っていました。
 でも、仕事の質を問い、生き方を問い、自分と向き合って生きることができ、また、たくさんの方のお心に触れることができて、私は幸せだったと思っています。何よりも、不起立行為と停職処分という目に見える事実を通して、勤務する学校の生徒に、また、かつての教え子に、人の生き方の一例を提示することができたと思っています。そして、不起立は教育行為であると思うに至りました。
 私は自身の体験を通して、間違っていると思うことには、声をあげ、行動することで道ができると感じています。また、沈黙することは、攻撃に加担すること、子どもたちを戦場に送ることとも感じます。
 一旦沈黙してしまうと、「日の丸・君が代」以外のことでも沈黙してしまう事例を一つだけあげます。新聞報道がされましたから、記憶にあるかと思いますが、2005年、前年度の都学力テストで平均点が低かった足立区ではいくつかの学校で、点数の取れない子どもを休ませるよう保護者に働きかけたり、試験の行われている教室で机間巡視をし、机をたたくなどして子どもたちに誤答を知らせるなどの組織的不正行為があり、1年半後に発覚しました。発覚は、保護者からの通報によるもので、教員ではありませんでした。少なくない教員たちが子どもたちの前で不正を行った事実を前に、人は容易に思考停止に陥るのだということを思い知らされました。
 東京の10・23通達は、不意に発出されましたが、大阪の条例化は、府民に情宣する時間が与えられています。今日もその一環で集会が持たれていますが、条例の持つひどさを情宣していきましょう。維新の会からさえこの条例案に賛成しかねるという意見が出ている状況、まだまだ状況は変えられると思います。
 教員は、担当する子どもたちに、保護者に話をしていきましょう。職員会議に出していきましょう。教育基本条例、「日の丸・君が代」強制の狙いとそれに反対する自身の思いを、自身のことばで語っていきましょう。
 条例が数の力に任せて可決されたなら、最初に教職員を待っているのが、来春の「君が代」不起立処分となるでしょう。「同一の職務に対する3回目の違反は、直ちに分限免職と明記していますから、東京での「君が代」不起立、抵抗闘争よりもさらに困難を極めることは確かです。
 不起立3回で免職、ということは、2回までは免職にはならないということです。現職の教員の皆さん、まずは、来春の不起立を決意しましょう。考え込んでいても状況を切り開くことはできません。走りながら、次の行動を考えればいいのだと思います。
 動けばきっと状況は変わります。危ない状況を変えるために、「日の丸・君が代」の強制及び大阪府教育基本条例を許さないという確固とした思いを、自身が担当する子どもや保護者、そして市民に、不起立行動や「不起立1名」という見えるかだちで示しましょう。自身を前に押し出しましょう。そこを迂回した条例化反対の闘いはあり得ないと私は思います。定年間近の方は、若い人たちにつけを回すことのないように、と願います。
 さて、これを書いているところに、河原井(停職1月)・根津(停職3月)の06年不起立事件について、最高裁第一小法廷から弁論開催の通知が届きました。
 *裁量権の濫用はないとした原審について審理するというのです。弁論は原審と異なる判決を出す時に開かれるのだそうで、とすれば、判決は、憲法判断に変更はありませんが、停職処分を取消す公算が強いとのことです。

コメント    この記事についてブログを書く
« あくまでも闘いを貫きます | トップ | 国連自由権規約『一般的意見... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日の丸・君が代関連ニュース」カテゴリの最新記事